人類のあけぼの
第22章 モーセ
本章は、出エジプト記1~4章に基づく PP 121.5
エジプトの人々は、飢饉の間の食糧を得るために家畜や土地を王に売ったので、ついに、いつまでも奴隷でいなければならなくなった。しかし、ヨセフは、彼らを救済する賢明な策を立てた。彼は、人々を王の小作人として、王の土地を確保させ、彼らの勤労の実の5分の1を年貢として納めさせることにした。 PP 121.6
しかし、ヤコブのむすこたちには、このような条件を設ける必要がなかった。彼らは、ヨセフがエジプトの国家に尽くした功労によって、国土の一部分が居住地として与えられただけでなく、税金も免除され、飢饉の間の食物も十分に供給された。王は、他の国々が飢饉のために滅びようとしていた時に、エジプトが豊作に恵まれたのは、ヨセフの神のあわれみ深い介入によるものであることを公然と認めた。王は、また、ヨセフの行政が国家を大いに豊かにしたことを認めて、感謝の意をあらわし、ヤコブの家族を厚くもてな した。だが、時代は移り、エジプトに大きな貢献をした偉大な人物ヨセフも、またその業績によって祝福を受けた人々も死んでしまった。そして、「ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った」(出エジプト1:8)。彼はヨセフの業績を知らなかったわけではないが、むしろ認めようとはせず、できるだけ忘れ去ろうとつとめた。「彼はその民に言った、『見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう』」(同1:9、10)。 PP 121.7
イスラエル人は、そのころすでに数が非常に多くなっていた。「けれどもイスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、国に満ちるようになった」(同1:7)。ヨセフの庇護と、当時の王の好意のもとに、イスラエル人は急速に増加していった。しかし彼らは、特殊な民族としての特徴を保って、エジプト人の習慣や宗教を取り入れなかった。それで彼らの数の増加は戦争が起これば、彼らがエジプトの敵に味方するのではないかという不安を、王や国民に与えた。しかし、政策は彼らを国外に追放することを禁じていた。それにイスラエル人の多くの者は、有能で知力のすぐれた技術者であって、また、国家を富裕にするのに貢献することが大であった。王は、これらの職人を壮大な宮殿や神殿の建設にも必要とした。それで、王は、イスラエル人を、国家に土地と財産を売り渡したエジプト人と同列においた。やがて管理の役人を彼らの上に立てて、彼らを完全に奴隷化してしまった。「エジプトびとはイスラエルの人々をきびしく使い、つらい務をもってその生活を苦しめた。すなわち、しっくいこね、れんが作り、および田畑のあらゆる務に当らせたが、そのすべての労役はきびしかった」「しかしイスラエルの人々が苦しめられるにしたがって、いよいよふえひろが」った(同1:13、14、12)。 PP 122.1
王と側近たちは、きびしい労役をもってイスラエルびとを苦しめ、その数を減らし、彼らの独立精神を粉砕しようとはかった。しかし、この計画の実行に失敗するや、彼らはもっと残忍な手段をとった。もしヘブルのり男子が生まれたらその場で殺せという命令が助産婦に発せられた。彼らは職務上、この命令を実行できる立場にあった。サタンがこのことの扇動者であった。サタンは、イスラエル人の中から救済者があらわれることを知っていて、王を動かしてヘブルの男子を殺してしまえば、神の計画を挫折できると考えた。しかし、助産婦たちは神を畏れて、残忍な王の命令に従わなかった。主は、彼女たちの行動を承認し、祝福をお与えになった。王は、自分の計画が失敗したので非常に怒り、命令をもっと急速で広範囲に実施することを命じた。かよわい赤子たちを捜し出して殺せという命令が全国に出された。「そこでパロはそのすべての民に命じて言った、『ヘブルびとに男の子が生れたならば、みなナイル川に投げこめ。しかし女の子はみな生かしておけ』」(同1:22)。 PP 122.2
