国と指導者

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第53章 市街の建てなおし

本章はネヘミヤ2、3、4章に基づく PK 622.1

ネヘミヤのエルサレムへの旅は無事終了した。途中の州の知事にあてた王の手紙のおかげで、彼は礼を尽くして歓迎され、直ちに援助が与えられた。ペルシャ王の権力によって護衛され、州の支配者たちから特別丁重な扱いを受けているネヘミヤを、妨害しようとする敵はなかった。しかし彼が、軍隊の護衛を受けてエルサレムに到着し、何か重大な任務を帯びて来たことを示したことは、町の近くに住んでいた異邦の種族のねたみを引き起こした。彼らはこれまで度々、ユダヤ人に対する敵意をいだき、危害と侮辱を加えたのである。この邪悪な行為の最前線にいたのが、ホロニ人サンバラテ、アンモン人奴隷トビヤおよび、アラビヤ人ガシムであった。これらの主謀者たちは、最初からネヘミヤの運動を批判的な目で眺め、彼らのなし得る限りのことをして彼の計画を阻害し、彼の事業を妨害しようとした。 PK 622.2

ネヘミヤはこれまでの彼の行動の特徴であった、同じ用心深さと慎重さを働かせつづけた。彼は恨み重なる強敵が、彼に対抗して立ち上がったのを知っていたので、事情を研究して計画を立てるまで、彼の任命がどんなものであるかを彼らに隠して知らせなかった。こうして彼は人々の協力を得て、敵の反対が起こる前に彼らを働きにつかせたいと希望したのである。 PK 622.3

ネヘミヤは信頼に足ることを認めた数名の人々を選んで、彼らに自分がエルサレムに来るに至った事情と、自分が成し遂げようとする目的と、実施しようとする計画を話した。彼らは彼の企てに直ちに関心を示し、援助することを約束した。 PK 622.4

ネヘミヤは到着後、3日目の夜中に起きて、信頼した仲間を数人連れて、みずからエルサレムの荒廃した有様を見るために出かけた。ネヘミヤはらばに乗って町の中をあちらこちら回り、父祖の町のくずれた城壁や門を調査した。愛国者ネヘミヤが悲嘆にくれて、愛するエルサレムの荒廃した防壁を眺めた時に、彼の心は痛々しい思いに満たされた。イスラエルの屈辱の様とは著しく対照的に、過去の偉大さがはっきりと思い出されるのであった。 PK 622.5

ネヘミヤはひそかに黙々と城壁を見て回った。「つかさたちは、わたしがどこへ行ったか、何をしたかを知らなかった。わたしはまたユダヤ人にも、祭司たちにも、尊い人たちにも、つかさたちにも、その他工事をする人々にもまだ知らせなかった」と彼は言っている(ネヘミヤ2:16)。彼は夜の残りの時間を祈りに費やした。というのは、朝になれば、落胆して分裂している同胞を奮い立たせて一致させるために、熱心に努力しなければならないことを、彼は知っていたからである。 PK 622.6

ネヘミヤは、住民が町の城壁建設に協力するように要求する、王の任命を持っていたが、彼は権力の行使に依存しなかった。彼はその前にある大事業のためには、手の一致とともに、心の一致が必要であることを認めていたので、人々の信頼と共鳴を得ようとした。朝になって彼が人々を召集した時に、彼らの眠っている力を目覚めさせ、離散した仲間たちを一致させるように考えぬいた課題について語った。 PK 622.7

ネヘミヤの聴衆は、その前夜に彼が真夜中の巡回をしたことを知らなかったし、彼も彼らに告げなかつた。しかし、彼がこの視察をしたことは、彼の成功に大いに寄与したのである。彼は聴衆が驚くほどの正確さと詳細さをもって、町の状態について語ることができた。エルサレムの弱々しさと退廃を見た時の印象が、彼の言葉に熱誠さと力とを与えた。 PK 622.8

