人類のあけぼの
第65章 ダビデの寛容
本章は、サムエル記上22:20~23、23~27章に基づく PP 344.4
サウルが、主の祭司たちを虐殺したあとで、「アヒトブの子アヒメレクの子たちのひとりで、名をアビヤタルという人は、のがれてダビデの所に走った。そしてアビヤタルは、サウルが主の祭司たちを殺したことをダビデに告げたので、ダビデはアビヤタルに言った、『あの日、エドムびとドエグがあそこにいたので、わたしは彼がきっとサウルに告げるであろうと思った。わたしがあなたの父の家の人々の命を失わせるもととなったのです。あなたはわたしの所にとどまってください。恐れることはありません。あなたの命を求める者は、わたしの命をも求めているのです。わたしの所におられるならば、あなたは安全でしょう』」(サムエル記上22:20~23)。 PP 344.5
ダビデは、まだ王に追われていたので、休息と安全な場所はなかった。ケイラにおいて、彼の勇敢な部隊は、ペリシテ人の襲撃から町を救ったが、こうして彼らが救い出した人々の中にあっても安全ではなかった。彼らはケイラからジフの荒野へ行った。 PP 344.6
このころ、ダビデの行く手には光明がほとんどなかったが、彼の隠れ家を知ったヨナタンが、思いがけなく訪れて来て、彼を喜ばせた。この2人の友が互いに話し合った時間は実に貴重なものであった。彼らは、互いの経験を話し合った。ヨナタンは、ダビデを励まして言った。「恐れるにはおよびません。父サウルの手はあなたに届かないでしょう。あなたはイスラエルの王となり、わたしはあなたの次となるでしょう。このことは父サウルも知っています」(同23:17)。彼らは、神が不思議な方法でダビデを扱っておられることを話し合い、追われる身のダビデは、非常に勇気づけられた。「こうして彼らふたりは主の前で契約 を結び、ダビデはホレシにとどまり、ヨナタンは家に帰った」(同23:18)。 PP 344.7
ダビデは、ヨナタンの訪問を受けたあとで、賛美の歌をうたって自分を励ました。彼はたて琴の調べに合わせて歌った。 PP 345.1
「わたしは主に寄り頼む。 PP 345.2
なにゆえ、あなたがたはわたしにむかって言うのか、 PP 345.3
『鳥のように山にのがれよ。 PP 345.4
見よ、悪しき者は、暗やみで、 PP 345.5
心の直き者を射ようと弓を張り、 PP 345.6
弦に矢をつがえている。 PP 345.7
基が取りこわされるならば、 PP 345.8
正しい者は何をなし得ようか』と。 PP 345.9
主はその聖なる宮にいまし、主のみくらは天にあり、 PP 345.10
その目は人の子らをみそなわし、 PP 345.11
そのまぶたは人の子らを調べられる。 PP 345.12
主は正しき者をも、悪しき者をも調べ、 PP 345.13
そのみ心は乱暴を好む者を憎まれる」 PP 345.14
(詩篇11:1~5) PP 345.15
ダビデは、ケイラからジフ人の荒野へ行ったが、この人々は、ダビデが隠れているところを、ギベアのサウルに知らせ、そのかくれがまで王を案内すると進言した。しかし、ダビデは、彼らが陰謀を企てていることを聞いて、その居どころを変更し、マオンと死海の間に避難所をさがした。 PP 345.16
また、人々は、サウルに告げて言った。「『ダビデはエンゲデの野にいます』。そこでサウルは、全イスラエルから選んだ3000の人を率い、ダビデとその従者たちとを捜すため、子やぎの岩』の前へ出かけた」(サムエル記上24:1、2)。サウルが、3000の軍勢を率いて迫ってくるのに対して、ダビデはわずか600しか率いていなかった。ダビデと彼の部下たちは、人里離れたほら穴の中で、どうしたらよいか、神の指示を待っていた。するとサウルは、山道を進んでいく途中で、ただ1人横道にそれて、ダビデと従者たちが隠れていたほら穴に入ってきた。これを見たダビデの従者たちは、ダビデにサウルを殺すように勧めた。彼らは、王が彼らの手中に陥ったのは、神ご自身が敵を彼らの手に渡して、殺させるようにされたものと解釈した。ダビデもそう考えるように試みられた。しかし、良心の声が彼に語って、言った。「主が油を注がれた者に手をのべるのはよくない」。 PP 345.17
