各時代の大争闘
ザクセン侯フリードリヒによる保護
ルターは通行券を得ていたにもかかわらず、法王側は彼を捕らえて投獄しようとしていた。彼の友人たちは、これ以上彼がとどまっていても無益なので、直ちにウィッテンベルクに帰り、彼の意向を極秘にしておくために細心の注意を払うようにと勧めた。そこで彼は、長官がつけてくれた案内人一人を連れて、夜明け前に、アウグスブルクを馬に乗って出発した。彼は、さまざまな予感を抱きながら、静まりかえった暗い町の通りをひそかに急いだ。残酷で油断のない敵は、彼を亡きものにしようと策動していた。果たして彼は、彼らのわなを逃れることができるであろうか。この時 GCJap 158.5
こそ、非常な心配と熱心な祈りの時であった。彼は、町の城壁の小さな門に到着した。門は彼のために開かれ、彼は道案内とともに、なんの妨げも受けずに通りぬけた。こうして安全に外に出るや、彼らは急いで逃げ去った。そして、法王使節がルターの出発を聞く前に、彼は迫害者たちの手の届かないところに行っていた。サタンと彼の使者たちは敗北した。ちょうど、一羽の鳥が捕獲者のわなを逃れたように、彼らは手中におさめたと思った者を逃がしてしまったのである。 GCJap 159.1
ルターの逃亡の知らせを聞いて、法王使節は驚きと怒りに度を失った。彼は、教会を騒がせるこの者を、賢明に、かつ断固として処置することによって、大きな栄誉を受けることを期待していたのであった。しかし、彼の希望はかなえられなかった。彼は、ザクセン(サクソニア)の選挙侯フリードリヒに手紙を書いて憤りをもらし、激しくルターを非難し、フリードリヒがルターをローマに送るか、それともザクセンから追放することを要求した。 GCJap 159.2
ルターは、自分を弁護して、使節または法王が聖書に基づいて彼の誤りを示すように求め、もし彼の教義が神のみ言葉と矛盾していることを示し得るならば、彼はそれらを放棄するときわめて厳粛に誓った。そして、彼は、このような聖なる運動のために苦しむに足る者とされたことを神に感謝した。 GCJap 159.3
選挙侯は、まだ改革の教義についての知識はほとんどなかったが、ルターの率直で力強い明快な言葉に深く感動した。そして、ルターが誤っているということが証明されるまで、フリードリヒは彼の保護者となる決心をした。法王使節の要求に答えて、彼は次のように書いた。「『アウグスブルクにおいて、マルチン博士があなたの前に出頭したのであるから、それで満足されるべきである。われわれは、あなたが彼の誤りを説得せずに取り消しを迫るとは考えていなかった。わが国の識者はだれ一人として、マルチン博士の教義が、 GCJap 159.4
不敬、反キリスト教的、あるいは異端的であるとは言っていない』。さらに、選挙侯は、ルターをローマに送ること、あるいは彼の国から追放することを拒否した」 GCJap 160.1
選挙侯は、社会の道徳的抑制が一般に崩れつつあるのを見た。改革の一大事業が必要であった。もしも人々が神の律法を認めて従い、啓発された良心の命令に従うならば、複雑で広範囲に及ぶ禁令や罰則は不必要になるのであった。彼は、ルターがこの目的を達成するために活動しているのを認め、教会内に良い感化が及んでいるのを心ひそかに喜んだ。 GCJap 160.2
彼はまた、ルターが大学の教授として大いに成功を収めているのを認めた。ルターが城教会に彼の論題を掲示してから一年が経過しただけであるが、すでに万聖節の時に教会に出席する巡礼の数は、著しく減少した。ローマの礼拝者と献金は減少したが、その代わりに別の階層の人々がウィッテンベルクにやってきた。彼らは聖遺物を崇拝する巡礼者たちではなくて、大学の教室を満たすところの学生たちであった。ルターの著書は、至るところで、聖書に対する新しい興味を呼び起こし、ドイツ全国からだけでなく、他の国々からも学生が大学に群がってきた。ウィッテンベルクを初めて望み見た青年たちは、「彼らの手を天にあげ、昔のシオンからのように、この町から真理の光が輝き出るようになったことを神に感謝した。その光は、ここから、最も遠い国々にまで広がったのであった」 GCJap 160.3