国と指導者
第35章 破滅が近い
エホヤキムの治世の最初の数年は、切迫する滅亡の警告に満ちていた。預言者たちによって語られた主の言葉が、まさに成就しようとしていた。長い間、最高位を誇った北方のアッスリヤ王国は、もはや諸国を支配しなくなった。ユダの王がいたずらに寄り頼んだ南方のエジプトは、やがて決定的打撃を受けるのであった。全く予期しないところから、新しい世界国家、バビロン帝国が東方から起こって、急速に他のすべての諸国を征服するのであった。 PK 546.4
わずか数年のうちに、バビロンの王は、悔い改めないユダに対して神の怒りの器として用いられるのであった。エルサレムは幾度となく、ネブカデネザルの軍勢に包囲、攻略、侵入されるのであった。初めのうちは数は少なかったが、後には幾千、幾万の人々が、次々にシナルの国に捕らえられて行って、強制的にそこに移住させられた。エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤなど、これらのユダの王はみな、バビロン王に従属するのであるが、みな次々と反逆するのであった。反乱を起こした国家には、ますます厳しい懲罰が加えられて、ついには全国が荒廃に帰し、エルサレムは荒れ果てて焼き払われ、ソロモンが建てた神殿も破壊されて、ユダの国は滅び、2度とふたたび、地の諸国の間に以前の地位を占めることはなくなるのである。 PK 546.5
イスラエルの国にとって危機に満ちたこうした転換期において、エレミヤが語った天からの多くの言葉が目立っていた。こうして主は、ユダの人々がエジプトとの不利な同盟を逃れて、バビロンの王たちと争わないように、十分の機会をお与えになったのである。いよいよ危険が切迫してきた時に、彼は一連のたとえを実際に行ってみせて、人々を教えた。こうして彼は、人々に神に対する義務を思い起こさせると共に、バビロン政府と友好的関係を維持することを奨励しよりと望んだのである。 PK 546.6
エレミヤは、神の要求に絶対的に服従することの重要性を説明するために、あるレカブ人たちを神殿の一室に集めて彼らの前に酒を出し、飲むようにすすめた。すると予期したとおり、彼は抗議と絶対的拒否を受けたのである。レカブ人は断固として言った。「われわれは酒を飲みません。それは、レカブの 子であるわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じて、『あなたがたとあなたがたの子孫はいつまでも酒を飲んではならない。……』と言ったからです」。 PK 546.7
「その時、主の言葉がエレミヤに臨んだ、『万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、行って、ユダの人々とエルサレムに住む者とに告げよ。主は仰せられる、あなたがたはわたしの言葉を聞いて教を受けないのか。レカブの子ヨナダブがその子孫に酒を飲むなと命じた言葉は守られてきた。彼らは今日に至るまで酒を飲まずその先祖の命に従ってきた』」(エレミヤ35:6、7、12~14)。 PK 547.1
神はこのようにして、レカブ人の服従と、神の民の不服従と反逆との著しい相違を示そうとなさった。レカブ人は先祖の命令に従って、今、罪の誘惑を拒否した。しかしユダの人々は、主のことばに聞き従わなかった。そしてその結果として、神の厳しい刑罰を受けようとしていた。 PK 547.2
主は次のように言われた。「ところがあなたがたはわたしがしきりに語ったけれども、わたしに聞き従わなかった。わたしはまた、わたしのしもべである預言者たちを、しきりにあなたがたにつかわして言わせた、『あなたがたは今おのおのその悪い道を離れ、その行いを改めなさい。ほかの神々に従い仕えてはならない。そうすれば、あなたがたはわたしがあなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの地に住むことができる』と。しかしあなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。レカブの子ヨナダブの子孫は、その先祖が彼らに命じた命令を守っているのである。しかしこの民はわたしに従わなかった。それゆえ万軍の神、主、イスラエルの神はこう仰せられる、見よ、わたしはユダとエルサレムに住む者とに、わたしが彼らの上に宣告した災を下す。わたしが彼らに語っても聞かず、彼らを呼んでも答えなかったからである」(同35:14~17)。 PK 547.3