ダビデの従者たちは、サウルをそのままにしておくことを承知しないで、ダビデに神の言葉を思い起こさせて言った。「『主があなたに告げて、「わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。あなたは自分の良いと思うことを彼にすることができる」と言われた日がきたのです』。そこでダビデは立って、ひそかに、サウルの上着のすそを切った」(同24:4)。しかし、ダビデはあとで、王の上着を切ったことを心に責められた。 PP 345.18
サウルは立ち上がって、捜索を続けるためにほら穴を出た。すると彼は、「わが君、王よ」と呼ぶ声を聞いて驚いた(同24:8)。彼がふりかえって、だれであろうかと思ってみると、それは、長い間彼が捕らえて殺そうとしていたエッサイのむすこであった。ダビデは、彼を自分の主人と仰いで、王の前にひれふした。そして、サウルに次のように言った。「どうして、あなたは『ダビデがあなたを害しようとしている』という人々の言葉を聞かれるのですか。あなたは、この日、自分の目で、主があなたをきょう、ほら穴の中でわたしの手に渡されたのをごらんになりました。人々はわたしにあなたを殺すことを勧めたのですが、わたしは殺しませんでした。『わが君は主が油を注がれた方であるから、これに敵して手をのべることはしない』とわたしは言いました。わが父よ、ごらんなさい。あなたの上着のすそは、わたしの手にあります。わたしがあなたの上着のすそを切り、しかも、あなたを殺さなかったことによって、あなたは、わたしの手に悪も、とがもないことを見て知られるでしょう。あなたはわたしの命を取ろうと、ねらっておられますが、わたしはあなたに対して罪をおかしたことはないのです」(同24:9~11)。 PP 345.19
サウルは、ダビデの言葉を聞いて非常に恥じ入り、 その真実なことを認めないわけにいかなかった。彼は、自分がつけねらっていた者の手中に完全に陥っていたことを認めて、深く心を動かされた。ダビデは、自分にはなんの罪もないという自覚をもって、王の前に立っていた。サウルは心を和らげて、叫んだ。「わが子ダビデよ、これは、あなたの声であるか」(同24:16)。そしてサウルは声をあげて泣いた。サウルは、またダビデに言った。「あなたはわたしよりも正しい。わたしがあなたに悪を報いたのに、あなたはわたしに善を報いる。……人は敵に会ったとき、敵を無事に去らせるでしょうか。あなたが、きょう、わたしにした事のゆえに、どうぞ主があなたに良い報いを与えられるように。今わたしは、あなたがかならず王となることを知りました」(同24:17~20)。そして、ダビデはそういう時が来たならば、サウルの家に恵みを施し、彼の名を滅ぼし去らないということをサウルに誓った。 PP 345.20
ダビデは、サウルのこれまでのことを知っていたので、王の確証の言葉を信頼することはできなかった。また彼の悔い改めも長く続くとは思わなかった。こうして、サウルは家に帰り、ダビデは山の要害に残っていた。 PP 346.1
サタンの力に服した人々が、神のしもべたちに対していだく敵意が、時には、和解と好意の感情に変わることがある。しかし、この変化は長続きしないのが常である。悪い心を持った人々が、主のしもべたちに対して、悪いことを言ったり行ったりしたあとで、自分たちの誤りを深く悟ることがある。主の聖霊が彼らの心に働いた結果、彼らは、神と、彼らが敵対して戦った人々の前にへりくだり、彼らに対する行動を変更することがある。しかし、彼らが再び悪魔のささやきに耳を傾けると、以前の疑惑と敵意が再び頭をもたげ、悔い改めて、一時捨てていた同じ活動を再開する。彼らは、自分たちが平身低頭して罪を告白したその同じ人々を、再び激しく責め非難してののしるのである。彼らは、さらに大きな光に対して罪を犯したために、サタンはこうした行動後の彼らを以前よりも大いなる力で活用することができる。 PP 346.2
