患難から栄光へ
第38章 投獄されたパウロ
本章は使徒行伝21:17~23:35に基づく AA 1507.7
「わたしたちがエルサレムに到着すると、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。翌日パウロはわたしたちを連れて、ヤコブを訪問しに行った。そこに長老たちがみな集まっていた」。 AA 1507.8
パウロの一行は、異邦人の教会が、ユダヤの兄弟たちの中の貧しい人々を援助するためにおくった献金を、エルサレムの働きの指導者たちに正式に手渡した。パウロと同労者たちは多くの時間を費やし、精神的、肉体的労苦をなめながら、これらの献金を集めたのである。その額は、エルサレムの長老たちの期待をはるかに越えたものであったが、これは、異邦の信者たちの多くの犠牲と、彼らの耐えた厳しい窮乏生活をあらわしたものであった。 AA 1507.9
こうした任意の献金は、世界中の、神の組織的働 きに対する、異邦の信者たちの忠誠をあらわしていた。そして、すべての者は感謝してそれを受け取るべきであった。しかし、パウロと彼の仲間たちは、今、彼ら面会している人々の中にさえ、この贈り物の動機となった兄弟愛の精神を理解することができない人々があるのを、明らかに知った。 AA 1507.10
異邦人の間の福音の働きの初期において、エルサレムの指導的兄弟たちのある者は、以前の偏見と思想の習慣に執着して、パウロと彼の仲間たちに心から協力しなかった。彼らは、すでに意味を失った2、3の形式と儀式を保持しようとするあまり、各地における主の働きを合同させようと努力し、そのために、彼らと彼らの愛するみわざに与えられる祝福を見失ってしまった。彼らは、キリスト教会の最大の利益を擁護することを望んだが、神の摂理の前進と歩調を合わせることができず、自分たちの人間的知恵によって、働き人に種々の不必要な制限を加えようとした。こうして、遠方の伝道地で働く人々の特殊な必要や状況の変化を個人的に知らない一団の人々があらわれて、これらの伝道地の兄弟たちを、一定の働き方に従って指揮する権威を主張したのである。彼らは、福音宣教の働きが、彼らの意見に従って推進されるべきものと考えた。 AA 1508.1
エルサレムの兄弟たちが、他の主要な教会の代表者たちと共に、異邦人のために働いている者たちが行っていた方法について起きた困難な問題を注意深く考慮してから、数年が経過していた。この会議の結果、兄弟たちは一致して、割礼をも含む幾つかの儀式と習慣に関して、諸教会に一定の勧告をすることに決めたのであった。また兄弟たちが、バルナバとパウロを、すべての信者の完全な信任を受けるに値する働き人として、キリスト教会に一致して推薦したのも、この会議においてであった。 AA 1508.2
この会議に出席した者の中には、異邦の世界に福音を伝える重責を担った使徒たちの働きの方法を厳しく批判した者たちがいた。しかし、この会議の間に、神のみこころに関する彼らの見解が拡大されて、彼らは、兄弟たちと心を1つにして、賢明な決定をなし、信者全体の一致を可能にしたのである。 AA 1508.3
その後、異邦人の間の信者が急速に増加していることが明らかになった時、エルサレムの指導者たちの中には、以前彼らが、パウロと彼の仲間たちのやりかたに対して抱いていた偏見を再び持ち始めた者たちがいた。こうした偏見は、年月の経過と共に深まり、ついにある指導者たちは、福音の宣教の働きは、今後、彼ら自身の意見に従って行われるべきであると決定するに至った。もしパウロが、彼らの主張する一定の方針に従って働くならば、彼の働きに対する彼らの承認と支持を受けるが、もしそうでなければ、彼らは、もはや、パウロの働きに賛成せず、また支持も与えないのであった。 AA 1508.4
この人々は、神が、神の民の教師であることを見失っていた。神のみわざに従事しているすべての働き人は、人間から直接指導を受けるのではなくて、天来の指導者に従うという個人的経験を得なければならない。それは、神の働き人が、人間の意見ではなくて、神のかたちにかたどって、形造られ、陶冶されるためである。 AA 1508.5