この命令が完全に実施されていたとき、神を敬うレビの部族のイスラエル人、アムラムと、妻ヨケベテの間に男の子が生まれた。その赤子は「麗しい」男の子であった。両親は、イスラエルの救いの日が近いこと、また神は、その民のために解放者をお立てになることを信じて、この幼子を殺さない決心をした。神を信じる信仰は両親の心を強め、「彼らはまた、王の命令をも恐れなかった」(ヘブル11:23) PP 122.3
母親は、3ヶ月の間はなんとか子供を隠すことができたが、それ以上安全に彼を守ることはできないと思い、パピルスで編んだ小さなかごを用意し、水を通さないようにアスファルトと樹脂を塗り、子供をその中に入れ、川岸の葦の中においた、そこに母親か残って見ていれば、子供の生命と自分とを危険にさらすかも知れなかった。そこで、その子の姉ミリアムが、表面は何事もないようなふりをして、その辺にいて幼い弟のようすを注意深く見守っていた。ところが、そのほかにも彼を見守る者があった。母親は熱心に祈って、その子を神の守護にゆだねた。そして、人の目にこそ見えなかったが、み使いたちがこのささやか なかごの上を飛びかっていた。天使はそこに、パロの娘を導いた。彼女は、そこで小さなかごを見つけて不思議に思い、その中に美しい男の子を見るや、その事情をすべて察知した。彼女は、赤子の涙を見てあわれに思い、だいじな赤子の生命を助けようとこれほどの努力をしている未知の母に心から同情した。彼女は、この子を助け出し、自分の養子にしようと決心した。 PP 122.4
ミリアムは、ひそかに事のなりゆきをうかがっていた。子供がやさしくいたわられているのを見て、近寄って行き、ついにこう言った。「わたしが行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでまいりましょうか」(出エジプト2:7)。すると、そうしてよいという許しが与えられた。ミリアムは、すぐに喜びの知らせをもって母親のもとにいそぎ、直ちに彼女を連れてパロの娘の前に出た。「この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」と王女は言った(同2:9)。 PP 123.1
神は母親の祈りを聞かれた。彼女の信仰は報われた。今やヨケベテは深く感謝して、この安全で幸福な任務にとりかかった。彼女は、その子を神のために教育する機会を忠実に活用した。彼女は、この子が何か大いなる働きのために守られたことを確信した。やがては、王宮の母親に彼を返さなければならないこと、そして、それは彼を神から引き離すような環境であることを彼女は知っていた。そのために、彼女はほかの子供たちよりも、もっと熱心に注意深く教育をほどこすようになった。彼女は、彼の心に神を畏れ、真理と正義とを愛するように教えこむことに力を入れ、あらゆる腐敗した影響から彼が守られることをひたすら祈り求めた。彼女は偶像礼拝の罪とむなしさを彼に示した。そして、彼が小さいときから彼の祈りを聞き、どんな危急の場合にも助けてくださるただ1人の生きた神を拝し、祈るように教えた。 PP 123.2
母親は、できるだけ少年を自分の手もとにおいたが、彼が12歳になると手放さなければならなかった。彼はそまつな小屋からパロの娘の宮殿に連れてゆかれ、「そして彼はその子となった」(同2:10)。彼は、ここにきても幼少時代に受けた教訓を忘れなかった。彼は母親のそばで学んだ教訓を忘れることができなかった。それらの教訓は、高慢と無神論、また、華麗な宮殿の中に暗躍する罪悪を防ぐ盾となった。 PP 123.3
この異郷の奴隷であったヘブルの一女性の感化は、なんと偉大な結果をもたらしたことであろう。モーセのその後の全生涯、イスラエルの指導者として果たした大事業は、クリスチャンの母親の働きの重要性を証明している。これに匹敵する仕事はほかにない。母親は、子供の運命の大部分を自分の手のうちに握っている。彼女は成長中の頭脳と品性をあつかい、現世だけではなく、永遠のために働いているのである。彼女はやがて、芽を出し善悪いずれかの実を結ぶ種をまいているのである。母親は、カンバスの上に美しい姿をかいたり、大理石を彫刻しているのではなく、神のみかたちを人間の魂におしているのである。特に、幼少時代に子供たちの品性を形成する重要な責任が母親に負わされている。成長中の頭脳にこのとき与えられる印象は、生涯消え去らない。親たちは、子供たちをクリスチャンにするために、幼いうちから彼らを教え、訓練しなければならない。子供たちは地上の王国の継承者となるためではなく、神に仕える王たちとして永遠に支配する訓練を受けるためにわれわれの手もとにおかれているのである。 PP 123.4
