各時代の大争闘
誤謬の霊と真理の霊
悪の君は、神の民が天の都に向かって進む旅のその一歩ごとに妨害をする。教会の全歴史において、改革が行われるときには必ず重大な障害があった。パウロの時代においてもそうであった。彼が教会を起こしたところではどこでも、信じると言いながら異端をもたらす者たちがあった。そして、もしそれを信じるならば、ついには真理に対する愛が失われてしまうのであった。ルターもまた、直接神の言葉に接したと主張して自分の考えや意見を聖書の証言以上に重要視する狂信的な人々に、非常に悩まされ苦しめられた。信仰と経験に欠けていながら、相当のうぬぼれを持ち、新奇なことを聞いたり話したりすることが好きな多くの人々は、このような新しい教師の主張に欺かれ、神がルターを動かして打ちたてようとなさったことを破壊するサタンの働きの、その手先となった。また、ウェスレー兄弟や、またその感化力と信仰とによって世界に祝福をもたらした他の人々も、過激で不健全で清められていない人々をあらゆる種類の狂信に陥れるサタンの策略に、終始悩まされたのである。 GCJap 455.1
ウィリアム・ミラーは、そうした狂信的傾向への動きには共鳴しなかった。彼は、ルターと同様に、すべての霊は神の言葉によって試されるべきであると断言した。ミラーは言った。「悪魔は、今日、ある人々の心に大きな勢力を持っている。われわれは、彼らがどのような霊を持っているかを、どうやって知ることができるであろうか。聖書は、『あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう』と答えている。……さまざまな霊が世にあらわれてきている。そしてわれわれは、霊を試すように命じられている。この世の中にあって、われわれを落ち着いて正しく信仰深く生きるようにさせない霊は、キリストの霊ではない。このような熱狂的運動は、サタンによるところ大であるとの確信を、わたしはますます強くしている。……われわれの中には、全く清められたと主張する者が多くあるが、彼らは、人間の言い伝えに従っているのであって、真理を信じることを表明しない他の人々と同様に、真理のことは何も知らないように思われる」「誤りの霊は、われわれを真理から離れさせる。そして、神の霊は、われわれを真理に導くのである。しかし、あなたがたは言うであろう。人は誤りの中にいながら自分は真理を持っていると考える時がある。その場合はどうなのか、と。われわれはこう答える。霊と言葉とは一致する、と。もし人が、神の言葉によって自分を判断し、神の言葉全体と完全に調和していることがわかれば、その時には自分は真理を持っていると信じなければならない。しかし、もし自分を導いている霊が、神の律法や聖書の全体の主旨と調和しないならば、悪魔のわなに捕らえられることのないように、注意して歩かなければならない」「わたしは、しばしば、キリスト教国全体の雑音の中よりは、輝く目、涙にぬれたほお、とだえがちな言葉の中に、内的敬虔さの証拠をより多く見つけるのであった」 GCJap 455.2