国と指導者
第55章 隣国の陰謀
本章はネヘミヤ6章に基づく PK 628.4
サンバラテと彼の共謀者たちは、公然とユダヤ人に戦争を仕向けては来なかった。しかし彼らは、ますます敵意をもって、ユダヤ人を失望と混乱に陥れ、損害を与えようとひそかに働きつづけたのである。エルサレムの周囲の城壁は、急速に完成に近づいていた。それが完成して門がつけられたならば、イスラエルの敵は町の中に侵入することができなくなるのであった。そこで彼らは、速やかに工事を中止させようと意気込んでいた。ついに彼らは、ネヘミヤを働きから引き離そうとして、1つの策略を考え出した、そして彼を、彼らの手中に入れている間に殺すか、あるいは投獄するかしようと思った。 PK 628.5
彼らは敵対していた関係者たちの妥協を望む風を装って、ネヘミヤとの会談を求め、オノの平野にある1つの村で彼らに会うようにと、彼を招待した。しかしネヘミヤは、彼らの真意を聖霊によって明らかに示されて断った。「それでわたしは彼らに使者をつかわして言わせた、『わたしは大いなる工事をしているから下って行くことはできない。どうしてこの工事をさしおいて、あなたがたの所へ下って行き、その間、工事をやめることができようか』」と彼は書いている(ネヘミヤ6:3)。しかし誘惑者たちはしつこかった。彼らは4度までも、同様の意味の使者をつかわしたが、ネヘミヤは同じように彼らに答えた。 PK 628.6
彼らはこの策略がうまくいかなかったので、もっと大胆な戦術をとることにした。サンバラテはネヘミヤに、開封の手紙を携えた使者をつかわした。それには次のように書いてあった。「諸国民の間に言い伝えられ、またガシムも言っているが、あなたはユダヤ人と共に反乱を企て、これがために城壁を築いている。……あなたは彼らの王になろうとしているまたあなたは預言者を立てて、あなたのことをエルサレムにのべ伝えさせ、『ユダに王がある』と言わせているが、そのことはこの言葉のとおり王に聞こえるでしょう。そ れゆえ、今おいでなさい。われわれは共に相談しましょう」(同6:6、7)。 PK 628.7
もしこのうわさが本当に知れ渡っていたならば、それは憂慮すべきことであった。うわさは間もなく王に聞こえて、ごく些細な疑惑でもあれば、厳しい罰を受けることになるのであった。しかしネヘミヤは、この手紙が、彼を恐れさせてわなにかけるために書かれたもので、全くの偽りであることを確信した。またこの手紙が開封されていて、明らかに人々がこれを読んで驚き恐れるためのものであることから、この結論に対する確信が強められた。 PK 629.1
彼はすぐに返事をした。「あなたの言うようなことはしていません。あなたはそれを自分の心から造り出したのです」(同6:8)。ネヘミヤはサタンの策略について無知ではなかった。彼はこうした企てが、建設者たちの手を弱め、工事を挫折させようとするためのものであることを知っていた。 PK 629.2
サタンは何度も敗北した。そして今や、彼はさらに憎しみと悪らつさを増して、神のしもべに対して、もっと狡猾で危険なわなを設けた。サンバラテと彼の共謀者たちは、ネヘミヤの友人であると称している人々を雇い、彼に主の言葉であるとして、邪悪な勧告を与えようとした。このよこしまな企てに従事した主な人は、シマヤであった。彼は以前、ネヘミヤの信任を得ていた人であった。彼はあたかも生命が危険にさらされているかのように、神殿の近くの部屋の中に閉じこもった。当時神殿は城壁や門に守られていたが、都の門はまだつけられていなかった。シマヤは大いにネヘミヤの安否を気遣い、神殿の中に隠れるように彼に勧めた。「われわれは神の宮すなわち神殿の中で会合し、神殿の戸を閉じておきましょう。彼らはあなたを殺そうとして来るからです。きっと夜のうちにあなたを殺そうとして来るでしょう」と彼は言った(ネヘミヤ6:10)。 PK 629.3
