国と指導者

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第28章 熱心な改革者ヒゼキヤ王

アハズの無謀な統治とは、大いに対照的に、彼の子、ヒゼキヤの栄えた治世に改革が起こったのである。ヒゼキヤは、北王国が陥っていた運命から、ユダを救おうと全力をつくす決意をもって王位についた。預言者たちの言葉は、中途半端な対策を奨励するものではなかった。最も決定的な改革によってのみ、切迫しつつあった刑罰を避けることができたのである。 PK 514.2

この危機において、ヒゼキヤは、機会の人であった。彼は、王位につくや否や、計画を立て、それを実行し始めた。彼はまず、長い間行われていなかった神殿の務めを回復することに心を向けた。そして、彼は、この仕事をするに当たって、聖職に忠誠を保っていた一群の祭司たちとレビ人たちの協力を熱心に求めた。ヒゼキヤは、彼らの忠実な支持を得ることを確信して、彼が直ちに遠大な改革を行おうと願っていることを、率直に彼らに語った。「われわれの先祖は罪を犯し、われわれの神、主の悪と見られることを行って、主を捨て、主のすまいに顔をそむけ、うしろを向けた。」「今わたしは、イスラエルの神、主と契約を結ぶ志をもっている。そうすればその激しい怒りは、われわれを離れるであろう」と彼は告白した(歴代志下29:6、10) PK 514.3

王は、よく選ばれたわずかな言葉によって、彼らが当面した事態を回顧した。すなわち、神殿は閉ざされ、聖所内のすべての務めは中断されていた。町の通りと王国の至るところにおいて、邪悪な偶像礼拝が行われていた。もしもユダの指導者たちか正しい模範を示しさえすれば神に忠誠をつくしたはずの多くの人々が背信した。そして、周囲の諸国間において、王国の威信は失墜した。北王国は、急速に崩壊しつつあった。剣にかかって倒れる者も多かった。すでに、多数の者が、捕虜として連れ去られた。間もなくイスラエルは、完全にアッスリヤの手中に落ち、全く荒廃してしまうのであった。そして、神が、選んだ代表者によって、大いなる働きをなさるのでなければ、ユダもまた、この運命に陥ることにきまっていた。 PK 514.4

ヒゼキヤは、必要な改革を行うために、直接祭司たちに訴えて、彼らの協力を求めた。「わが子らよ、今は怠ってはならない。主はあなたがたを選んで、主の前に立って仕えさせ、ご自分に仕える者となし、また香をたく者とされたからである」。「レビびとよ、聞きなさい。あなたがたは今、身を清めて、あなたがたの先祖の神、主の宮を清め、聖所から汚れを除き去りなさい」と熱心に彼らに説いた(同29:11、5)。 PK 514.5

それは、急速に行動すべき時であった。祭司たちは、直ちに行動を起こした。彼らは、この会合に出席していなかった他の祭司たちの協力を呼びかけて、心から神殿を清める仕事に従事した。長年、汚され、顧みられないままであったので、これには多くの困難が 伴った。しかし、祭司たちやレビ人たちは、たゆまず働き、驚くべき短期間のうちに、その任務を完了したことを報告することができたのである。神殿の扉は修理されて、広く開放された。聖なる器物は集められて、所定の場所に置かれた。そして、聖所の務めを再開する準備が全く整った。 PK 514.6

最初の礼拝が行われた時に、町のつかさたちは、ヒゼキヤ王や祭司たちレビびとたちと心を合わせて、国家の罪のゆるしを求めた。罪祭が祭壇の上に献げられて、イスラエル全国のためにあがないが行われた。「ささげる事が終ると、王および彼と共にいた者はみな身をかがめて礼拝した」。再び、神殿の庭は、賛美と喜びの声に鳴りひびいた。ダビデとアサフの歌が、喜びをもって歌われ、礼拝者たちは、彼らが罪と背信のつなぎから解放されていることを感じた。「この事は、にわかになされたけれども、神がこのように民のために備えをされたので、ヒゼキヤおよびすべての民は喜んだ」(歴代志下29:24、29、36)。 PK 515.1

