人類のあけぼの
第9章 約束のにじ
本章は、創世記7:20~9:17に基づく PP 53.4
水は最高の山より15キュビット(約7メートル)も高く増した。箱舟は5か月もの間風波にもまれてただよったので、箱舟のなかの家族は死んでしまうのかと思ったことがたびたびあった。それは、苦しい試練 であった。しかし、ノアは、神のみ手がかじをとっていることを確信していたので、彼の信仰はゆるがなかった。水が引き始めると、主は、一群の山々に保護された場所に箱舟を漂着させられた。ここは神の力によって保存されていたのである。山々は、距離がわずかしか離れていなかったから、箱舟は、この静かな港のなかをただようだけで、果てしない大海に漂流しなくなった。これで暴風雨にほんろうされて疲労した船のなかの人々に大きな安らぎが与えられた。 PP 53.5
ノアと家族の者は、再び地上に出るのを待ちこがれていたので、水が引くのを今か今かと待った。山々の頂上が見え始めてから40日たったとき、彼らは、地がかわいたかどうかを知るために、においに敏感なからすを放った。からすは、水のほかには何もなかったので、箱舟の周りを飛ぶだけであった。7日後にはとが放たれたが、とまる場所がないので、箱舟にもどってきた。ノアは、さらに7日待って、再びはとを放った。夕方、はとは、オリーブの葉をくわえてもどってきたので、一同は非常に喜んだ。後で、「ノアが箱舟のおおいを取り除いて見ると、土のおもては、かわいていた」(創世記8:13)。彼は、なお、忍耐強く箱舟の中で待った。ノアは、神の命令に従って入ったように、出るときにも特別の指示を待った。 PP 54.1
ついに天使が天から下って巨大な扉を開き、ノアと家族に、すべての動物を伴って出てくるように命じた。ノアは、外に出る喜びのあまり、彼らを保護された恵み深い神を忘れたりしなかった。彼は、箱用を出て最初に、祭壇を築いて、すべての清い獣や清い鳥のなかから犠牲をささげて、救済に対する感謝と大いなる犠牲であられるキリストに対する信仰をあらわした。主はこの犠牲をお喜びになり、ノアとその家族だけではなく、後でこの地上に生きるすべてのものにまで及ぶ祝福をお与えになった。「主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、『わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。……地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう』」(創世記8:21、22)。ここに後世のすべての人々が学ばなければならない教訓があった。ノアは、荒廃した地上に出てきたが、自分の家の建築にとりかかる前に、神の祭壇を築いた。彼の家畜の群れはわずかで、非常な犠牲を払って育ててきたものであった。しかし、彼は、万物が神のものであることを認めたしるしに、喜んてその一部を主に捧げた。同様に、われわれも、神に心からの捧げ物をすることを第一の務めとしなければならない。われわれは、神が示されるすべての憐れみと愛とに対して、献身的行為と神のみわざのための捧げ物を捧げて、感謝の気持ちを表明しなければならないのである。 PP 54.2
雲がわき、雨が降るごとに、また、洪水が起こるのではないかと、人々が恐怖をいだくことのないように、主は、ノアの家族に1つの約束を与えて勇気づけられた。「わたしがあなたがたと立てるこの契約により、……地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう。……わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。……にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」(創世記9:11~16)。 PP 54.3
神は、このようにして、雲のなかに美しい虹をかけけて、人間との契約のしるしにされたということは、あやまりやすい人々に対する神の何と大きな恵みと慈悲の表現であろう。主は、虹を見るときに、彼の契約を思い起こすと言われた。これは、神がお忘れになるという意味ではなくて、われわれが神をさらに深く理解するために、人間の言葉でお語りになったのである。後の時代の子供たちが、天にかけられた美しい虹をながめて、その意味を聞くときに、親たちは、洪水の物語をして聞かせ、いと高き神が、水が再び地をおおうことがないしるしとして、虹を雲のなかにかけられたことを告げるのが神の目的であった。こうして、各時代を通じて、虹は人間に対する神の愛をあかしし、人間の神に対する確信を強めるものとなるのであった。 PP 54.4
天では、虹のようなものがみ座を囲み、キリストの頭上にかかっている。預言者は言った。「その(み座) まわりにある輝きのさまは、雨の日に雲に起るにじのようであった。主の栄光の形のさまは、このようであった」(エゼキエル1:28)。黙示録の筆者は言った。「見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。……また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた」(黙示録4:2、3)。人間がその大きな罪のために、神の裁きを受けるとき、救い主は罪人のために、父の前でとりなしをしてくださり、雲のなかの虹と、み座の周りとご自身の頭上の虹をさして、それが罪を悔いた人々に対する神のあわれみのしるしであることを示される。 PP 54.5
洪水に関してノアにお与えになった保証に、神ご自身は、神の恵みの最も尊い約束の1つを結びつけられた。「『わたしはノアの洪水を、再び地にあふれさせないと誓ったが、そのように、わたしは再びあなたを怒らない、再びあなたを責めない』と誓った。山は移り、丘は動いても、わがいつしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがないとあなたをあわれまれる主は言われる」(イザヤ54:9、10)。 PP 55.1
ノアは、どうもうな猛獣が彼とともに箱舟から出てくるのを見て、8人しかいない彼の家族が、動物に滅ぼされるのではないかと恐れた。しかし、主は、そのしもべに天使をつかわして、確証をお与えになった。「地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える」(創世記9:2、3)。神は、このとき以前には、人間が動物の肉を食べることを許しておられなかった。神は、人類が地の産物だけで生命を保つように計画されたのであったが、すべての物がなくなってしまったので、箱舟のなかに保存された清い動物の肉を食べることをお許しになった。 PP 55.2
