各時代の大争闘

26/453

眠っている教会

ところで、今日の教会が注意すべきもう一つのさらに重大な問題がある。使徒パウロは、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」と言っている(テモテ第二・3章12節)。それでは、迫害の火が消えているように思われるのは、なぜであろうか。その唯一の理由は、教会が世俗の標準に妥協したために、反対を引き起こさないということにある。今日、世に迎えられている宗教は、キリストとその弟子たちの時代の信仰のように純潔で聖なるものではない。キリスト教が世の中から迎えられているように見えるのは、罪と妥協する精神、神のみ言葉の偉大な真理に対する無関心、教会内における生きた敬神の念の欠乏のゆえにほかならない。初代教会の信仰と力が復興するならば、迫害の精神もまた復興し、迫害の火は再び点じられるのである。 GCJap 56.1