「さてサムエルが死んだので、イスラエルの人々はみな集まって、彼のためにひじょうに悲しみ、ラマにあるその家に彼を葬った」(同25:1)。サムエルの死は、イスラエルの国にとって、とりかえしのつかない損失であると思われた。偉大で善良な預言者、すぐれた士師が世を去ったので、人々は心から深く悲しんだ。サムエルは若い時から、イスラエルの人々の前で誠実に歩んだ。サウルは、王として人々に認められてはいたが、サムエルは、忠実と服従と献身の生涯を送ったために、サウルよりはいっそう大きな影響を及ぼしていたのである。彼は、一生の間イスラエルをさばいたとしるされている。 PP 346.3
人々は、サウルの生涯とサムエルの生涯とを比較してみた時に、彼らが周りの国々と異なっていてはいけないと言って、王を要求したことがどんなにまちがいであったかを知った。多くの者は、社会情勢が急速に不信仰で無神的になっていくのを見て驚いた。王の行動が、広く人々に影響を与えていた。主の預言者サムエルの死を、イスラエルが悲しむのは当然であった。 PP 346.4
国家は、預言者の学校の創立者と校長を失ったが、それだけではなかった。国家は、人々が大きな問題をかかえて相談に行っていた人、人々の幸福のために常に神にとりなしをしていた人を失った。サムエルのとりなしは彼らに安定感を与えた。「義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである」(ヤコブ5:16)。人々は、神に見捨てられたように感じた。王は、狂人も同様であった。正義は曲げられ、秩序は混乱に変わった。 PP 346.5
国家が内紛に苦しみ、サムエルの沈着で敬虔な勧告が最も必要であると思われた時に、神は、彼の老僕に休息をお与えになった。人々は、彼の休息の場をながめて、自分たちが彼を支配者として受け入れなかった愚かさを思い出して、痛く後悔した。彼は、天と密接な交わりを保って全イスラエルを主のみ座に結びつけるように思われたのであった、彼らに神を愛し、服従することを教えたのは彼であった。しかし、彼は、もう死んでしまったので、人々は、サタンと結 束して彼らを神から引き離そうとする王のなすがままになってしまったと感じたのである。 PP 346.6
ダビデは、サムエルの葬儀に出ることはできなかった。しかし、彼は、忠実なむすこが慈父のために悲しむように、真心から深く悲しんだ。サムエルが死んだことは、サウルの行動を抑制するもう1つのきずなが絶たれたことであるから、ダビデは、預言者が生きていた時よりも、いっそう身の危険を痛感した。サウルが、サムエルの死を悲しんでいるのをよい機会に、ダビテは、もっと安全な場所を捜し求めた。こうして、彼は、パランの荒野にのがれた。彼は、ここで詩篇120篇と121篇を作った。その荒涼とした沙漠の中で、預言者の死と自分に敵対する王のこととを考えて、彼は歌った。 PP 347.1
「わが助けは、天と地を造られた主から来る。 PP 347.2
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。 PP 347.3
あなたを守る者はまどろむことがない。 PP 347.4
見よ、イスラエルを守る者は PP 347.5
まどろむこともなく、眠ることもない。…… PP 347.6
主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、 PP 347.7
またあなたの命を守られる。 PP 347.8
主は今からとこしえに至るまで、 PP 347.9