使徒パウロは、伝道した時、「巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によっ」て、人々を教えた。彼が宣言した真理は、聖霊によって彼に啓示されたものであった。「御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。……わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである」とパウロは言った(Ⅰコリント2:4、10~13)。 AA 1508.6
パウロは、彼の伝道の期間を通じて、直接、神の指導を仰ぎ求めた。それと共に、彼は、エルサレムの会議の決定に一致して働くように、非常に慎重であった。その結果として、「諸教会はその信仰を強められ、日ごとに数を増していった」(使徒行伝16:5)。そして今、幾人かの者が彼に対して、共感を示さなかったのであるが、彼は、改心者たちの心に忠誠と寛 大さと兄弟愛の精神を抱かせることができ、自己の義務を果たしたことを意識して、慰められた。この精神は、今回、彼がユダヤの長老たちの前におくことができた多額の献金にあらわされていた。 AA 1508.7
パウロは、贈り物を手渡してから、「神が自分の働きをとおして、異邦人の間になさった事どもを一々説明した」。この事実の陳述は、すべての人の心と、疑っていた人々の心にさえ、パウロの働きには天の祝福が伴っていたことを確信させた。「一同はこれを聞いて神をほめたたえ」た。彼らは、パウロが従事している働きの方法には、天の証印が押されているのを感じた。彼らの前におかれた多額の献金も、異教徒の間に建設された新しい教会の忠実さについてのパウロの証言に重みを加えた。エルサレムにおける働きの責任者に数えられていながらも、独断的な統制手段を主張していた人々は、パウロの伝道に対して、新しい認識を抱いた。そして、自分たちの行動が誤っていたことを認め、自分たちが、ユダヤの習慣と言い伝えに捕らわれていたことを認めた。また、キリストの死によって、ユダヤ人と異邦人の間の隔ての中垣がくだかれたことを、彼らが認めなかったために、福音の働きが大いに妨げられてきたことを悟った。 AA 1509.1
これは、指導的兄弟たちがみな、神はパウロによって働かれたことと、時折彼らは、敵のうわさを聞いて、ねたみと偏見を抱いて誤りに陥ったことを、率直に告白する絶好の機会であった。しかし、彼らは、名誉を傷つけられた者を正当に扱おうと心を1つにして努力する代わりに、パウロに勧告を与え、パウロに対する偏見の大部分の責任は彼が負うべきであると、いまなお彼らが考えていることを明らかにした。彼らは、堂々と立って彼を擁護し、不満を抱いた人々の誤りを指摘しようとはせずに、誤解の原因をすべて取り除くだろうと彼らが考えた行動をとるよう、彼に勧告して、妥協させようとしたのである。 AA 1509.2
彼らは、パウロの証言に答えて、次のように言った。「兄弟よ、ご承知のように、ユダヤ人の中で信者になった者が、数万にものぼっているが、みんな律法に熱心な人たちである。ところが、彼らが伝え聞いているところによれば、あなたは異邦人の中にいるユダヤ人一同に対して、子供に割礼を施すな、またユダヤの慣例にしたがうなと言って、モーセにそむくことを教えている、ということである。どうしたらよいか。あなたがここにきていることは、彼らもきっと聞き込むに違いない。ついては、今わたしたちが言うとおりのことをしなさい。わたしたちの中に、誓願を立てている者が4人いる。この人たちを連れて行って、彼らと共にきよめを行い、また彼らの頭をそる費用を引き受けてやりなさい。そうすれば、あなたについて、うわさされていることは、根も葉もないことで、あなたは律法を守って、正しい生活をしていることが、みんなにわかるであろう。異邦人で信者になった人たちには、すでに手紙で、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、慎むようにとの決議が、わたしたちから知らせてある」。 AA 1509.3