ネヘミヤは、異教徒の間で彼らが辱めを受けたこと、すなわち彼らの宗教が侮辱され、彼らの神が汚されたことを人々に語った。彼は遠国において彼らの悩みを聞き、彼らのために天の神の恵みを願い求めたこと、また、彼が祈った時に、王の許可を求めて彼らを援助するために来る決心をしたことを、彼らに話した。彼は王が、この許可を与えるだけでなくて 彼に権威をも授け、その事業のための援助をも彼に与えるように、神に願ったのであった。そして彼の祈りは聞かれ、彼の計画が主から出たものであることを示したのである。 PK 622.9

ネヘミヤはこうしたことをすべて語って、彼がイスラエルの神の権威と、ペルシャの王の権威の両方によって支持されていることを示し、この機会を活用して立ち上がり、城壁を建設するかどうかを直接人々にたずねたのである。 PK 623.1

この訴えは直接彼らの心に触れた。彼らは、天の神の恵みがいかに彼らのためにあらわされたかを考えて、今までの恐れを恥じて新たに勇気を出し、「さあ、立ち上がって築こう」と心を1つにして言った。彼らは「奮い立って、この良きわざに着手しようとした」(同2:18)。 PK 623.2

ネヘミヤは着手した事業に、全身を打ち込んでいた。彼の希望と精力と熱心と決意とは伝染1生をもっていて、同じような気高い勇気と大望を他の人々にも吹き込んだ。各自が次々とネヘミヤのような人物となって、隣人の心と手を強めたのである。 PK 623.3

ユダヤ人が何を達成しようとしているかを、イスラエルの敵が聞いた時に、彼らは嘲笑して言った。「あなたがたは何をするのか、王に反逆しようとするのか」。しかしネヘミヤは答えた、「天の神がわれわれを恵まれるので、そのしもべであるわれわれは奮い立って築くのである。しかしあなたがたはエルサレムに何の分もなく、権利もなく、記念もない」(ネヘミヤ2:19、20)。 PK 623.4

まず最初に、ネヘミヤの熱誠さと真剣さに心を動かされたのは、祭司たちであった。彼らは有力な地位にあったので、事業を推進するにしても妨げるにしても、大いに力があった。そして、彼らがまずその出発に当たって直ちに協力したことは、事業の成功に少なからず貢献したのである。イスラエルの尊い人たちやつかさたちの大部分は、立派に彼らの義務を果たした。そしてこれらの忠実な人々は、神の書の中に栄誉ある記録を残している。テコア人の尊い人たちなど少数の人々は、「その主の工事に服さなかった」(同3:5)。これらの怠惰なしもべたちは汚名を着せられ、将来のすべての世代の人々に対する警告として、語り伝えられているのである、 PK 623.5

どんな宗教運動においても、その事業が神のものであることを否定できないにもかかわらず、なお関心を示さず、援助の手を伸べることを拒む者がある。そのような人々は、天に記録があり、何の省略も何の間違いもない記録の書があって、それに従って審判が行われることを思い出すとよい。そこに、神に対して奉仕をする機会がおろそかにされたことがみな記されている。そこにはまた、信仰と愛の行為がことごとく、永遠に覚えられているのである。 PK 623.6

ネヘミヤが帰還して霊的影響力を与えたことに比べれば、テコア人の貴人たちの例は、大した影響を及ぼさなかった。大抵の人々は愛国心と熱誠に燃えていた。才能と影響力をもった人々は、種々の階級の市民を組に分けて、各組の指導者はみずから、城壁の特定の部分について建設の責任を負った。そしてある人々については、「自分のへやと向かい合っている所を修理した」と記されている(同3:30)。 PK 623.7

工事が実際に開始されたからには、ネヘミヤの精力は弱まることはなかった。彼はたゆまず警戒しながら建設を監督し、働き人を指揮し、妨害に心を留め、緊急事態のために備えた。あの3マイルに及ぶ城壁の全地域に、彼の指導は常に行き渡っていた。彼は適切な言葉によって、恐れをいだいた者を励まし、怠惰な者を奮起させ、勤勉な者を称賛した。そして彼は常に、敵の行動を監視した。彼らは時折、あたかも陰謀をめぐらしているかのように遠方に集まって話し合い、その後で働き人のところに近づき、彼らの注意をそらそうとしたのである。 PK 623.8