すべての母親は、自分に与えられている時間の尊さを知らなければならない。母親の働きは、厳粛な審判の目にためされる。そのとき、男女の失敗と犯罪の多くは、子供たちの足を正しい道に導く義務を負わされた者が、無知であり怠慢であった結果であることを知るであろう。また、天才的才能と誠実と清い生活の光をもって世界を輝かした多くの者は、彼らの力と成功の源泉であった原則を、神に祈るクリスチャンの母親から授けられたことを知ることであろう。 PP 123.5
モーセはパロの王宮で、政治的また軍事的に最高の訓練を受けた。王は、娘の養子を次の王位継承者に指名し、青年モーセはその高い地位につくた めの教育を受けた。「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった」(使徒行伝7:22)。彼は軍隊の指導者としての能力を発揮してエジプト軍の中で名声を博し、一般の人々からも傑出した人物と思われた。サタンの策略は失敗に終わった。ヘブルの男の子をすべて殺せとの命令そのものによって、神の民の未来の指導者の教育と訓練がほどこされるように、神はお導きになった。 PP 123.6
イスラエルの長老たちは、彼らの救済の時が近いこと、また、神はモーセを用いてその仕事を行われることを、天使から教えられていた。天使は、モーセに、主がその民を苦役から救うために、彼を選ばれたことを知らせた。モーセは、自由を武力によってかちえるものと考え、ヘブル人をエジプト軍に敵対させようとした。モーセは、こうした考えから自分の感情をしっかり押えていた。さもないと、パロや養母への愛着から神のみこころを十分になしえないのではないかと恐れたからである。 PP 124.1
エジプトの法律によれば、パロの王位に座る者は、みな、神官たちの階級に属さなければならなかった。モーセは正式な後継者であったので、この神秘的な国家宗教を伝授されるべきであった。 PP 124.2
これは、神官たちにゆだねられた義務であった。モーセは非常に勤勉でまじめな研究家ではあったが、彼を偶像礼拝に参加させることはできなかった。彼は、十位につけないかもしれないとおどかされた。また、あくまでもヘブル人の信仰を離れずにいるならば、パロの王女から破門されるかもしれないと警告された。しかし、天地の創造主であるただ1人の神以外は何をも礼封しないという彼の決意はゆるがなかった。彼は、神官や偶像礼拝者たちに無感覚な対象に迷信的な礼拝をすることのむなしさを指摘して話し合った。だれも、彼の議論に反ばくすることも、彼の意志をかえることもできなかった。さしあたり、モーセのこうした決意は、その高い身分のためと、王や国民が彼に好感をいだいていたために、しばらく黙認されたのである。 PP 124.3
「信仰によって、モーセは、成人したとき、ハロの娘の子と言われることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである」(ヘブル11:24~26)。モーセは、地上の偉大な人物の中で傑出した者となり、地上の最も華麗な王国の宮殿の中でも一段と輝き、王国の権力を示す笏を持って支配するのにふさわしい名であった。彼の知的な偉大さは、各時代の偉人よりもはるかにすぐれていた。歴史家、詩人、哲学者、軍隊の指揮官、また、立法官として彼と並び得る者はなかった。しかし、彼は、こうした世界を前において、「罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び」、富、偉大さ、名誉などを得ることができる有望な将来を断固として拒む道徳的能力をもっていた。 PP 124.4