あなたの出ると入るとを守られるであろう」 PP 347.10
(詩篇121:2~8) PP 347.11
ダビデと従者たちがパランにいたとき、その地方で多くの財産を持っていた裕福なナバルという人の羊や牛が盗人に略奪されないように守ってやった。ナバルはカレブの子孫であったが、その性質は粗野で卑しかった。それは、羊の毛を切る時であり、もてなしの季節であった。ダビデと従者たちは、食物の欠乏に苦しんでいた。エッサイのむすこダビデは、当時の風習に従って、10人の若者をナバルにつかわし、若者たちの主人の名をもって、彼にあいさつすることを命じ、こう言わせた。「どうぞあなたに平安があるように。あなたの家に平安があるように。またあなたのすべての持ち物に平安があるように。わたしはあなたが羊の毛を切っておられることを聞きました。あなたの羊飼たちはわれわれと一緒にいたのですが、われわれは彼らを少しも害しませんでした。また彼らはカルメルにいる間に、何ひとつ失ったことはありません。あなたの若者たちに聞いてみられるならば、わかります。それゆえ、わたしの若者たちに、あなたの好意を示してください。われわれは祝の日にきたのです。どうぞ、あなたの手もとにあるものを、贈り物として、しもべどもとあなたの子ダビデにください」(サムエル記上25:6~8)。 PP 347.12
ダビデと彼の部下たちは、ナバルの羊飼いと群れにとっては、防壁のようなものであった。ところで、この金持ちは、そのように尊い働きをした者の必要を満たすために、豊かな持ち物の中から与えることを求められた。ダビデと部下たちは、自分かってに羊や牛を取ることができたのであるが、そうはしなかった。彼らは、誠実にふるまった。しかし、彼らの親切は、ナバルにはむだであった。ナバルのダビデへの返答は、彼の品性を表していた。「ダビデとはだれか。エッサイの子とはだれか。このごろは、主人を捨てて逃げるしもべが多い。どうしてわたしのパンと水、またわたしの羊の毛を切る人々のためにほふった肉をとって、どこからきたのかわからない人々に与えることができようか」(同25:10、11)。 PP 347.13
若者たちが何も持たずに帰ってきて、この話をした時に、ダビデは怒った。彼は、部下の者に戦いの用意をすることを命じた。ダビデは、当然彼が受けるべきであるものを拒んだうえに、彼に侮辱を加えた男を罰する決心をした。この衝動的行動は、ダビデよりはサウルの性質にふさわしいものであったが、エッサイの子は、まだ苦難の学校で忍耐を学ばなければならなかった。 PP 347.14
ナバルがダビデの若者たちを帰したあとで、ナバルのしもべの1人が、この出来事をナバルの妻アビガイルに話した。「ダビデが荒野から使者をつかわして、主人にあいさつをしたのに、主人はその使者たちをののしられました。しかし、あの人々はわれわれに大へんよくしてくれて、われわれは少しも害を受けず、ま たわれわれが野にいた時、彼らと共にいた間は、何ひとつ失ったことはありませんでした。われわれが羊を飼って彼らと共にいる間、彼らは夜も昼もわれわれのかきとなってくれました。それで、あなたは今それを知って、自分のすることを考えてください。主人とその一家に災が起きるからです」(同25:14~17)。 PP 347.15
アビガイルは、夫に相談もしなければ、自分が何をしようとしているかを知らせもせずに、十分な食糧をろばに載せて、しもべたちを先につかわし、自分自身もダビデの一隊に会うために出発した。彼女は、山の陰で彼らに出会った。「アビガイルはダビデを見て、急いで、ろばを降り、ダビデの前で地にひれ伏し、その足もとに伏して言った、『わが君よ、このとがをわたしだけに負わせてください。しかしどうぞ、はしために、あなたの耳に語ることを許し、はしための言葉をお聞きください』」(同25:23、24)。アビガイルは、王に語るようにうやうやしい態度でダビデに語った。ナバルは、「ダビデとはだれか」と言ったが、アビガイルは、彼を「わが君よ」と呼んだ。