ネヘミヤは彼が従事した種々の活動において、彼の力の源を忘れなかった。彼はすべてのものの偉大な監督であられる神を、常に見上げていた。「天の神がわれわれを恵まれる」と彼は叫んだ(同2:20)。そして彼の言葉はこだまして響きわたり、城壁で働いているすべての者の心を鼓舞したのである。 PK 623.9

しかしエルサレムの防衛の回復を推進するのに、 妨害がなかったわけではなかった。サタンは反対を引き起こし、失望させようと働いていた。この運動において彼の主だった手先であったサンバラテ、トビヤ、ガシムたちは、ここで再建工事を妨害しようとした。彼らは働き人の間に分裂を起こそうとした。彼らは建設者たちの努力を嘲笑し、工事は不可能なことで、必ず失敗に終わると予言した。 PK 623.10

「この弱々しいユダヤ人は何をしているのか。自分で再興しようとするのか。……塵塚の中の石はすでに焼けているのに、これを取り出して生かそうとするのか」と、サンバラテは嘲って叫んだ。トビヤはさらに軽べつの色を浮かべて、「そうだ、彼らの築いている城壁は、きつね1匹が上ってもくずれるであろう」と言った(ネヘミヤ4:2、3)。 PK 624.1

建設者たちはやがて、もっと行動を伴った反対に悩まされた。彼らは敵の計略に対して、絶えず防衛していなければならなかった。敵は交友関係を求めると言いながら、いろいろの方法で混乱と紛糾を引き起こし、人々に不信感をいだかせようとした。彼らはユダヤ人の勇気をくじこうとした。彼らは陰謀を企て、ネヘミヤを彼らのわなに捕らえようとした。そして不誠実なユダヤ人たちは、すぐに裏切りの企てに援助を与えたのである。ネヘミヤはペルシャ王に反抗を企て、自分をイスラエルの王に高めようとしていて、彼を援助する者はみな反逆者であるといううわさが広がった。 PK 624.2

しかしネヘミヤは、引きつづき神に指導と支持を仰ぎ求めた。そして民は、「心をこめて働いた」(同4:6)。工事は進んで、あいていた所がふさがれ、城壁全体はその高さの半ばにまで達したのである。 PK 624.3

イスラエルの敵は、自分たちの努力がむだなことに気づいて、大いに怒った。彼らはこれまでは、暴力に訴えることはしなかった。というのは、ネヘミヤと彼の仲間たちは、王の任命のもとに行動しているのであって、彼に激しく反対すれば、王の怒りを招くかもしれないと、彼らは恐れたからであった。しかし今や彼らは怒りに燃えて、彼ら自身がネヘミヤを責めていた罪を犯すことになった。彼らは集合して、「皆共に相はかり、エルサレムを攻め」ようとした(同4:8)、 PK 624.4

それと同時にサマリヤ人は、ネヘミヤと彼の働きに対して陰謀を企て、ユダヤ人の指導者のあろ者は不満をいだいて、工事に伴う困難を誇張して彼を失望させようとした。「荷を負う者の力は衰え、そのうえ、灰土がおびただしいので、われわれは城壁を築くことができない」と彼らは言った(ネヘミヤ4:10)。 PK 624.5

失望はさらに別の方面からやって来た。「近くに住んでいるユダヤ人たち」、すなわち、工事に参加していない人々は、敵の言葉や情報を集めて、これらのものを用いて勇気をくじき、離反させようとした(同4:12)。 PK 624.6

