各時代の大争闘

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暗黒時代の歴史

自分たちと一致しないものに対するローマ教会の方針についての著しい例は、そのある者たちが安息日遵守者であったワルド派(ワルデンセス)への長期間にわたる残忍な迫害の中に見られた。他にも第四条の戒めに対する忠誠のゆえに、同様な方法で苦しみを受けた者たちがあった。エチオピアとアビシニアの教会の歴史は特に意義がある。暗黒時代の暗闇の中で、中央アフリカのキリスト者たちは世界から見落とされ忘れられて、幾世紀にもわたって自分たちの信仰を実践する自由を享受した。しかし、ついにローマ教会が彼らの存在を知り、まもなくアビシニアの皇帝はだまされて法王をキリストの代理者として承認した。続いてその他の譲歩が行われた。最も厳しい刑罰の下に、安息日の遵守を禁ずる法令が発布された。しかし、まもなく法王の暴政は非常に耐えがたいくびきとなったので、アビシニア人は自分たちの首からそれを断ち切る決心をした。恐ろしい戦いの後、ローマ教徒たちは国外に追放され、昔からの信仰が回復された。教会は自分たちの自由を喜んだ。そしてローマの惑わしと狂信と専制権力に関して学んだ教訓を決して忘れなかった。彼らはその孤立した地域で、他のキリスト教国に知られないでいることに満足していた。 GCJap 669.1

アフリカの教会は、カトリック教会が完全に背信する前に守っていたように、安息日を守っていた。彼らは、神の戒めに従って七日目を守っていたが、教会の習慣に従って、日曜日に仕事をすることを避けていた。ローマは、至上権を獲得するに及んで、神の安息日を踏みにじって教会自身の日を高めた。しかし、アフリカの諸教会は、千年近くの間隠されていて、この背信に加わらなかった。ローマの権力下に陥ってからは、彼らは、真の安息日を捨てて偽りの安息日を高めるように強制された。しかし彼らは、独立を回復するや否や、第四条の戒めの服従に立ちかえった。 GCJap 669.2

過去のこうした記録は、真の安息日とその擁護者たちに対するローマ教会の敵意と、この教会が作りあげた制度に尊敬を払わせるために教会が用いた数々の手段を、はっきりあらわしている。神のみ言葉には、ローマ・カトリックとプロテスタントが日曜日を高めるために協力する時、これらの光景が繰り返されるということが教えられている。 GCJap 670.1