患難から栄光へ

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第一八章豹変した群衆

本章は使徒行伝一四章一節-二六節に基づく AAJ 190.1

ピシデヤのアンテオケをあとに、パウロとバルナバはイコニオムへ行った。ここでもアンテオケの場合と同じように、ユダヤ人の会堂にはいって伝道を始めた。そして、めざましく成功し、「ユダヤ人やギリシヤ人が大ぜい信じた。」しかしイコニオムでも、使徒たちが伝道した他の場所の場合と同じように、「信じなかったユダヤ人たちは異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対して悪意をいだかせた」。 AAJ 190.2

しかし使徒たちは、彼らの使命から身をはずさなかった。多くの人々がキリストの福音を受け入れていたからである。反対やねたみ、偏見に直面しながらも、「大胆に主のことを語」り、働きを続けたので、神は「彼らの手によってしるしと奇跡とを行わせ、そのめぐみの言葉をあかしされた」。神の承認をうけたこのような証拠は、説得を受け入れる者たちに力強い感化を与え、福音への改宗者が増えていった。 AAJ 190.3

使徒たちの伝える福音使命の人気が高まるにつれて、信じようとしないユダヤ人たちのあいだにねたみと憎しみがわきあがり、彼らはすぐさまパウロとバルナバの仕事をやめさせようとした。虚偽や誇張のある報告を流して、彼らは町全体が暴動にまで扇動されるおそれがあると、官憲の心配をひきおこした。そして、大ぜいの人々が使徒たちにひきつけられているが、それは秘密の危険な企てがあるためだなどと言い出した。 AAJ 191.1

このような訴えのために、弟子たちは繰り返し官憲の前に引き出された。しかし弟子たちの答弁は明瞭で、常識的であり、また、彼らが教えていることに関する供述は非常に穏やかでわかりやすかったので、彼らの利益になるような強い感化を及ぼした。長官たちは、自分たちが聞いていた偽りの供述のために、使徒たちに偏見を持ってはいたものの、使徒たちを有罪にしようとは思わなかった。彼らは、パウロとバルナバの教えが、人々を高潔にし、法律をよく守る市民にする助けになっていることや、もし使徒たちの教えが受け入れられれば、町の道徳と秩序が更によく保たれることを、認めるほかなかった。 AAJ 191.2

弟子たちが直面した妨害を通して、真理の使命は多くの人々にひろまった。新しい教師たちの仕事の邪魔をしようとするユダヤ人たちの努力が、結果的にはただ新しい信者の数を加えるばかりになったことを、ユダヤ人たちは知った。「そこで町の人々が二派に分れ、ある人たちはユダヤ人の側につき、ある人たちは使徒の側についた。」 AAJ 191.3

ユダヤ人の指導者たちは、このように事態が一変したことに激怒して、暴力を用いてでも自分たちの 目的を達成しようとした。彼らは無知で騒々しい暴徒の悪感情をかきたてて、うまく騒動を起こさせ、それを弟子たちの教えのせいにした。彼らは、この偽りの訴えによって、長官たちも自分たちの目的を遂げるのを助けてくれるだろうと思った。彼らは、使徒たちに弁明の機会を持たせないようにし、群衆にはパウロとバルナバに石を投げて邪魔をさせ、使徒たちの働きを挫折ざせつさせようと決心した。 AAJ 191.4

使徒たちの友人たちは、信者ではなかったが、ユダヤ人たちの悪意ある計画を彼らに警告し、激情的な群衆の前に不必要に姿を現さず、生命を守ってのがれるようにと勧めた。そこでパウロとバルナバはしばらくのあいだ、信徒たちだけで働きを続けるように依頼して、ひそかにイコニオムを去った。しかし彼らはそのまま戻ってこないつもりではなかった。人々の興奮がさめたら戻ってきて、自分たちの始めた仕事を完成させようと思っていた。 AAJ 193.1

どの時代でも、どの国でも、神の使命者たちは、天の光を故意に拒もうとする人々からの激しい反対に会うよう定められてきた。しばしば誤報や虚偽のために、神の使命者が人々に接近できるはずの戸が閉ざされ、福音の敵のほうが勝利したかのように見えることがある。しかし、これらの戸が永久に閉ざされていることはできない。しばしば、神のしもべたちがしばらくしてのち、戻ってきて再び働きを始めるとき、彼らがみ名をあがめる記念物を建てることができるように、神は彼らのために力強く働いてこられた。 AAJ 193.2

