各時代の大争闘
ヤコブの悩みの時
エサウの手からの救出を熱心に祈り求めたヤコブの苦悶の夜(創世記32章24~30節参照)は、悩みの時の神の民の経験をあらわしている。 GCJap 713.2
ヤコブは、エサウに与えられることになっていた父の祝福を欺瞞によって得たために、兄の恐ろしい脅迫におびえて、命からがら逃げ出したのであった。彼は、長年の流浪の生活のあとで、神の命令によって、妻子と家畜を連れて故郷へと出発した。国境についた時、彼は、エサウが勇士の一隊を率いて近づいているという知らせを受けて、恐怖に満たされた。エサウが復讐の念に燃えていることは、疑う余地がなかった。ヤコブの一族は、武装も防備もないので、今にも暴力と虐殺の無力な犠牲になるかと思われた。ヤコブは不安と恐怖に襲われた上に、重苦しい自責の念にかられた。というのは、このような危険をもたらしたのは、彼自身の罪であったからである。彼の唯一の希望は、神の憐れみにすがることであった。彼の唯一の防備は、祈りでなければならなかった。しかもなお、彼は、兄に対して行った罪悪の償いのためと、切迫した危険を避けるために、自分としてできることはすべてなしたのである。そのように、キリスト者も、悩みの時に近づくにつれて、人々の前で自分たちの立場を明らかにし、偏見を取り去り、そして良心の自由を脅かす危険を避けるために、全力を尽くさなければならない。 GCJap 713.3
ヤコブは、家族の者が彼の苦悩を見ないように、彼らを送り出してから、一人残って神に懇願した。彼は自分の罪を告白し、彼に対する神の憐れみを感謝するとともに、深くへりくだった心で、彼の先祖に与えられた契約と、ベテルにおける夜の幻の中で、また流浪の地において、彼に与えられた約束とが行われることを嘆願した。彼の生涯の危機がやってきていた。すべてが危うくなった。暗黒と孤独の中で、彼は祈り続け、神の前に身を低くし続けた。 GCJap 714.1
突然、一つの手が彼の肩に置かれた。彼は、敵が彼の生命をねらっているのだと考える。そして、必死になって敵と闘う。夜が明けようとする時、この見知らぬ人は超人的な力をあらわす。彼が触れると、頑強なヤコブは麻痺したようになる。そしてヤコブは力を失って倒れ、この不思議な敵の首にすがって、涙ながらに懇願する。ヤコブは、今、自分が闘っていたお方が、契約の天使であられることを知る。彼は体の自由を失い、激しい痛みを感じながらも、彼の願いを放棄しない。彼は自分の罪のために、長い間悩み、自責の念にかられ、苦しみに耐えてきた。今彼は、それが赦されたという確証を得なければならない。天からの来訪者は、今にも立ち去ろうとするように見える。しかしヤコブは、彼にすがって、祝福を求める。 GCJap 714.2
天使は、「夜が明けるからわたしを去らせてください」と言うが、ヤコブは、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」と叫ぶのである。なんという確信、なんという堅忍不抜の精神が、ここにあらわされていることであろう。もしもこれが、高慢で僣越な要求であったならば、ヤコブは直ちに滅ぼされたことであろう。しかし彼の要求は、自分の弱さと無価値なことを告白しながらも、契約を果たされる神の憐れみに信頼する者の確信であった。 GCJap 714.3
「彼は天の使と争って勝」った(ホセア書12章4節)。この罪深く、誤りを犯した人間は、へりくだりと悔い改めと自己放棄とによって、天の君と闘って勝ったのである。彼はその震える手で、神の約束をしっかりとつかんだ。その時、無限の愛のお方は、罪人の願いを退けることがおできにならなかった。彼の勝利の証拠、そして彼の模範にならう他の人々への励ましの証拠として、彼の名が、彼の罪を思い起こさせるものから、彼の勝利を記念するものへと変えられた。そして、ヤコブが神と争って勝ったということは、彼が人にも勝つという保証であった。彼はもはや兄の怒りに直面することを恐れなかった。なぜなら、主が彼の防御だからであった。 GCJap 715.1