しかし、ののしりと嘲り、反対と脅しなどはただ、ますますネヘミヤの決意を固め、警戒を強化させるに過ぎないのであった。ネヘミヤはこの敵との戦いにおいて、当面しなければならない危険を自覚はしたが、彼の勇気はくじけなかった。「われわれは神に祈り、また日夜見張りを置いて彼らに備えた」と彼は言っている(同4:9)。「そこでわたしは民につるぎ、やりおよび弓を持たせ、城壁の後の低い所、すなわち空地にその家族にしたがって立たせた。わたしは見めぐり、立って尊い人々、つかさたち、およびその他の民らに言った、『あなたがたは彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、あなたがたの兄弟、むすこ、娘、妻および家のために戦いなさい』。 PK 624.7

われわれの敵は自分たちの事が、われわれに悟られたことを聞き、また神が彼らの計りごとを破られたことを聞いたので、われわれはみな城壁に帰り、おのおのその工事を続けた。その日から後は、わたしのしもべの半数は工事に働き、半数はやり、盾、弓、よろいをもって武装した。……荷を負い運ぶ者はおのおの片手で工事をなし、片手に武器を執った。築き建てる者はおのおのその腰につるぎを帯びて築き建て」た(同4:13~18)。 PK 624.8

ネヘミヤはそばに、ラッパを吹く者をおいた。そして城壁のあちらこちらに、聖なるラッパを持った祭司たちを配置した。人々は散らばって工事に携わっていたが、危険が迫るといつでも合図とともに、その場 所へ急いで行くことになっていた。「このようにして、われわれは工事を進めたが、半数の者は夜明けから星の出る時まで、やりを執っていた」とネヘミヤは言っている(同4:21)。 PK 624.9

エルサレムの外の町々や村々に住んでいた人々は、今や城壁の中に宿って工事を護衛し、朝には、すぐに工事にかかれるように要求された。これは不必要な遅延をなくし、家から行き来する働き人を攻撃する機会を、敵に与えないためであった。ネヘミヤと彼の仲間たちは、困難や苦役にもひるまなかった。彼らは昼も夜も、わずかに与えられた睡眠の時間においてさえ、着物をぬいだり武器を手離したりしなかった。 PK 625.1

ネヘミヤの時代の建設者たちが、公の敵や、友人を装った者たちから受けた反対と失望は、今日、神のために働く者が経験することの象徴である。キリスト者は、敵の怒り、嘲笑、残酷さなどに苦しめられるばかりでなく、友人であり、援助者であることを誓った人々の無関心、矛盾、生ぬるさ、裏切りなどにも悩まされる。彼らには嘲りと非難が浴びせられる。侮辱させる同じ敵が、機に乗じてさらに残酷で乱暴な手段をとらせるのである。 PK 625.2

サタンは清められていない者をみな、彼の目的の達成のために活用する。神の事業の支持者であると称している人々の中には、神の敵と結託して、神の事業を最も恨み重なる敵の攻撃にさらす者がいる。神の働きが栄えることを望んでいる者でさえ、神の敵の中傷、自慢、威嚇などを聞いてそれを語り、半ば信じることによって、神のしもべたちの手を弱めるのである。サタンは手下を用いて、驚くべき成功を収めている。そして彼の影響に屈する者は、賢い人の知恵とさとい人の知識を破壊する、魅惑的な力に服するのである。しかし神の民は、ネヘミヤのように、敵を恐れることもまた軽視することもない。彼らは神に信頼して着実に前進し、無我の精神をもって神の働きをし、彼らが支持する事業を神の摂理にゆだねるのである。 PK 625.3

ネヘミヤは大いなる失望のただ中にあって、神に信頼し、神を彼の避け所とした。そして当時、神のしもべの支持者であられたお方は、各時代の神の民のよりどころであられたのである。神の民はすべての危機において、「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」と、確信をもって言うことができるのである(ローマ8:31)。しかし、サタンとその手下たちが、どんなに狡猾に陰謀をめぐらしても、神はそれらを看破して、彼らの計画をみな挫折させられる。今日信仰はネヘミヤが答えたように、「われわれの神はわれわれのために戦われます」と答えるのである(ネヘミヤ4:20)。神が工事をしておられるのであるから、どんな人も、その最後の勝利を妨害することはできない。 PK 625.4