国と指導者
第36章 ユダ王国の最後の王
ゼデキヤは彼の治世の初期にはバビロンの王に信任されていた。そして彼には、信頼するに足る助言者として、預言者エレミヤがいた。彼はバビロン人に対して忠誠をつくし、エレミヤによって与えられる主の言葉に聞き従うことによって、多くの権威者たちの尊敬をかち得て、彼らに真の神の知識を伝える機会が与えられるのであった。こうして、すでにバビロンにいる捕囚の民たちは有利な立場が与えられ、多くの自由が与えられるのであった。神のみ名は広範囲にわたってあがめられるのであった。そしてユダの国に残っていた人々も、ついに彼らを襲ったような恐ろしい惨禍から救われることができたはずであった。 PK 552.6
エレミヤはゼデキヤとバビロンに捕らえられて行った人々をも含めてすべての人々に、彼らの征服者の一時の支配に静かに従うように勧告した。特に、捕らえられて行った人々は、その連れて行かれた国の平和の維持に努めることが大切であった。しかしこ れは、人間の生まれながらの性質とは相反するものであった。そしてサタンは、このような状態を利用して、エルサレムとバビロンの両方において、偽の預言者を起こさせた。彼らは、奴隷のくびきはやがてくだかれて、以前の国家的威信は回復されると言った。 PK 552.7
こうした楽観的預言に心をひかれることは、王や捕らえられた人々に致命的行動を起こさせて、彼らのための神の計画を挫折させることになるのであった。そこで主は、反乱が起こって大きな苦しみに遭うことがないように、直ちに反逆の当然の結果をユダの王に警告するようエレミヤにお命じになった。捕囚の民にも、欺かれて解放の時が近いと考えないように警告が手紙で発せられた。「あなたがたのうちにいる預言者と占い師に惑わされてはならない」と彼は勧めた(エレミヤ29:8)。これと関連して、主の使者たちによって預言されていた70年の捕囚の終わりにイスラエルは回復されるという主のみこころが述べられた。 PK 553.1
神はなんという深い憐れみをもって、イスラエルに対する神の計画を捕囚の民にお伝えになったことであろう。もしも彼らが、偽の預言者たちによって急速な救済を期待するように説得されるならば、彼らのバビロンにおける立場は非常に困難なものになることを、神は知っておられた。もし彼らが示威運動や暴動を起こすならば、カルデヤびとの警戒心と苛酷さを起こさせて、さらに彼らの自由を束縛するようになるのであった。苦難と災難がそれに続いて起こる。彼は、彼らが静かに彼らの運命に甘んじ、彼らの捕囚生活をできるだけ楽しいものにするように願った。そして彼は、彼らに勧告して言った。「あなたがたは家を建てて、それに住み、畑を作ってその産物を食べよ。……わたしがあなたがたを捕らえ移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである」(同29:5~7)。 PK 553.2
バビロンにおける偽教師たちの中に、その生活は腐敗していたにもかかわらず自分たちは清いと主張する人が2人あった。エレミヤはこの人々の悪い行為を責めて、彼らの危険を警告した。彼らは譴責されたことを怒って、エレミヤの言葉を疑うように人々を扇動し、またバビロンの王に服従することについての神の勧告に反して行動するように人々をそそのかして、真の預言者の働きに反対しようとした。主はエレミヤによって、これらの偽の預言者たちがネブカデネザルの手に渡され、彼の目の前で殺されるとあかしされた。その後しばらくして、この預言は文字通りに成就したのである。 PK 553.3
世の終末に至るまで、真の神の代表者であると主張する人々の中に、混乱と反逆を起こそうとする人々が起こる。偽りを預言する者たちは、人々に罪をささいな事のように考えることを奨励する。彼らの悪行の恐ろしい結果があらわれると、彼らは、ユダヤ人が彼らの災害をエレミヤのせいにしたように、できることならば彼らが陥った苦境の責任を、忠実に彼らを警告した者のせいにしようとするのである。しかし昔、主が預言者によって語られた言葉が確実に擁護されたように、神の言葉は今日も間違いなく確立するのである。 PK 553.4