使徒たちは迫害に追われて、イコニオムからルカオニヤのルステラとデルベへ行った。これらの町の 住民は大部分が迷信深い異教徒であったが、その中には、よろこんで福音の使命を聞いて受け入れる者たちもいた。使徒たちは、ユダヤ人の偏見や迫害を避けたいと思って、これらの場所とその周囲の地方で働くことにきめた。 AAJ 193.3

ルステラの町には少数のユダヤ人が住んでいたが、ユダヤ人の会堂はなかった。ルステラの住民の多くは、ジュピターにささげられた神殿で礼拝していた。パウロとバルナバがこの町に現れ、ルステラの人たちをまわりに集めて福音の単純な真理を説明すると、多くの者はその教えを、ジュピターの礼拝における彼ら自身の迷信的な信仰と関連させようとした。 AAJ 194.1

使徒たちはこれらの偶像礼拝者に、創造主である神について、また、人類の救い主である神のみ子についての知識を与えようとした。彼らはまず、神のすばらしいみわざに注意をひいた。太陽や月、星、四季の美しい秩序、雪をいただく雄大な山々、そそり立つ木々、その他、自然のさまざまな驚異など、人間の理解をこえたすばらしいわざに人々の目を向けさせた。こうした全能者である神のみわざを通して、宇宙の偉大な支配者を思うように、異教徒たちの心を導いた。 AAJ 194.2

創造主に関するこうした基本的な真理を明らかにして、使徒たちはルステラの人々に、人の子らを愛するがゆえに天からくだって来られた、神のみ子について教えた。彼らは、キリストのご生涯とその働き、キリストが、救うためにこられたその人々から拒まれたこと、裁判と十字架、復活、昇天、天における人類の仲保者としての働きについて話した。こうして聖霊と神のみ力により、パウロとバルナバは ルステラの町で福音を説いた。 AAJ 194.3

ある時パウロが、病気で苦しんでいる者をいやしてくださるかたとしてのキリストの働きについて、人々に語っていると、彼は聴衆の中に足なえがいるのを見た。その男はパウロにじっと目を注いでいたが、彼の言葉を受け入れ信じた。パウロはこの苦しんでいる男に心から同情した。そしてこの男に「いやされるほどの信仰が」あるのを認め、偶像礼拝者たちが集まっている目の前で、パウロは足なえにまっすぐに立ちなさいと命令した。これまでこの病人は座る姿勢しかとることができなかったが、即座にパウロの命令に従い、生まれて初めて自分の足で立ちあがった。この信仰の努力とともに力がわきあがり、足なえであった男は「踊り上がって歩き出した。 AAJ 195.1

群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、ルカオニヤの地方語で、『神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ』と叫んだ。」この言葉は、神々が時々地上をおとずれるという彼らの伝説に一致するものであった。彼らはバルナバを、神々の父であるゼウスと呼んだ。彼が徳の高い容貌に威厳のあるあごひげを蓄え、穏やかな慈悲深い表情をしていたからである。パウロは熱心で行動的であり、警告や訓戒の言葉を雄弁に用いて「おもに語る人なので」、彼らはパウロをヘルメスだと信じた。 AAJ 195.2

ルステラの人々は、感謝の気持ちを示したいと熱望し、使徒たちに敬意を表すようにゼウスの祭司を説き伏せた。そこで祭司は「群衆と共に、ふたりに犠牲をささげようと思って、雄牛数頭と花輪とを門 前に持ってきた」。パウロとバルナバは、人々の前から退いて休息しようとしていたので、そんな準備には気づかなかった。しかしまもなく、彼らは音楽の音と群衆の熱狂した叫びに気がついた。群衆が彼らの滞在している家の前にきていたのである。 AAJ 195.3

