各時代の大争闘
金は火で練られる
彼らは、彼らの多くの罪をこれまで悔い改めたことを指し示して、神の前で彼らの心を悩まし、「わたしの保護にたよって、わたしと和らぎをなせ、わたしと和らぎをなせ」という救い主の約束をこい求める(イザヤ書27章5節)。彼らの信仰は、祈りが直ちに答えられないからと言って、なくなってしまわない。激しい不安、恐怖、苦悩に苦しみながらも、彼らは祈り求めることをやめない。彼らは、ヤコブが天使をつかまえたように、神の力を捕らえる。そして、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」と彼らは心の中で叫ぶのである。 GCJap 717.3
もしヤコブが、欺瞞によって長子の特権を得た罪をあらかじめ悔い改めていなかったならば、神は、彼の祈りを聞き、憐れみ深く彼の生命を保つことをなさらなかったであろう。そのように、悩みの時においても、神の民は、恐怖と苦悩にさいなまれている時、まだ告白していない罪を思い出すならば、彼らは圧倒されてしまうことであろう。絶望が彼らの信仰を断ち切り、彼らは神に救いを求める確信が持てなくなることであろう。しかし、彼らは、自分たちが無価値なことを深く感じてはいるが、告白すべき罪を隠してはいない。彼らの罪は、前もってさばかれて、消し去られている。彼らは、罪を思い出すことができない。 GCJap 718.1
神は人生の小さなことにおける不忠実を見逃されると、サタンは多くの者に思い込ませている。しかし、主は、ご自分が、悪を是認することも大目に見ることもなさらない方であることを、ヤコブの取り扱いにおいて示された。罪の言いわけをしたり、隠したりして、それを告白せず、赦されないまま、天の書に残しておく者は、みなサタンに負けてしまうのである。口で立派なことを言い、栄誉ある地位にあればあるほど、その人々の行動は、神の目には嘆かわしいものであり、大いなる敵サタンの勝利はいっそう確実なのである。神の日のための準備を遅らせる者は、悩みの時やそれ以後においては、準備することができない。こうした人々は、すべて絶望である。 GCJap 718.2
なんの準備もせずに、最後の恐るべき争闘に当面するこれらの自称キリスト者たちは、絶望して、激しい苦悶の叫びをあげて彼らの罪を告白する。そして悪人たちは、彼らの苦悩を眺めて勝ち誇るのである。このような告白は、エサウやユダの告白と同じ性質のものである。これをなす者は、罪そのものではなくて、罪の結果を悲しむのである。彼らは真の悔い改めをしておらず、悪に対する嫌悪感がない。彼らは刑罰を恐れて罪を認めるのである。そして、昔のパロのように、刑罰が取り除かれるとまた天に反抗するのである。 GCJap 718.3
ヤコブの生涯はまた、欺かれ、試みられ、罪に陥れられても、真に悔い改めて神に立ち返った者を、神は見捨てられないという保証でもある。サタンはこのような人々を滅ぼそうとするが、神は天使をつかわして、危機の時に彼らを慰め、保護されるのである。サタンの攻撃は、激しく、断固たるもので、彼の欺瞞は恐るべきものである。しかし、主の目はご自分の民に向けられ、その耳は彼らの叫びを聞かれる。彼らの苦悩は大きく、炉の火は彼らを焼き尽くすように思われる。しかし、金を吹き分ける者であられる神は、彼らを火で練った金として取り出される。この最も激しい試練の時における、神のその子供たちに対する愛は、彼らの最も輝かしい繁栄の時と同じように、強く、やさしいのである。しかし、彼らは、火の炉に投げ入れられる必要がある。キリストの姿が完全に反映されるように、彼らの世俗的なところが焼きつくされねばならない。 GCJap 719.1