国と指導者
第29章 虚栄のつけ
ヒゼキヤ王は、その栄えた治世の最中に、突然致命的な病気にかかった。「死にかかっていた」彼の病気は、人間の力ではどうすることもできないものであった。預言者イザヤが彼の前にあらわれて、「主はこう仰せられます、あなたの家を整えておきなさい。あなたは死にます、生きながらえることはできません」と言った時に、彼の最後の望みの綱は絶たれたように思われたのである(イザヤ38:1)。 PK 517.2
なおる見込みは全くないと思われた。しかし、王はこれまで彼の「避け所また力」、「悩める時のいと近き助けであ」られたお方に祈ることができたのである(詩篇46:1)。「そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、『ああ主よ、わたしが真実と真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください』。そしてヒゼキヤは激しく泣いた」(列王紀下20:2、3)。 PK 517.3
ダビデの時代以来、背信と失望の時代にあって、ヒゼキヤほど神の国の建設のために大いに働いた王はいなかった。死にかかっている王は、神に忠実に仕えた。そして、主が最高の支配者であられるということについて、人々の確信を強めたのである。彼はダビデのように、今嘆願することができたのである。 PK 517.4
「わたしの祈をみ前にいたらせ、 PK 517.5
わたしの叫びに耳を傾けてください。 PK 517.6
わたしの魂は悩みに満ち、 PK 517.7
わたしのいのちは陰府に近づきます」。 PK 517.8
(詩篇88:2、3) PK 517.9
「主なる神よ、あなたはわたしの若い時からの PK 517.10
わたしの望み、わたしの頼みです。 PK 517.11
わたしは……あなたに寄り頼みました」。 PK 517.12
「わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください」。 PK 517.13
「神よ、わたしに遠ざからないでください。 PK 517.14
わが神よ、すみやかに来てわたしを助けてください」。 PK 517.15
「神よ、……あなたの力をきたらんとする PK 517.16
すべての代に宣べ伝えるまで、 PK 517.17
わたしを見捨てないでください」。 PK 517.18
(同71:5、6、9、12、18) PK 517.19
その「いつくしみは絶えることがな」いお方が、彼の祈りを聞かれた(哀歌3:22)。「イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、『引き返 して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、「あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。3日目にはあなたは主の宮に上るであろう。かつ、わたしはあなたのよわいを15年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもベダビデのためにこの町を守るであろう」』」(列王紀下20:4~6)。 PK 517.20
預言者イザヤは喜んで引き返して行って、確証と希望の言葉を伝えた。イザヤはいちじくのかたまりを病気の個所につけることを指示して、王に神の憐れみと保護の使命を伝えた。 PK 518.1
モーセがミデアンの地において、また、ギデオンが天の使者の前に出たとき、またエリシャが彼の主人の昇天する直前に求めたのと同様に、ヒゼキヤはこの使命が天からのものであるというしるしを見せてほしいと願った。「主がわたしをいやされる事と、3日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」とヒゼキヤはイザヤにたずねた。イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が10度進むか、あるいは10度退くかです」(同20:8、9)。 PK 518.2
日時計の影を10度退かせることは、ただ神の直接の介入によってのみなし得ることであった。そして、ヒゼキヤはこれを、主が彼の祈りを聞かれたしるしとして求めたのであった。「そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、10度退かせられた」(同20:11)。 PK 518.3
ユダの王はいつもの力を回復した時に、主の憐れみを歌の言葉に表現して感謝した。そして余生を王の王に心から仕えることを誓ったのである。彼が神の憐れみ深い取り扱いに対して感謝を言い表したことは、創造者の栄光のために、自分たちの年月を費やそうと望んでいるすべての者に大きな励ましを与えているのである。 PK 518.4
「わたしは言った、わたしはわが一生のまっ盛りに、 PK 518.5
