各時代の大争闘

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キリストの血による勝利

真に罪を悔い改め、キリストの血が自分たちの贖いの犠牲であることを信じた者は、みな、天の書物の彼らの名のところに、罪の赦しが書き込まれる。彼らは、キリストの義にあずかる者となり、彼らの品性は、神の律法にかなったものとなったので、彼らの罪は、ぬぐい去られ、彼ら自身は、永遠の生命にあずかるにふさわしいものとされるのである。主は、預言者イザヤによって、こう宣言しておられる。「わたしこそ、わたし自身のためにあなたのとがを消す者である。わたしは、あなたの罪を心にとめない」(イザヤ書43章25節)。イエスは、次のように言われた。 GCJap 555.2

「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう」「だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう」(黙示録3章5節、マタイ10章32、33節)。 GCJap 555.3

人々は、地上の法廷の判決に深い関心を示すのであるが、しかしそれも、いのちの書にその名を記された人々が、全地の審判者の前で調査される時の天の法廷における関心とは、とうてい比較にならない。仲保者イエスは、彼の血を信じる信仰によって勝利した者がみな、その罪を赦され、再びエデンの家郷にもどって「以前の主権」を彼とともに継ぐ者となるように、嘆願されるのである(ミカ書4章8節)。サタンは、人類を欺き、誘惑することによって、人類創造における神のご計画を挫折させようと考えた。しかし、キリストは今、人間が堕落しなかったかのように、この計画の実行を求められるのである。キリストは、ご自分の民のために、完全で十分な赦しと義認だけでなくて、彼らが、ご自分の栄光にあずかり、共にみ座につくことを求められるのである。 GCJap 556.1

イエスが、彼の恵みに浴する人々のために嘆願される一方において、サタンは、彼らを罪人として神の前に告訴する。大欺瞞者サタンは、彼らに疑惑を抱かせ、神に対する信頼を失わせ、神の愛から彼らを引き離し、神の律法を犯させようとしてきた。そして今度は、サタンは、彼らの生涯の記録を指摘し、品性の欠陥、贖い主のみ栄えを汚したところの、キリストに似ていない点、そして、彼が誘惑して彼らに犯させたすべての罪を指摘して、これらのことのゆえに彼らは自分の臣下であると主張するのである。 GCJap 556.2

イエスは、彼らの罪の弁解はなさらないが、彼らの悔い改めと信仰を示して、彼らの赦しを主張なさり、天父と天使たちの前で、ご自分の傷ついた両手をあげ、わたしは彼らの名を知っている、わたしは彼らを、わたしのたなごころに彫り刻んだ、と言われるのである。 GCJap 556.3

「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません」(詩篇51篇17節)。そして、ご自分の民を訴える者に向かって、「サタンよ、主はあなたを責めるのだ。すなわちエルサレムを選んだ主はあなたを責めるのだ。これは火の中から取り出した燃えさしではないか」と宣言される(ゼカリヤ書3章2節)。キリストは、忠実な人々に、ご自分の義の衣を着せて、父なる神の前に「しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会」として立たせてくださる(エペソ5章27節)。彼らの名は、いのちの書に書きとめられる。そして彼らについて、「彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である」と記されているのである(黙示録3章4節)。 GCJap 557.1

こうして、新しい契約が完全に成就する。「わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」「主は言われる、その日その時には、イスラエルのとがを探しても見当らず、ユダの罪を探してもない」(エレミヤ書31章34節、50章20節)。「その日、主の枝は麗しく栄え、地の産物はイスラエルの生き残った者の誇、また光栄となる。そして……シオンに残る者、エルサレムにとどまる者、すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は聖なる者ととなえられる」(イザヤ書4章2、3節)。 GCJap 557.2