各時代の希望

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第6章 わたしたちはその星を見た

本章はマタイ2章に基づく DA 692.1

「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました』」(マタイ2:1、2)。 DA 692.2

東の博士たちは哲学者であった。彼らは貴族を含む有力な大階級に属し、国民の富と学問の大部分を占めていた。これらの人々の中には民衆の信じやすい心につけこむ者が多かった。しかし自然界における神のしるしを調べ、その高潔さと知恵を尊敬されている人々もいた。イエスのところへやってきた博士たちはこの種類の人たちであった。 DA 692.3

神の光はいつも異教の暗黒の中に輝いている。これらの東の博士たちが星空を調べ、星の光る道にかくされている神秘をさぐっていた時、彼らは創造主の栄光を見た。もっとはっきりした知識を求めて、彼らはヘブライの聖書を調べた。彼ら自身の国には、天来の教師が現われることを予告した預言者の書が秘蔵されていた。バラムは一時は神の預言者だったが、魔術士に属していた。聖霊によって彼はイスラエルの繁栄とメシヤの現われを預言したことがあって、その預言が言い伝えによって世紀から世紀へ伝えられていた。しかし旧約聖書の中には、救い主の来臨がもっとはっきり啓示されていた。博士たちは、キリストの来臨が近いことと、全世界が神の栄光についての知識で満たされることを知ってよろこんだ。 DA 692.4

ベツレヘムの丘に神の栄光が満ちあふれたその夜、この博士たちは天に一つの神秘な光を見た。その光が消えると、一つの光り輝く星があらわれ、空にとどまった。それは恒星でも遊星でもなかったので、この現象は最も深い興味をそそった。この星は遠くに輝く一群の天使たちだったが、博士たちはそのことを知らなかった。 DA 692.5

だが彼らは、その星が自分たちにとって特別な意味があるという感銘を受けた。彼らは祭司たちや哲学者たちの意見をきき、古代の記録の巻物を調べた。バラムの預言には、「ヤコブから1つの星が出、イスラエルから1本のつえがおこり」とあった(民数記24:17)。このふしぎな星は約束されたお方の前ぶれとしてつかわされたのではないだろうか。博士たちは天来の真理の光をよろこんで受け入れていたいまその光は一層明るい光で彼らを照らした。彼らは夢を通して、こんどお生まれになった君をさがしに行くようにとのお告げを受けた。 DA 692.6

アブラハムが神の召しを受けて、「その行く所を知らないで」信仰によって出て行ったように(ヘブル11:8)、またイスラエル人が信仰により雲の柱のあとについて約束の地へ行ったように、この異邦人たちは約束の救い主をみつけるために出かけて行った。東の国には宝がたくさんあったので、博士たちはからてでは出発しなかった。王子たちや身分の高い人た ちに敬意を表わす行為として贈り物をささげるのが習慣だったので、地上の全人類の祝福となってくださるお方にささげる贈り物として、彼らは国にある最高の贈り物をたずさえて行った。星を目当てに行くには夜間に旅をしなければならなかった。だが旅人たちは、さがし求めているお方についての言い伝えや預言のことばをくりかえして時間をまぎらした。休息のために立ちどまるたびに、彼らは預言を調べた。すると、自分たちは神に導かれているのだという確信が強くなった。彼らの前には外面的なしるしとして星があったが、同時にまた聖霊による内面的な証拠が与えられ、それが彼らの心に語り、望みを起こさせるのだった。旅は長かったが、彼らにとって楽しい旅であった。 DA 692.7

博士たちは、イスラエルの国に到着し、エルサレムを見おろしながらオリブ山をくだっている。するとその時、見よ、疲れた旅路をずっとみちびいてきた星が宮の上にとまり、しばらくすると、彼らの視界から消える。彼らは、人々がみなメシヤの誕生を口々に語り合ってよろこんでいるにちがいないと確信して、元気な足どりで進んで行く。だが彼らの質問はむだである。聖都に入ると、彼らは宮へ行く。驚いたことに、生まれたばかりの王について知っているらしい者は1人もいない。彼らにたずねられて人々の顔にはよろこびの色が浮かないで、むしろ驚きと恐れがみられ、軽蔑さえまじっていないとはいえない。 DA 693.1

