各時代の大争闘

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型と実体

贖罪に関する重要な真理が、型としての儀式によって教えられている。罪人の代わりに、その身代わりとなるものが受け入れられた。しかし、犠牲の血によって罪が取り消されたわけではなかった。こうした方法によって、罪が聖所に移されたのであった。罪人は、血のささげ物によって、律法の権威を認め、犯した罪を告白し、来たるべき贖い主を信じる信仰によってゆるしを願っていることを表明した。しかし彼は、律法の宣告から全く解放されたのではなかった。大祭司は、贖罪の日に、会衆からのささげ物をとって、その血をたずさえて至聖所に入り、律法の真上にある贖罪所の上にそれを注いで、律法の要求を満たした。それから彼は、仲保者として、罪を自ら負って、聖所から持ち出した。彼は、アザゼルのやぎの頭に手を置いて、すべての罪を告白し、こうして、象徴的に、自分からアザゼルのやぎへと罪を移した。それからやぎは、罪を背負って去り、そして罪は永遠に民から切り離されたものとみなされた。 GCJap 482.1

これが、「天にある聖所のひな型と影」に従って行われた儀式であった。そして、地上の聖所の務めにおいて、型として行われたことが、天の聖所の務めにおいて、現実に行われるのである。われわれの救い主は、昇天ののち、われわれの大祭司としての働きを始められた。パウロは次のように言っている。「ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである」(ヘブル9章24節)。 GCJap 482.2

戸口であり、聖所を中庭から区別するものであった「幕の内」において、すなわち、聖所の第一の部屋において一年を通じて行われる祭司の務めは、キリストが昇天の時に始められた務めをあらわしている。神の前に罪祭の血をささげ、イスラエルの祈りとともにたちのぼる香をたくことが、日ごとの務めにおける祭司の働きであった。 GCJap 482.3

同様にキリストは、罪人のためにご自分の血をもって天父に嘆願なさり、そのみ前に、ご自身の義の尊い香とともに、悔い改めた信者の祈りを差し出された。これが、天の聖所の第一の部屋における務めであった。 GCJap 483.1

キリストが弟子たちを離れて昇天された時、弟子たちは、信仰によってここまで彼についていった。ここに彼らの希望は集中した。パウロは次のように言った。「この望みは、わたしたちにとって、いわば、たましいを安全にし不動にする錨であり、かつ『幕の内』にはいり行かせるものである。その幕の内に、イエスは、永遠に……大祭司として、わたしたちのためにさきがけとなって、はいられたのである」「かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所に入られ、それによって永遠のあがないを全うされたのである」(ヘブル6章19、20節、9章12節)。 GCJap 483.2