エレミヤは、初めから終始一貫して、バビロンに服従するように勧告してきた。この勧告はただユダに与えられたばかりではなくて、周囲の多くの国々にも与えられた。ゼデキヤの治世の初期に、エドムの王、モアブの王、ツロの王、その他の国々の大使がユダの王を訪問し、今は結束して反逆する好機であるのか、またゼデキヤも彼らに加わって、バビロンの王に対抗して戦うべきかどうかをたずねた。これらの大使たちが返答を待っていたときに、主の言葉がエレミヤに臨んで言った。「綱と、くびきとを作って、それをあなたの首につけ、エルサレムにいるユダの王ゼデキヤの所に来た使者たちによって、エドムの王、モアブの王、アンモンびとの王、ツロの王、シドンの王に言いおくりなさい」(エレミヤ27:2、3)。 PK 553.5
エレミヤは、神が彼らすべてのものをバビロンの王ネブカデネザルの手に与え、彼らは「彼の地に時がくるまで、万国民は彼とその子とその孫に仕える」と彼らの王に告げるように使者たちに指示を与えるよう に命じられた(同27:7)。 PK 553.6
使者たちはさらに、もし彼らの王たちがバビロンの王に仕えることを拒むならば、彼らは「つるぎと、ききんと、疫病をもって」罰せられて、ついに全滅するに至るということを、王たちに告げるように指示されたのである。特に彼らは、別のことを勧める偽りの預言者の教えを捨てなければならなかった。「それで、あなたがたの預言者、占い師、夢みる者、法術師、魔法使が、『あなたがたはバビロンの王に仕えることはない』と言っても、聞いてはならない。彼らはあなたがたに偽りを預言して、あなたがたを自分の国から遠く離れさせ、わたしに、あなたがたを追い出してあなたがたを滅ぼさせるのである。しかしバビロンの王のくびきを首に負って、彼に仕える国民を、わたしはその故国に残らせ、それを耕して、そこに住まわせると主は言われる」(同27:8~11)。憐れみ深い神が、反逆する民に課せられる最も軽い罰は、バビロンの支配に服することであった。そしてもし彼らが、この服役の命令に逆らうならば、彼らは神の厳しい懲罰をあますところなく受けなければならないのであった。 PK 554.1
エレミヤが降伏のくびきを彼の首にかけて神のみこころを知らせた時に、諸国から会議に集まった人々の驚きは、たいへんなものであった。 PK 554.2
エレミヤは、断固とした反対に遭っても、降伏についての彼の所信をまげなかった。主の勧告に反駁したもののうちの著名な人は、ハナニヤであった。彼はすでに人々に対して警告が発せられていた偽預言者の1人であった。ハナニヤは王と宮廷の寵愛を得ようとして反対の声をあげ、神が彼にユダヤ人に対する激励の言葉をお与えになったと言ったのである。ハナニヤは次のように言った。「万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、わたしはバビロンの王のくびきを砕いた。2年の内に、バビロンの王ネブカデネザルが、この所から取ってバビロンに携えて行った主の宮の器を、皆この所に帰らせる。わたしはまたユダの王エホヤキムの子エコニヤと、バビロンに行ったユダのすべての捕われ人をこの所に帰らせる。それは、わたしがバビロンの王のくびきを、砕くからであると主は言われる」(エレミヤ28:2~4) PK 554.3
エレミヤは祭司たちと人々の前で、主が定められた期間の間、バビロンの王に降伏するように熱心に嘆願した。彼は、彼と同じような譴責と警告の言葉を語ったホセア、ハバクク、ゼパニヤなどの預言をユダの人々に引用した。彼はまた、罪を悔い改めないことに対する刑罰の預言の成就として起こったでき事を引用した。過去において、神の刑罰は神の使者が示したとおりに、神の計画の正確な成就として、悔い改めない人々の上に下ったのである。 PK 554.4
エレミヤは結論として言った。「平和を預言する預言者は、その預言者の言葉が成就するとき、真実に主がその預言者をつかわされたのであることが知られるのだ」(同28:9)。もしイスラエルがどちらかを選ぶにしても、将来の事態の進展によって、どちらが真の預言者であるかが、決定的に判明するのである。 PK 554.5
降伏を勧告するエレミヤの言葉を聞いて、ハナニヤは、エレミヤの言葉の信頼性について異議を申し立てた。彼はエレミヤの首から象徴的くびきを取ってそれを砕いた。そして「主はこう仰せられる、『わたしは2年のうちに、このように、万国民の首からバビロンの王ネブカデネザルのくびきを離して砕く』」と言った。 PK 554.6