祭司たちは言い伝えをくりかえしている。彼らは自分たちの宗教と自分自身の敬虔さを称賛するが、その一方ではギリシャ人やローマ人を異教徒として攻撃し、また誰よりも罪人を責める。博士たちは偶像礼拝者ではなく、神の御目には、神の礼拝者であることを自称しているこれらの人たちよりもずっと高い立場にあるが、ユダヤ人からは異教徒としてみられている。神のみことぼの保護者として任命されている人たちの中にあってさえ、博士たちの熱心な質問は共感をよび起こさない。 DA 693.2

博士たちの到着はたちまちエルサレムじゅうに言いふらされた。彼らのふしぎな使命は民衆の間にさわぎをひき起こし、それはヘロデ王の宮殿の中にまで伝わった。ずるいエドム人であるヘロデは、競争者があらわれるかもしれないという暗示に感情を刺激された。彼の王位への道は、かぞえきれない殺人の血にそまっていた。異なった人種の由血をひいていたために、彼は統治している人民から憎まれていた。彼の唯一の安全保障はローマのひいきであった。しかしこの新しい君は、ヘロデよりも高い権利を持っておられた。彼はこの王国を継ぐ者としてお生まれになったのである。 DA 693.3

ヘロデは、祭司たちがこの旅人たちとはかりごとをめぐらして、民衆の暴動をひき起し、自分を王位から追い出そうとしているのではないかと疑った。しかし彼は、もっとすぐれた巧妙さで彼らのくわだての裏をかいてやろうと決心し、彼らに対する疑惑をかくした。彼は祭司長たちと律法学者たちとを召し集めると、メシヤ生誕の場所について聖書には何と教えられているかとたずねた。 DA 693.4

王位を奪った者の口から、しかも旅人たちの願いによってなされたこの質問は、ユダヤの教師たちの誇りを傷つけた。預言の書に対する彼らの無関心な態度はこのねたみ深い暴君を怒らせた。王は彼らがその問題について知っているのをかくそうとしているのだと思った。王はあえて無視できないような権威をもって、彼らの期待している王の生誕地をよく調べて返答するように命じた。「彼らは王に言った、『それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、 DA 693.5

「ユダの地、ベツレヘムよ、 DA 693.6

おまえはユダの君たちの中で、 DA 693.7

決して最も小さいものではない。 DA 693.8

おまえの中からひとりの君が出て、 DA 693.9

わが民イスラエルの牧者となるであろう」』」 DA 693.10

(マタイ2:5、6) DA 693.11

そこでヘロデは、博士たちを招いて個人的に面会した。彼の心には怒りと恐れの嵐(あらし)がたけり 狂っていたが、外観は平静をよそおって、旅人たちにいんぎんに応対した。王はいつ星が現われたかをたずね、キリストがお生まれになったらしいという知らせをよろこんで歓迎するような口をきいた。彼は来訪者たちに、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」と告げた(マタイ2:8)。そう言って王は、ベツレヘムへの道をつづけさせるために彼らを去らせた。 DA 693.12

エルサレムの祭司たちと長老たちは、知らないふりをしていたが、しかし実際にキリストの生誕について知っていなかったのではなかった。天使たちが羊飼たちのところへやってきたといううわさはエルサレムに伝わっていたが、ラビたちはそれを注目に値しないものとみなしていた。ラビたち自身がイエスをさがし出して、博士たちをその誕生の場所に案内するのならまだしも、そうではなくて、博士たちがメシヤの誕生について彼らの注意をよび起こすためにやってきたのである。「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」と博士たちは言った(マタイ2:2)。 DA 694.1