彼女はやさしく語って、彼の怒りをなだめ、夫のためにとりなした。アビガイルは、見せかけや誇りではなくて、神の知恵と愛に満ち、彼女の家庭に対する強い献身を表した。そして彼女は、彼女の夫の不親切な行動が、ダビデを侮辱しようと思ってしたことではなくて、不幸な利己的性質の現れに過ぎないことを明らかにした。「それゆえ今、わが君よ、主は生きておられます。またあなたは生きておられます。主は、あなたがきて血を流し、また手ずから、あだを報いるのをとどめられました。どうぞ今、あなたの敵、およびわが君に害を加えようとする者は、ナバルのごとくになりますように」(同25:26)。アビガイルは、このようにダビデを説き伏せて、彼に早まったことをさせなかったことを自分の手柄にせず、神に栄光と誉れを帰した。そして、彼女は、多くの食糧を感謝の捧げ物として、ダビデの若者に与え、ダビデを怒らせたのが自分であったかのように、なおも嘆願するのであった。 PP 348.1
「どうぞ、はしためのとがを許してください。主は必ずわが君のために確かな家を造られるでしょう。わが君が主のいくさを戦い、またこの世に生きながらえられる間、あなたのうちに悪いことが見いだされないからです」(同25:28)。アビガイルは、暗に、ダビデがどういう道を進むべきであるかを示した。彼は、主のいくさを戦うべきであった。彼は身に危害を加えられ、裏切り者として迫害されても、報復をしょうとしてはならなかった。彼女は続けた。「たとい人が立ってあなたを追い、あなたの命を求めても、わが君の命は、生きている者の束にたばねられて、あなたの神、主のもとに守られるでしょう。……そして主があなたについて語られたすべての良いことをわが君に行い、あなたをイスラエルのつかさに任じられる時、あなたが、ゆえなく血を流し、またわが君がみずからあだを報いたと言うことで、それがあなたのつまずきとなり、またわが君の心の責めとなることのないようにしてください。主がわが君を良くせられる時、このはしためを思いだしてください」(同25:29~31)。 PP 348.2
こうした言葉は、天からの知恵を受けた者だけが語ることのできるものである。アビガイルの敬神の念は、花のかおりのように、顔や言葉や行動に、無意識のうちにただよっていた。神のみ子の霊が、彼女の心に宿っていた。彼女の言葉は、恵みによって味つけられ、好意と平和に満ち、天の感化を及ぼしていた。ダビデは、われに返り、自分の早まった考えがどんな結果をもたらすものであったかを思って戦慄した。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ5:9)。いらだった感情を和らげ、早まった衝動をとどめ、冷静さと正しい知恵の言葉によって、大きな悪をしずめようとしたこのイスラエルの女のような人々が、もっと多くあればどんなに良いことであろう。 PP 348.3
献身したクリスチャンの生活は、常に光と慰安と平安を放っている。それは、純潔、気転、単純、有用性などの特性を持っている。それは、感化力を清める無我の愛に支配されている。それは、キリストに満ち満ちていてその人が行くところは、どこにでも、光の足跡を残すのである。アビガイルは、賢明な譴責者で あり、勧告者であった。ダビデの怒りは、彼女の感化と道理にかなった話しぶりによっておさまった。彼は、自分が賢明でない行動をとり、自制心を失ったことを自覚した。 PP 348.4
彼は、へりくだって譴責を受け入れた。彼みずから、それについて次のように言っている。「正しい者にいつくしみをもってわたしを打たせ、わたしを責めさせてください」(詩篇141:5)。彼女が彼に正しい勧告を与えたために、彼は感謝して祝福した。譴責される場合に、腹を立てずに譴責を受け入れるならば、賞賛に値すると考えている人が多い。しかし、自分を誤った道から救おうとした人に、感謝と祝福の気持ちを持ってその譴責を受け入れる人はなんと少ないことであろう。 PP 349.1