人々の心が聖霊の力によって和らげられ静められる時に、彼らは勧告に心を向ける。しかし彼らが訓戒に背を向けて、ついに心がかたくなになってしまうならば、主は彼らが他の勢力に動かされるままになさる。彼らは真理を拒否して虚偽を受け入れ、それが彼らを滅びに陥れるわなとなるのである。 PK 547.4
神は怒りを引き起こすことがないように、ユダの人々に訴えられたが、彼らは聞き従わなかった。そこでついに、彼らに対する宣告が下された。彼らは、バビロンへ捕虜として連れていかれるのであった。カルデヤ人は、不服従な神の民を懲らしめるために神に用いられる器となるのであった。ユダの人々が受ける苦難は、彼らに与えられた光と、彼らが軽べつし拒否した警告とに比例するものであった。神は刑罰を長く延ばして来られたが、今や、彼らの悪行を止めようとする最後の努力として、彼らに怒りをあらわされる。 PK 547.5
レカブ人の家には、常に祝福が与えられることが宣言された。預言者は言った。「あなたがたは先祖ヨナダブの命に従い、そのすべての戒めを守り、彼があなたがたに命じた事を行った。それゆえ、万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることはない」(エレミヤ35:18、19)。こうして神は、レカブ人が、その先祖の命に従って祝福されたように、忠実と服従は祝福となって返ってくることを、神の民にお教えになった。 PK 547.6
これはわれわれに対する教訓である。もし、不節制の害悪から子孫を守るために、最善で最高の手段をとった善良で賢明な祖先の要求に厳重に従う価値があるとするならば、神は人間よりも聖なるおかたであるから、われわれはさらに敬虔な気持ちで神の権威を尊ばなければならない。無限の力を持ち、恐ろしいさばきを行われる、われわれの創造主であり指揮者であられる神は、なんとかして人々に罪を認めさせ、悔い改めに至らせようとしておられる。神は、彼のしもべたちの口によって不服従の危険を予告される。神は警告を与えてはっきりと罪を譴責される。神の民は、神が選ばれた器の絶え間ない保護という神の恵みが与えられてこそ、繁栄を保つことができる。神は神の勧告を拒否し神の譴責を軽んじる人々を支え守ることはおできにならない。 PK 547.7
神は、しばらくの間、刑罰が下るのを止められる。しかし、神はいつまでも御手を止めておくことはおできにならないのである。 PK 548.1
ユダの人々は、神が「あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう」と宣言された者の中に数えられていた(出エジプト19:6)。エレミヤは働きに携わった時に、人生の様々の関係、特にいと高き神の礼拝において、心の清いことが非常に重大であることを見失わなかった。彼は国家の没落とユダの住民が諸国の間に離散するのを明らかに予見した。しかし、彼は、このすべてのできごとのかなたの回復の時を、信仰の目をもって眺めた。「わたしの群れの残った者を、追いやったすべての地から集め、再びこれをそのおりに帰らせよう。……主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために1つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる」(エレミヤ23:3~6)。 PK 548.2
こうして来るべき審判の預言には、最後の輝かしい救済の約束が入り混じっていた。神と和らぎ、広く行き渡った背信のさなかにあって清い生活を送る人々は、すべての試練に耐える力が与えられ、大いなる力をもって神のためにあかしを立てることができるのであった。そして後世において彼らのために行われた救済は、エジプト時代にイスラエルの民のために行われた救済よりもはるかに広く知れ渡るのであった。主は預言者によって、次のような時代が来ると言われた。「人々は『イスラエルの民をエジプトの地から導き出された主は生きておられる』とまた言わないで、『イスラエルの家の子孫を北の地と、そのすべて追いやられた地から導き出された神は生きておられる』という日がくる。その時、彼らは自分の地に住んでいる」(同23:7、8)。ユダ王国の歴史の最後の年月においてエレミヤが発した驚くべき預言は、このようなものであった。その時バビロン人は世界的支配権を握り、すでに包囲軍をシオンの城壁にむかって結集していたのである。 PK 548.3