モーセは、神が謙虚で従順なしもべにお与えになる最後の報酬について教えられた。であるから、それに比較すれば、世的な利益などはまったく無価値なものになってしまうのであった。彼らは、パロの壮麗な宮殿や王座をさし示して、モーセの心を引きつけようとした。しかし神を度外視した罪の快楽が、その堂々たる宮廷にあることを彼は知っていた。彼は、華麗な宮殿や王冠のむこうの、罪に汚れていないみ国において、至高者の聖徒たちに与えられる大きな栄光を仰いでいた。彼は、信仰によって、天の王が勝利者の頭におかれる朽ちない冠を見ていた。このような信仰が、モーセに、地上の偉大な人々を離れて、貧しい軽蔑された民族に加わり、罪に仕えるよりは神に従うことを選ばせたのである。 PP 124.5
モーセは、王宮に40歳までとどまった。彼はしはしば自分の民族のあわれな状態のことを考え、苦役にあえぐ兄弟たちの所に行き、神が解放のために働いてくださることを保証して励ました。 PP 124.6
また、ときには、不正と圧迫に民が苦しめられているのを目撃して憤慨し、彼らのあだを打とうと興奮した。ある日、彼が外に出てみるとエジプト人がイスラ エルびとを打っているのを見て、とびかかってエジプト人を殺してしまった、この行動を目撃したのはそのイスラエル人だけだったので、モーセはいちはやく砂の中に死体を埋めた。こうして、彼は自分がイスラエル人の運動を支持していることを示し、彼らが自由を回復するために立ち上がるのを見たいと望んだ。「彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである」(使徒行伝7:25)。イスラエル人には、まだ解放の用意ができていなかった。翌日、モーセは2人のヘブル人が互いに争っているのを見たが、明らかにその1人のほうが悪かった。モーセは、悪い人のほうに注意した。ところが、彼はすぐにモーセに反発し、彼の仲裁する権利を拒んだ。「だれがあなたを立てて、われわれのつかさ、また裁判人としたのですか。エジプトびとを殺したように、あなたはわたしを殺そうと思うのですか」と、彼の罪を非難した(出エジプト2:14)。 PP 124.7
このことは、たちまちのうちにエジプト人の知るところとなり、大きく誇張されて間もなくパロの耳にも入った。この行動はたいへんなことのように王に報告された。すなわち、モーセは、自分の民族をエジプト人に反抗させ、政府を打ち倒し、自ら王座につこうとしている、彼が生きているかぎり、国家の安全は期することはできないというのであった。王は、直ちにモーセを殺すことに決めた。しかし、彼は、危険をさとって逃亡し、アラビアに行った PP 125.1
主が彼の道を導かれた。モーセは、同じく真の神を礼拝するミデアンの王であり祭司であるエテロの家にたどりついた。その後間もなく、モーセはエテロの娘の1人と結婚し、義父のもとで羊の群れを飼って、そこに40年をすごした。 PP 125.2
モーセは、エジプト人を殺したとき、父祖たちがくりかえして犯したと同様に、神がご自身でなしとげると約束されたことがらを自分の手で実現しようとする同じあやまちを犯した。モーセが考えたように、戦争によって民族を解放しようとすることは、神のみこころではなかった。それは、神だけに栄光を帰すようになるために、神の大いなる力によって実現するはすであった、しかしこうした性急なモーセの行動も、神の口的達成のために神か支配しておられたのである。モーセは、まだ、この大いなる仕事に当たる備えができていなかった。彼もまた、アブラハムやヤコブが学んだのと同じ信仰の教訓、すなわち神の約束の成就のためには、人間的な知恵や力にたよらず、神の力にたよることを学ぶ必要があった。そのほかにも、さびしい山々の中で受けるべき教訓があった。モーセは、自己否定と困難という学校で、忍耐を学び、自分の感情をおさえることを学ぶべきであった。また、モーセは、賢明に人を支配することができるようになる前に、まず、彼自身が服従する訓練を受けなければならなかった。イスラエル人に神のみこころを伝えることができるようになる前に、彼自身の心が全く神と調和していなければならなかった。モーセは、自分の経験から、援助を求めるすべてのものを、父親のようにめんどうをみる準備が必要であった。 PP 125.3
