各時代の大争闘
聖バーソロミューの虐殺
しかし、陰惨な犯罪の歴史中最も暗黒で、各世紀を通じて行われたあらゆる極悪非道な行為中、最も恐ろしいものは、聖バーソロミューの虐殺であった。世界は今でも、あの最も卑怯で残忍な殺害の光景を思い起こして身震いする。フランスの王は、ローマ教の司祭や高位聖職者に迫られて、恐ろしい行為に彼の許可を与えた。夜の静けさを破って聞こえる鐘の音が、虐殺の合図であった。幾千のプロテスタントは、王の名誉にかけての約束に信頼して、自分たちの家で眠っていたが、何の警告もなく引きずり出されて、冷酷に殺された。 GCJap 313.2
エジプトの奴隷から神の民を導き出した目に見えない指導者がキリストであったように、殉教者の数を増したこの恐ろしい行為において、その部下たちの目に見えない指導者はサタンであった。虐殺は、パリで七日続き、特にその最初の三日間は狂暴を極めた。そしてそれはパリ市内だけでなく、王の特別な命令によって、プロテスタントのいるすべての地方や町々にも及んだ。老若男女の差別はなかった。 GCJap 314.1
何も知らぬ赤ん坊や白髪の老人にも容赦はなかった。貴族も農民も、老いも若きも、母も子もともに切り殺された。フランス全国において、虐殺は二か月間続いた。国民の花とも言うべき七万人が殺害された。 GCJap 314.2
「虐殺の知らせがローマに伝わると、聖職者たちの喜びは非常なものであった。ロレーヌの枢機卿は、使者に千クラウンを報賞として与えた。聖アンジェロ城の大砲は祝砲を放った。そして、すべての塔から鐘の音が聞こえ、かがり火は夜を昼のように明るくした。そして、グレゴリー一三世は、枢機卿やその他の高位聖職者を従えて、長い行列を作って聖ルイ教会へ行き、そこでロレーヌの枢機卿は、『テ・デウム』を詠唱した。……虐殺を記念するメダルが鋳造され、バチカンでは今でも、バサーリの三つの壁画を見ることができる。それは、提督襲撃の場面、王が虐殺を計画しているところ、そして虐殺そのものの光景である。グレゴリーは、シャルルに金製バラ章を贈った。そして、虐殺があってから四か月後、……フランスの司祭の説教を満足げに聞いた。……この司祭は、『幸福と喜びに満ちた日、法王が知らせを受けて、神と聖ルイとに感謝するために、威儀を正して行かれたあの日』について、語ったのであった」 GCJap 314.3
聖バーソロミューの虐殺を引き起こした同じ精神が、革命の場面をも導いた。イエス・キリストは詐欺師であると宣言され、フランスの無神論者たちはこぞって「卑劣漢をやっつけろ」と叫んだが、これはキリストのことであった。天を恐れない冒瀆と言語道断の罪悪とがともに行われ、最も卑劣な人間たち、残酷悪徳のかぎりを尽くした無頼漢たちが、最も賞賛された。こうしたすべてのことにおいて、最高の栄誉がサタンにささげられた。それに反して、真理、純潔、無我の愛という特質をもっておられるキリストが、十字架につけられたのであった。 GCJap 314.4