これらの救済の約束は、固く主の礼拝を守ってきた人々の耳には最も快い音楽のように聞こえた。契約を実行なさる神の勧告をなおも尊重していた家庭においては、高いところも低いところも預言者の言葉がくり返して語られた。子供たちでさえ大いに心を動かされた。そして、彼らの若い感受性の強い心に永続的印象が与えられたのである。 PK 548.4
エレミヤが活動していた時代に、ダニエルと彼の仲間が地の諸国の前で真の神を高める機会が与えられたのは、彼らが聖書の命令を良心的に遵守することによってであった。これらのヘブルの子供たちが彼らの親たちの家庭で受けた教育が彼らの信仰を強め、天地の創造主であられる生ける神に忠実に仕えるものにしたのである。ネブカデネザルが、エホヤキムの治世の初期に第1回目のエルサレム包囲と攻略を行い、特別にバビロンの宮廷で仕えるために、ダニエルと彼の仲間たちを連れ去っていった時に、ヘブルの捕虜たちの信仰は極度の試練を受けた。しかし神の約束に信頼することを学んだ者は、これらの約束が、外国に滞在する間に経なければならないあらゆる経験に対して十分なものであったことを知った。聖書が彼らの手引きであり、支えであった。 PK 548.5
エレミヤは、ユダに降り始めた刑罰の意味の解釈者として、最も厳しい懲罰の中にさえ神の正義と神のあわれみ深いみこころがあることを擁護して気高く立った。預言者エレミヤはたゆまず働いた。彼はあらゆる階級の人々に接したいと思って、王国の各地を度々訪問して、エルサレムの周囲の地域へと彼の感化力を及ぼした。 PK 548.6
エレミヤは彼の教会に対するあかしの中で、常に、ヨシヤの治世下において大いにあがめられ、高められた律法の書の教えを引用した。彼はシナイ山上で十戒の戒めを語られた恵みと憐れみに富んだお方との契約関係を維持することの重要性を新たに強調した。エレミヤの警告と嘆願の言葉は王国の至るところに伝えられ、すべての者は国家に対する神のみこころを知る機会が与えられた。 PK 548.7
われわれの天の父は、「もろもろの国民に自分がただ、人であることを知らせ」るために、神の刑罰がくだるのをお許しになるということを、エレミヤは明らかにした(詩篇9:20)。 PK 549.1
「もしあなたがたがわたしに逆らって歩み、わたしに聞き従わないならば、……わたしは、あなたがたを国々の間に散らし、つるぎを抜いて、あなたがたの後を追うであろう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は荒れ地となるであろう」と主は神の民にあらかじめ警告を発せられた(レビ26:21、28、33)。 PK 549.2
切迫した破滅の言葉がつかさや国民に力説されていたその時に、賢明な霊的指導者として罪を告白し、改革と善事を行うことにおいて先頭に立っておるべきエホヤキムは、利己的快楽の追求に時を過ごしていた。彼は「わたしは自分のために大きな家を建て」ようと考えた。そしてこの家を、「香柏の鏡板でおおい、それを朱で塗」ったが、それは欺瞞と圧迫とによって得た資金と労力で建てられた(エレミヤ22:14)。 PK 549.3
エレミヤは怒った。そして彼は、霊感によって不忠実な王に次のような刑罰を宣告した。「『不義をもってその家を建て、不法をもってその高殿を造り、隣り人を雇って何をも与えずその賃銀を払わない者はわざわいである。……あなたは競って香柏を用いることによって、王であると思うのか。あなたの父は食い飲みし、公平と正義を行って、幸を得たのではないか。彼は貧しい人と乏しい人の訴えをただして、さいわいを得た。こうすることがわたしを知ることではないかと主は言われる。しかし、あなたは目も心も、不正な利益のためにのみ用い、罪なき者の血を流そうとし、圧制と暴虐を行おうとする』。 PK 549.4
それゆえ、主はユダの王ヨシヤの子エホヤキムについてこう言われる、『人々は「悲しいかな、わが兄」、「悲しいかな、わが姉」と言って、彼のために嘆かない。また「悲しいかな、主君よ」、「悲しいかな、陛下よ」と言って嘆かない。ろばが埋められるように、彼は葬られる。引かれて行って、エルサレムの門の外に投げ捨てられる』」(同22:13~19)。 PK 549.5