多くの人々は、長い困苦と心労の期間を非常な時間の損失だと考えて、免除されることを願うものである。しかし、無限の知恵をもたれた神は、民族の将来の指導者を40年間もいやしい羊飼いの仕事に召された。こうして、自分を忘れてやさしく羊の群れをいたわって、世話をする習慣が養われて、彼はイスラエルびとの心やさしく忍耐強い羊飼いとなることができるのであった。どのようにすぐれた人為的訓練や教養であっても、この経験のかわりにはならない。 PP 125.4
モーセは、忘れなければならないものがたくさんあった。エジプトにおいて彼を囲んでいた環境、たとえば、養母の愛情、国王の孫という高い身分、いたるところに見られる浪費、教養の高さ、鋭敏な眼識、そして、偽りの宗教の神秘性、壮麗な偶像礼拝の儀式、荘重な建築や彫刻など、すべては成長中の彼の頭脳に深い印象を与え、彼の習慣や品性の形成に相当の影響をおよぼした。これらの印象をとり去ることができるのは、時間と環境の変化と、そして、神との交わりであった。モーセにとっても誤謬を捨てて真理を受け入れることは必死の激しい戦いを要した。しか し、その戦いが人間の力では耐えられないほど激しくなるときには、神が助けをお与えになるのであった。 PP 125.5
神のみわざをなすために選ばれたすべての人々の中に人間的な要素が見られる。だが、彼らは、型にはまった習慣や品性に満足して、じっとしている人々ではなかった。彼らは、熱心に神から知恵を得ようと求め、神のために働くことを学ぼうとするのである。使徒ヤコブは、「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」と言っている(ヤコブ1:5)。しかし、神は、人々が暗黒の中にとどまって満足しているあいだは、天よりの光をお与えにならない。人間は、神の助けを受けるために、まず自分の弱さ、足りなさを自覚しなければならない。彼は、自分の中に大いなる変化が起こるように専心努力しなければならない。彼は、目をさまして熱心にたゆまず祈り、努力しなければならない。悪い習慣や風習は捨てなければならない。これらのあやまちを正し、正しい原則に調和するように堅く決心して励んでこそ、勝利は得られるのである。多くの人は、当然得られる地位を得られないでいる。というのは、彼らが自分で実行するように神から力が与えられているのに、神が彼らのためにしてくださるのを待っているからである。有用な働きにふさわしい者はすべて、最もきびしい、知的、道徳的訓練によって鍛えられなければならない。そのとき、神は人間の努力に神の力を加えて助けてくださるのである。 PP 126.1
モーセは、山々の岩壁にかこまれ、ただ1人で神と交わった。もはや、エジプトの華麗な神殿が彼の心に迷信と虚偽を印象づけることはなかった。永遠の山々の壮大なながめに、モーセは至高者の威光を仰ぎ、それとは対照的にエジプトの神々がいかに力なく、むなしいものであるかを認めた。いたるところに創造主のみ名がしるされていた。モーセは、神のみ前に立っているかのように感じ、その偉大な力に圧倒された。ここで彼の高慢と自己満足とは一掃された。荒野のきびしい質素な生活の中では、エジプトの安易でぜいたくな生活の影響は影をひそめた。モーセは、忍耐力が強く、敬神深く、謙遜な人となり、「その人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」(民数記12:3)。しかし、ヤコブの偉大な神を信じる信仰は強かった。 PP 126.2
モーセは、年月の経過とともに、羊の群れとさびしい場所を放浪しつつ、民の苦しい状態について考えた。彼は父祖たちをあつかわれた神の方法や、選民の嗣業として与えられた約束を思い返して、日夜イスラエルのために祈りを捧げた。天使がモーセの周りを明るく照らした。モーセは、ここで、神の霊感を受けて創世記を書いた。モーセがただ1人で、長い年月を荒野で過ごしたことは、彼と彼の民族ばかりでなく、後世の人々のためにも豊かな祝福となった。 PP 126.3
