各時代の大争闘

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無言の説教

捕らえられた人々は、残酷な責め苦で殺された。火刑の火は、苦痛を長びかせるために弱めるように、特に命令が発せられた。しかし、彼らは、勝利者として死んだ。彼らの忠誠は揺るがず、その平和は損なわれなかった。迫害者たちは、彼らの堅い決意を動かすことができず、敗北感に襲われた。「処刑台は、パリの至るところに立てられ、火刑は毎日行われた。 GCJap 261.1

処刑が分散して行われたのは、異端の恐怖を広く人々に知らせるためであった。しかし、結局、それは、福音の側に有利であった。パリ全市は、改革主義がどのような人物をつくり得るかを見ることができた。殉教者を焼く薪の山のような説教壇はほかにない。刑場にひかれてゆく時の彼らの顔に輝く静かな喜び、……激しい炎の中に立つ時の彼らの勇気、迫害に対する柔和と許しは、少なからぬ人々の、怒りを同情に、憎しみを愛に変えて、拒むことのできない雄弁をもって福音のために訴えたのである」 GCJap 261.2

司祭たちは、民衆の激しい怒りをあおることに狂奔し、プロテスタントに対して、最も恐ろしい非難を言いふらした。彼らは、カトリック教徒の虐殺、政府の転覆、王の暗殺計画などの罪を着せられた。この申し立てに対して、何一つとして証拠はなかった。しかし、こうした悪い出来事の予告は、実現することになった。ただしそれは、はるかにかけ離れた状況下において、しかも逆の原因からであった。カトリックが罪のないプロテスタントに与えた残酷な仕打ちは、報復の重さを積み上げていた。そして、彼らが国王と政府と国民について予言した通りのことが、後世において行われた。しかし、それは、無神論者と法王教徒自身によって行われた。三〇〇年後になって、フランスにこうした不幸をもたらしたのは、プロテスタントの樹立ではなくて、その圧迫のゆえであった。 GCJap 261.3

今や疑惑、不信、恐怖が、社会のすべての階級に広がった。こうした恐慌のただ中にあって、教育、勢力、また品性の高潔さにおいて最高位に立つ人々の間に、ルター派の教えがどんなに深く根を下ろしたかが、明らかにされた。信任と名誉の地位が、突然空席になった。職人、印刷者、学者、大学教授、著述家、そして、廷臣さえいなくなった。多くの者がパリを逃れ、母国を捨てて自ら放浪者となった。こうして、彼らが改革主義に好意を持っていたことを初めて示した者が多かった。法王側は、自分たちの間にあって疑いを受けずにすんでいた異端者たちのことを考えて、驚きの目を見張った。彼らの怒りは、彼らの手中にある多くの身分の低い犠牲者たちに向けられた。牢獄はあふれた。福音を信じる者のために点じられた火刑の煙で、空そのものも暗くなったように思われた。 GCJap 262.1