各時代の大争闘

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自分で調べよ

キリストは、学者やパリサイ人たちがほしいままにした権力の不当な掌握が、ユダヤ人の離散をもって終わるのではないことを予見された。キリストは、人間の権威があがめられて良心を支配し、それが各時代の教会にとって恐るべき災いになることを、預言の眼をもってごらんになった。そして学者やパリサイ人に対して向けられた彼の恐るべき非難や、盲目的な指導者に追従しないようにとの民たちに対する彼の警告は、後の時代に対する訓戒として記録に残された。 GCJap 692.1

ローマ教会は聖書を解釈する権利を、聖職者のものとして保留している。神の言葉は、聖職者だけが説明することができるという理由のもとに、一般の人々には与えられていない。宗教改革によって聖書は万人のものとなったが、ローマが主張したのと全く同じ原則が、プロテスタント諸教会の多くの人々が自分で聖書を探究するのを妨げている。彼らは、教会によって解釈されたものとして聖書の教えを受け入れるように教えられる。そのために、どんなに聖書の中にはっきり示されていても、自分たちの信条に反するものや、自分たちの教会によって確立されている教えに反するものは、あえて受け入れようとしない人々が何千といるのである。 GCJap 692.2

聖書には偽教師に対する警告が満ちているにもかかわらず、多くの人たちはこのようにしてすぐに自分たちの魂を牧師に預けてしまう。今日、信仰を告白する幾千の人たちは、牧師からそう教えられたということ以外には、自分の信じる信仰の要点について理由を説明することができない。彼らは救い主の教えにほとんど注意を払わず、牧師たちの言葉に全面的な信頼を置いている。 GCJap 692.3

しかし、牧師は絶対に誤りを犯さない者であろうか。われわれは、彼らが光を掲げる者であるということを、神のみ言葉によって知らないかぎり、自分の魂を彼らの指導にゆだねることがどうしてできようか。世の踏みならされた道から踏み出す精神的な勇気が欠けているため、多くの人々は学識者の道に従い、自ら調べるのに無精であるため、絶望的なまでに誤謬の鎖につながれている。彼らは、今の時代のための真理が聖書の中に明白に示されていることを認め、み言葉に伴う聖霊の力を感じていながら、牧師たちに反対されるままに光にそむいてしまう。理性と良心では確信していながら、これらの欺かれた人たちは、あえて牧師と違った考え方をしようとしないで、自分自身の判断と、自分たちの永遠の利益を、他人の不信仰や誇りや偏見の犠牲にしてしまうのである。 GCJap 693.1