去らなければならない。 PK 518.6
わたしは陰府(よみ)の門に閉ざされて、 PK 518.7
わが残りの年を失わなければならない。 PK 518.8
わたしは言った、わたしは生ける者の地で、 PK 518.9
主を見ることなく、 PK 518.10
世におる人々のうちに、再び人を見ることがない。 PK 518.11
わがすまいは抜き去られて PK 518.12
羊飼の天幕のようにわたしを離れる。 PK 518.13
わたしは、わが命を機織りのように巻いた。 PK 518.14
彼はわたしを機から切り離す。 PK 518.15
あなたは朝から夕までの間に、わたしを滅ぼされる、 PK 518.16
わたしは朝まで叫んだ。 PK 518.17
主はししのようにわが骨をことごとく砕かれる。 PK 518.18
あなたは朝から夕までの間に、わたしを滅ぼされる。 PK 518.19
わたしは、つばめのように、つるのように鳴き、 PK 518.20
はとのようにうめき、 PK 518.21
わが目は上を見て衰える。 PK 518.22
主よ、わたしは、しえたげられています。 PK 518.23
どうか、わたしの保証人となってください。 PK 518.24
しかし、わたしは何を言うことができましょう。 PK 518.25
主はわたしに言われ、 PK 518.26
かつ、自らそれをなされたからである。 PK 518.27
わが魂の苦しみによって、 PK 518.28
わが眠りはことごとく逃げ去った。 PK 518.29
主よ、これらの事によって人は生きる。 PK 518.30
わが霊の命もすべてこれらの事による。 PK 518.31
どうか、わたしをいやし、 PK 518.32
わたしを生かしてください。 PK 518.33
見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、 PK 518.34
わが幸福のためであった。 PK 518.35
あなたはわが命を引きとめて、 PK 518.36
滅びの穴をまぬかれさせられた。 PK 518.37
これは、あなたがわが罪をことごとく、 PK 518.38
あなたの後に捨てられたからである。 PK 518.39
陰府は、あなたに感謝することはできない。 PK 518.40
死はあなたをさんびすることはできない。 PK 518.41
墓にくだる者は、 PK 518.42
あなたのまことを望むことはできない。 PK 519.1
ただ生ける者、生ける者のみ、 PK 519.2
きょう、わたしがするように、あなたに感謝する。 PK 519.3
父はあなたのまことを、その子らに知らせる。 PK 519.4
主はわたしを救われる。 PK 519.5
われわれは世にあるかぎり、 PK 519.6
主の家で琴にあわせて、歌をうたおう」。 PK 519.7
(イザヤ38:10~20) PK 519.8
チグリスとユフラテ川にはさまれた肥沃な流域に、当時アッスリヤに属してはいたが、世界を支配する運命にあった古代民族が住んでいた。その国民の中に、熱心に天文学を研究していた賢者たちがあった。そして彼らは、日時計の影が10度退いたことに気づいた時に大いに驚いた。彼らの王メロダク・バラダンは、天の神がユダの王の寿命を延ばされたしるしに、神がこの奇跡を彼にお与えになったことを聞いてヒゼキヤに使者を送り、彼の回復を祝うとともに、できることならばこのように大きな奇跡を行うことができる神についてもっと学びたいと思った。 PK 519.9
遠国の王からのこれらの使者たちの訪問は、生ける神を賛美する機会をヒゼキヤに与えたのである。彼がすべての造られたものを支えておられる神について語ることは、何と容易なことであったことだうり。その神の恵みによって、全く絶望的であった彼自身の生命が助けられたのである。カルデヤの平原から来たこれらの真理の探究者たちが、生ける神の最局の支配権を認めるように導かれたならば、何と大きな変化が起こったことであろう。 PK 519.10
しかし、誇りと虚栄がヒゼキヤの心を捕らえた。そして彼は得意気に、強欲な人々の目の前に神がお与えになった、神の民の宝を開いて見せた。王は、「宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は1つもなかった」(同39:2)。彼がこうしたのは、神に栄光を帰するためではなくて、外国の君たちの前で自分を高めるためであった。彼はこの人々が、神を恐れることも愛することもしない強大な国家の代表者であることを考慮しなかった。そして、彼が彼らを信じて国家の物質的富を見せたことは分別のないことであった。 PK 519.11
