患難から栄光へ

28/39

第一九章エルサレム会議

本章は使徒行伝一五章一節-三五節に基づく AAJ 203.1

パウロとバルナバはシリヤのアンテオケから伝道旅行につかわされていたのであるが、旅から戻ってくると早々に機会をとらえて信者を呼び集め、「神が彼らと共にいてして下さった数々のこと、また信仰の門を異邦人に開いて下さったことなどを」報告した(使徒行伝一四ノ二七)。アンテオケの教会は大きく成長している教会であった。宣教活動の中心をなすこの教会は、キリスト教信者の集団の中で最も重要なものの一つだった。教会員はユダヤ人と異邦人の中から来た種々の階級の人々で構成されていた。 AAJ 203.2

使徒たちは教役者や信徒といっしょに熱心に努力し、多くの人々をキリストに導いていたが、一方、ユダヤから来た「パリサイ派」のあるユダヤ人信徒たちは、一つの問題を持ち込んできた。それはまもなく教会内に、広範囲に及ぶ論争を引き起こし、異邦人の信徒たちを驚愕きょうがくさせるものとなった。これらユダヤ主義の教師たちは、救われるためには割礼を受けて、礼典律を完全に守らなければならないと、 大きな確信をもって主張した。 AAJ 203.3

パウロとバルナバはこの誤った教えを速やかに聞きつけて、異邦人たちにこの問題を持ち出すことに反対した。ところが、アンテオケのユダヤ人信徒の多くは、最近ユダヤから来た兄弟たちの立場に賛成していた。 AAJ 204.1

ユダヤ人の改宗者はたいてい、神の摂理によって道が開かれても、すぐに進んでいこうとしなかった。使徒たちが異邦人のあいだで働いたために、ユダヤ人の改宗者よりも異邦人の改宗者の数のほうがはるかに多かったことは確かである。もしユダヤ人の律法が命じる禁止事項や儀式を、教会員になる条件として異邦人に行わせることをしないでいると、これまでユダヤ人を他の国民と区別してきた国民的特異性が、ついには福音を信じた人びとのあいだから失われるのではないかと、ユダヤ人は恐れた。 AAJ 204.2

ユダヤ人は、神から命じられた宗教儀式につねに誇りを持ってきた。キリストの信仰へと改心した人人の多くはなお、神がひとたびへブライ的な礼拝の大要を明確にされたのであるから、その礼拝儀式のどんな細かい部分でも変えることを神が認可されるようなことは起こり得ない、と思った。彼らはユダヤの律法と儀式が、キリスト教の宗教儀式と結び合わされるべきだと主張した。すべてのいけにえのささげ物は神のみ子の死を予示したもので、予型はキリストの死において本体に合わされるのであり、キリストの死後は、モーセの律法の儀式や礼典はもはや義務づけられないということを、彼らはなかなか認めなかった。 AAJ 204.3

パウロは改宗する前には、自分を「律法の義については落ち度のない者である」と思っていた(ピリピ三ノ六)。しかし心を変えてから彼は、ユダヤ人ばかりでなく、異邦人も含めた全人類のあがない主としての救い主の使命について、明確な概念をつかみ、生きた信仰と死んだ形式主義との違いを学んでいた。イスラエルにゆだねられた古い慣習や儀式は、福音の光を受けて、より深い意味を持つようになっていた。それらの慣習や儀式に予示されていた事が既に起こったので、福音の時代に生きている人々は、それらを遵守することから解放されていた。しかしパウロはなおも、神の変わることのない律法である十戒を、文字通りに守るばかりでなく、精神的にも遵守していた。 AAJ 205.1

アンテオケの教会では、割礼の問題について活発な議論や論争が起こった。ついに教会員たちは、これ以上議論を続ければ、彼らのあいだに分派が起こるのではないかと恐れて、教会から数人の責任のある人々をつけて、パウロとバルナバをエルサレムにつかわし、使徒や長老たちの前で事を解決させようとした。彼らはそこで、それぞれの教会からの代表者たちや、まもなくやってくる祭りに参加するために、エルサレムに集まってきていた人々と会うことになった。その間に全体的な会議があって、最終決議が採択され、すべての論争が終わるはずであった。この決議は国中のそれぞれの教会に例外なく受け入れられることになるはずであった。 AAJ 205.2