兄弟たちは、パウロが勧告された行動をとって、彼についての偽りのうわさに対して明確に反論することを望んだ。彼らは、異邦人の信者と礼典律に関する前回の会議の決議が、なお有効であると彼に言明した。しかし、彼らの勧告は、その決議と一致していなかった。この指示は、神の霊によって与えられたものではなかった。それは、臆病の結果であった。エルサレムの指導者たちは、クリスチャンがもし礼典律を守らなければ、ユダヤ人の怒りを招き、自分たちを迫害にさらすことを知っていた。サンヒドリンは、福音の進展を阻止するために全力をつくしていた。サンヒドリンは、手下に、使徒たちの、特にパウロの後をつけさせて、あらゆる方法で彼らの働きに反対させた。もしキリストの信者たちが、サンヒドリンの前で、律法の違反者として罪に定められるならば、彼らはユダヤ教の背信者として、直ちに厳しい刑罰に会わなければならなかった。 AA 1509.4
福音を信じた多くのユダヤ人は、なお礼典律を尊重し、自ら進んで無分別な譲歩をなし、こうすることによって、同胞の信頼を得て、彼らの偏見を取り除き、キリストを世界のあがない主として信じさせようと望んだ。パウロは、エルサレム教会の指導者たちが彼 に対して偏見を持ちつづけるかぎり、彼らは常に彼の働きに対して反対することを悟った。彼は、ここでなんらかの穏当な譲歩によって、彼らを真理に導くことができれば、他の場所での福音の働きを成功させるための、大きな障害物を取り除くことになると感じた。しかし、パウロは、彼らが要求したほどに譲歩する権利を神から授けられてはいなかった。 AA 1509.5
兄弟たちと調和したいというパウロの大きな願い、信仰の弱い者に対する彼の思いやり、キリストと共にいた使徒たち、特に主の兄弟ヤコブに対する彼の尊敬、また、できるだけ原則を曲げずにすべての人に対しては、すべての人のようになるという彼の決心などをみな考慮する時に、彼が、これまで歩んできた堅固で明確な道からやむを得ずそれたとしても、大して驚くに当たらない。しかし、彼の和解の努力は、望んだ目的を達成するのではなくて、ただ危機の到来を促進し、彼の予告した苦難を早めるものであった。そして彼は、兄弟たちから引き離され、教会は、最も堅固な柱を失い、全地のクリスチャンを悲しませる結果になったのである。 AA 1510.1
パウロは、その次の日に、長老たちの勧告を実行し始めた。ナジルびととなる誓願をしていた4人の者のきよめの期間が、ほとんど終わっていたので(民数記6章)、パウロは、彼らを宮に連れていき、「そしてきよめの期間が終って、一人一人のために供え物をささげる時を報告しておいた」。清めのために、一定の高価な犠牲を、まだささげなければならなかったのである。 AA 1510.2
このような行動をとるようにパウロに勧告した人々は、彼がどのように大きな危機にさらされるかを十分に自覚していなかった。この時、エルサレムには、各地からの礼拝者があふれていた。パウロは、神から与えられた任命に従って、異邦人に福音を伝え、世界の多くの大都会を訪れていた。そして彼は、祭に参列するために外国からエルサレムに来ていた幾千の人々に、よく知られていた。このような人々の中には、パウロに対して激しい憎しみを抱いていた者があった。彼が、公の祭の時に、神殿に入ることは、生命を危険にさらすことであった。彼は数日の間、礼拝者に混じって神殿に出入りしていたが、人々には気づかれなかったようであった。しかし、定められた期間が終わる前に、彼がささげる犠牲について、祭司と話をしていた時、アジヤから来た幾人かのユダヤ人が彼に気づいた。 AA 1510.3