使徒たちは群衆のやってきた目的と興奮した様子を知って、それ以上の行為をやめさせたいと思い、「上着を引き裂き、群衆の中に飛び込んで行」った。パウロは鳴り響くような大声で彼らの注意をひいた。するとその声が人々の叫びよりも大きかったので、群衆の騒ぎが突然静まった。そこでパウロは言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」。 AAJ 196.1

自分たちは神ではないと使徒たちが極力否定したにもかかわらず、また、礼拝すべき唯一のおかたである真の神へ、人々の心を向けようとパウロが努力したにもかかわらず、犠牲をささげようとする異教徒たちの気持ちを変えることは不可能に近かった。ふたりが本当の神だという彼らの信念は固く、またその熱狂は大変なもので、自分たちの誤りを認めようとしなかった。記録には「やっとのことで・・・・思 い止まらせた」と記されている。 AAJ 196.2

ルステラの人たちは、使徒たちが奇跡的な力を発揮するのを自分たちの目で見たのだと言い合った。彼らは、これまで絶対に歩けなかった足なえが完全な健康と力を与えられてよろこんだのを見たのである。パウロがよくよく言いきかせ、自分とバルナバは天の神と、偉大な医者である神のみ子とを代表する使命をもっている者だと懸命に説明すると、ようやく人々は自分たちの計画をとりやめる気になった。 AAJ 197.1

ルステラでのパウロとバルナバの働きは、「アンテオケやイコニオムから押しかけて」きた「あるユダヤ人たち」のために、突然妨害された。この人たちは、使徒たちがルカオニヤ人のあいだで働いて成功していることを知り、使徒たちのあとをつけて、迫害しようとして来たのだった。ルステラに着くと、このユダヤ人たちは自分たちの心の動機となっているのと同じ冷酷な精神を、たちまち人々に吹き込んだ。いままでパウロとバルナバを神さまのように思っていた人たちが、うそと中傷の言葉によって、実際は使徒たちは人殺しより悪い人間で、死に値する者だと信じ込まされてしまった。 AAJ 197.2

ルステラの人たちは、使徒たちに犠牲をささげる特権を拒絶されて失望したことから、ふたりを神として歓呼しようとしたときと同じ熱狂ぶりで、こんどはパウロとバルナバに反対しようとした。ユダヤ人に扇動されて、彼らは暴力をもって使徒たちを襲撃しようと計画した。ユダヤ人たちは、パウロに話す機会を与えないようにと彼らに命じ、もし彼らがパウロにこの特権を与えるなら、パウロは人々に魔法をかけるだろうと断言した。 AAJ 197.3

まもなく、福音の敵どもの殺人計画は実行された。ルステラの人々は悪の力に屈服していたので、サタンの怒りに満たされ、パウロをつかまえて情け容赦なく石を投げつけた。使徒は自分の生命もこれで終わりだと思った。ステパノの殉教と、その時パウロ自身がとった残酷な行為が、彼の心にはっきりとよみがえってきた。からだ中傷だらけになり、痛みに気を失って、パウロが地面に倒れたので、怒り狂った群衆は、「死んでしまったと思って、彼を町の外に引きずり出した」。 AAJ 198.1

パウロとバルナバの伝道によって、イエスの信仰に導かれたルステラの信者の群れは、この暗黒の試練の時にも忠実で真実だった。彼らの敵の理由のない反対と残酷な迫害は、このような敬虔けいけんな兄弟たちの信仰をますます固くさせるのに役立っただけだった。そしていまや、危険と嘲笑に直面しながら、彼らは、パウロが死んだものと信じて、悲しみながら彼のからだのまわりに集まることによって、彼らの忠誠心を表した。 AAJ 198.2

ところが驚いたことに、彼らが嘆き悲しんでいる最中に、パウロは突然頭を持ちあげ、神をさんびしながら立ちあがった。神のしもべが思いがけなく生き返ったことは、信者たちには天来の力の奇跡と考えられ、自分たちの改宗に天の神が認証の印を押されたように思えた。彼らは言い表しようのないよろこびにあふれ、新たな信仰をもって神をほめたたえた。 AAJ 198.3