「多くの日を経て、エジプトの王は死んだ。イスラエルの人々は、その苦役の務のゆえにうめき、また叫んだが、その苦役のゆえの叫びは神に届いた。神は彼らのうめきを聞き、神はアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を覚え、神はイスラエルの人々を顧み、神は彼らをしろしめされた」(出エジプト2:23~25)。イスラエルの救済の時が来た。しかし、神のみこころは、人間の自尊心を傷つけるような方法でなされるべきであった。救済者は、手につえだけを持ち、卑しい羊飼いとして出て行くのであった。しかし、神はそのつえを神の力の象徴にしようとなさった。 PP 126.4
ある日、モーセが「神の山」ホレブの近くて羊の群れを導いていると、しばが燃えているのに、その枝や葉や幹が焼きっくされないのを見た。彼がこの驚くべき光景を見ようと近づいたとき、炎の中から声がして彼の名を呼んだ。モーセは、ふるえるくちびるで「ここにいます」と答えた。彼は軽率にそこに近づいてはならないことを警告された。「足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである。……わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(同3:5、6)。それは、過去の時代に、父祖たちに契約の天使として出現なさったお方であった。「モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した」(同3:6下句)。 PP 126.5
神のみ前にくるすべての者の態度は、謙遜で敬神深いものでなければならない。われわれは、イエスのみ名によって、確信を持ってみ前に出ることができるが、あたかも神がわれわれと同等であられるかのように、無遠慮な態度で近づくべきではない。 PP 127.1
近づくことのできない光の中に住み、偉大で、全能であられる聖なる神にむかって、あたかも同等か、あるいは目下のものに話しかけるような言葉を用いる人がある。また、神の家の中において、地上の王たちの謁見室では決してしないような不謹慎な態度をとる人がいる。これらの人々は、自分が今、セラピムたちが賛美を捧げ、み使いたちもそのみ前にあって翼をもって顔をおおう神のみ前にあるということをおぼえていなければならない。神は大いに一尊ばなければならない方である。神のご臨在を真に感じる者はみな、そのみ前に謙虚に伏し、神の幻を仰いだヤコブのように、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」と叫ぶのである(創世記28:17)。 PP 127.2
モーセが、神のみ前で敬虔な思いで待っていると、みことばが聞こえてきた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地……に至らせようとしている。……さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」(出エジプト3:7~10)。 PP 127.3
モーセはこの命令に驚き、恐れ、しりごみしながら、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」と言った。すると、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう」と神は答えられた(同3:11、12)。 PP 127.4
モーセは、やがて直面する多くの困苦を考えた。そして、盲目的で、無知で、不信仰な自分の民のことを考えた。しかもその多くは、神についての知識をまったく持っていないのである。モーセは神に言った。「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」(同3:13)。 PP 127.5
神の答えは、「わたしは、有って有る者」「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」いうのであった(同3:14)。 PP 127.6
モーセはまず、イスラエル人の中で、長い間エジプトの労役を嘆いていた、気高くて義を愛する長老たちを集め、神が解放の約束をお与えになったことを彼らに伝えることを命じられた。それから、モーセは、民の長老たちとともに王の前に行き、次のように言うことになった。「ヘブルびとの神、主がわたしたちに現れられました。それで、わたしたちを、3日の道のりほど荒野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげることを許してください」(同3:18)。 PP 127.7