洪水のときに、地球の全面が変化した。罪の結果、第三の恐ろしいのろいが地上に下った。水が減り始めるにつれて、山や丘は濁水の海にかこまれた。至るところに、人間や動物の死がいが散乱していた。主は、こうしたものが残って腐敗し、空気を汚すのをお許しにならなかった。そこで神は、地球を一大埋葬場とされた。水をかわかすために吹かせられた強風は、非常な勢いでそれらを動かした。ある場合には、山々の頂上さえ洗い去って、死がいの上に、木、岩、土などを積み上げた。同様の方法によって、洪水前の世界を豊富にして、飾り、また、人々が偶像視していた金、銀、高級木材、宝石などは、人々が見つけたり、捜し出したりできないように隠されてしまった。激しい水の勢いで、土や岩がこれらの宝物の上に積み重なって、ある場合にはその上で大きな山になったりした。神は、罪人たちが豊かになり、繁栄すればするほど堕落するのをごらんになった。豊かにお与えになる神の礼拝に導くはずの宝が礼拝され、その反面、神はあがめられず、軽蔑された。 PP 55.3
地上は、描写できないほどの混乱と荒廃状態を呈していた。かつては、完全に均整がとれて美しかった山々は破壊されて形がそこなわれた。地上には、岩石、岩壁の岩だな、ごつごつした岩角が散乱するようになった。山や丘が消え去って、その跡形すらとどめないところが多かった。平原は山脈に変わっていた。こうした変化は、ある所では、他の所よりいっそう激しかった。かつては、地上の最も貴重な宝であった金、銀、宝石かあった所に、最も激しいのろいの跡が見られた。人間が住んでいなかった地方や、犯罪が少なかったところにはのろいも軽かった。 PP 55.4
このとき、広大な森林が地下に埋没した。これは石炭になり、現在の鉱脈になり、また、多量の石油を産出している。石炭と石油はときおり地下で引火して燃える。こうして、岩石は熱し、石灰石は焼け、鉄鉱が溶ける。石灰右に水がかかると、灼熱度が高まり、地震、爆発、噴火などの原因になる。火と水が、岩と鉱脈に触れると、大きな地下爆発が起こり、鈍い雷鳴のような音がする。空気は熱く、息苦しくなる。こうして噴火が起こる。熱せられたものが十分に発散されないでいると、地は、海の波のように震動して隆起し、大きなきれつを生じて、ときには都市、村落、 火をふく山々までのみこんでしまう。こうした驚くべき現象は、キリストの再臨と世界の終末の直前には、もっとひんぱんに激しくなり、滅亡がすみやかに近づいているしるしとなる。 PP 55.5
地底は主の武器庫であって、神は、ここから古い世界を滅ぼす武器をとり出された。地からふき出た水は、天からの水と合流して、破壊のわざをなしとげた。洪水後、火もまた水と同様に、極悪の都市を滅ぼすために、神に用いられている。こうした刑罰は、神の律法を軽んじ、神の権威をふみにじる者が、神のみ力の前におののき、神の当然の主権を認めるようになるためにくだされた。山々が燃えて、火と炎をあげ、溶岩をふき出して、川を干上がらせ、雑踏する都市を滅ぼし、至るところに破壊と荒廃を及ぼすのを見るときに、どんなに大胆な者も恐怖に満たされ、不信仰の者も、神を冒瀆する者も神の無限の能力を認めないわけにはいかないのである。 PP 56.1
こうした光景について、古代の預言者は言っている。「どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。火が柴木を燃やし、火が水を沸かすときのごとく下られるように。そして、み名をあなたのあだにあらわし、もろもろの国をあなたの前に震えおののかせられるように。あなたは、われわれが期待しなかった恐るべき事をなされた時に下られたので、山々は震い動いた」(イザヤ64:1~3)。「主の道はつむじ風と大風の中にあり、雲はその足のちりである。彼は海を戒めて、これをかわかし、すべての川をかれさせる」(ナホム1:3、4)。 PP 56.2
キリストの再臨のときには、世界にこれまで起こったこともないようなもっと恐ろしい光景が見られるであろう。「もろもろの山は彼の前に震い、もろもろの丘は溶け、地は彼の前にむなしくなり、世界とその中に住む者も皆、むなしくなる。だれが彼の憤りの前に立つことができよう。だれが彼の燃える怒りに耐えることができよう」(ナホム1:5、6)。「主よ、あなたの天を垂れてくだり、山に触れて煙を出させてください。いなずまを放って彼らを散らし、矢を放って彼らを打ち敗ってください」(詩篇144:5、6)。「また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう」(使徒行伝2:19)。「すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった」(黙示録16:18)。「島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。また1タラントの重さほどの大きな雹が、天から人々の上に降ってきた」(黙示録16:20、21)。 PP 56.3
天からのいなびかりが地上の火と1つになるとき、山々は炉のように燃え、溶岩はすさまじい勢いで流れ出して、庭園や野や畑、都市や村落をおおってしまう。まっかに燃えたぎった溶岩は川に流れ込んで水を沸騰させ、巨大な岩石を驚くべき力でふきとばし、その破片を地の上にまき散らす。川は干上がってしまうであろう。地はゆれ動き、いたるところに恐ろしい地震と爆発が起こるであろう。 PP 56.4
このようにして、神は、この地から悪者を滅ぼされる。しかし、義人は、ノアが箱舟の中に守られたように、こうした異変の中にあっても保護される。神が彼らの避け所となり、彼らはそのみ翼の下にいこうのである。詩篇記者は言っている。「あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災はあなたに臨まず」(詩篇91:9、10)。「主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し」(詩篇27:5)、「彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る」(詩篇91:14)。これが神のお約束である。 PP 56.5