各時代の大争闘

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使命宣布と嘲笑非難

どの時代にあっても、神がそのしもべによって世界に伝えられた警告は、疑いと不信をもって迎えられた。洪水前の人々の罪悪のゆえに、地が洪水で滅ぼされることになった時、神は、まず彼らに悪の道を離れる機会を与えるために、ご自分の意図をお告げになった。 GCJap 388.3

神の怒りによって彼らが滅ぼされないように、一二〇年の間、悔い改めの警告が彼らの耳に発せられた。しかし、彼らはその警告を、たわごとと考えて信じなかった。彼らは、大胆に罪悪にふけり、神の使者を嘲笑し、その嘆願を軽んじ、彼を僣越であるとさえ非難した。ただ一人の人間が、地のすべての偉大な人物たちに対抗して立ちはだかるのか? もしノアの言うことが真実であれば、なぜ全世界がそれを認めて信じないのか? 数千人の知恵に対抗する、一人の人間の主張! 彼らは、警告を信じようとせず、箱舟の中に避難しようとしなかったのである。 GCJap 388.4

あざける者たちは、自然の事物―─相も変わらぬ季節の推移、雨を降らせたことのない青空、柔らかな夜の露に生気を取り戻した緑の野―─を指さして、「彼はたとえ話を語っているのではないか?」と叫んだ。彼らは、義の宣伝者を軽蔑して、無謀な熱狂家と呼んだ。そして彼らは、これまで以上に快楽の追求に走り、悪の道に進んでいった。しかし、彼らの不信は、予告された出来事が起こるのを妨げはしなかった。神は、彼らの悪を長く忍ばれ、彼らに悔い改めの機会を十分にお与えになった。しかし、定められた時が来た時に、神の憐れみを拒んだ者に神の刑罰が下ったのである。 GCJap 389.1

キリストは、再臨に関しても同様の不信があらわされるであろうと言われた。ノアの時代の人々が、「洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった」ように、「人の子の現れるのも」、そのようであろうと救い主は言われた(マタイ24章39節)。神の民と称する人々が、世と結合し、世の人々のように生活し、禁じられた快楽を彼らとともにしている時、世俗のぜいたくが教会のぜいたくとなり、結婚の鐘が鳴りひびき、すべての者が、世俗の繁栄が長年にわたって続くと思っているその時に、突然、いなずまが天からきらめくように、彼らの輝かしい幻とむなしい望みとは、消えさるのである。 GCJap 389.2

神は、洪水が来ることを世界に警告するためにしもべを送られたように、最後の審判の切迫を知らせるために、使者を選んでつかわされた。そして、ノアの時代の人々が、義の宣伝者の予告を軽蔑してあざ笑ったように、ミラーの時代においても、多くの者が、いや神の民と称する人々でさえ、彼の警告の言葉をあざ笑ったのである。 GCJap 389.3