使徒たちはエルサレムに行く途中、通過する町々に住む信者たちを訪問し、神のみ働きにおいて彼らが経験したことや、異邦人たちの改心を話して信者を励ました。 AAJ 205.3

エルサレムでは、アンテオケからつかわされた者たちは、あちこちの教会から総会に出席するために集まってきていた兄弟たちに会い、異邦人伝道で収めた成功について話した。それから彼らは、改宗したパリサイ派のある者たちがアンテオケにきて、救われるためには改宗した異邦人は割礼を受け、モーセの律法を守らなければならないのだと主張したために起こった混乱のあらましを、はっきり述べた。 AAJ 206.1

この問題は集会において熱心に討議された。割礼の問題と深い関係のあるもので、十分に研究を要する幾つかの問題が他にもあった。その一つは、偶像にささげられた肉の使用に対してとらなければならない態度に関するものであった。改宗した異邦人の多くは、無学で迷信的な人々の中に住んでいた。そのような人々は、絶えず偶像にいけにえやささげ物をささげていた。この異教の礼拝をする祭司たちは、彼らのもとに携えられてきたささげ物で、手広い商売を行っていた。それでユダヤ人たちは、異邦人の改宗者たちが、偶像にささげられたものを買い、そのために偶像崇拝的な習慣をいくぶんか是認することになり、キリスト教の評判をそこねるのではないかと心配した。 AAJ 206.2

更に、異邦人たちは絞め殺された動物の肉を食べる習慣があったが、ユダヤ人は、動物が食用として殺されるときには、血液が体内から流れ出るよう特別な処置が取られねばならない、でなければ、その肉は健康によいものとされないことを、神から指示されていた。神はユダヤ人の健康を守るために、これらの命令をお出しになっていた。ユダヤ人は、血を食べものとして用いることは罪だとみなしていた。彼らは血をいのちと考え、罪の故に血を流すのだと思っていた。 AAJ 206.3

それとは反対に、異邦人は、犠牲の動物から流れる血を受けて、それを調理に用いていた。ユダヤ人は、神の特別な指示のもとに取り入れていた習慣を、変えねばならないと信じることができなかった。だから、当時、ユダヤ人と異邦人が食事に同席しなければならないようなことになると、ユダヤ人は異邦人の習慣によって衝撃を受け、侮辱されるのであった。 AAJ 207.1

異邦人、特にギリシヤ人は非常に放縦で、ある者は、心の中では改心せず、悪い習慣を捨てずに信仰を告白するおそれがあった。ユダヤ人のクリスチャンは、異教徒には犯罪とはみなされていないような行為を不道徳と考え、寛大に扱うことができなかった。それゆえに、ユダヤ人は、割礼や礼典律の遵守を異邦人の改宗者たちに実行させて、改宗の真実性と献身の試金石とするのがよいと、強く主張した。こうすれば、心から改宗せずに真理を受け、のちになって不道徳、不節制な行為のために恥辱となるような人々を、教会に加えずにすむと、彼らは信じた。 AAJ 207.2

ここで争われている主要な問題を解決するために、考えなければならないさまざまな問題点は、克服しがたい困難さを会議の前にもたらしたように見えた。しかし、その決定次第では、キリスト教会の繁栄、あるいはその存在そのものすら左右されようというこの問題は、実際には既に聖霊によって解決されていた。 AAJ 207.3

「激しい争論があった後、ペテロが立って言った、『兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになっ たのである』。」ペテロは、聖霊が割礼を受けていない異教徒にも割礼を受けたユダヤ人にも同じ力をもってくだり、論争中のこの問題を既に決定したのだと説明した。彼は幻のことを再び取り上げた。その幻の中で彼は、あらゆる種類の四つ足の獣が入っている布を神から与えられて、それをほふって食べるようにと命じられたのである。彼が清くないもの、汚れたものは何一つ食べたことがないと答えてご命令を拒んだとき、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」と言われていたのである(使徒行伝一〇ノ一五)。 AAJ 207.4

