各時代の大争闘
最後を飾る大欺瞞
使徒ヨハネは幻の中で、大きな声が天でこう叫ぶのを聞いた。「地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」(黙示録12章12節)。天の声にこう叫ばせる光景は、実に恐ろしいものである。サタンの怒りは、彼の時が短くなるにつれて増し加わり、欺瞞と破壊の働きは、悩みの時に最高潮に達する。 GCJap 722.2
まもなく、超自然的な恐ろしい光景が、奇跡を働く悪鬼たちの力のしるしとして天にあらわれるであろう。悪霊たちは地の王たちのところと全世界とに出て行って、彼らを欺瞞の中に閉じ込め、天の統治に対するサタンの最後の闘争に加わるようにかり立てる。これらの手先によって、為政者も国民も一様に欺かれる。自分はキリストであると称する者たちがあらわれ、世の贖い主のものである称号と礼拝とを要求する。彼らは不思議ないやしの奇跡を行い、聖書のあかしとは相反する啓示を天から受けたと公言する。 GCJap 722.3
欺瞞の一大ドラマの最後を飾る一幕として、サタンはキリストを装うであろう。教会は、救い主の来臨を教会の望みの完成として期待していると長い間公言してきた。今や大欺瞞者は、キリストがおいでになったように見せかける。地上のあちらこちらで、サタンは、黙示録の中でヨハネが述べている神のみ子についての描写に似た、まばゆく輝く威厳ある者として人々の中にあらわれる(黙示録1章13~15節参照)。 GCJap 723.1
彼をとりまいている栄光は、これまで人間の目が見たどんなものも及ばない。「キリストがこられた、キリストがこられた」という勝利の叫びが、空中に鳴り響く。人々が彼をあがめてその前にひれ伏すと、彼は両手をあげて、キリストが地上におられた時に弟子たちを祝福されたように、彼らに祝福を宣言する。彼の声は柔らかく穏やかで、しかも美しい調べに満ちている。やさしい同情のこもった調子で、彼は、救い主が語られたのと同じ祝福に満ちた天の真理を幾つか述べる。彼は人々の中の病人をいやし、それから、キリストらしく見せかけながら、安息日を日曜日に変えたことを主張し、すべての人に対して、自分が祝福した日を聖とするようにと命じる。彼は、あくまでも第七日をきよく守り続ける者は、光と真理とをもって彼らにつかわされたわたしの天使たちの言うことを聞かないで、わたしの名を冒瀆している者だと宣言する。これは強力な、ほとんど圧倒的な惑わしである。魔術師シモンに欺かれたサマリヤ人のように、多くの人々は、小さい者から大きい者にいたるまで、これらの魔術に心を奪われて、この人こそは「『大能』と呼ばれる神の力」であると言う(使徒行伝8章10節)。 GCJap 723.2
しかし、神の民は欺かれない。この偽キリストの教えは聖書と一致していない。彼の祝福は、獣とその像を拝む者、すなわち、神のまじりけのない怒りがその上に注がれると聖書が断言しているその人々に対して、宣言されているからである。 GCJap 723.3
さらに、サタンにはキリストの来臨のありさまをまねることは許されない。救い主はこの点についての惑わしに対してご自分の民に警告し、再臨のありさまをはっきりと予告された。「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。……だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイ24章24~27節、31節、25章31節、黙示録1章7節、テサロニケ第一・4章16、17節参照)。この来臨はまねることが不可能である。それは世界中に知られ、全世界の人々が目撃するのである。 GCJap 724.1