各時代の大争闘

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厳粛な運動

宗教改革の時代に、改革の敵たちは、狂信の害悪をすべて、最も熱心に狂信に反対して働いていた人々自身のせいにした。同様のことが、再臨運動の反対者たちによって行われた。極端な人々や狂信的な人々の誤りを、偽り誇張して伝えるだけでは満足せずに、なんの根拠もない悪評を言いふらした。これらの人々は、偏見と憎しみに動かされていた。彼らは、キリストが門口に来られたという宣言を聞いて心の平和を破られた。彼らは、それが真実かもしれないと恐れながら、そうでないことを望んだ。彼らが再臨信徒とその信仰に戦いをいどんだ秘密はこれであった。 GCJap 456.1

パウロやルターの時代に、教会に狂信者や欺瞞者がいたからといって、彼らの働きを非難する理由にはならないのと同様に、再臨信徒の中に少数の狂信者がいたからといって、それが神の運動でなかったと決める理由にはならない。神の民が、眠りからさめて、悔い改めと改革の業に熱心に取りかかるなら、また、イエスにある真理を学ぶために、聖書を探るなら、そして、神に対して全的な献身をするなら、その時には、サタンが今なお抜け目なく活動しているということが、よくわかるであろう。サタンは、できるかぎりの欺瞞を働かせ、彼の支配下のすべての堕落天使を動員して、彼の力をあらわすであろう。 GCJap 456.2

再臨の宣布が、狂信と分裂を引き起こしたのではなかった。これらのことは、再臨信徒たちが、自分たちの真の立場について疑惑と困惑の状態にあった一八四四年の夏に、起きたのである。第一天使の使命と「夜中の叫び」は、直接、狂信と分裂をしずめるのに役立った。この厳粛な運動に参加した人々は一致していた。彼らの心は、お互いに対する愛と、まもなくお目にかかると待望していたイエスに対する愛に満ちていた。一つの信仰、一つの祝福された望みが、彼らを高めて、どんな人間的影響にも左右されぬようにし、サタンの攻撃から彼らを守ったのである。 GCJap 457.1

「花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた」(マタイ25章5~7節)。最初、二三〇〇日が終わると考えられた時と、後に、それが延長していると考えられた同年の秋との、その中間の一八四四年の夏に、ちょうど聖書の言葉どおり、「さあ花婿だ、迎えに出なさい」という使命が伝えられた。 GCJap 457.2