各時代の大争闘

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改革主義者たちの輩出

ラティマーは、聖書は自国語で読むべきものであると、説教壇から主張した。聖書の著者は、「神ご自身である」。そして、この聖書は、その著者の力と永遠性を帯びている、と彼は言った。「王、皇帝、長官、統治者であっても、……神の聖なる言葉に……従う義務のない者はいない」「われわれは、横道にそれず、神の言葉に導かれるようにしよう。われわれは、先祖たちの道を歩かず、彼らのしたことをしようとせず、彼らがすべきであったことをしよう」 GCJap 285.2

ティンダルの忠実な友人たち、バーンズとフリスが、真理を擁護するために立ち上がった。それに、リドリとクランマーが続いた。これら英国の宗教改革指導者たちは学識ある人々で、たいていはカトリックの社会で、その熱意と敬虔さを高く評価されていた人々であった。彼らが法王権に反対したのは、「法王庁」の誤りを認めた結果であった。彼らがバビロンの奥義をよく知っていたことは、教会に反対する彼らのあかしをいっそう力強いものにした。 GCJap 285.3

ラティマーは言った。「ここでわたしは、奇妙な質問をしようと思う。英国全体の中で、いったいだれが最も勤勉な司教であり高位聖職者であろうか。……みなさんは、わたしがだれの名前を言うかと、耳をそばだてておられる。……それでは申し上げよう。それは悪魔である。……彼は自分の教区から決して出ない。彼を訪問すれば、いつでも家にいる。……彼はいつでも仕事をしている。……請け合ってもいいが、みなさんは決して彼が怠けているのを見ることができない。……悪魔が住みついたところは、……書物を捨て去って、ろうそくを立てる。聖書は捨てて、数珠を取り上げる。福音の光を捨てて、白昼にろうそくの光を掲げる。……キリストの十字架を捨てて、煉獄という搾取が行われる。……裸の者、貧しい者、力ない者に着せることをせず、偶像を飾り、さまざまな像をきらびやかに飾る。人間の言い伝えと律法を大切にして、神の教えと最も神聖な言葉を捨てる。……ああ、われわれの高位聖職者たちが、サタンが毒麦をまくような熱心さで、良い教義の種をまけばよいのだが!」 GCJap 286.1

これらの改革者たちが主張した大原則は、ワルド派、ウィクリフ、ヨハン・フス、ルター、カルバン、ツウィングリその他の同志たちが信じた原則と同じであって、信仰と行為の規則としての聖書の、誤ることのない権威ということであった。彼らは、法王、会議、神父、王たちの、宗教の問題において良心を支配する権利を拒んだ。聖書が彼らの権威であった。そして彼らは、その教えによって、すべての教義とすべての主張を試した。これらの聖徒たちが処刑台の露と消えた時に彼らを支えたのは、神と神の言葉に対する信仰であった。ラティマーは、炎のために、今にも声が沈黙させられそうになった時、同僚の殉教者に向かって叫んだ。「喜べ。今日われわれは、神の恵みによって、英国にろうそくをともすのだ。その火は決して消えないであろう」 GCJap 286.2