わずか数年のうちに、この恐ろしい刑罰がエホヤキムに臨むのであった。しかし主は、憐れみのうちに、まず悔い改めない国民にご自分の意図されたことをお知らせになった。エホヤキムの治世の第4年に、「預言者エレミヤは……ユダのすべての民とエルサレムに住むすべての人に告げて」、彼が「ヨシヤの13年から今日にいたるまで」20年以上にわたって、神が彼らを救おうと望んでおられることをあかししたにもかかわらず、その言葉が拒否されたことを指摘した(エレミヤ25:2、3)。そして彼らに対して次のような主の言葉が与えられた。「それゆえ万軍の主はこう仰せられる、あなたがたがわたしの言葉に聞き従わないゆえ、見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌みきらわれるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる。またわたしは喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、ひきうすの音、ともしびの光を彼らの中に絶えさせる。この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は70年の間バビロンの王に仕える」(同25:8~11)。 PK 549.6
運命の宣告は明白に宣言されたにもかかわらず、その恐ろしい意味は、それを聞いた群衆にはほとんど理解されなかった。もっと強い印象を与えるために、主は語った言葉の意味を例を挙げて説明しようとなさった。主は国家の運命を、神の怒りの酒が満ちた杯を飲みほすことに例えるようにエレミヤにお命じになった。この痛ましい杯をまず最初に飲む者は「エルサレムとユダのすべての町と、その王たち」であった。他のものもその同じ杯を飲むのであった。すなわち「エジプトの王パロとその家来たち、その君たち、そのすべての民」そしてその他、地の多くの国々であって、こうして、ついに神のご計画はなしとげられるのであった(同25章参照)。 PK 549.7
さらに刑罰が急速にくだるものであることを説明するために、エレミヤは、「民の長老と年長の祭司のう ちの数人を伴って……ベンヒンノムの谷へ行き」そこで、ユダの背信をふりかえり、「陶器師のびん」を打ち砕いて、彼が仕える主に代わって、「陶器師の器をひとたび砕くならば、もはやもとのようにすることはできない。このようにわたしはこの民とこの町とを砕く」と宣言するのであった。 PK 549.8
エレミヤは命じられたとおりにした。そして彼は町に帰って、神殿の庭に立って、すべての人々が聞いているところで言った。「万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、見よ、わたしは、この町とそのすべての村々に、わたしの言ったもろもろの災を下す。彼らが強情で、わたしの言葉に聞き従おうとしないからである」(同19章参照)。 PK 550.1
エレミヤの言葉は告白と悔い改めに導くのではなくて、権力者たちの怒りを招いた。そのために、エレミヤは自由を奪われてしまった。エレミヤは投獄され、かせをはめられたけれども、そばに立っている人々に天からの言葉を語りつづけた。彼の声は迫害によって沈黙させることはできなかったのである。真理の言葉は「わたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません」と彼は言った(同20:9)。 PK 550.2
彼のあわれみに満ちた心が絶えず救いたいと願っていた人々に伝えようと望んでいた言葉を書くように命じられたのは、ちょうどこのころであった。主はそのしもべにお命じになった。「あなたは巻物を取り、わたしがあなたに語った日、すなわちヨシヤの日から今日に至るまで、イスラエルとユダと万国とに関してあなたに語ったすべての言葉を、それにしるしなさい。ユダの家がわたしの下そうとしているすべての災を聞いて、おのおのその悪い道を離れて帰ることもあろう。そうすれば、わたしはそのとがとその罪をゆるすかも知れない」(エレミヤ36:2、3)。 PK 550.3
エレミヤはこの命令に従って、忠実な友の彼の助手で書記のバルクを呼び、「主が彼にお告げになった言葉をことごとく」口述した(同36:4)。 PK 550.4
これらの言葉は注意深く羊皮紙の巻物に書かれた。それは罪に対する厳粛な譴責と、背信を続けるならば必ず刑罰が下るという警告と、そしてすべての悪を捨てるようにという熱烈な訴えから成るものであった。 PK 550.5
