各時代の大争闘
改革者たちの再臨信仰
聖徒や殉教者たちは、牢獄、火刑柱、処刑台において、真理のあかしを立てたが、彼らの信仰と希望の言葉が、幾世紀後のわれわれに伝えられている。彼らは、「主の復活を確信し、したがって主の再臨の時に彼ら自身も復活することを確信していたので、彼らは死を恐れず、死を超越していた」と、あるキリスト者は言っている。彼らは、「自由の身になって復活する」ために、喜んで墓に下っていった。彼らは、「主が、父の栄光をもち、天の雲に乗って来られ」「義人たちに王国の時代をもたらされる」のを待望した。ワルド派も同じ信仰をいだいていた。ウィクリフも、贖い主の出現を教会の希望として待望していた。 GCJap 348.2
ルターは次のように言った。「わたしは、今後三〇〇年もすれば必ず、審判の日が来ると確信する。神は、この邪悪な世界を長く忍ぶことはなさらないであろうし、また、おできにならないのである」「悪虐な王国を打ち砕く大いなる日が近づいている」 GCJap 348.3
「この古びた世界は、終末から遠くない」とメランヒトンは言った。カルバンは、「キリストの再臨を、あらゆる事件中の最も喜ばしいものとして、ためらわず、熱心に待望するよう」キリスト者に命じ、「忠実な者の家族全員が、その日を待望するように」勧めている。「われわれは、主がみ国の栄光を十分にあらわされる大いなる日の夜明けまで、飢えかわくようにキリストを求め、たずね、瞑想しなければならない」と彼は言っている。 GCJap 348.4
「われわれの主イエスは、われわれの肉体を天にたずさえて行かれたのではなかったか。そして彼は、帰って来られないであろうか。われわれは、彼が帰って来られること、しかもそれが速やかであることを知っている」とスコットランドの改革者ノックスは言った。真理のために生命をささげたリドリとラチマーは、主の再臨を信じて待ち望んだ。「わたしは、このことを信じるから言うのであるが、この世界は疑いもなく終末に近づいている。われわれは、神のしもべヨハネと共に、来てください、主イエスよ、来てくださいと、われわれの救い主キリストに向かって、心の中で叫ぼう」とリドリは書いた。 GCJap 349.1
「主の再臨を考えることは、わたしには最も楽しく喜ばしいことである」とバクスターは言った。「彼の出現を愛し、祝福された望みを待ち受けることは、信仰のわざであり、聖徒の特質である」「死が、復活の時に滅ぼされる最後の敵であるならば、この最後の完全な勝利が与えられるキリストの再臨を、信者たちがどんなに熱心に待望し、そのために祈るべきであるかがわかるのである」「この日こそ、すべて信ずる者の贖罪のすべての働きと、彼らの魂の願望と、努力のすべてが完成されるのであるから、すべての信者は、この日を熱望し、待ちかまえていなければならない」「主よ、この祝福された日を早めてください」。これが使徒時代の教会の希望であり、「荒野の教会」の希望であり、また改革者たちの希望であった。 GCJap 349.2