各時代の大争闘
第16章—アメリカ合衆国と建国の精神
英国宗教界の情勢
英国の改革者たちは、ローマ・カトリック教会の教義を捨てながらも、その形式の多くを保持していた。こうして、ローマの権威と信条は否定していながら、その習慣と儀式が、少なからず英国国教会の礼拝に取り入れられた。こうしたことは良心の問題ではない、また、聖書に命じられていないから重要ではないが、それでも禁じられていないから本質的には悪ではない、という主張が行われた。これらの遵守は、ローマと改革教会との間の隔たりをせばめるものであった。そしてそれは、カトリック教徒がプロテスタントの信仰を受け入れるのを促進すると力説された。 GCJap 332.1
保守的で妥協的な人々にとっては、このような議論は決定的なものに思われた。しかし、そう判断しなかった人々もいた。こうした習慣は、「ローマと改革主義との間の深い割れ目に橋を架けるものである」からこそ、それらの保持には断固として反対である、というのが彼らの意見であった。彼らはそれらを、奴隷状態―─彼らはそこから解放されたのであって、そこに戻る気持ちなど全くないのであった―─のしるしとみなした。神はみ言葉の中で、神の礼拝に関する規則を定められたのであるから、人間が自由にそれに加えたり減じたりすることはできないと、彼らは論じた。大背教のまず第一歩は、教会の権威によって神の権威を補おうとしたことにあった。ローマは、神が禁じられなかったことを禁じることから始めて、神が明らかに命じておられることを禁じるに至ったのであった。 GCJap 332.2
多くの者は、初代教会の特徴であった純潔と単純に戻ることを熱望した。彼らは、英国国教会に根を下ろした多くの習慣を偶像礼拝の遺物とみなし、良心上その礼拝に参加することができなかった。 GCJap 333.1
しかし教会は、国家の権力によって支えられていて、その儀式に反対することを許さなかった。教会の礼拝に出席することが法律で要求され、許可なくして宗教的集会を開くことは禁じられて、もしそれを犯せば、投獄、追放、死刑であった。 GCJap 333.2