各時代の大争闘
プロテスタントの根本精神
「この有名な抗議書に含まれた原則は、……プロテスタント主義の本質そのものであった。この抗議書は、信仰の問題に関する人間の二つの害悪に抗議している。その第一は、為政者の侵害であり、第二は、教会の独断的権力であった。プロテスタント主義は、これらの害悪の代わりに、政権以上に良心の能力を重んじ、目に見える教会以上に神の言葉の権威を認める。それは、まず第一に、政権が神の事柄に関与するのを拒み、預言者や使徒たちと共に、『人に従うよりは、神に従うべきである』と言う。それは、カール五世の王冠の前で、イエス・キリストの王冠を掲げる。しかし、さらに一歩進めて、すべての人間の教えは神の言葉に従うべきである、という原則を規定する」。そればかりでなくて、抗議者たちは、自分たちが真理と信じることを自由に語る権利を主張した。彼らは、信じて従うだけでなくて、神の言葉が提示していることを教えたいと望み、司祭や政権の干渉権を拒んだ。シュパイエルの抗議書は、宗教的弾圧に対する重大な証言であった。そして、それは、良心の命じるままに神を礼拝する全人類の権利の主張であった。 GCJap 235.2
宣言は行われた。それは、幾千の人々の記憶に刻まれると共に、だれも消すことができない天の書に記録された。ドイツの福音派は、すべて、この抗議書を信仰の表明として採用した。各地において、人々は、この宣言に、新しい、よりよい時代の希望を認めた。諸 GCJap 235.3
侯の一人は、シュパイエルの抗議者たちに次のように言った。「どうか、力強く自由に、恐れることなく告白する恵みをあなたがたに与えられた全能の神が、永遠の日まで、あなたがたにそのようなキリスト者の堅実さを持たせられるように祈る」 GCJap 236.1
もし宗教改革が、ある程度成功を収めた後で、世俗の支持を得るために世と妥協したならば、それは神に不忠誠であるとともに、運動そのものにそむくことになり、ついには自滅したことであろう。これらの高潔な改革者たちの経験は、その後のすべての時代の人々に教訓を与えている。 GCJap 236.2
神と神の言葉に反対して働くサタンの方法は変わっていない。彼は、一六世紀におけると同様に、今もなお、聖書を生活の規準にすることに反対している。現代においては、改革者たちの教義や信条からの大きな逸脱が見られる。われわれは、信仰と行為の基準は、聖書、そして聖書だけであるというプロテスタントの大原則に、帰らねばならない。サタンは、今なお、あらゆる手段を用いて、宗教の自由を粉砕しようとしている。シュパイエルの抗議者たちが拒否したところの反キリスト者的力は、今新たな力をもって、失った主権を回復しようとしている。あの宗教改革の危機においてあらわされた、神のみ言葉に対する揺るがぬ信仰が、今日の改革の唯一の希望である。 GCJap 236.3