使者たちがヒゼキヤを訪問したことは、彼の感謝と献身を試すためであった。次のように記録されている。「しかしバビロンの君たちが使者をつかわして、この国にあった、しるしについて尋ねさせた時には、神は彼を試みて、彼の心にあることを、ことごとく知るために彼を捨て置かれた」(歴代志下32:31)。もしヒゼキヤが、イスラエルの神の力と恵みと憐れみについてあかしを立てるために、彼に与えられた機会を活用したならば、使者たちの報告は暗黒を照らす光となったことであろう。しかし彼は、万軍の主よりも自分自身を賛美したのである。「しかしヒゼキヤはその受けた恵みに報いることをせずその心が高ぶった」(歴代志下32:25上句)。 PK 519.12
何と悲惨な結果が起ころうとしていたことであろう。帰国する使者たちは、彼らが見た富の報告を持ち帰ろうとしていた。そしてバビロンの王と大臣たちは、エルサレムの宝によって自分たちを富まそうと計画するであろうということがイザヤに示された。ヒゼキヤははなはだしい罪を犯した。「怒りが彼とユダおよびエルサレムに臨もうとした」のである(同32:25下句)。 PK 519.13
時に預言者イザヤはこのヒゼキヤ王のもとに来て言った、『あの人々は何を言いましたか。どこから来たのですか』。ヒゼキヤは言った、『彼らは遠い国から、すなわちバビロンから来たのです』。イザヤは言った、『彼らは、あなたの家で何を見ましたか』。ヒゼキヤは答えて言った、『彼らは、わたしの家にある物を皆見ました。倉庫のうちには、彼らに見せなかった物は1つもありません』。 PK 519.14
そこでイザヤはヒゼキヤに言った、『万軍の主の言葉を聞きなさい。見よ、すべてあなたの家にある物およびあなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物がバビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはない、と主が言われます。また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られて、バビロンの 王の宮殿において宙官となるでしょう』。ヒゼキヤはイザヤに言った、『あなたが言われた主の言葉は結構です』」(イザヤ39:3~8)。 PK 519.15
ヒゼキヤは悔恨の念に満たされ、「その心の高ぶりを悔いてへりくだり、またエルサレムの住民も同様にしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの世には彼らに臨まなかった」(歴代志下32:26)。しかし悪の種はまかれたのであった。そして、やがてそれは芽生えて、荒廃と悲哀という収穫を実らせるのであった。ユダの王はその後の年月の間、過去の償いのためと彼が仕える神のみ名の栄えのために着実に歩んだので、大いに繁栄するのであった。しかし彼の信仰は激しく試みられるのであった。そして彼は、主に全く信頼することによってのみ、彼を破滅に陥れ、彼の民を全滅させようとしていた悪の勢力に勝利することができることを学ぶのであった。 PK 520.1
使者たちの訪問に当たってヒゼキヤが自分に与えられた信任に背いた物語は、すべてのものに重大な教訓を教えている。われわれは自分たちの経験の中の尊いでき事、神の憐れみといつくしみ、また、救い主の愛の比類のない深さなどについて、これまでよりもっと多く語らなければならない。われわれの心と思いが神の愛に満たされている時に、霊的生活のことを他の人々に伝えることは難しくなくなる。偉大な思想、高尚な熱望、真理についての明快な理解、無我の目的、敬慶な生活と聖潔への願望などは言葉となってあらわれ、心に秘められた宝がどんなものであるかを示すのである。 PK 520.2
われわれが日ごとに交わる人々は、われわれの助けと指導を必要としている。彼らの心は、折にかなって語られる言葉に力づけられる状態にあることであろう。これらの人々の中には、明日ふたたび接することができなくなってしまう者があろう。われわれはこれらの旅の道つれに、どんな感化を及ぼしていることであろうか。 PK 520.3
われわれは日ごとの生活において負わなければならない義務が与えられている。毎日われわれの言行は、交わる人々に印象を与えている。われわれの唇に門番をおき、われわれの歩みを注意深く見守ることが何と必要なことであろう。1つの軽率な行為、1つの分別を欠いた歩み、また何か強い誘惑の波が押し寄せて、人を堕落の道に流してしまうのである。われわれは人々の心の中に植えつけた思いを、拾い集めることはできない。もしそれが悪いものであれば、われわれは一連のでき事、悪の潮流を始動させたのであって、それを止める力はわれわれにはないのである。 PK 520.4
他方もしわれわれが自分たちの模範によって、正しい原則を発達させるように他の人々を助けたとするならば、われわれは彼らに善を行う力を与えるのである。今度は彼らが同様の有益な感化を、他の人々に及ぼすのである。こうして幾百幾千という人々が、われわれの無意識の感化によって助けられるのである。キリストの真の弟子は接触するすべての人の、善を行おうとする精神を強める。神を信ぜず罪を愛する世界の前で、彼は神の恵みの力と神の品性の完全さをあらわすのである。 PK 520.5