ペテロはこれらの言葉の明瞭な意味を説明した。それは彼が、百卒長のところへ行ってキリストを信じる信仰へ導くようにとの召しを受ける直前に、与えられたものであった。この使命は、神が人をかたより見られず、神をおそれるすべてのものを受け入れ、認めてくださることを示した。ペテロは、自分がコルネリオの家に集まった人々に真理のことばを語っていて、聴衆のユダヤ人も異邦人も聖霊に満たされたのを目撃したときの自分の驚きについて話した。割礼を受けたユダヤ人に反映しているのと同じ光と栄光が、割礼を受けていない異邦人の顔にも輝いていた。このことは、ペテロが異邦人をユダヤ人よりも劣ったものと見てはならないという、神の警告であった。なぜならキリストの血は、一切のけがれをきよめることができるからである。 AAJ 208.1

以前にペテロは、コルネリオとその友人たちの改心のことや、彼らとの交わりのことを兄弟たちに話したことがあった。その時、聖霊が異邦人の上にくだったさまを彼らに話して、「このように、わたし たちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか」とペテロは説明したのである(使徒行伝一一ノ一七)。いま彼は同じ熱意と力をこめて言った、「人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。」このくびきは、律法の拘束に反対している人々が主張するような、十戒の律法ではない。ペテロはここで礼典律について言及したのである。それはキリストの十字架によって無効とされたものであった。 AAJ 208.2

ペテロの言葉で会衆は、異邦人のために働いた経験を説明するパウロとバルナバに、辛抱強く耳を傾けることができるようになった。「全会衆は黙ってしまった。それから、バルナバとパウロとが、彼らをとおして異邦人の間に神が行われた数々のしるしと奇跡のことを、説明するのを聞いた。」 AAJ 209.1

ヤコブもきっぱりと証言して、神がユダヤ人にお与えになった特権と祝福を、異邦人にも同じようにお与えになることが、神の目的であると語った。 AAJ 209.2

聖霊は、改宗した異邦人に、礼典律の実行を義務づけない方がよいと見られた。この問題に関する使徒たちの考えも、神のみ霊の考えと同じであった。ヤコブは会議において議長をつとめていたが、彼の 最終的決定は「そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない」ということであった。 AAJ 209.3

これで話し合いは終わった。この例を見れば、ローマ・カトリック教会が教えるようにペテロが教会のかしらではなかったことがわかる。法王のように、ペテロの継承者だと主張してきた人々には、その主張に対する聖書的な根拠がない。ペテロの生涯において、彼が神の代理者として兄弟たちの上位にあがめられたという主張を是認するようなものは、何もない。ペテロの継承者だと宣言している人々が彼の模範に従っていたならば、彼らは常に兄弟たちと同等の立場にとどまることで満足していたはずである。 AAJ 210.1

この場合ヤコブは、会議によって到達した決定を発表する者として選ばれていたようである。ヤコブは礼典律、特に割礼の儀式を異邦人に強制したり、勧めたりすべきでないと宣言した。ヤコブは、異邦人が神に献身するにあたって、彼らの生活には既に大きな変化があったこと、また彼らがキリストに従うにあたって失望させられないように、あまり重要でない問題で困惑させたり、疑わせたりして彼らを悩ませないよう十分注意を払わねばならないことを、兄弟たちに理解させようとした。 AAJ 210.2

しかし異邦人の改宗者たちは、キリスト教の原則に矛盾する習慣をやめなければならなかった。そこで使徒や長老たちは、偶像にささげた肉や、不品行を避け、絞め殺されたものや血を食べないよう、書面で異邦人たちを指導することにきめた。いましめを守り、きよい生活を送るよう、彼らに勧めねばならなかった。また、割礼が義務づけられたものであると言った人々は、使徒たちによって公認されてそ う言ったのではないということも、彼らにはっきり言っておかねばならなかった。 AAJ 210.3