それが書き上げられた時に、まだ囚人であったエレミヤは、ユダの王ヨシヤの子エホヤキムの5年9月の、国民全体が断食を行う日に神殿に集まってくる群衆にその巻物を読むためにバルクをつかわした。「彼らは主の前に祈願をささげ、おのおのその悪い道を離れて帰ることもあろう。主がこの民に対して宣告された怒りと憤りは大きいからである」とエレミヤは言った(同36:9、7)。 PK 550.6
バルクは服従した。そして巻物はユダのすべての人々の前で読まれた。 PK 550.7
その後、バルクは、つかさたちの前で言葉を読むように招かれた。彼らは非常な興味をもって聞き、彼らが聞いたすべての事を王に知らせると約束した。しかし彼らは、バルクに身を隠すように勧めた。それは王があかしを拒否し、言葉を書いてそれを人々に伝えた者を求めて殺すだろうと、彼らは恐れたからである。 PK 550.8
エホヤキム王は、バルクが読んだもののことをつかさたちから聞いた時に、その巻物を直ちに彼のところに持って来て、彼の前で読むように命じた。エホデという家来の1人が、巻物をもってきて、譴責と警告の言葉を読み始めた。それは冬であったので、王とその家臣たち、ユダのつかさたちは、炉のまわりに集まっていた。ほんのわずかの所が読まれただけであったのに、王は、自分自身と国民に迫っている危険におののくどころか、激しく怒って巻物をつかみ、「小刀をもってそれを切り取り、炉の火に投げいれ、ついに巻物全部を炉の火で焼きつくした」(エレミヤ36:23)。 PK 550.9
王もつかさたちも、恐れず「またその着物を裂くこともしなかった」。しかしつかさのある者たちは、「王にその巻物を焼かないようにと願ったときにも彼は聞きいれなかった」。巻物は焼かれてしまったが、悪王の怒りはエレミヤとバルクに向けられた。そこで王 は彼らを捕らえよと人々に命じたが、「主は彼らを隠された」(同36:24~26)。 PK 550.10
神は神殿の礼拝者たち、またつかさたちや王の注意を、霊感によって書かれた巻物に含まれた勧告に向け、ユダの人々をあわれんで、彼らを幸福にするために警告を与えようとされたのである。「ユダの家がわたしの下そうとしているすべての災を聞いて、おのおのその悪い道を離れて帰ることもあろう。そうすれば、わたしはそのとがとその罪をゆるすかも知れない」(同36:3)。神は邪悪な行為のために心がくらんで苦闘している人々をあわれまれる。神はどんなに地位の高い人さえも、自分たちの無知を感じ、その誤りを嘆くに至るように計画された譴責と警告を送って、暗くなった理解力に光を照らそうとされる。神は自己満足に陥っている者に自分たちのむなしい業績に不満を感じさせ、天との密接な交わりによって、霊的祝福を求めるに至るように努力しておられる。 PK 551.1
神の計画は、罪人を喜ばせたり、へつらったりするために使者をお送りになることではない。神は清められていない人々に現世的安心感を抱かせる平和の言葉をお語りにならない。神はそのかわりに、悪を行う者の良心に重荷を負わせ、認罪の鋭い矢で彼の魂をつきさされるのである。奉仕の天使たちは、彼に恐るべき神の刑罰を示し、必要感を深め、「わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」という苦悶の叫びをあげさせるのである(使徒行伝16:30)。しかし、ちりに伏させて恥をこうむらせ、罪を譴責し、誇りと野心とをはずかしめる手は、悔い改めて打ちひしがれた者を引き起こす手なのである。懲らしめがくだることを許されるお方は、深い憐れみをもって、「あなたは、わたしに何をしてもらいたいのか」とおたずねになるのである。 PK 551.2
人間が、聖であわれみ深い神に対して罪を犯した時に、心から悔い改めて、涙と悲しみのうちに自分の誤りを告白することほど、人間にとって気高い行為はない。神はこの事を人間にお求めになる。神は悔いくずおれた心以下のものをお受けにならない。しかし傲慢で自尊心の強いエホヤキム王と彼のつかさたちは、神の招待を拒否した。彼らは警告に耳を傾けず、悔い改めようとしなかった。聖なる巻物を焼いた時に、彼らに与えられた恵み深い機会が、彼らの最後の機会であった。その時神の声に聞き従うことを彼らが拒むならば、恐るべき懲罰が彼らにくだると神は言われたのである。彼らは聞くことを拒んだ。そして神はユダに対する最後の刑罰を宣告し、全能者であられる神に対して誇らかに自己を高めた者に、特別の怒りが下されるのであった。 PK 551.3