そこで、高慢とねたみのために、光に対してとびらがとざされた。羊飼たちと博士たちによって伝えられたうわさがもし信用されたら、祭司たちとラビたちの立場ははなはだおもしろくないものになり、自分たちが神の真理の解説者であるという彼らの主張はくつがえされることになる。この学識のある教師たちは、自分たちが異教徒と呼んでいる人々の前に身を低くして教えを受けようとはしなかった。神が自分たちをみすごして、無知な羊飼たちや割礼を受けていない異邦人たちにお知らせになるはずがないと、彼らは言った。彼らはヘロデ王やエルサレムじゅうをわきたたせているうわさに軽蔑を示そうと決心した。彼らはそうしたことがほんとうかどうかを確かめるためにベツレヘムに行ってみようとさえしなかった。そしてイエスについての関心を狂信的な騒ぎだと人々に考えさせた。祭司たちとラビたちからキリストが捨てられることはここにはじまった。ここから彼らの高慢と頑迷さとが、救い主に対するかわらない憎しみへと発展していった。神が異邦人に門戸をお開きになっているのに、ユダヤ人の指導者たちは彼ら自身の門戸をとざしていた。 DA 694.2

博士たちは彼らだけでエルサレムを出発した。町の門を出ると夜のとばりがおりてきたが、彼らはふたたびあの星をみつけて非常に喜び、ベツレヘムへみちびかれた。博士たちは、イエスのいやしい身分について羊飼たちが受けたような知らせを受けていなかった。長い旅ののちに、彼らはユダヤ人の指導者たちの無関心に失望し、エルサレムを出る時には町へ入ってきた時ほどの確信がなかった。ベツレヘムでは生まれたばかりの王を護衛するために置かれている親衛隊はみられなかった。世の高位高官の人たちは誰もつきそっていなかった。イエスは飼葉おけをゆりかごとしておられた。無教育ないなか者である両親が、イエスの唯一の保護者であった。これがほんとうに、「ヤコブのもろもろの部族をおこし、イスラエルのうちの残った者を帰らせる……もろもろの国びとの光となして、わが救いを地の果にまでいたらせよう」と書かれているお方だろうか(イザヤ49:6)。 DA 694.3

「(彼らは)家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝」んだ(マタイ2:11)。イエスのみすぼらしい身なりの下に、彼らは神の臨在をみとめた。彼らはイエスを救い主として愛し、それから「黄金・乳香・没薬(もつやく)」などの贈り物をさし出した(マタイ2:11)。彼らの信仰は何というりっぱな信仰だったことだろう。のちにローマの百卒長に、「イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない」と言われたことばは、この東の博士たちについても言えたであろう(マタイ8:10)。 DA 694.4

博士たちはイエスに対するヘロデの計略を見破っていなかった。旅の目的を果たすと、彼らはその成功をヘロデに知らせるつもりで、エルサレムへ引き返すしたくをした。ところが彼らは夢の中でもうへロデと連絡してはならないという神のお告げを受けた 彼らはエルサレムをさけて、別な道から自分たちの国へ向かって出発した。 DA 694.5

同じようにヨセフは、マリヤと子供をつれてエジプトへのがれるようにとの警告を受けた。天使は、「あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」と言った(マタイ2:13)。ヨセフはすぐにそのことばに従い、もっと安全なところを求めて夜のあいだに旅立った。 DA 695.1

博士たちを通して、神はユダヤ国民の注意をみ子の誕生に向けられたのだった。彼らがエルサレムでたずね、民衆の関心がそそられ、ヘロデのねたみまでひきおこし、否応なしに祭司たちとラビたちとの注意がよぴ起され、こうしたことのために人々の心は、メシヤに関する預言と、いま起こったばかりの大事件に向けられた。 DA 695.2

サタンは世から神の光をしめ出すことに力を尽し、救い主を滅ぼすためにあらゆる悪知恵を用いた。しかしまどろむことも眠ることもなさらない神は、いとし子イエスを見守っておられた。イスラエルのために天からマナをふらせ、飢饉(ききん)の時にエリヤを養われた神は、マリヤとみ子イエスのために異教の土地に避難所をお備えになった。また異教の国の博士たちの贈り物によって、神は、エジプトへの旅と異国における滞在の費用をお与えになった。 DA 695.3

博士たちはあがない主を喜び迎えた最初の人々の仲間だった。彼らの贈り物はイエスの足もとにささげられた最初の贈り物だった。その贈り物によって、彼らは何という尊い奉仕の特権をわがものとしたことだろう。神は愛の心から出た贈り物を喜んで尊び、神への奉仕にそれを最も効果的にお用いになる。心をイエスにささげたなら、われわれもまた贈り物をイエスのもとに持参するであろう。われわれの金も銀も、われわれのどんなに貴重なこの世の財産も、またわれわれの最高の知的霊的才能もみな、われわれを愛し、われわれのためにご自身をお与えになったイエスに惜しみなくささげられるであろう。 DA 695.4

