各時代の大争闘
十戒が全地に示される
このような聖なる信頼の言葉が神のみもとにのぼっていく間に、雲は退き、両側の暗い怒ったような大空とは対照的に、言うに言われぬ栄光に輝く星空が見えてくる。天の都の栄光が、開かれた門から流れ出る。 GCJap 740.3
そのとき、折りたたんだ二枚の石の板を持った手が、空中にあらわれる。「天は神の義をあらわす、神はみずから、さばきぬしだからである」と預言者は言っている(詩篇50篇6節)。シナイ山から雷鳴と炎の中で、人生の指針として宣言された神の義であるあの聖なる律法が、今やさばきの規準として人々に示される。その手が石の板を開くと、火のペンでしるされたかと思われる十戒の言葉が見える。その言葉は、はっきり書かれていて、だれでも読むことができる。記憶が呼びさまされ、すべての人の心から迷信と異端の暗黒が払いのけられて、簡単で理解しやすく、権威に満ちた神の十の言葉が、地上の全住民の前に示される。 GCJap 741.1
神の聖なる要求を踏みにじってきた者たちの恐怖と失望とは、描写することができない。主は彼らに神の律法をお与えになった。彼らは、自分たちの品性をそれと比較して、まだ悔い改めて改革する機会のあるうちに、自分たちの欠点を知ることができたはずであった。しかし、世の支持を受けたいために、彼らは律法の教えを捨て去り、また他の者にも、それを犯すように教えたのである。彼らは、神の民が安息日を汚すように強制してきた。今となっては、彼らは自ら軽蔑した律法によって罪に定められるのである。彼らは、もはや弁解の余地はないことを、恐ろしいまでにはっきりと知る。彼らは、自分たちが仕え礼拝する対象を自ら選んだのである。「その時あなたがたは、再び義人と悪人、神に仕える者と仕えない者との区別を知るようになる」(マラキ書3章18節)。 GCJap 741.2
神の律法の反対者たちは、牧師からいちばん小さい者にいたるまで、真理と義務について新たな考えをいだく。彼らは第四条の安息日が生ける神の印であることを知るが、しかしもう遅い。彼らは偽の安息日の真の性質を知り、自分たちがこれまで砂の土台の上に築いていたことを知るが、もう遅いのである。彼らは、自分たちが神と戦っていたことに気づく。牧師たちは人々を、天国の門へ導くと公言しながら、滅びに導いていたのである。聖職にある者の責任がどんなに恐ろしいものであるか、また彼らの不忠実の結果がどんなに恐るべきものであるかは、最後のさばきの日まで知ることができない。たった一人の魂の損失でも、われわれがそれを正しく評価できるのは、永遠においてのみである。悪いしもべよ、わたしから離れ去れと神から言われる者の運命は、実に恐ろしいものである。 GCJap 741.3