各時代の大争闘

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イングランドの情勢

イングランドでは、プロテスタント主義が国教になったので、迫害は減ったけれども、全くやんだわけではなかった。ローマの教義が多く破棄されたけれども、形式は少なからず残っていた。法王の至上権は拒否されたけれども、その代わりに、国王が教会の頭の座を占めた。教会の礼拝は、福音の純粋さと単純さとからまだ遠く離れていた。 GCJap 290.1

宗教の自由という大原則も、まだ理解されていなかった。プロテスタントの国王たちは、ローマが異端に対して用いた恐ろしい残酷行為は行わなかったが、おのおのが自分の良心に従って神を礼拝する権利は認めていなかった。すべての者は、国教会が規定した教理を受け入れ、礼拝の形式を守らなければならなかった。国教反対者は、幾百年にわたって、程度の差こそあれ迫害に苦しんだ。 GCJap 290.2

一七世紀には、幾千という牧師がその地位を追われた。人々は、教会が承認したもの以外のどんな宗教的集会に出席することをも禁じられ、違反する者は重い罰金、投獄、追放にあわねばならなかった。そこで、神を礼拝するために集まらずにはおれない忠実な人々は、やむをえず、暗い路地、薄暗い屋根裏、またある季節には、夜中に森に集まった。神ご自身がお建てになった神殿である森の奥深くに、これらの散らされ迫害された主の子供たちは集まり、魂を注ぎ出して祈り、神を賛美した。このように用心深くしていてもなお、信仰のために苦しむ者が多かった。牢獄はあふれた。家族は離散した。外国に追放された者も多かった。それでも神は、ご自分の民と共におられ、迫害は、彼らのあかしを沈黙させることができなかった。海のかなたのアメリカに追われた者も多かった。そして彼らは、アメリカにおいて、同国のとりでであり栄光である政治と宗教の自由の基礎を築いたのであった。 GCJap 290.3

また、使徒時代のように、迫害はかえって福音を進展させた。ジョン・バンヤンは、放蕩者や重罪犯人が群がっている薄気味悪い牢獄の中で、天国の雰囲気にひたり、そこで、滅亡の国から天の都に行く巡礼の旅のすばらしい寓話を著した。それ以後二〇〇年以上にもわたって、ベッドフォードの牢獄からの声は、人々の心に感動的な力をもって語ってきた。バンヤンの『天路歴程』と『罪人の頭に溢るる恩寵』は、多くの人を生命の道に導いた。 GCJap 291.1

バクスター、フレーベル、アリーン、その他、才能と教育とキリスト者経験の豊かな人々が、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰を勇敢に擁護した。この人々の成し遂げた仕事は、この世の支配者からは厳しく禁じられたものであったが、決して滅びることのないものである。 GCJap 291.2

フレーベルの『生命の泉と恵みの道』は、魂をキリストにゆだねる方法を幾千の人々に教えてきた。バクスターの『改革牧師』は、神の働きの復興を望む多くの人々に祝福を与え、『聖徒の永遠の安息』は、神の民のために存続している「安息」に、魂を導く役割を果たしてきた。 GCJap 291.3