エルサレムではヘロデが博士たちの帰りをいらいらしながら待っていた。時がたっても彼らが現われないので、ヘロデは疑いを起こした。ラビたちがメシヤの生誕地を明示したがらなかったことは、彼らが自分の計画を見抜いていて、博士たちがわざと自分を避けた証拠のように思われた。そう思うと彼ははげしい怒りを感じた。計略は失敗したが、力に訴える方法が残っていた。彼はこの王となるべき子供を見せしめにしようと思った。君主を王座につけようとすればどんな目に会わねばならないかを、この高慢なユダヤ人らに思い知らせねばならない。 DA 695.5

2才以下の子供を全部殺せという命令をもって、ただちに兵士たちがベツレヘムへつかわされた。ダビデの町の静かな家々に、600年前預言者エレミヤに示された恐怖の光景がみられた。「叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」(マタイ2:18)。 DA 695.6

この災難はユダヤ人が自ら招いたものだった。もし彼らが神の前に忠実に、へりくだって歩んでいたら、神はヘロデ王の怒りを特殊な方法で彼らに害のないものとされたのである。だが彼らは罪のために神から離れ、唯一の守りである聖霊をこばんでいた。彼らは神のみこころに従いたいとの思いをもって聖書を学んでいなかった。彼らは、自分たちがえらい国民になるとか、神は自分たち以外の国民をみな軽んじておられるというふうに解釈されるような預言ばかりをさがしていた。メシヤが王として現われて、敵を征服し、怒りをもって異教徒をふみつけるということが彼らの自慢であった。 DA 695.7

こうしてユダヤ人は統治者たちの憎しみを刺激していた。キリストの使命について誤った考えをユダヤ人にいだかせることによって、サタンは救い主の破滅をたくらんでいた。だがその目的はとげられず、破滅はかえってユダヤ人自身の頭上にはねかえってきた。 DA 695.8

これはヘロデの治世を暗くした最後の残虐行為の一つであった。罪とがのない子供たちを殺害してまもなく、彼自身、だれも避けることのできない運命に屈伏させられた。彼は恐ろしい死に方をした。 DA 695.9

ヨセフはまだエジプトにいたが、いま神の天使からイスラエルの国へ帰るように命じられた。イエスがダビデの王位の後継者であることを考えて、ヨセフはベツレヘムに家庭を持ちたいと望んだ。だがアケラオが父に代ってユダヤを治めていることを知って、彼はこの息子(むすこ)がキリストに対する父ヘロデの計略を実行しはすまいかと恐れた。ヘロデの息子たちの中で、アケラオが父親の性格に一番よく似ていた。彼が統治の位を継いだためにすでにエルサレムでは暴動がみられ、ローマの守備兵によって幾千のユダヤ人が殺害されていた。 DA 696.1

ふたたびヨセフは安全な場所へみちびかれた。彼は以前の故郷であるナザレにもどり、ここにイエスはおよそ30年間お住みになった。「これは預言者たちによって、『彼はナザレ人と呼ばれるであろう』と言われたことが、成就するためである」(マタイ2:23)。ガリラヤはヘロデの息子の1人によって支配されていたが、ここにはユダヤよりももっと多くの外国人がまじって住んでいた。したがって、特にユダヤ人に関係のある問題については比較的関心が薄く、イエスの主張はそれほど権力者たちのねたみをひき起こしそうになかった。 DA 696.2

救い主がこの世においでになった時、世はこのような迎え方をした。あがない主であられる幼な子には、休息や安全な場所はないようにみえた。神が人類の救いのために働きをつづけておられる時でさえ、神はいとし子を人間の手にまかせることがおできにならなかった。キリストがこの地上における使命を達成して、救うためにおいでになったその人々の手にかかってなくなられるまで、神は天使たちに命じてイエスにつきそわせ、イエスを守らせられた。 DA 696.3