アビガイルが家に帰ってみると、ナバルと彼の客は、大宴会を開いて、酒に酔って大騒ぎをしていた。彼女はダビデと会ってどんなことが起こったかについては、次の朝まで何も彼に話さなかった。ナバルは臆病者であった。そして、彼が自分の愚かな行為によって、突然の死が、どんなに迫っていたかを悟ったとき、彼の体は麻痺したようになった。彼は、ダビデがまだ、彼に報復しようとしているのではないかと恐れて、人事不省に陥った。彼は、10日後に死んだ。神が彼にお与えになった生命は、世をのろうだけのものであった。彼が、喜び楽しんでいた最中に、主がたとえの中の金持ちに言われたのと同じように、神は彼に言われた。「あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう」(ルカ12:20)。 PP 349.2
ダビデはその後、アビガイルと結婚した。ダビデは、すでに1人の妻の夫であったが、当時の国々の風習が彼の判断を誤らせ、こうした行動を取らせたのである。偉大で善良な人々でさえ、世の風習に従って道をふみ誤った。ダビデは、多くの妻をめとったための苦しさを、一生を通じて痛感した。 PP 349.3
ダビデは、サムエルの死後数か月の間、平和に過ごすことができた。彼はふたたび、ジフ人の人里離れたところへ行った。しかし、ジフ人たちは、王の恵みを得ようと思って、ダビデの居どころを王に知らせた。この知らせによって、今までサウルの心の中に眠っていた悪魔的怒りが燃え上がった。サウルはまたもや兵隊たちを召集して、ダビデのあとを追った。しかし、味方の斥候は、サウルがふたたび追跡していることをダビデに知らせた。ダビデは、敵の位置を確かめるために出かけて行った。それは夜であった。彼らが注意深く進んでいくうちに、ある陣営のところに来た。よく注意してみると、王と従者たちの天幕が目前にあった。彼らには、だれも気づいていなかった。陣営は静かに眠っていた。ダビデは、仲間の者に、敵のまん中にはいって行こうと言った。「だれがわたしと共にサウルの陣に下って行くか」と彼が尋ねると、アビシャイはすぐ答えて言った。「わたしが一緒に下って行きます」(サムエル記上26:6)。 PP 349.4
ダビデとアビシャイは、山の暗い陰に隠れて、敵の陣営にはいった。彼らが敵の正確な数を確かめようとしていたところ、やりを地につきさし、まくらもとに水のびんを置いて寝ているサウルのところへ来た。サウルのそばには、総指揮官のアブネルがいて、そのまわりに兵隊たちが眠っていた。アビシャイは、彼のやりを振り上げて言った。「神はきょう敵をあなたの手に渡されました。どうぞわたしに、彼のやりをもってひと突きで彼を地に刺しとおさせてください。ふたたび突くには及びません」(同26:8)。彼は許可の言葉を待った。しかしダビデは彼の耳にささやいて言った。「『彼を殺してはならない。主が油を注がれた者に向かって、手をのべ、罪を得ない者があろうか』。……『主は生きておられる。主が彼を撃たれるであろう。あるいは彼の死ぬ日が来るであろう。あるいは戦いに下って行って滅びるであろう。主が油を注がれた者に向かって、わたしが手をのべることを主は禁じられる。しかし今、そのまくらもとにあるやりと水のびんを取りなさい。そしてわれわれは去ろう』。こうしてダビデはサウルの枕もとから、やりと水のびんを取って彼らは去ったが、だれもそれを見ず、だれも知らず、また、だれも目をさまさず、みな眠っていた。主が彼らを深く眠らされたからである」(同26:9~12)。主は、なんとたやすく力ある者を弱め、 賢明な者を愚かにし、厳密に見張る者の企てをくじかれることであろう。 PP 349.5