「預言者エレミヤは去って行った」(同28:11)。彼は、争闘の場から去ること以外に、ほかにすることがなかったようである。しかし、エレミヤはもう1つの言葉が与えられた。彼は次のように命じられた。「行ってハナニヤに告げなさい、『主はこう仰せられる、あなたは木のくびきを砕いたが、わたしはそれに替えて鉄のくびきを作ろう。万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、わたしは鉄のくびきをこの万国民の首に置いて、バビロンの王ネブカデネザルに仕えさせる。彼らはこれに仕える。』…… PK 554.7
預言者エレミヤはまた預言者ハナニヤに言った、「ハナニヤよ、聞きなさい。主があなたをつかわされたのではない。あなたはこの民に偽りを信じさせた。それゆえ主は仰せられる、「わたしはあなたを 地のおもてから除く。あなたは主に対する反逆を語ったので、今年のうちに死ぬのだ」と』。預言者ハナニヤはその年の7月に死んだ」(エレミヤ28:13~17)。 PK 554.8
偽預言者はエレミヤと彼の言葉に対する人々の不信感を強めたのであった。彼は不正にも自分を主の使者であると言い、その結果死んでしまったのである。エレミヤは5月にハナニヤの死を預言したが、それは彼の言葉どおりに7月に成就した。 PK 555.1
偽預言者たちの声明が引き起こした不安状態の結果、ゼデキヤは反逆の嫌疑を受けたが、彼は直ちに断固とした処置を取ったために、保護国の王として国を治めることを許された。こうした行動は、使節たちがエルサレムから周囲の国々へ帰還後、しばらくしてからの機会を利用してとられた。その時ユダの王は、バビロンへのこの重大な任務を果たすに当たって、「宿営の長」セラヤを伴って行った(同51:59)。ゼデキヤはカルデヤ人の宮殿への訪問において、ネブカデネザルに対する彼の忠誠を更新したのである。 PK 555.2
バビロンの王ネブカデネザルは、ダニエルその他のヘブルの捕虜たちによって、真の神の力と至上権とを知らされていた。そしてゼデキヤが再び厳粛に忠誠を誓った時に、ネブカデネザルは、彼がイスラエルの神、主の名によって誓って約束することを要求した。 PK 555.3
もしゼデキヤがこの契約の更新を尊重したならば、ヘブルの神の名をあがめ、その栄光を重んじると主張する人々の行動を眺めていた多くの人々の心に、深い感化を及ぼしたことであろう。 PK 555.4
しかしゼデキヤは、生ける神の名をあがめる大いなる特権を見失った。ゼデキヤについて次のように記されている。「彼はその神、主の前に悪を行い、主の言葉を伝える預言者エレミヤの前に、身をひくくしなかった。彼はまた、彼に神をさして誓わせたネブカデネザル王にもそむいた。彼は強情で、その心をかたくなにして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった」(歴代志下36:12、13)。 PK 555.5
エレミヤがユダの国であかしを立てていた時に、捕囚たちに警告と慰めを与え、またエレミヤが語った主の言葉に確証を与えるために、バビロンの捕虜の中から預言者エゼキエルが起こされた。エゼキエルはゼカリヤの治世の残余の期間中、捕虜たちに、エルサレムへの早期帰還の希望を与えた人々の偽りの預言を信じることの愚かさを明白にした。エゼキエルはまた、様々の象徴と厳粛な言葉によって、エルサレムの包囲と完全な滅亡を預言するように指示された。 PK 555.6
ゼデキヤの治世の第6年に、主はエルサレムにおいて、また主の家の門の中や内庭においてさえ行われる憎むべきことを、幻の中でエゼキエルに示された。偶像の置いてある部屋、「もろもろの這うものと、憎むべき獣の形、およびイスラエルの家のもろもろの偶像」の絵が、すべて、驚嘆する預言者の目の前を過ぎていった(エゼキエル8:10)。 PK 555.7
民の間で霊的指導者でなければならない「イスラエルの家の長老」たちが、70人も神殿の庭の聖なる場所のかくれた部屋に持ち込まれた偶像の前で香をささげていた。ユダの人々は、異教の礼拝を行いながら、「主はわれわれを見られない」と言って、心ひそかに満足していた。彼らは「主はこの地を捨てられた」と言って、神を汚した(エゼキエル8:11、12)。 PK 555.8
預言者は、さらに「大いなる憎むべきこと」を見るのであった。彼は外庭から内庭へはいる門のところで「女たちが……タンムズのために泣いて」いるのを見せられた。 PK 555.9
そして「主の家の内庭」の中で、「主の宮の入口に、廊と祭壇との間に25人ばかりの人が、主の宮にその背中を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた」のを示された(同8:13~16)。 PK 555.10
