各時代の大争闘
ルターの訴え
ルターがすでに戻ってきて、説教をしようとしているということは、まもなくウィッテンベルク中に知れ渡った。人々は、各地から集まってきて、教会はあふれるばかりになった。彼は説教壇に上り、大いなる知恵と柔和をもって、教え、勧め、譴責した。ミサを廃止しようとして暴力に訴えた人々の行動について、彼は次のように言った。 GCJap 218.3
「ミサは、悪いものである。神は、それに反対しておられる。それは廃されるべきである。わたしは、全世界において、福音の聖餐がそれに代わることを望んでいる。しかし、だれ一人として、暴力によってそれから引き離されてはならない。われわれは、そのことを神の手にゆだねなければならない。み言葉が行動を起こすべきで、われわれではない。それはなにゆえか、とあなたがたはたずねるであろう。それは、陶工が土を手に持つように、人々の心がわたしの手中にあるわけではないからである。われわれは語る権利がある。だがわれわれに行動する権利はない。われわれは宣べ伝えよう。だがそれ以上は神に属する。 GCJap 218.4
わたしが暴力に訴えたとしても、なんの益があろうか。しかめつら、形式、物まね、人間の儀式、そして偽善である。……そして、誠実さも信仰も愛も、そこには見られないであろう。この三つが欠けていれば、すべてが欠けている。そのような結果は、なんの価値もない。……神は、あなたとわたしと全世界とが、力を合わせて行う以上のことを、み言葉だけによってなされる。神は、人の心を捕らえられる。そして心が捕らえられる時に、すべてが得られるのである。…… GCJap 219.1
わたしは、説教し、討論し、著述をする。しかし、わたしは、だれも強制しない。なぜなら、信仰は自発的な行為だからである。わたしの行ったことを見てほしい。わたしは、法王に、免罪符に、そして法王の支持者たちに反対したが、暴力を用いたり騒ぎを起こしたりはしなかった。わたしは神の言葉を差し出した。わたしは説教し、書いた。これがわたしの行ったすべてである。それにもかかわらず、わたしが眠っている間に、……わたしが説いたみ言葉が法王権をくつがえしたのであって、諸侯も皇帝もこれほどの損害を与えたことはなかった。しかし、わたしは何もしなかった。み言葉だけがすべてを行った。もしわたしが暴力に訴えたならば、おそらくドイツ全国に血の雨が降ったことであろう。そして、その結果はどうであったろうか。身体も霊魂も滅び失せてしまったことであろう。それゆえに、わたしは静かにしていた。そして、み言葉だけを、世界に行きわたらせておいたのである」 GCJap 219.2
ルターは、一週間にわたって、毎日、熱心な聴衆に説教し続けた。神の言葉が、狂信的な騒ぎを静めた。福音の力が、惑わされた人々を真理の道に引き戻した。 GCJap 219.3
ルターは、非常な害悪を及ぼした狂信家たちと会うことを望まなかった。彼らは、判断力が健全でなく、感情の未熟な人々で、天からの特別の光を受けたと言いながら、わずかの反論、または親切な譴責や勧告さえも受けつけない人々であることを、彼は知っていた。彼らは、最高の権威を持った者であると称して、いや GCJap 219.4
おうなしに、すべての者に彼らの主張を認めさせた。しかし、彼らがルターに会見を申し込んできたので、彼は、彼らに会うことに同意した。そして彼は、巧みに彼らの化けの皮をはいだので、偽り者たちは直ちにウィッテンベルクを退散してしまった。 GCJap 220.1