神は、背信の潮流を止めるために、決定的改革運動を推進するようにユダの主立った人の心を準備されたのであった。神は預言者たちによって、熱烈な訴えの言葉を次々と神の選民に送られた。イスラエル王国の10部族は、その使命を軽蔑し拒否して、今や敵の手中に渡されてしまったのである。しかし、ユダには、貴重な残りの民が残っていたので、預言者たちは、この人々に訴え続けたのである。「イスラエルの人々よ、主に帰れ。あなたがたは、はなはだしく主にそむいた」と訴えるイザヤの声を聞け(イザヤ31:6)。 PK 515.2

ミカの確信に満ちた宣言を聞け。「しかし、わたしは主を仰ぎ見、わが救の神を待つ。わが神はわたしの願いを聞かれる。わが敵よ、わたしについて喜ぶな。たといわたしが倒れるとも起きあがる。たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる。主はわが訴えを取りあげ、わたしのためにさばきを行われるまで、わたしは主の怒りを負わなければならない。主に対して罪を犯したからである。主はわたしを光に導き出してくださる。わたしは主の正義を見るであろう」(ミカ7:7~9)。 PK 515.3

神は、心から神に立ち返る人々を快くゆるして受け入れてくださることを示すこれらの言葉と、これに類した言葉は、神殿の扉が閉ざされていた暗黒の時代に、多くの弱り果てそうな人々に希望をもたらした。そして、今、指導者たちが、改革を起こそうとしていたときに、罪の束縛に疲れた多くの人々は、それに答える用意があったのである。 PK 515.4

ゆるしを求め、主に対する忠誠の誓いを新たにするために神殿に入った人々は、聖書の預言的部分によって驚くべき励ましを与えられたのである。イスラエル全国民の前でモーセが語った偶像礼拝に対する厳粛な警告には、背信の時に、まごころから主を求める者に対して、神は、喜んで耳を傾け、ゆるしてくださるという預言が伴っていたのである。「もしあなたの神、主に立ち返ってその声に聞きしたがうならば、あなたの神、主はいつくしみの深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさずまたあなたの先祖に誓った契約を忘れられないであろう」(申命記4:30、31)。 PK 515.5

今、ヒゼキヤとその仲間たちは、神殿の務めを再開しようとしていたのであるが、その神殿の献納の時の預言的祈りにおいて、ソロモンは次のように祈ったのである。「もしあなたの民イスラエルが、あなたに対して罪を犯したために敵の前に敗れた時、あなたに立ち返って、あなたの名をあがめ、この宮であなたに祈り願うならば、あなたは天にあって聞き、あなたの民イスラエルの罪をゆるして」ください(列王紀上8:33、34)。この祈りを神が嘉納されたしるしが与えられた。 PK 515.6

この祈りが終わった時に、天から火が下って、燔祭と犠牲とを焼き、主の栄光が宮に満ちたのである(歴代志下7:1参照)。そして、主は、夜ソロモンに現れて、彼の祈りが聞かれたことと、そこで祈る人々に恵みが与えられることをお告げになったのである。恵み深い確証が与えられた。「わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天 から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす」(歴代志下7:14)。 PK 515.7

これらの約束は、ヒゼキヤの治世下における改革の時に、あふるるばかりに成就したのである。 PK 516.1

神殿の清めの時に行われたよい出発に続いて、さらに広範囲にわたる運動が起こり、それにユダもイスラエルも参加した。ヒゼキヤは、神殿の務めを真に人々の祝福にしようと熱望して、イスラエルの人々を集めて、過越の祭りを祝う古代の習慣を復興することを決意した。 PK 516.2

過越の祭りは、長年の間、国家的祭りとして行われていなかった。ソロモンの治世後、王国が分裂して以来、これは実行が不可能だろうと思われていた。しかし、10部族にくだりつつあった恐るべき刑罰は、ある人々の心に、よりよきものへの願望を起こさせた。そして、預言者たちの感動的な言葉は、その効果をあらわした。王の使者たちは、エルサレムにおいて行われる過越の祭りへの招待を至るところに告げひろめて、「エフライムとマナセの国にはいって、町から町に行き巡り、ついに、ゼブルンまで行った」。恵み深い招待の使者たちは、断られるのが普通であった。悔い改めようとしない人々は、軽々しく背を向けた。しかし、神のみこころをさらにはっきりと知ろうとして熱心に神を求めていた人々は、「身を低くして、エルサレムにきた」のであった(同30:10、11)。 PK 516.3

