各時代の大争闘
婚宴の部屋に入る者
一八四四年の夏の「さあ、花婿だ」という宣言は、多くの者に、主の再臨はすぐだと期待させた。その指定された時に、花婿は、人々が期待したように地上にではなくて、婚宴のために、すなわちみ国を受けるために、天の日の老いたる者のもとに来たのである。「用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた」。彼らは、婚宴の席に列することはできなかった。なぜなら、これは天において起こり、彼らは地上にいるからである。キリストの弟子たちは、「主人が婚宴から帰って」くるのを「待って」いなければならない(ルカ12章36節)。しかし、彼らは、主の働きをよく理解し、彼が神の前に出られるのに信仰によって従っていかねばならない。この意味において、彼らは、婚宴の部屋に入ったと言われているのである。 GCJap 490.2
たとえによると、婚宴の部屋に入ったのは、あかりとともに器に油を持っていた者たちであった。聖書から真理の知識を得るとともに、聖霊と神の恵みとを持っていた人々、厳しい試練の夜も、忍耐して待ち、より明らかな光を求めて聖書を研究した人々、―─これらの人々は、天の聖所に関する真理と、救い主の務めの変化とを認め、信仰によって、天の聖所における彼の働きに従っていった。そして、聖書のあかしを通して同じ真理を受けいれ、キリストが仲保の最後の働きを行うために、そしてその最後にはみ国を受けるために、神の前に出られるのに信仰によって従っていく者たちは、すべて、婚宴の部屋に入る者としてあらわされているのである。 GCJap 490.3
マタイによる福音書22章のたとえにおいて、同じ婚宴の象徴が用いられ、婚宴に先立って調査審判が行われることが明示されている。婚宴に先立って、王は、すべての客が、礼服、すなわち、小羊の血で洗って白くしたしみのない品性の衣を着ているかを見るために入ってくる(マタイ22章11節、黙示録7章14節参照)。欠けていることを発見された者は、追い出されるが、調査の上で礼服を着ていることが認められたすべての者は、神に受け入れられ、み国に入って神のみ座のもとに座るに足る者とみなされるのである。品性を調査し、だれが神の国に入る準備をしたかを決定するこの働きが、調査審判の働きであり、天の聖所における最後の働きなのである。 GCJap 491.1
調査の働きが終わり、各時代においてキリストに従う者であると称してきた人々の調査と決定がなされた時、その時初めて、恩恵期間が終わり、恵みの扉が閉じられる。このように、「用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた」という短い一節の中に、救い主の最後の務めが終わって、人間の救いの大事業が完成される時までが、示されている。 GCJap 491.2