モーセは、イスラエルびとを行かせてくださいとの訴えに、パロが逆らうことを前もって知らされていた。しかし、神のしもべは勇気を捨ててはならないのであった。というのは、このときこそ、神がエジプト人とイスラエル人の前において、そのみ力をあらわされるからである。「それで、わたしは下を伸べて、エジプトのうちに行おうとする、さまざまの不思議をもってエジプトを打とう。その後に彼はあなたがたを去らせるであろう」(同3:20)。 PP 127.8
旅の準備についての指示も与えられた。主は言われた。「わたしはこの民にエジプトびとの好意を得させる。あなたがたは去るときに、むなし手で去ってはならない。女はみな、その隣の女と、家に宿っている女に、銀の飾り、金の飾り、また衣服を求めなさい」(同3:21、22)。エジプト人は、イスラエル人に不当の労役を強制して富を蓄積した。それで、イスラエル人が新しい家郷にむかって出発するに際して、 長年の労働の報酬を求めることは当然の権利であった。そこで彼らは、値うちのある運びやすいものを求めることになった。神は、エジプト人がイスラエル人に好意を示すように導かれた。イスラエル人の救済のためになされる偉大な奇跡は、圧迫者たちの心に恐怖を起こさせ、奴隷たちの要求を彼らがかなえるのであった。 PP 127.9
モーセは、自分の前にある多くの困難に打ち勝てそうもないと思った。神が、たしかにモーセをつかわされたというどんな証拠を、人々に示すことができるだろうか。モーセは言った。「しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで言うでしょう、『主はあなたに現れなかった』と」(同4:1)。そのとき、彼自身にもはっきりとわかるような確実な証拠を示された。彼はつえを地に投げるように命じられ、そうすると「へびになったので、モーセはその前から身を避けた」。彼がそれをつかまえると、今度は手のなかでつえとなった。彼はまた、手をふところに入れるように命じられたので、その通りにしたところ「それを出すと、手は、重い皮膚病にかかって、雪のように白くなっていた」(同4:3、6)。また、手をふところにもどすように言われてもどすと、回復して、もとの肉のようになっていた。主は、これらのしるしによって、モーセに確証を与え、パロと同様に、イスラエル人にも、エジプトの王よりも偉大な人間がここに現れたことを悟らせようとなさった。 PP 128.1
しかし、神のしもベモーセは、自分の前にある不思議な驚くべき働きのことを思って圧倒されていた、彼は、苦しんで恐怖をいだき、話がよくできないことを口実にして、嘆願した。「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」(同4:10)。彼は、長い間、エジプト人と交わっていなかったので、以前のようにエジプトの言葉をはっきり知っておらず以前のようにすぐに言葉が使えそうもなかった。 PP 128.2
主は彼に言われた。「だれが人に口を授けたのか。話せず聞えず、また、見え、見えなくする者はだれか。主なるわたしではないか」。さらに「それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」と、神が助けてくださる保証が加えられた(同4:11、12)。それでも、モーセは、もっとほかに適当な人を選んでほしいと嘆願した。最初のうちは、このような弁解も謙遜と臆病から出たものであった。しかし、主があらゆる困難を取り除き最後の成功を与えると約束されているのに、それでもなおしりごみして、自己の不適任をかこつことは神への不信を示すものであった。それは、偉大な事業に彼を召された神に、彼をその働きに適した者とする力がないか、それとも、神は人選を誤られたかということを暗にほのめかしていた。 PP 128.3