彼らは、悪鬼のような憤怒をもってパウロに襲いかかり、「イスラエルの人々よ、加勢にきてくれ。この人は、いたるところで民と律法とこの場所にそむくことを、みんなに教えている」と叫んだ。そして人々が、加勢を求める声に応じた時、「その上に、ギリシャ人を宮の内に連れ込んで、この神聖な場所を汚したのだ」というもう1つの罪がつけ加えられた。 AA 1510.4
ユダヤの律法によれば、無割礼の者が神殿の奥に入ることは、死刑に値する罪であった。パウロは、エペソ人トロピモと一緒にいるのを町の中で見られていたので、彼を神殿の中に連れていったと憶測されたのである。そのようなことを、パウロはしていなかった。そして、彼自身はユダヤ人であるから、神殿に入ることは、律法に違反していなかった。告発は、全くの虚偽であったにもかかわらず、公衆の偏見を引き起こすことになった。神殿内に叫びが鳴りひびいて、集まっていた群衆は、狂ったように騒ぎ出した。この知らせは、速やかにエルサレム中にひろがり、「市全体が騒ぎ出し、民衆が駆け集まってき」た。 AA 1510.5
世界の各地から幾千という人々が礼拝に集まってきているこの時において、イスラエルの背教者が神殿を汚そうとしたということは、群衆の最も激烈な怒りを引き起こした。彼らは、「パウロを捕らえ、宮の外に引きずり出した。そして、すぐそのあとに宮の門が閉ざされた」。 AA 1510.6
「彼らがパウロを殺そうとしていた時に、エルサレム全体が混乱状態に陥っているとの情報が、守備隊の千卒長にとどいた」。クラウデオ・ルシヤは、彼が扱わねばならない不穏な分子をよく知っていたので、「彼はさっそく、兵卒や百卒長たちを率いて、その場に駆けつけた。人々は千卒長や兵卒たちを見て、パウロを打ちたたくのをやめた」。ローマの千卒長は、 騒ぎの原因は知らなかったが、群衆の憤怒がパウロに集中しているのを見て、かねて聞いていた逃亡中のエジプト人の反乱者に違いないと考えた。そこで、千卒長は「パウロを捕らえ、彼を二重の鎖で縛っておくように命じた上、パウロは何者か、また何をしたのか、と尋ねた」。直ちに、多くの人々が、怒り狂って大声で訴えた。「しかし、群衆がそれぞれ違ったことを叫びつづけるため、騒がしくて、確かなことがわからないので、彼はパウロを兵営に連れて行くように命じた。パウロが階段にさしかかった時には、群衆の暴行を避けるため、兵卒たちにかつがれて行くという始末であった。大ぜいの民衆が『あれをやっつけてしまえ』と叫びながら、ついてきたからである」。 AA 1510.7
パウロは、騒ぎの最中にあっても、冷静で泰然自若としていた。彼は堅く神により頼み、天使たちが自分の回りにいることを知っていた。パウロは、同胞に真理を伝える努力をせずに、神殿を去りたくないと思った。彼は、兵営の中に連れていかれようとした時に、千卒長に、「ひと言あなたにお話してもよろしいですか」と言った。ルシヤは、言った。「おまえはギリシャ語が話せるのか。では、もしかおまえは、先ごろ反乱を起した後、4000人の刺客を引き連れて荒野へ逃げて行ったあのエジプト人ではないのか」。パウロは、それに答えて言った。「わたしはタルソ生れのユダヤ人で、キリキヤのれっきとした都市の市民です。お願いですが、民衆に話をさせて下さい」。 AA 1511.1
パウロの願いは許され、「パウロは階段の上に立ち、民衆にむかって手を振った」。彼の身振りは彼らの注意を引き、その態度は、彼らの尊敬をかち得た。「すると、一同がすっかり静粛になったので、パウロはヘブル語で話し出した。『兄弟たち、父たちよ、いま申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい』」。聞きなれたヘブル語を聞いて、「人々はますます静粛になった」。そして、一同が静かになったところで、彼は続けて言った。「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった」。パウロが語った事実は、まだエルサレムに住んでいた多くの人々が熟知していたので、だれも彼の言葉に反駁することができなかった。それから彼は、自分がかつて熱心にキリストの弟子たちを迫害して、殺害したことを語った。そして、自分の回心の事情を語り、自分の高慢な心が、十字架につけられたナザレ人イエスにどのようにして屈服するに至ったかを聴衆に告げた。もしも彼が、反対者たちと議論しようとしたならば、彼らは彼の言葉を聞くことを頑強に拒んだことであろう。しかし、彼自身の経験の物語は、説得力があって、しばし彼らの心を和らげ、静めるように思われた。 AA 1511.2
