各時代の大争闘

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スカンジナビアにおける児童の説教

再臨使命は、スカンジナビアにおいても宣布され、広く人々の興味を引き起こした。多くの者は、軽率な安心感から覚めて、罪を告白して放棄し、キリストの名による赦しを求めた。しかし、国教会の聖職者たちはこの運動に反対し、そのために、使命の宣布者たちは投獄された。主の再臨の説教者たちがこうして沈黙させられた多くの場所で、神は、子供たちを用いて、奇跡的方法でメッセージをお送りになった。彼らは未青年であったから、国の法律は彼らを禁じることができず、彼らはなんの妨げもなく語ることを許された。 GCJap 420.2

運動は主として下層階級の人々の間で行われ、人々が警告を聞くために集まったのは、労働者たちの粗末な住居においてであった。幼い説教者自身も、たいていは貧しい家の子であった。六歳や八歳の者たちもいた。彼らは、救い主を愛することをその生活にあかしし、神の聖なる要求に従って生活しようと努めていたが、通常は同年配の子供たちの普通の知性と能力をあらわしているにすぎなかった。しかし、彼らが人々の前に立つと、彼らの生来の能力以上の力に動かされていることは明白であった。声も態度も一変し、厳粛な力をもって審判の警告をなし、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである」という聖句を引用した。彼らは、人々の罪を譴責し、不道徳と悪徳を非難するだけでなく、世俗と背教を責め、速やかに下ろうとしている怒りから逃れるように聴衆に警告した。 GCJap 421.1

人々は、これを聞いて震えた。力ある神の霊が、彼らの心に語りかけた。多くの者は、新たに深い興味をもって、聖書の研究をするようになり、不節制で不道徳な者は生活を改革し、不正行為を改める者もあった。このように著しい結果を見て、国教会の牧師でさえ、この運動に神の手を認めないわけにはいかなかった。 GCJap 421.2

救い主来臨の知らせがスカンジナビア諸国に伝えられることは、神のみこころであった。そして、神のしもべたちの声が沈黙させられた時に、神は、働きを成し遂げるために、子供たちに聖霊を注がれた。イエスが喜びに満ちた群衆を従えて、エルサレムに近づかれた時、彼らは勝利の叫びをあげ、しゅろの枝を打ち振って、イエスをダビデの子と宣言した。それを聞いた嫉妬深いパリサイ人たちは、彼らを黙らせるようにイエスに求めた。しかしイエスは、こうしたことはみな預言の成就であって、もし彼らが黙っているならば、石が叫ぶであろうと言われた。人々は、祭司や司たちにおどされて、エルサレムの門に入ると喜びの叫びをやめた。しかし、神殿の庭の子供たちは、その後でまた歌い出し、しゅろの枝を振って、「ダビデの子に、ホサナ」と叫んだ(マタイ21章8~16節参照)。 GCJap 421.3

パリサイ人が、ひどく機嫌を損ねて、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」とイエスに言った時、イエスは答えて、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」と言われた。神は、キリストの初臨の時に子供たちによって働かれたように、再臨使命の宣布も彼らによってなされたのである。救い主の再臨は、すべての民族、国語、国民に宣べ伝えられるという神の言葉は、成就されなければならない。 GCJap 422.1