ダビデは陣営から遠く離れた安全な山の上に立って、大声で民とアブネルに叫んで言った。「『あなたは男ではないか。イスラエルのうちに、あなたに及ぶ人があろうか。それであるのに、どうしてあなたは主君である王を守らなかったのか。民のひとりが、あなたの主君である王を殺そうとして、はいりこんだではないか。あなたがしたこの事は良くない。主は生きておられる。あなたがたは、まさに死に値する。主が油をそそがれた、あなたの主君を守らなかったからだ。いま王のやりがどこにあるか。その枕もとにあった水のびんがどこにあるかを見なさい』。サウルはダビデの声を聞きわけて言った、『わが子ダビデよ、これはあなたの声か』。ダビデは言った、『王、わが君よ、わたしの声です』。ダビデはまた言った、『わが君はどうしてしもべのあとを追われるのですか。わたしが何をしたのですか。わたしの手になんのわるいことがあるのですか。王、わが君よ、どうぞ、今しもべの言葉を聞いてください』」(同26:15~19)。王は、ふたたび自分の誤りを悟って言った。「『わたしは罪を犯した。わが子ダビデよ、帰ってきてください。きょう、わたしの命があなたの目に尊く見られたゆえ、わたしは、もはやあなたに害を加えないであろう。わたしは愚かなことをして、非常なまちがいをした』。ダビデは答えた、『王のやりは、ここにあります。ひとりの若者に渡ってこさせ、これを持ちかえらせてください』」(同26:21、22)。サウルは、「わたしは、もはやあなたに害を加えないであろう」と約束したけれども、ダビデは、彼の権力のもとに身をおくことをしなかった。 PP 350.1
ダビデが王の生命を尊重したこの第二の出来事は、サウルの心にさらに深い印象を与え、彼に、もっと謙遜になって、自分のあやまちを認めさせるに至った。彼は、こうした慈悲深い行為に驚き、圧倒された。サウルは、ダビデと別れる時に言った。「わが子ダビデよ、あなたはほむべきかな。あなたは多くの事をおこなって、それをなし遂げるであろう」(同26:25)。しかし、エッサイのむすこは、王がこうした精神状態を長く持ち続けることを期待できなかった。 PP 350.2
ダビデは、サウルと和解することに絶望した。ついには彼がサウルの憎悪の犠牲にならねばならないことは避けられないように思われた。そこで彼は、ふたたびペリシテ人の地に隠れ家を求める決心をした。彼は、600人の部下を率いて、ガテの王アキシのところへ行った。 PP 350.3
ダビデは、神の勧告を仰がず、サウルが自分を殺すものと思い込んでしまった。サウルは、ダビデを殺そうとたくらんで追跡していても、主は、ダビデに王国を確保させようとしておられたのである。人間の目には、神秘に思えても、神はそのご計画を完成なさる。人間には、神の方法は不可解である。そして、その外側を見て、神が彼らに起こることを許される困難や試練を、ただ彼らを苦しめ、滅ぼすものであると解釈する。こうして、ダビデは、外側をながめて、神の約束を見なかった。彼は、果たして自分が王位につけるかどうかを疑った。長い試練が、彼の信仰を弱らせ、忍耐力を消耗させた。 PP 350.4
主は、イスラエルの宿敵ペリシテ人のところに、ダビデを保護するために送られたのではない。ペリシテ人は最後まで彼にとって恨み重なる敵の1つになるのであったにもかかわらず、彼は、困った時に彼らに助けを求めて行った。彼は、サウルとサウルの従者たちを全く信頼できなくなり、彼の民族の敵の憐れみにすがったのである。ダビデは、勇敢な将軍であった。そして、賢明で、栄えある勇士であった。しかし、彼がペリシテ人のところへ行ったのは、全く彼にとって不利なことであった。神は、神の旗じるしをユダの国に立てるように、彼を任命されたのであった。彼が、神からの命令を仰がずに、自分の持ち場を捨てたのは、信仰に欠けていたためであった。 PP 350.5