それから彼は、彼の異邦人の間の働きが、彼の選択によるものでなかったことを示そうと努めた。彼は、彼自身の同胞のために働くことを願っていた。しかし、神の声が、その神殿の中で聖なる幻のうちに彼に語り、「あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ」と指示したのである。 AA 1511.3
人々は、ここまでは、注意深く耳を傾けていたが、パウロが、異邦人へのキリストの使者として自分が任命を受けた時のことに言及した時、彼らは、またもや憤激した。彼らは、自分たちだけが、神の恵みを受けた民族であると思い込んでいたので、これまで独占的に自分たちのものであると考えていた特権を、軽蔑している異邦人に分け与えることを好まなかった。彼らは、話しているパウロの声を聞こえなくするような大声をあげて叫んだ。「こんな男は地上から取り除いてしまえ。生かしおくべきではない」。 AA 1511.4
「人々がこうわめき立てて、空中に上着を投げ、ちりをまき散らす始末であったので、干卒長はパウロを兵営に引き入れるように命じ、どういうわけで、彼に対してこんなにわめき立てているのかを確かめるため、彼をむちの拷問にかけて、取り調べるように言いわたした。彼らがむちを当てるため、彼を縛りつけていた時、パウロはそばに立っている百卒長に言った、『ローマの市民たる者を、裁判にかけもしないで、むち打ってよいのか』。百卒長はこれを聞き、千卒長のところに行って報告し、そして言った、『どうなさい ますか。あの人はローマの市民なのです』。そこで、千卒長がパウロのところにきて言った、『わたしに言ってくれ。あなたはローマの市民なのか』。パウロは『そうです』と言った。これに対して千卒長が言った、『わたしはこの市民権を、多額の金で買い取ったのだ』。するとパウロは言った、『わたしは生れながらの市民です』。そこで、パウロを取り調べようとしていた人たちは、ただちに彼から身を引いた。千卒長も、パウロがローマの市民であること、また、そういう人を縛っていたことがわかって、恐れた。 AA 1511.5
翌日、彼は、ユダヤ人がなぜパウロを訴え出たのか、その真相を知ろうと思って彼を解いてやり、同時に祭司長たちと全議会とを召集させ、そこに彼を引き出して、彼らの前に立たせた」。 AA 1512.1
今やパウロは、悔い改める前は彼自身が一員であったその議会によって裁かれることになった。ユダヤ人の指導者たちの前に立ったとき、彼の態度は落ち着いており、彼の顔にはキリストの平和があらわれていた。「パウロは議会を見つめて言った、『兄弟たちよ、わたしは今日まで、神の前に、ひたすら明らかな良心にしたがって行動してきた』」。この言葉を聞いて、彼らはまたもや憎しみを燃え上がらせた。「すると、大祭司アナニヤが、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた」。パウロは、この無情な命令を聞いて叫んだ。「白く塗られた壁よ、神があなたを打つであろう。あなたは、律法にしたがって、わたしをさばくために座についているのに、律法にそむいて、わたしを打つことを命じるのか」。「すると、そばに立っている者たちが言った、『神の大祭司に対して無礼なことを言うのか』」。パウロは、いつもの礼儀正しい態度で答えた。「兄弟たちよ、彼が大祭司だとは知らなかった。聖書に『民のかしらを悪く言ってはいけない』と、書いてあるのだった」。 AA 1512.2
