各時代の大争闘
第37章—ただ一つの防壁―─聖書
聖書に対するサタンの攻撃
「ただ律法と証詞とを求むべし、彼らの言うところこの言にかなわずば晨光あらじ」(イザヤ書8章20節、文語訳)。神の民には、偽りの教師の感化と暗黒の霊の欺瞞的な力に対する防壁として、聖書がさし示されている。サタンは、人が聖書の知識を得るのを妨げるためにはあらゆる手段を用いる。なぜなら聖書の明白な言葉は彼の欺瞞を暴露するからである。神の働きが復興されるたびに悪の君は奮起していっそう激しく働く。彼は今やキリストとその信徒たちに対する最後の闘争に最大の努力を傾けている。まもなく最後の大いなる欺瞞がわれわれの前に展開されようとしている。反キリストがわれわれの目の前で驚くべき業を行うのである。偽物があまりにも本物によく似ているために、聖書による以外には両者の見分けは不可能である。すべての言説や奇跡は、聖書のあかしによって吟味されなければならない。 GCJap 688.1
神の戒めのすべてに従おうと努力する者は、反対と嘲笑にあうであろう。彼らは神のうちにある時にのみ立つことができる。彼らは目の前にある試練に耐えるためには、み言葉の中に示されている神のみこころを理解しなければならない。彼らは、神のご品性、統治、御目的について正しい理解を持ち、それに従って行動する時にのみ、神をあがめることができる。聖書の真理によって心を堅固にした人たち以外には、だれも最後の大争闘に耐え抜くことはできない。わたしは人に従うより神に従うべきかという鋭い質問が、一人一人に臨むであろう。その決定の時は今目の前に迫っている。われわれの足は、変わることのない神のみ言葉という岩の上に、しっかり立っているだろうか。われわれは、神の戒めとイエスを信じる信仰をとりでとして、堅く立つ用意ができているだろうか。 GCJap 688.2
救い主は十字架におかかりになる前に、弟子たちに、ご自分が殺され、墓からよみがえられることを説明された。そして天使たちがその場にいて、主のみ言葉を頭と心に深く印象づけた。しかし、弟子たちは、この世においてローマのくびきから解放されることを期待していたので、彼らの望みの中心である主が不名誉な死を受けられなければならないという思いに耐えられなかった。彼らが覚えていなければならなかったみ言葉は、その心から消え去り、試練の時がやってきた時には備えができていなかった。イエスの死は、まるで主がなんの予告もしておられなかったかのように、彼らの望みを徹底的に打ち砕いたのであった。キリストのみ言葉によって弟子たちに将来がはっきり示されていたように、われわれにも将来のことが預言の中にはっきり示されている。恩恵期間の終わりに関係のある出来事と、悩みの時のために備える働きとが、はっきり示されている。しかし多くの人々は、全然啓示を受けなかったかのように、これらの重要な真理を理解していない。サタンは、彼らに救いに至る知恵を与えるような感化をことごとく奪い去ろうとうかがっているので、彼らは悩みの時に備えができていない。 GCJap 689.1