もしネヘミヤがこの不実な勧告に従ったならば、彼は神に対する信仰を放棄し、人々の目には、臆病で卑劣な人間と思われたことであろう。それは彼が着手した重大な工事と、彼が神の力に対して持っていると言っていた確信とを考える時に、あたかも恐れたかのように隠れることは、全く矛盾したことになるのであった。 PK 629.4
そうするなら人々の間に警報が広がり、各自が安全を求めて隠れ、町は無防備となって敵の餌食となってしまったことであろう。その1つのネヘミヤの愚かな行動が、これまで彼がかち得たものをすべて、事実上放棄することになるのであった。 PK 629.5
ネヘミヤは勧告者の本性とその目的を見抜くのに、長くかからなかった。彼は言っている。「わたしは悟った。神が彼をつかわされたのではない。彼がわたしにむかってこの預言を伝えたのは、トビヤとサンバラテが彼を買収したためである。彼が買収されたのはこの事のためである。すなわちわたしを恐れさせ、わたしにこのようにさせて、罪を犯させ、わたしに悪名をきせて侮辱するためであった」(同6:12、13)。 PK 629.6
シマヤの破廉恥な勧告を、ネヘミヤの友であると言いながらひそかに敵と通じていた著名な人々が、1人ならず支持していた。しかし、彼らがわなを設けてもむだであった。ネヘミヤは恐れることなく次のように答えた。「わたしのような者がどうして逃げられよう。わたしのような者でだれが神殿にはいって命を全うすることができよう。わたしははいらない」(ネヘミヤ6:11)。 PK 629.7
公然またはひそかな敵の策動にもかかわらず、建設工事は着実に前進して、ネヘミヤがエルサレムに到着して2か月足らずのうちに、町は城壁に囲まれ、建設者たちは城壁の上を歩いて、敗北して驚く敵を見下ろすことができた。「われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである」と、ネヘミヤは書いている(同6:16)。 PK 629.8
しかし、主の支配の手のこうした証拠でさえも、イスラエルの人々の不満と反逆と裏切りを制するのに十分でなかった。「ユダの尊い人々は多くの手紙をトビヤに送った。トビヤの手紙もまた彼らにきた。トビヤは……シカニヤの婿であったので、ユダのうちの多 くの者が彼と誓いを立てていたからである」(同6:17、18)。ここに偶像教徒との雑婚の害毒が見られるのである。ユダのある家族が神の敵と結ばれていて、その関係がわなとなったのである。他の多くの者が同じことを行った。 PK 629.9
イスラエルがエジプトから出て来た時の入り交じった群衆のように、この人々が絶えず問題を引き起こしたのである。彼らは一心に主に仕えなかった。そして、神の働きが犠牲を要求した時に、彼らはすぐに協力と支持の厳粛な契約を破棄するのであった。 PK 630.1
ユダヤ人に対して、最も激しく妨害を企てた人々のある者たちが、彼らと友好関係を結びたいと言った。偶像教徒と雑婚し、トビヤと売国的文通をし、またトビヤに仕えることを誓っていたユダヤの尊い人々は、今度は、彼は才能と洞察力の持ち主であるから、彼との同盟は大いにユダヤ人を益するものであると言った。それと同時に、彼らはネヘミヤの計画や行動を密告していた。こうして神の民の働きは敵の攻撃にさらされ、ネヘミヤの言動は誤解され、彼の働きを妨害する機会を与えた。 PK 630.2
貧者や圧迫を受けた人々が、その損害の補償をネヘミヤに求めた時に、彼は勇敢に立ち上がって彼らを擁護し、訴えられた悪事をやめさせた。しかし、圧迫を受けた同胞のために用いた権威を、彼は今、自分自身のためには用いなかった。彼の努力に対して忘恩と裏切りをもってする者もあったが、彼は反逆者たちを罰するために権力を用いなかった。彼は沈着に無我の精神をもって人々のための奉仕を進め、その努力をゆるめたり、または関心を低下させたりすることはなかった。 PK 630.3