ルステラで悔い改めて、パウロの苦難を目撃した人々の中に、ひとり、のちにキリストのためにすぐれた働き人となった者がいた。それはテモテという名の青年だった。パウロが町からひきずり出された とき、この年若い弟子は、見たところ生命のとだえたようなパウロのからだのそばに立って、傷ついて血まみれのパウロが、キリストのために苦難を受けることを許されたといって、さんびを口にしながら起きあがるのを見た人々のひとりだった。 AAJ 198.4

パウロが石で打たれた翌日、使徒たちはデルベに向かって出かけた。彼らの働きはそこで祝福されて、多くの人々が導かれ、キリストを救い主として受け入れた。しかし「その町で福音を伝えて、大ぜいの人を弟子とした後」、パウロもバルナバも、彼らが最近伝道した町々の改宗者たちの信仰を固めないで、別の場所で働きを始めることには満足しなかった。というのは、彼らは改宗者たちをそのまま放って、余儀なくそれらの町々から出てきていたからである。そこで彼らは、危険にも屈せず、「ルステラ、イコニオム、アンテオケの町々に帰って行き、弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し」た。多くの人々が既に福音のよろこばしいおとずれを受け入れて、非難や反対に身をさらしていた。使徒たちは、既に始めた働きが存続するように、この人々の信仰を確立させようとした。 AAJ 199.1

新しい改心者の霊的成長をはかる重要な手段として、使徒たちは福音の組織で彼らの身を守らせようと気をくばった。信者がいるルカオニヤやピシデヤの町々に、正式に教会が組織された。教会毎に役員が任命されて、信者の霊的繁栄に関する事柄をすべて管理するために、適当な秩序と組織が定められた。 AAJ 199.2

これは、すべての信者たちをキリストにあって一つのからだとして結びつける、福音の計画に調和するものであり、この計画こそ、パウロが伝道にあたってつらぬき通そうと心がけたことであった。パウ ロの働きにより、キリストを救い主として受け入れるまでに導かれた人々は、どこにおいても、適切な時期に教会を形成した。たとえ信者数が少ない場合でも、教会組織が行われた。クリスチャンはこうして、「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」という約束を覚えて、互いに助け合うように教えられた(マタイ一八ノ二〇)。 AAJ 199.3

パウロは、こうして設立された教会を忘れなかった。これらの教会を案じる気持ちは、いよいよつのる重荷として心に残っていた。たとえ小さな組織であっても、教会はやはり、たえずパウロの気づかいの対象であった。彼は小さい教会の信徒が完全に真理に立つことができるよう、特別に面倒を見る必要のあることを知っていて、教会をやさしく見守り、彼らの周囲にいる人々のために熱心に無我の努力を払うよう教えた。 AAJ 201.1

パウロとバルナバは、伝道活動の初めから終わりまで、キリストがよろこんで犠牲を払い、魂のために忠実に熱心に働かれたその模範に従おうと努めた。彼らは油断なく、熱心で、たゆまず、自分たちの好みや身の安楽などを考えずに、祈りながら、熱意とやむことのない活動とによって、真理の種子をまいた。種子をまくとともに、使徒たちは、福音のがわに立ったすべての人に、測り知れないほど価値のある実際的な教えを与えるよう気をくばった。この熱心な精神と神をおそれる思いは、福音使命の重要さについていつまでも消えることのない印象を、新しい弟子たちの心に植えつけた。 AAJ 201.2

有望で有能な人たちが改心したとき、テモテの場合に見られるように、パウロとバルナバは、ぶどう 園で働く必要を彼らに熱心に教えようとした。そして使徒たちがまた別の場所へと出て行ったときも、これらの人々の信仰はくじけるどころかかえって増し加わった。彼らは主の道に沿うよう堅く教えられていた。また、利己心を捨てて、熱心に、忍耐強く同胞の救いのために働くよう教えられていた。こうして新しい改心者を慎重に訓練したことは、パウロとバルナバが異教徒の国で福音を宣べ伝えて、目覚ましい成功を遂げるにあたっての重要な要因であった。 AAJ 201.3

最初の伝道旅行は、早くも終わりに近づいていた。新しく組織されたこれらの教会を主にゆだねて、使徒たちはパンフリヤに行き、「ペルガで御言を語った後、アタリヤにくだり、そこから舟でアンテオケに帰った」。 AAJ 202.1