パウロとバルナバが、主のために命をかけて働いている者として、彼らに推薦された。ユダとシラスも選ばれて、この使徒たちと共に異邦人のところに行き、会議の決定を口頭で伝えることになった。「聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。」あらゆる論争に終止符を打つために、文書と口頭で伝える言葉を携えて、神の四人のしもべがアンテオケにつかわされた。それは地上に与えられた最高の権威の声であった。 AAJ 211.1

この事件を解決した会議は、ユダヤ人や異邦人のキリスト教会を建設するのに功のあった使徒や教師たち、及び各地から派遣された代議員たちで構成されていた。エルサレムからの長老たちと、アンテオケからの代表者が出席し、最も有力な教会からも代表者が来ていた。会議は啓発された判断が命じるところに従って運営され、また、神のみこころによって建てられた教会の権威にふさわしく進められた。審議の結果、彼らはみな、神が異邦人にも聖霊をお与えになって、論争中の問題をご自身で解決されたのを見て、彼らのなすべきことは聖霊の導きに従うことであると悟った。 AAJ 211.2

この問題に関する採決のために、クリスチャン全員が召集されたのではない。影響力と判断力のある「使徒たちや長老たち」が通達を書き、発行した。そして、それはキリスト教会に広く受け入れられた のである。しかし、すべての者がこの決定に満足したわけではない。この決定に反対した野心的で、自信の強い兄弟たちの党派があった。これらの人々は、独断でみわざに携わっているという態度をとり、しきりに激しくつぶやき、あらを探し、新しい計画を持ち出して、福音使命を伝えるよう神から任命されていた人々の働きをくずそうとした。教会は最初からそのような障害に会ってきたのであるが、これは、今後も常に、終わりの時まで続くであろう。 AAJ 211.3

エルサレムはユダヤ人の中心地で、最も強い排他性と頑迷さが見られたところであった。神殿の見えるところに住んでいるユダヤ人のクリスチャンたちの心が、ユダヤ国民としての特別な特権に逆戻りするのは自然なことであった。彼らはキリスト教会がユダヤ教の儀式や伝統から離れて行くのを見て、ユダヤ人の慣習にさずけられていた特別な聖さが、新しい信仰の光に照らされて、まもなく失われるであろうと気づき、多くの者は、この変化を引き起こしたのは大部分パウロのせいであるとして、憤慨するようになった。弟子たちでさえ、全部が会議の決定をよろこんで受け入れる気持ちになったのではない。中には礼典律に熱心な者もいて、彼らはユダヤ人の律法の義務についてパウロの原則が手ぬるいと考え、パウロに対しておもしろくない気持ちを持っていた。 AAJ 212.1

会議の決定は広く遠大な精神のものであったから、異邦人の信者たちは、確信を与えられて、神の働きは栄えていった。アンテオケの教会は、エルサレムの会議から使徒たちと共に帰ってきた特別の使命者、ユダとシラスを迎えて恵まれた。ユダとシラスは「共に預言者であったので、多くの言葉をもって 兄弟たちを励まし、また力づけた。」この信仰深い人たちは、しばらくのあいだアンテオケに滞在した。「パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。」 AAJ 212.2

のちになってペテロがアンテオケを訪問した時、彼は異邦人の改宗者たちに対する賢明な振る舞いによって、多くの人々の信頼を得た。しばらくのあいだ、彼は天来の光に従って行動した。彼は異邦人の改宗者と食事の席を共にするほどに、生まれつきの偏見を克服していた。しかし、礼典律に熱心なユダヤ人がエルサレムからやって来たとき、ペテロは異教から改心した人々に対する態度を、無分別に変えた。何人かのユダヤ人たちも「彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた」(ガラテヤ二ノ一三)。指導者として愛し尊敬されている人々の弱点がこのように現れたために、異邦人の信者たちは、心に大きな痛手を受けた。教会に分裂の恐れがあった。しかしペテロがあいまいな態度をとり、教会を破壊するような悪影響を及ぼしているのを知ったパウロは、彼が本心をごまかしていることを公然と非難した。パウロは教会の人々の前で彼に向かい「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」と詰問きつもんした(ガラテヤ二ノ一四)。 AAJ 213.1