ユダの国の高官たちの罪悪の、この驚くべき幻の間、ずっとエゼキエルにつきそっていた栄光に輝くお方が今、預言者に次のようにたずねた。「人の子よ、あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているこれらの憎むべきわざは軽いことであるか、彼らはこの地を暴虐で満たし、さらにわたしを怒 らせる。見よ、彼らはその鼻に木の枝を置く。それゆえ、わたしも憤って事を行う。わたしの目は彼らを惜しみ見ず、またあわれまない。たとい彼らがわたしの耳に大声で呼ばわっても、わたしは彼らの言うことを聞かない」(同8:17、18)。 PK 555.11
主はエレミヤによって、せんえつにも主の名によって人々の前に大胆に立つ悪人たちについて言われる。「預言者と祭司とは共に神を汚す者である。わたしの家においてすら彼らの悪を見た」(エレミヤ23:11)。ゼデキヤの治世の歴史家は、その記述の最後においてユダに対する恐るべき糾弾を行っているが、その中で、この神殿の神聖を汚したことが繰り返されている。「祭司のかしらたちおよび民らもまた、すべて異邦人のもろもろの憎むべき行為にならって、はなはだしく罪を犯し、主がエルサレムに聖別しておかれた主の宮を汚した」と聖書の歴史家は言った(歴代志下36:14)。 PK 556.1
ユダ王国の破滅の日は急速に近づいていた。主はもはや、神の最も厳しい刑罰を避けることができるという希望を彼らに持たせることはできなかった。「どうしてあなたがたが罰を免れることができようか。あなたがたは罰を免れることはできない」と仰せになった(エレミヤ25:29)。 PK 556.2
こうした言葉でさえ、冷ややかな嘲笑をもってあしらわれた。悔い改めない人々は「日は延び、すべての幻はむなしくなった」と言った。主は次のように言われた。「『わたしはこのことわざをやめさせ、彼らが再びイスラエルで、これをことわざとしないようにする』と。しかし、あなたは彼らに言え、『日とすべての幻の実現とは近づいた』と。イスラエルの家のうちには、もはやむなしい幻も、偽りの占いもなくなる。 PK 556.3
しかし主なるわたしは、わが語るべきことを語り、それは必ず成就する。決して延びることはない。ああ、反逆の家よ、あなたの日にわたしはこれを語り、これを成就すると、主なる神は言われる」。 PK 556.4
エゼキエルはあかししている。「主の言葉がまたわたしに臨んだ、『人の子よ、見よ、イスラエルの家は言う、「彼の見る幻は、なお多くの日の後の事である。彼が預言することは遠い後の時のことである」と。それゆえ、彼らに言え、主なる神はこう言われる、わたしの言葉はもはや延びない。わたしの語る言葉は成就すると、主なる神は言われる』」(エゼキエル12:22~28)。 PK 556.5
国家を急速に破滅に陥れていた人々の真っ先に立ったのが、その王ゼデキヤであった。ゼデキヤは預言者たちによって与えられた主の勧告を全く捨て、ネブカデネザルから受けた恩義を忘れ、イスラエルの神、主の名によって厳粛に誓った忠誠の誓いにそむき、預言者たちと、彼の恩人と、彼の神とに反逆したのである。彼は自分の知恵を誇って、イスラエルの子孫の昔ながらの敵であったエジプトに「使者を……送って、馬と多くの兵とをそこから獲ようとした」。 PK 556.6
こうして、すべての聖なる信任を下劣にも裏切った者に関して、主は「彼は成功するだろうか」とおたずねになった。「このようなことをなす者は、のがれることができようか。契約を破ってなおのがれることができようか。主なる神は言われる、わたしは生きている、必ず彼は自分を王となした王の住む所、彼が立てた誓いを軽んじ、その契約を破った相手の王のいるバビロンで彼は死ぬ。……パロは決して大いなる軍勢と、多くの人とをもって、彼を助けて戦いをしない。彼は誓いを軽んじ、契約を破り、その手を与えて誓いながら、なおこれらの事をしたゆえ、のがれることはできない」(エゼキエル17:15~18)。 PK 556.7
「汚れた悪人であるイスラエルの君」に最後の報復の日がやって来た。「かぶり物を脱ぎ、冠を取り離せ」と主は言われた。キリストご自身が、彼の王国を建設されるまで、ユダは再び王を持つことを許されないのであった。ダビデの家の王座について、「ああ破滅、破滅、破滅、わたしはこれをこさせる」と神はお命じになった。「わたしが与える権威をもつ者が来る時まで、その跡形さえも残らない」(同21:25~27)。 PK 556.8