「パウロは、議員の一部がサドカイ人であり、一部はパリサイ人であるのを見て、議会の中で声を高めて言った、『兄弟たちよ、わたしはパリサイ人であり、パリサイ人の子である。わたしは、死人の復活の望みをいだいていることで、裁判を受けているのである』。彼がこう言ったところ、パリサイ人とサドカイ人との間に争論が生じ、会衆が相分れた。元来、サドカイ人は、復活とか天使とか霊とかは、いっさい存在しないと言い、パリサイ人は、それらは、みな存在すると主張している」。両派は互いに議論し始め、こうして、パウロに対する反対の勢力が分散された。「パリサイ派のある律法学者たちが立って、強く主張して言った、『われわれは、この人には何も悪いことがないと思う。あるいは、霊か天使かが、彼に告げたのかも知れない』」。 AA 1512.3
続いて起きた騒ぎの中で、サドカイ人は、なんとかしてパウロを捕らえて、彼を死刑にしようとしたが、パリサイ人は、力をつくして彼を保護しようとした。「千卒長は、パウロが彼らに引き裂かれるのを気づかって、兵卒どもに、降りて行ってパウロを彼らの中から力づくで引き出し、兵営に連れて来るように、命じた」。 AA 1512.4
後でパウロは、この日の苦い経験を思い返して、自分の行動は、神に喜ばれるものではなかったのではないかと考え始めた。結局、エルサレムの訪問は、間違いだったのであろうか。彼が、兄弟たちと団結することを熱望したことが、このような不幸な結果を招いたのであろうか。 AA 1512.5
パウロは、神の民と称するユダヤ人が不信の世界の前に示す態度に、深く心を痛めた。異教の将校たちは、彼らをどのように見ることであろう。彼らは、主の礼拝者であると称し、聖職にあるにもかかわらず、盲目的で不合理な怒りをほしいままにし、信仰において意見の異なる兄弟たちさえ殺そうとした。そして、彼らの最も厳粛な議会を、紛争と混乱の場所にしてしまった。パウロは、神の名が、異教徒の前で屈辱をこうむったことを感じた。 AA 1512.6
今や、彼は、捕らわれの身となった。そして彼は、敵たちが、悪意の限りをつくして、彼を殺そうとしているのを知っていた。教会のための彼の働きはもうこれで終わり、今、狂暴なおおかみが入り込んでくるのであろうか。パウロにとって、キリストのみわざは、重大な関心事であった。そして彼は、各地の教会の当面する危機について憂慮した。彼らは、パウロがサンヒ ドリンの議会において当面したのと同じような人々の迫害に会わなければならなかった。彼は、苦悶と失望のあまり、泣いて祈った。 AA 1512.7
主はこの暗黒の時に、ご自分のしもべをお忘れにならなかった。主は神殿の庭で、彼を暴徒の手から守られた。主は、サンヒドリンの議会において、彼と共におられた。主は、兵営において、彼と共におられた。そして、主は、導きを求めるパウロの熱心な祈りに答えて、ご自身を忠実なしもべにあらわされた。「その夜、主がパウロに臨んで言われた、『しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない』」。 AA 1513.1
パウロは、長い間、ローマを訪問したいと思っていた。彼はローマにおいて、キリストのためにあかしを立てたいと熱望していたが、彼の計画は、ユダヤ人の敵意によって挫折してしまったと感じていた。今ですら彼は、自分が囚人として行くようになるとは、夢想だにしていなかった。 AA 1513.2
主が、主のしもべを激励しておられる一方において、パウロの敵たちは、さかんに彼を殺害する計画を立てていた。「夜が明けると、ユダヤ人らは申し合わせをして、パウロを殺すまでは飲食をいっさい断つと、誓い合った。この陰謀に加わった者は、40人あまりであった」。これは、主がイザヤによって、「見よ、あなたがたの断食するのは、ただ争いと、いさかいのため、また悪のこぶしをもって人を打つためだ」と譴責された種類の断食であった(イザヤ58:4)。 AA 1513.3
