各時代の大争闘
贖いの最後の働き
一八〇〇年にわたって、聖所の第一の部屋において、この務めが続けられた。キリストの血は、悔い改めた信者のために嘆願し、彼らがゆるされ天父に受け入れられるようにしてきたが、しかし彼らの罪は、まだ記録の書に残っていた。型としての儀式において、一年の終わりに贖罪の働きがあったように、人類の贖いのためのキリストの働きが終わる前に、聖所から罪を取り除く贖罪の働きが行われるのである。これが、二三〇〇日が終了した時に始まった務めであった。その時に、預言者ダニエルが預言したとおり、われわれの大祭司は、彼の厳粛な働きの最後の部分を行うために、すなわち聖所を清めるために、至聖所に入られたのであった。 GCJap 483.3
古代において、民の罪が、信仰によって罪祭の上に置かれ、そしてその血によって、象徴的に地上の聖所に移されたように、新しい契約においては、悔い改めた者の罪は、信仰によってキリストの上に置かれ、そして実際に天の聖所に移されるのである。 GCJap 483.4
そして、地上の聖所の型としての清めが、それを汚してきた罪を取り除くことによって成し遂げられたように、天の聖所の実際の清めも、そこに記録されている罪を取り除くことによって、すなわち消し去ることによって、成し遂げられねばならない。しかし、これを完成するためには、だれが罪の悔い改めとキリストを信じる信仰によって、贖いの恵みを受ける資格があるかを決定するために、記録の書の調査がなされねばならない。したがって、聖所の清めには、調査の働き、すなわち審判の働きが含まれるのである。この働きは、キリストがご自分の民を贖うために来られる前に行われねばならない。なぜなら、彼が来られる時には、彼はすべての者に、それぞれの行為に応じて報いを与えられるからである(黙示録22章12節参照)。 GCJap 484.1
こうして、預言の言葉の光に従った者たちは、キリストは、二三〇〇日が一八四四年に終了した時に、この地上に来られるのではなくて、再臨に備えて贖いの最後の働きをするために、天の聖所の至聖所に入られたのだということを知った。 GCJap 484.2
また、罪祭が犠牲としてのキリストをさし、大祭司が仲保者としてのキリストをあらわす一方、アザゼルのやぎは罪の張本人であるサタンを象徴していて、彼の上に、真に悔い改めた者たちの罪が最終的に置かれるのだ、ということもわかった。大祭司は、罪祭の血によって、聖所から罪を除去した時に、それをアザゼルのやぎの上に置いた。キリストが、彼の務めの最後に、ご自身の血によって、天の聖所からご自分の民の罪を除去される時、彼はそれをサタンの上に置かれる。サタンは、審判の執行において、最終的な刑罰を負わねばならない。アザゼルのやぎは、人里離れた地へと追い払われ、イスラエルの宿営には二度と帰ってこなかった。そのように、サタンは、神と神の民の前から永遠に追放される。そして、罪と罪人の最終的な滅亡の時に消し去られるのである。 GCJap 484.3