ユダの国においては、すべての人々がそれに答えた。それは、「神の手が」彼らの上におかれ、「人々に一つ心を与えて、王とつかさたちが主の言葉によって命じたことを行わせた」からである(同30:12)。 PK 516.4

この祭りは、集まった群衆にとって、最も有益な時であった。町の汚れた通りから、アハズの治世下に置かれた偶像礼拝の祭壇が取り除かれた。定められた日に過越の祭りが祝われ、その週、人々は、酬恩祭の犠牲をささげ、神が彼らに何をすることを望んでおられるかを学んで過ごした。レビ人は、日ごとに主に関することを人々に教えた。そして、神を求めるために、その心の準備をした者は、ゆるしを与えられたのである。礼拝に集まった群衆は、大いなる喜びを味わった。「レビびとと祭司たちは日々に主をさんびし、力をつくして主をたたえた」。すべての者は、心を1つにして、このように恵みと憐れみとを示された神を賛美したいと願ったのであった(同30:20、21)。 PK 516.5

過越の祭りのために定められた7日間は、速やかに過ぎ去った。そして、礼拝者たちは、主の道をもっと詳しく学ぶために、そのあとさらに7日間、過ごすことにした。教育に当たっていた祭司たちは、律法の書から人々に教える働きを続けた。人々は、日ごとに神殿に集まって、彼らの賛美と感謝のささげ物をささげた。そして、大いなる集会が終わりに近づいた時に、神が、背信したユダの改心のために驚くべき働きをなし、国家の前にあるすべてのものを押し流すかと思われた偶像礼拝の潮流を阻止されたことが明らかになった。預言者たちの厳粛な警告は、むだに語られたのではなかった。「このようにエルサレムに大いなる喜びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時からこのかた、このような事はエルサレムになかった」(同30:26)。 PK 516.6

礼拝者たちが家に帰る時が来た。「このとき祭司たちとレビびととは立って、民を祝福したが、その声は聞かれ、その祈は主の聖なるすみかである天に達した」(同30:27)。神は、砕けた心をもって罪を告白し、固い決心のもとに、ゆるしと助けを求めて神に立ち返った人々をお受け入れになった。 PK 516.7

さて、それぞれの家へ帰る人々が、活発に従事しなければならない働きが残されていた。そして、この働きを完成することによって、ここで起こった改革の純粋さが証明されるのであった。 PK 516.8

記録には次のように記されている。「そこにいたイスラエルびとは皆、ユダの町々に出て行って、石柱を砕き、アシラ像を切り倒し、ユダとベニヤミンの全地、およびエフライムとマナセにある高き所と祭壇とを取りこわし、ついにこれをことごとく破壊した。そしてイスラエルの人々はおのおのその町々、その所領に帰った」(歴代志下31:1)。 PK 516.9

ヒゼキヤとその仲間たちは、王国の霊的および物質的福利増進のために種々の改革を起こした。「ヒ ゼキヤはユダ全国にこのようにし、良い事、正しい事、忠実な事をその神、主の前に行った。彼が…始めたわざは、ことごとく心をつくして行い、これをなし遂げた」。「ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。…すなわち彼は固く主に従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。主が彼と共におられたので…彼は功をあらわした」(同31:20、21、列王紀下18:5~7)。 PK 516.10

驚くべき摂理が引き続いて起こり、周囲の国々にイスラエルの神が神の民と共におられることを示したのが、ヒゼキヤの治世の特徴であった。彼の治世の初期に、アッスリヤが、サマリヤを占領して、10部族の残っていた民を諸国の間に離散させてしまったことが、ヘブルの神の力を多くの者に疑わせるに至った。ニネベは、こうした成功に勇気を得て、すでに早くからヨナの使命を拒否し、天の神のみこころに大胆にも反抗していた。サマリヤが、陥落してから数年後に、勝ち誇った軍勢は、ふたたびパレスチナに現れ、今回は、ユダの城壁をめぐらした町々を攻撃し、多少の成果をあげた。しかし、アッスリヤ領土内の他の地域に困難な問題が起こったために、軍勢はしばらく、退却していった。異教徒の神々がついに勝利するかどうかということが、世界の諸国の前に示されるのは、それから数年経過して、ヒゼキヤの治世も終わろうとするころにおいてであった。 PK 517.1