サタンの攻撃は、神の働きと運動を推進させようとする者に対して、常に向けられてきた。サタンは度々失敗しても、これまで用いなかった方法を用いて、新たな勢いで攻撃を再開してくるのである。しかし最も恐るべきものは、彼が、神の働きの支持者であると誓った人々を用いて、ひそかに働くことである。公然とした反対は激烈で残酷であろう。しかしそれは、神に仕えると公言しながらその心はサタンのしもべである人々の、ひそかな敵意に比べるならば、神の働きに対する危険ははるかに少ないのである、この人々は、神の働きを妨げ、神のしもべたちを傷つけるためにその知識を用いる者たちに、あらゆる便益を提供することができるのである。 PK 630.4
神のしもべたちを誘って、サタンの手「たちと同盟を結ばせるために、暗黒の君が考え出すあらゆる策略が用いられる。くり返して勧誘が行われ、彼らを義務から引き離そうとする。しかし彼らは、ネヘミヤのように断固として、「わたしは大いなる工事をしているから下って行くことはできない」と答えなければならない。神の働き人たちは安心してその働きを続け、彼らを傷つけようとして行われる悪意の中傷を、その働きによって反論すればよいのである。彼らはエルサレムの城壁の建設者たちのように、威嚇や嘲笑や虚偽などによって、働きから引き離されることを拒否しなければならない。彼らは一瞬でも、警戒や見張りをゆるがせにしてはならない。敵は常に彼らの後をつけているからである。彼らは常に神に祈りを捧げ、「日夜見張りを置いて彼らに備え」なければならないのである(ネヘミヤ4:9)。 PK 630.5
終末が近づくにつれて、サタンの誘惑はますます強力に神の働き人を襲うことであろう。サタンは「城壁を築く」者を嘲りののしるために、人間の手下を用いるであろう。しかし、もし建設君たちが、敵の攻撃に立ち向かうために下りて来たならば、それはただ工事を遅らせるに過ぎない。彼らは敵のしようとしていることを挫折させなければならない。しかし彼らを仕事から引き離すことは、何1つ許してはならなかった。真理は誤りよりも強い。そして正義は悪に勝利するのである。 PK 630.6
彼らは敵に友情を示したり、共感を示したりして、義務の場所を離れるような誘惑に会ってはならなかった。何かの不注意な行動によって神の働きを辱め、または同僚の手を弱める者は、彼自身の品性にたやすくぬぐい去ることのできない汚点をつけ、その将来の有用性に重大な障害を置くのである。 PK 630.7
「律法を捨てる者は悪しき者をほめる」(箴言 28:4)。大いなる純潔を主張しながらも世俗と一致している人々が、常に真理の運動に反対していた人々と合同するように訴えるときに、われわれは彼らを恐れ、ネヘミヤのように断固として回避しなければならない。このような勧告は、あらゆる善いものの敵の煽動によるものである。それは日和見主義者の言葉であるから、当時と同様今日においても、はっきり拒否しなければならない。神の指導力についての民の信仰を覆す影響力は、何であっても厳として抵抗しなければならない。 PK 630.8
ネヘミヤの敵が、彼を自分たちの手中に入れることができなかったのは、神の働きに対するネヘミヤの固い献身と、それと同様に固い神への信頼によるものであった。怠惰な人はやすやすと誘惑に陥る。しかし高尚な目標と熱烈な決心をもった人に、悪は足場を見つけることができない。常に前進している人の信仰は弱らない。彼は、上にも下にも前方にも、神のみこころに従ってすべてのものを備えて下さる、無限の愛の神を認めるのである。神の真のしもべたちは、恵みの座に常により頼んでいるから、くじけることのない決意をもって働くのである。 PK 631.1
神は、われわれ人間の力ではどうにもならない、あらゆる緊急事態に対する助けを準備しておられる。神はあらゆる苦境の助けに聖霊を与えて、われわれの希望と確信を強化し、われわれの知性に光を与え、心を純潔にして下さるのである。彼は機会を与えて、働く道を開かれる。もし神の民が、神の摂理の指示するところを見守り、神と協力する準備をしているならば、彼らは大いなる結果を見ることであろう。 PK 631.2