次に、モーセは、エジプトのことばを毎日使っていて、完全に話すことのできる兄、アロンのことを考えた。モーセは、アロンが彼に会うために来ていることを知らされた。主からの次の言葉は絶対的命令であった。「あなたは彼に語って言葉をその口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、彼の口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教え、彼はあなたに代って民に語るであろう。彼はあなたの口となり、あなたは彼のために、神に代るであろう。あなたはそのつえを手に執り、それをもって、しるしを行いなさい」(同4:15~17)。モーセはもはやこれ以上逆らうことができなくなった。言いわけの余地がまったくなくなってしまったからである。 PP 128.4
神の命令がモーセに与えられたとき、彼は、自信がなく、口が重く、臆病であった。彼は、イスラエル人に対する神の代弁者としての、自分の不適任さを思って圧倒された。しかし、ひとたびその任務を受け入れるや、主にまったく信頼を寄せ、全心をこめて働きを始めた。彼はこの偉大な働きのために、彼の知力のかぎりを尽くして働いた。神は、モーセのこのような従順な態度を祝福されたので、彼は雄弁になり、希望に満ち、落ちつきを取りもどして、人間にゆだねられた最大の働きにふさわしい人物となった。これこそ神にまったく信頼し、主のご命令に完全に従う者の品性を神が強化されるよい実例である。 PP 128.5
人間は、神がお与えになる責任を受け入れ、全力を尽くして正しく遂行しようと願うときに、力と能力とを受けるものである。たとえ、その地位がどんなに低く、その能力にかぎりがあったとしても、神の力に信頼し、その働きを忠実に果たそうとする者は、真に偉大な者になるのである。もしも、モーセが自分の力と知恵に頼り、大きな責任を自分から進んで負ったとすれば、彼はそのような働きに全然不適当であることを示したことであろう。人間が自分の弱さを認めるという事実は、少なくとも彼が、与えられた仕事の大きさを認識し、神を彼の力、助言者とするということの証拠である。 PP 129.1
モーセは、義父のもとに帰り、エジプトにいる兄弟たちのもとを訪れたいことを話した。エテロもそれに同意し、「安んじて行きなさい」と彼を祝福した。モーセは妻と子供たちを連れて旅に出た。彼は、自分の働きの目的を話せば、彼らを一緒に行かせてくれないと思ったので、何も言わなかった。しかし、彼はエジプトに着く前に、家族の身の安全を考えて、彼らをミデアンの家に送りかえすことがいちばんよいと思った。 PP 129.2
モーセは、40年前に、パロやエジプト人たちが彼に対して怒ったことを心ひそかに恐れていたので、エジプトに帰ることはなかなか気が進まなかった。しかし、神のご命令に従って出発したあとで、主は、すでに敵は死んだことをモーセにお告げになった。 PP 129.3
モーセは、ミデアンからの途中で、神が怒っておられるという驚嘆すべき恐ろしい警告を受けた。1人の天使が、モーセをおどすような態度で現れ、あたかも、彼をただちに滅ぼすかのように思われた。それにはなんの説明もなかった。しかし、モーセは、神のご要求の1つを軽視したことを思い出した。 PP 129.4
彼は、妻の言うままになって、末の子に割礼の儀式を行うことをなおざりにしていた。モーセは、イスラエルの民に約束された神の祝福に、その子があずかるための条件を、まだ実行していなかった。選ばれた指導者が、このようなことを怠るならば、人々の間で神の戒めの力を弱めることになる。チッポラは夫が殺されることを恐れて、自分で儀式を行ったので、天使は、モーセが旅を続けるのを許した。モーセは、パロに対する任務を帯びて、非常に危険な立場におかれることになった。彼の生命は、聖なる天使たちに守護されていたからこそ安全であった。しかし、当然果たすべき義務を怠っていては安全ではなかった。なぜなら、彼は、神の天使たちに保護されることができないからであった。 PP 129.5
キリスト再臨直前の悩みの時にも、義人たちは天のみ使いたちの奉仕によって守られるのである。しかし、神の律法を犯す者は安全ではない。天使たちは、神の戒めの1つでも無視する者を保護することはできないのである。 PP 129.6