各時代の大争闘

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神の守りと信徒の希望

神は、ご自分の民を見捨てられなかった。神の霊は、自分たちが受け入れていた光を軽々しく否定せず再臨運動を放棄しなかった人々と、なおともにおられた。ヘブル人への手紙の中に、この危機において試みられていたところの待望者たちに対する励ましの言葉が記されている。「だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。『もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない』。しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である」(ヘブル10章35~39節)。 GCJap 467.2

この勧告が最後の時代の教会にあてられていることは、主の再臨が近いことを指示している言葉を見ても明らかである。「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない」。そして、見たところ遅延があり、主のこられるのが遅れるように見えることが、明らかに示されている。ここに与えられている教訓は、特にこの時の再臨信徒の経験に当てはまる。ここで語りかけられている人々は、信仰の破船となるおそれがあった。彼らは、聖霊と神の言葉の指導に従って、神のみこころを行った。 GCJap 468.1

しかし、彼らは、過去の経験における神のみこころを理解することができず、また、彼らの前にある道を見ることもできなかった。そして彼らは、神が本当に自分たちを導いておられるのかどうか疑うように誘惑された。この時に、「わが義人は、信仰によって生きる」という言葉が当てはまった。「夜中の叫び」という輝かしい光が彼らの道を照らし、預言の封が開かれ、キリストの再臨が近いことを告げるしるしが急速に成就するのを見た時、彼らは、いわば目で見つつ歩いたのであった。ところが今、失望に打ちひしがれて、彼らは神とみ言葉に対する信仰によってのみ立つことができた。世の嘲笑者たちは、「あなたがたは欺かれたのだ。信仰を捨て、再臨運動はサタンのものであったと言いなさい」と言っていた。しかし、神の言葉は、「もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない」と宣言していた。今、彼らの信仰を捨て、使命に伴っていた聖霊の力を拒否することは、滅びに向かって後退することであった。彼らは、「あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない」「あなたがたに必要なのは、忍耐である」「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない」というパウロの言葉によって堅く立つように励まされた。彼らにとって唯一の安全な道は、すでに神から受けた光を大切にし、神の約束を堅く信じ、聖書を探り続け、さらにそれ以上の光が与えられるのを忍耐して待ち、見守ることであった。 GCJap 468.2