ペテロは自分のあやまちを認め、自分の力でできるかぎり、それまでの弊害を取り除くことに努めた。はじめからその終わりを知っておられる神は、ペテロが性格上の弱さをさらけだすままにさせておかれ た。それはペテロが、経験を通して、自分に何も誇るべきものがないことをさとるためであった。どんなに立派な人でも、好きなようにさせておかれると、判断を誤るものである。また、将来、欺かれた人人が、神だけが持っておられる高貴な特権を、ペテロやその後継者と称する人々にも要求するようになることも、神は知っておられた。そして使徒ペテロの弱さを示したこの記録は、彼の誤りやすいことや、彼が決して他の使徒たちの上位に立つ者ではないことの証明として、残されたのである。 AAJ 213.2

神の働きに重要な役割を持つ人々が、自ら高潔さを捨てることなく固く原則に立つように、この正しい原則からの離反の歴史は、厳粛な警告を与えている。人に課せられた責任が重ければ重いだけ、また、彼が命令したり、支配する機会が多ければ多いだけ、彼が神の道に慎重に従って、総会で信者たちが到達した決定に一致して働かないかぎり、彼はそれだけ大きな害を及ぼしてしまうのである。 AAJ 214.1

ペテロのすべての失敗ののちに、すなわち、彼がつまずき、立ち直ってのち、また、彼の長い奉仕の期間、キリストと親しく交わり、正しい原則を実行されたキリストから直接に知識を受け、彼がみことばを説いたり、教えたりして賜物や知識や感化力をさずけられたのちに、彼が人を恐れたり、あるいは、人に重んじられようとして福音の原則を偽り、これを避けねばならなかったとは、不思議ではないか。ペテロが動揺して正しいものを固く守れなかったとは、不思議ではないか。神がすべての人に、自己の無力さ、自分の船を安全に真っ直ぐ港に操縦できない無能さを、悟らせてくださるように。 AAJ 214.2

パウロは伝道の働きにおいて、孤立せざるを得ないことがよくあった。彼は神について特に教えられ ていたので、あえて原則にかかわる譲歩をすることができなかった。時にはその荷は重かったが、パウロは義のために固く立った。教会が人間の権力による支配下に置かれてはならないということを、彼は知っていた。啓示された真理が、人間の伝説や格言に置きかえられてはならない。教会における地位がいかなるものであろうとも、人々の偏見や好みによって福音使命の進展が妨げられてはならない。 AAJ 214.3

パウロは自分自身と、彼のすべての能力を神への奉仕にささげていた。彼は福音の真理を直接に天からさずけられており、その伝道生涯のあいだ、神の摂理ときわめて重大なつながりを保っていた。彼は異教徒のクリスチャンに課せられている不必要な義務について、神から教えられていた。こうしてユダヤ教の信者が、アンテオケの教会に割礼の問題を持ち込んだとき、パウロはそのような教えに関する聖霊の考えを知っていて、ユダヤ人の慣例や儀式から教会を解放する、堅実な断固たる立場をとった。 AAJ 215.1

パウロは個人的に神に教えられたのであるが、自己の責任を乱用するような考えを持っていたのではない。神の直接の導きを求めながらも、パウロは、教会員として一致している信者たち全体にさずけられた権威を、常に重んじる態度を取った。彼は話し合いの必要を感じていた。そして、重要な事が起こると、彼は快くそれを教会にゆだねて、兄弟たちと共に心を合わせて神に知恵を求め、正しい決定を行った。「預言者の霊」でさえ「預言者に服従するものである。神は無秩序の神ではなく、平和の神である」とパウロは言った(コリント第一・一四ノ三二、三三)。彼はペテロと共に、すべての者は教会員として「みな互に謙遜」にならなければならないと教えた(ペテロ第一・五ノ五)。 AAJ 215.2