ダビデの不信によって、神のみ栄えが汚された。ペリシテ人は、サウルと彼の軍勢を恐れる以上に、ダビデを恐れていた。ダビデは、ペリシテ人に身を寄せて保護を受けたために、彼の自国民の弱点を彼らに暴露した。こうして彼は、この残酷な敵が、イスラ エルを圧迫することを助けたのである。ダビデは、神の民を守護するために立ち上がるように油を注がれていた。主は、主のしもべたちが、神の民の弱点を暴露したり、その幸福に無関心をよそおったりして、悪人たちを勇気づけることを望まれない。さらに、彼の兄弟たちは、彼が異教徒の神々を礼拝するために、彼らのところへ行ったという印象を受けた。彼のこうした行動は、人々に彼の動機を誤解させる原因となり、多くの者は、彼に対して偏見をいだいた。彼は、サタンが彼にさせようと願っていたちょうどそのことをさせられた。なぜなら、彼がペリシテ人の中に隠れ家を求めたことによって、神と神の民との敵を非常に喜ばせたからである。ダビデは、神の礼拝を捨てたり、神のわざに対する献身を取り消したりしたのではなかった。しかし、彼は、自分の身の安全を求めて神に信頼しなかった。こうして、彼は、神がしもべたちに要求される公正で忠実な品性を傷つけたのである。 PP 350.6
ダビデは、ペリシテ人の王に温かく迎えられた。この温かい歓迎は、王が彼を尊敬していたこととともに、ヘブル人が自分に保護を求めてきたという虚栄心の満足によるものでもあった。ダビデは、アキシの領土内では、裏切られる恐れを感じなかった。彼は、家族と一族の者の財産を移動させた。彼の部下もそのようにした。こうして彼は、見たところ、永久にペリシテ人の地に移住したように思われた。イスラエルの避難民の保護を約束したアキシは、万事に満足であった。 PP 351.1
ダビデは、王の町を離れたいなかに住みたいと願った。王は快く承諾して、チクラグを彼の所有として与えた。ダビデは、自分も部下も偶像礼拝者たちの影響のもとにあるのは危険であると思った。ガテにいるよりは、彼らだけの町にいるほうが自由に神を礼拝することができた。ガテで行われる異教の儀式は、彼らに害毒を及ぼし、種々の難問題を引き起こすことは明らかであった。 PP 351.2
この孤立した町に住んでいた間に、ダビデは、ゲシュル人、ゲセル人、アマレク人などと戦い、彼らを全滅させたので、そのことをガテに知らせる者はなかった。彼が戦いから帰ってくると、自国民であるユダの人々と戦っていたかのように、アキシには思わせていた。こうした偽りによって、ダビデは、ペリシテ人の手を強めていた。王は言った。「彼は自分を全くその民イスラエルに憎まれるようにした。それゆえ彼は永久にわたしのしもべとなるであろう」(同27:12)。ダビデは、これらの異邦の種族が滅ぼされることは、神のみ旨であることを知っていた。そして、自分にその任務が委ねられていたことを知っていた。しかし、彼が人をあざむいていたのでは、神の勧告に従って歩んでいるとは言えなかった。 PP 351.3
「そのころ、ペリシテびとがイスラエルと戦おうとして、いくさのために軍勢を集めたので、アキシはダビデに言った、『あなたは、しかと承知してください。あなたとあなたの従者たちとは、わたしと共に出て、軍勢に加わらなければなりません』」(同28:1)。ダビデは、自分の民族にさからう気持ちは少しもなかった。彼の義務が何であるかを、事態が進展してはっきりと示すまで、彼はどういう行動をとって良いかよくわからなかった。彼は、王にあいまいな返事をして言った。「よろしい、あなたはしもべが何をするかを知られるでしょう」(同28:2)。アキシは、戦争が起これば、ダビデは王を援助すると約束したものとこの言葉を理解した。そしてダビデに大きな栄誉を与えることを誓い、ペリシテの宮廷の高い地位に彼をつけた。 PP 351.4
ダビデの信仰は、神の約束をいくぶんか疑った。しかし、彼は、サムエルがイスラエルの王として彼に油を注いだことをまだ忘れてはいなかった。彼は、神が、これまでにお与えになった勝利を思い出した。彼は、サウルの手から彼を守護された神の大きな恵みを回想して、神の信任を裏切るまいと決心した。イスラエルの王は、彼の生命をねらっていた。しかし、彼は、自国民の敵と協力するつもりはなかった。 PP 351.5