各時代の大争闘

164/453

モラビア派との出会い

プロテスタント主義の祭壇の上で、今にも消えそうになっていた神の真理の火は、各時代を通じてボヘミアのキリスト者たちによって伝えられてきた古いたいまつによって、再び点じられることになった。宗教改革の後、ボヘミアのプロテスタント主義は、ローマの軍勢によって踏みにじられた。真理を放棄することを拒んだ者は、みな逃亡しなければならなかった。ある者はザクセンに避難所を見いだし、そこで昔ながらの信仰を保った。ウェスレーと彼の仲間が光を受けたのは、これらのキリスト者たちの子孫からであった。 GCJap 293.1

ジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレーは、牧師の按手礼を受けたあとで、米国の伝道につかわされた。同じ船に、モラビア人の一団が乗っていた。途中、激しい暴風雨に出会い、ジョン・ウェスレーは死に直面して、まだ自分が神との平和の確証を持っていないのを感じた。ところが、このドイツ人たちは、彼が味わっていない平静さと信頼をあらわしていた。 GCJap 293.2

彼は、次のように言っている。「わたしは、ずっと以前から、彼らの非常にまじめな態度に気づいていた。彼らは、英国人がしようともしない卑しい仕事を他の船客のために行って、彼らの謙遜を常に実証した。彼らは、これに対する報酬を望まず、また受けようともせず、これは自分たちの高慢な心に益であり、自分たちの愛する救い主は、自分たちのためにもっと多くのことをされた、と言った。そして毎日、彼らは、どんな害を受けても動ぜず、柔和であった。もし、押されたり、打たれたり、投げ倒されたりしても、立ち上がって行ってしまう。彼らはつぶやいたりはしなかった。 GCJap 293.3

ところで今、彼らが、誇りや怒りや復讐の念と同様に、恐怖からも救われているかどうかを試す時がやってきた。彼らの礼拝は詩篇で始まったのであるが、その詩篇を読んでいる最中に、海が大荒れになり、主帆をずたずたに引き裂き、水は船に覆いかぶさって、まるで大海がわれわれを飲んでしまったかのように、甲板の間に流れ込んだ。英国人の間からは恐ろしい叫び声が起こった。ドイツ人たちは静かに歌い続けていた。わたしは後で、彼らの一人に、『恐ろしくなかったですか』と聞いた。彼は、『神様のおかげで、少しも』と答えた。わたしは、『でも婦人や子供たちは恐ろしくなかったですか』と聞いた。彼は穏やかに答えた。『いいえ、私たちの婦人や子供たちは、死ぬことを恐れてはいません』」 GCJap 294.1

サバナに到着しても、ウェスレーはしばらくの間モラビア人と一緒に住んだ。そして、彼らのキリスト者的な行状に強く心を打たれた。英国の教会の無気力な形式主義とは対照的な、彼らの礼拝について、彼は次のように書いた。「その全体の非常な厳粛さと単純さとは、わたしに一七〇〇年の隔たりを忘れさせ、形式も儀礼もない、あの天幕作りのパウロや漁師のペテロの司会する集会にいるかのような感を与えた。しかも、そこに霊と力のあらわれがあった」 GCJap 294.2

ウェスレーは、英国に帰ってきて、モラビア人の説教者の指導のもとに、聖書の信仰をはっきりと理解することができた。彼は、救いを得るために自分自身の行為に頼ることを全く捨てて、「世の罪を取り除く神の小羊」に全的に信頼しなければならないことを悟った。 GCJap 294.3

ロンドンのモラビア人の集会で、神の霊が信じる者の心に起こす変化について述べたルターの言葉が読まれた。これを聞いて、ウェスレーの心に信仰の火が点じられた。「わたしは、自分の心が不思議に温まるのを感じた。わたしは、救われるためにキリストに、ただキリストに頼る自分を感じた。そして、キリストが、わたしの罪、わたしの罪さえ取り去って、わたしを罪と死との法則から救ってくださった、という確証が与えられた」と彼は言っている。 GCJap 294.4