陰謀を企てた人々は、「祭司長たちや長老たちのところに行って、こう言った。『われわれは、パウロを殺すまでは何も食べないと、堅く誓い合いました。ついては、あなたがたは議会と組んで、彼のことでなお詳しく取調べをするように見せかけ、パウロをあなたがたのところに連れ出すように、千卒長に頼んで下さい。われわれとしては、パウロがそこにこないうちに殺してしまう手はずをしています』」。 AA 1513.4
祭司とっかさたちは、この残酷な陰謀を譴責するかわりに、熱烈にそれに同意した。パウロがアナニヤを白く塗った墓にたとえたことは、真実を語ったのであった。 AA 1513.5
しかし、神は、神のしもべの生命を救うために手を下された。パウロの姉妹の子が、暗殺者たちの、「この待伏せ」のことを耳にし、「兵営にはいって行って、パウロにそれを知らせた。そこでパウロは、百卒長のひとりを呼んで言った、『この若者を千卒長のところに連れて行ってください。何か報告することがあるようですから』。この百卒長は若者を連れて行き、千卒長に引きあわせて言った、『囚人のパウロが、この若者があなたに話したいことがあるので、あなたのところに連れて行ってくれるようにと、わたしを呼んで頼みました』」。 AA 1513.6
クラウデオ・ルシヤは若者を親切に迎え、彼を、人のいないところへ連れて行って尋ねた、「『わたしに話したいことというのは、何か』。若者が言った、『ユダヤ人たちが、パウロのことをもっと詳しく取調べをすると見せかけて、あす議会に彼を連れ出すように、あなたに頼むことに決めています。どうぞ、彼らの頼みを取り上げないで下さい。40人あまりの者が、パウロを待伏せしているのです。彼らは、パウロを殺すまでは飲食をいっさい断つと、堅く誓い合っています。そして、いま手はずをととのえて、あなたの許可を待っているところなのです』。そこで千卒長は、『このことをわたしに知らせたことは、だれにも口外するな』と命じて、若者を帰した」。 AA 1513.7
ルシヤは、直ちに、パウロを彼の管轄下から、総督ペリクスの管轄のもとに移すことにした。ユダヤ人は、国民全体が興奮と憤激状態にあって、騒乱が頻繁に起こっていた。パウロをエルサレムにとどめておくことは、都に危険を及ぼし、千卒長自身をさえ危険に陥れるかもしれなかった。そこで、彼は、「百卒長2人を呼んで言った、『歩兵200名、騎兵70名、槍兵200名を、カイザリヤに向け出発できるように、今夜9時までに用意せよ。また、パウロを乗せるために馬を用意して、彼を総督ペリクスのもとへ無事に連れて行け』」。 AA 1513.8
パウロを送り出すのを、一刻も遅らせてはならなかった。「そこで歩兵たちは、命じられたとおりパウロ を引き取って、夜の間にアンテバトリスまで連れて行」った。そこから、騎兵がパウロをカイザリヤに護送し、400人の兵士たちはエルサレムへ帰った。 AA 1513.9
部隊の隊長は、パウロをペリクスに引き渡し、それと共に、千卒長に託された手紙をも差し出した。 AA 1514.1
「クラウデオ・ルシヤ、つつしんで総督ペリクス閣下の平安を祈ります。本人のパウロが、ユダヤ人らに捕らえられ、まさに殺されようとしていたのを、彼のローマ市民であることを知ったので、わたしは兵卒たちを率いて行って、彼を救い出しました。それから、彼が訴えられた理由を知ろうと思い、彼を議会に連れて行きました。ところが、彼はユダヤ人の律法の問題で訴えられたものであり、なんら死刑または投獄に当る罪のないことがわかりました。しかし、この人に対して陰謀がめぐらされているとの報告がありましたので、わたしは取りあえず、彼を閣下のもとにお送りすることにし、訴える者たちには、閣下の前で、彼に対する申立てをするようにと、命じておきました」。 AA 1514.2
ペリクスは、手紙を読んだあとで、パウロがどの州の者かと尋ね、キリキヤの出だと知って、「『訴え人たちがきた時に、おまえを調べることにする』と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた」。 AA 1514.3
