各時代の大争闘
狂信的なトマス・ミュンツァー
こうして、狂信は一時くいとめられた。しかし、それは数年後にさらに激しく盛り返して、恐ろしい結果をもたらした。この運動の指導者について、ルターは次のように言った。「彼らにとって、聖書は死文に過ぎない。そして彼らはみな、『聖霊、聖霊』と叫び出した。しかし、わたしは彼らの霊の導くところには、もちろんついて行かない。どうか、憐れみ深い神が、自称聖徒だけしかいないような教会から、わたしを守ってくださるように。わたしは、自分たちの罪を痛感し、神の慰めと支えを得るために、心の底から絶えずうめき、叫び求める人々、謙遜で弱く病んでいる人々と共に住みたいと思う」 GCJap 220.2
狂信家の中で最も活動的なトマス・ミュンツァーは、非常な才能の持ち主であった。もし彼が正しく指導されたならば、世を益するところが多かったであろう。しかし彼は、真の宗教の根本原則を知っていなかった。「彼は、世界を改革しようと望んだ。そして、すべての熱狂家たちと同様に、改革はまず自分から始まるべきであることを忘れた」。彼は、地位と勢力への野望を抱き、ルターに次ぐ地位でも満足しなかった。改革者たちが、法王の代わりに聖書の権威を認めるならば、それは、ただ別の形の法王権を樹立するだけであると彼は主張した。そして彼自身は、自分は真の改革を行うために、神の任命を受けたと主張した。「この精神を持つ者は、一生涯聖書を見なくても、真の信仰を持つ」とミュンツァーは言った。 GCJap 220.3
狂信的教師たちは、感情のままに支配され、すべての思いと衝動を神の声であると考えた。したがって、彼らは、非常に極端であった。「文字は人を殺し、霊は人を生かす」と叫んで、聖書を焼く者さえあった。ミュンツァーの教えは、奇異を好む人心に訴えると共に、事実上、人間の思想や意見を神の言葉以上に高めて、彼らの誇りを満足させた。彼の教義は、幾千の者に迎えられた。彼はまもなく、公の礼拝のあらゆる秩序を公然と非難し、諸侯に服従することは神とベリアルの両方に仕えようとするものである、と宣言した。 GCJap 221.1
すでに法王権の拘束を脱し始めていた人々の心は、国家の権力の束縛にも耐えられなくなっていた。神の是認によるものと称したミュンツァーの改革的教義は、彼らをあらゆる抑制から引き離し、彼らの偏見と感情のおもむくままにさせた。最も恐ろしい暴動と争闘の場面が続いて起き、ドイツの国土に血の雨が降った。 GCJap 221.2