「それゆえ主はユダの王エホヤキムについてこう言われる、彼の子孫にはダビデの位にすわる者がなくなる。また彼の死体は捨てられて昼は暑さにあい、夜は霜にあう。わたしはまた彼とその子孫とその家来たちをその罪のために罰する。また彼らとエルサレムの民とユダの人々には災を下す」(エレミヤ36:30、31)。 PK 551.4
巻物を焼けばそれで万事が終わるのではなかった。書かれた言葉は、そこに含まれた譴責と警告、また神が背信したイスラエルに対して宣告された神の急速な刑罰よりは、はるかに簡単に破棄することができた。 PK 551.5
しかし、巻物さえもう1度書かれたのである。「他の巻物を取り、ユダの王エホヤキムが焼いた、前の巻物のうちにある言葉を皆それに書きしるしなさい」と主はそのしもべにお命じになった。ユダとエルサレムに関する預言の記録は灰に帰してしまった。しかし言葉は、エレミヤの心の中に、まだ「火の炎」のように燃えていた。そしてエレミヤは、人間の怒りが破棄してしまおうとしたものをもう1度作ることを許された。 PK 551.6
エレミヤはもう1つの巻物を取ってそれをバルクに与えた。「バルクはユダの王エホヤキムが火にくべて焼いた巻物のすべての言葉を、エレミヤの口述にしたがってそれに書きしるし、また同じような言葉を多くそれに加えた」(エレミヤ36:28、32)。人間の怒りは、神の預言者の活動を阻止しようとした。しかしエホヤキムが、主のしもべの感化を制限しようとした手段そのものが、神の要求をさらに明らかにする 機会となったのである。 PK 551.7
エレミヤを迫害して投獄するに至った譴責に対する反感の精神は、今日も残っている。多くの者は繰り返して与えられる警告に耳を傾けることを拒み、彼らの虚栄心にへつらい、彼らの悪行を見ても見ぬふりをする偽教師たちの言葉を聞くほうを好むのである。このような人々は、悩みの日に確実な避難所を持たず、天からの助けもないのである。神に選ばれたしもべたちは、屈辱、無関心、誤解などによる試練と苦難に、勇気と忍耐をもって立ち向かわなければならない。彼らは神がせよとお命じになった仕事を忠実に果たしていかなければならない。そして、昔の預言者たちも、人類の救い主や彼の信徒たちも、み言葉のためにののしりと迫害に耐えたことを、常に覚えていなければならない。 PK 552.1
エホヤキムがエレミヤの勧告を聞いて、ネブカデネザルに好感をもって迎えられて、多くの悲痛なでき事を避けることが、神のみこころであった。若い王は、バビロンの王に忠誠をつくすことを誓った。もし彼が忠実にその約束を果たしたならば、彼は異教の人々の信頼をかち得て、多くの人々を改心に導く尊い機会とすることができたはずであった。 PK 552.2
ユダの王エホヤキムは、彼に与えられた著しい機会を拒絶して、頑強に自分勝手な道を歩んだ。彼はバビロンの王に対する約束を破り反逆した。これは彼と彼の国を非常な窮地に陥れた。「主はカルデヤびとの略奪隊、スリヤびとの略奪隊、モアブびとの略奪隊、アンモンびとの略奪隊をつかわしてエホヤキムを攻められた」(列王紀下24:2)。彼はわずか数年足らずで天の神から拒否され、国民からは愛されず、信頼を裏切ったバビロンの王からは軽べつされて、彼の悲惨な治世は屈辱のうちに終わった。そしてこうした事はみな、彼が神のお命じになった使者によって示された神のみこころから離れた致命的あやまりによるものであった。 PK 552.3
エホヤキムの子エホヤキン〔エコニヤ、コニヤとも呼ばれる〕は、3か月と10日しか世を治めなかった。ユダの王はその背信のゆえに、再び破滅にひんした都エルサレムの包囲を招き、カルデヤの軍勢に降伏したのである。この時、ネブカデネザルは、「エホヤキンをバビロンに捕らえて行き、また王の母、王の妻たち、および侍従と国のうちのおもな人々をも、エルサレムからバビロンへ捕らえて行った」。こうした数千の人々に加えて、「木工と鍛冶1000人」も連れて行った。さらに、バビロンの王は、「主の宮のもろもろの宝物および王の家の宝物をことごとく」持ち去った(同24:15、16、13)。 PK 552.4
人物と財産の両面において骨抜きにされて、権力が失墜したユダ王国は、なお一国を形成して存在することが許された。ネブカデネザルは、ヨシヤの末の子マッタニヤをその王として立て、彼の名をゼデキヤと改めた。 PK 552.5