神のしもべが、主の民と公言する人々の憎しみを逃れて、異邦人の間に避難所を見いだしたことは、パウロの場合が最初ではなかった。ユダヤ人はパウロに対する激怒のあまり、ユダヤ民族の暗黒史に、さらにもう1つの罪を付け加えた。彼らは真理に対して心をいっそう固くし、彼らの破滅の運命を、さらに確実なものにしてしまったのである。 AA 1514.4
キリストがナザレの会堂において、ご自身を油注がれた者として宣言された時の言葉の意味を、十分に理解している者は少ない。キリストは、ご自身の使命が、悲しんでいる者や罪深い者を、慰め、祝福し、救うことであると宣言された。そして、その次に、聴衆の心が、誇りと不信に支配されているのをごらんになって、彼は、神が過去において、神の選民の不信と反逆のゆえに彼らを離れて、まだ天の光を拒否していない異邦の国の人々にご自身をあらわされたことを、彼らに思い起こさせられたのである。サレプタのやもめとシリヤのナアマンは、彼らの持っていたすべての光に従って生きていた。そのために彼らは、神に背信し、便宜と世俗的栄誉のために原則を犠牲にした神の選民よりは、義しい者とみなされたのである。 AA 1514.5
キリストは、背信したイスラエルには、神の忠実な使命者のために安全な所がないのであると宣言して、ナザレのユダヤ人に恐るべき真実を語られたのである。彼らは、神の使命者の価値を知ろうともせず、彼の働きを感謝しようともしなかった。ユダヤ人の指導者たちは、神の栄誉とイスラエルの幸福のために非常に熱心であると公言していたが、実のところ、彼らはこの両方の敵であった。彼らは、教えと行為によって、ますます、神への服従から人々を引き離し、悩みの日に、神が彼らの保護となることができないところへと彼らを導いていった。 AA 1514.6
ナザレ人に対する救い主の譴責の言葉は、パウロの場合、ただ不信のユダヤ人だけでなくて、同信の兄弟たちにも当てはまった。もし教会の指導者たちが、パウロに対する苦い感情をことごとく捨て去って、異邦人に福音を伝えるために神の特別の召しを受けた者として彼を受け入れていたならば、主は、パウロを彼らに残しておかれたことであろう。神は、パウロの働きがこのように速やかに終わるようには定めておられなかった。しかし神は、エルサレム教会の指導者たちがひき起こした一連の事件を挫折させるために奇跡を行われはしなかった。 AA 1514.7
これと同じ精神が、同様の結果を招いている。神の恵みが備えて下さったものを尊重して活用することを怠るために、教会は多くの祝福を受け損じる。もし忠実な働き人の働きが、教会の人々に尊重されたならば、彼らの働きの期間を延ばそうと主が望まれたことが、幾度あったことであろう。しかし、もし教会が魂の敵によって理解力を混乱させられ、キリストのしもべの言葉と行動を誤り伝えて曲解し、彼の働きを妨害するならば、主は、ご自分がお与えになった祝福を彼らから取り去られるのである。 AA 1514.8
サタンは、神が偉大な善い働きを完成するために 選ばれた人々を失望させて、滅びに陥れようと、絶えず彼の手下たちを用いて働いている。彼らは、キリストのみわざを推進するためには、その生命を犠牲にすることさえ惜しまないのであるが、大欺瞞者は、彼らに対して疑惑を抱くように兄弟たちに示唆する。もし兄弟たちがそのような考えを持つならば、この人々の品性の誠実さに対する確信はくつがえされて、彼らの働きの有用性は阻害されるのである。サタンは、働き人自身の兄弟たちによって、彼らの心に非常な悲しみを与えることに、しばしば成功する。そこで神は、恵み深い介入によって、迫害されている神のしもべたちに休息をお与えになるのである。脈搏が止まり、胸の上に手が組み合わされ、警告と激励の声が沈黙してしまった時、その時になって、強情な人々は初めて目を覚まし、自分たちが棄て去った祝福に気づいて、それを尊重するようになるのである。神のしもべたちの死は、彼らがその生前になし得なかったことを成就するのである。 AA 1514.9