各時代の大争闘
天の書物
天には、人々の名と行為を記録した書物があって、審判の決定は、それによってなされる。預言者ダニエルは、「審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた」と言っている。ヨハネも、この同じ光景を描写して、「かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた」と言っている(黙示録20章12節)。 GCJap 552.1
いのちの書には、神の働きをしたすべての人の名が記されている。イエスは、弟子たちに、「あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」と言われた(ルカ10章20節)。パウロは、忠実な同労者の名が「『いのちの書』に……書きとめられている」と言っている(ピリピ4章3節)。ダニエルは、「かつてなかったほどの悩みの時」を予見して、「あの書に名をしるされた」すべての神の民は救われると言っている。 GCJap 552.2
また、ヨハネは、神の都に「はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである」と言っている(ダニエル書12章1節、黙示録21章27節)。 GCJap 552.3
神の前に、「覚えの書」が記されているが、それには、「主を恐れる者、およびその名を心に留めている者」の善行が記録されている(マラキ書3章16節)。彼らの信仰の言葉、彼らの愛の行為は、天に記録されている。ネヘミヤは、このことについて、次のように言っている。「わが神よ、……わたしを覚えてください。……神の宮……のためにわたしが行った良きわざをぬぐい去らないでください」(ネヘミヤ記13章14節)。神の覚えの書には、すべての正しい行為が永久に記されている。誘惑を退けたこと、悪に打ち勝ったこと、憐れみの言葉をかけたことなどが、忠実に記録されている。また、すべての犠牲の行為、キリストのために耐えたすべての苦しみや悲しみが記録されている。「あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書にしるされているではありませんか」と詩篇記者は言っている(詩篇56篇8節)。 GCJap 552.4
また、人々の罪の記録もある。「神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである」(伝道の書12章14節)。救い主は次のように言われた。「審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」(マタイ12章36、37節)。隠れた目的や動機も間違いなく記録される。「主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう」(コリント第一・4章5節)。「見よ、この事はわが前にしるされた、『……彼らの不義と、彼らの先祖たちの不義とを共に報い返す』と主は言われる」(イザヤ書65章6、7節)。 GCJap 553.1
すべての人の行為は、神の前で調査され、忠実であったか不忠実であったかが記録されている。 GCJap 553.2
天の書物の中の各自の名の向かい側には、恐るべき正確さで、すべての悪い言葉、利己的な行為、義務の怠慢、隠れた罪、巧妙な偽善行為などが記入されている。天からの警告や譴責をなおざりにしたこと、時間を浪費し、機会を活用しなかったこと、善きにつけ悪しきにつけ、及ぼした感化とその広範囲にわたる結果などがみな、記録天使によって記録されている。 GCJap 553.3