人類のあけぼの

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第59章 イスラエル最初の王サウル

本章は、サムエル記上8~12章に基づく PP 314.2

イスラエルの政治は、神の名とその権威のもとに行われた。モーセと70人の長老、つかさと士師たちの務めは、単に、神がお与えになった律法を実施することであった。彼らには、国家の法律を制定する権はなかった。これが、イスラエルの国家としての存在のあり方であり、そのように継続すべきものであった。どの時代においても、神の霊感を受けた人々が送られて、民を教え、律法の実施の指示を与えた。 PP 314.3

主は、イスラエルが王を要求するようになることを予見なさったが、国家制定の原則が変化することを許可なさらなかった。王は、至高者なる神の代理人であるべきであった。神を国家の首長と認め、神の律法を国の最高の法律として、実施しなければならなかった。 PP 314.4

イスラエルの人々が、最初にカナンに定住したとき、彼らは、神政政治の原則を認めた。そして、国家は、ヨシュアの指導のもとに繁栄した。しかし、人口の増加と他国との交渉がそれに変化をもたらした。人々は、隣接する異邦の風習を数多くとり入れ、彼ら自身の特異性と清い性質とを大部分犠牲にした。彼らは、徐々に、敬神の念を失い、神の選民であることを誇りとしなくなった。彼らは、異邦の諸王の外見の壮麗さに心をひかれ、自分たちの簡素なことにあき果てた。部族間には、ねたみやそねみが起こった。内部の紛争が、彼らを弱くした。彼らは、絶えず異邦の敵の侵入の危険にさらされていた。人々は、国家間における彼らの地位を保持するためには、部族を強力な中央政権のもとに統一する必要があると痛感するようになった。彼らは神の律法に従わなくなり、天の神の支配からのがれたいと望んだ。こうして、王を要求する声がイスラエル全土に広がった。 PP 314.5

政治が、サムエルの支配下におけるほどに大きな知恵と成功のもとに行われた時代は、ヨシュアの時代以来なかったことであった。サムエルは、士師、預言者、祭司という3つの職責を神から委ねられて、彼の民の幸福のために、たゆまず熱烈な無我の精神をもって働いた。そして、国家は、彼の賢明な支配のもとに栄えたのである。秩序は回復し、信仰は深まり、 不平の精神は一時おさまった。 PP 314.6

しかし、預言者は、年を取るにつれて政務を他の者に委ねなければならなくなった。そして、彼は自分の2人のむすこを彼の助手に任命した。サムエルが、ラマにおける任務を継続する一方、青年たちは、ベエルシバに配置されて、国土の南の国境付近で、人々の裁判を行った。 PP 315.1

サムエルは、国民一同の賛成のもとに、むすこたちを職務に任命したのであったが、彼らは、父親の選択に値しないむすこたちであった。主は、モーセによって神の民に特別の命令を与え、イスラエルの指導者は、正しい裁判を行い、やもめや孤児を正しくさばき、わいろを受けてはならないことを命じておられた。しかし、サムエルのむすこたちは、「利にむかい、まいないを取って、さばきを曲げた」(サムエル記上8:3)。預言者のむすこたちは、預言者が彼らの心に強く刻みこもうと努めた教えに注意しなかった。彼らは、父親の、清い無我の生涯にならわなかった。サムエルはエリに与えられた警告を、深く肝に銘じておかなければならなかったのに、それを怠った。彼は、むすこたちを甘やかし過ぎる傾向があった。そして、その結果が、彼らの品性と生活に表れた。 PP 315.2

こうした士師たちの不正に、人々は大きな不満をいだいた。そして、彼らが長い間ひそかに希望していた政変を要求するきっかけを与えた。「イスラエルの長老たちはみな集まってラマにおるサムエルのもとにきて、言った、「あなたは年老い、あなたの子たちはあなたの道を歩まない。今ほかの国々のように、われわれをさばく王を、われわれのために立ててください」」(同8:4、5)。 PP 315.3

人々の間で行われた悪事の数々は、サムエルに知らされなかった。もし、むすこたちの悪行が彼に知らされたならば、彼は、すぐに彼らを解任したことであろう。しかし、人々の望んだことは、それではなかった。サムエルは、彼らの真の動機が不満と自尊心であり、彼らの要求が、熟慮と断固とした決意のもとに行われたものであることを悟った。サムエルに対しては、なんの不平も述べられなかった。万人が、彼の統治の潔白と知恵とを認めた。しかし、老預言者は、その要求を自己に対する非難、また、彼を除こうとする直接行動であると考えた。しかし、彼は、自分の気持ちを表面にあらわさなかった。彼は、譴責の言葉を言わなかった。彼は、このことについて祈り、主に訴えて、ただ主からの勧告を求めたのである。 PP 315.4

主は、サムエルに言われた。「民が、すべてあなたに言う所の声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである。彼らは、わたしがエジプトから連れ上った日から、きょうまで、わたしを捨ててほかの神々に仕え、さまざまの事をわたしにしたように、あなたにもしているのである」(同8:7、8)。預言者は、民の行動を彼個人に対するものであると思って悲しんだことを譴責された。彼らは、彼に対する不敬ではなくて、神の民の指導者を任命された神の権威に対する不敬をあらわしたのである。神の忠実なしもべを軽蔑して拒絶する者は、人間だけでなくて、彼を送られた主に対する侮りを示すのである。軽蔑されたのは、神の言葉であり、神の譴責と勧告であった。拒否されたのは神の権威であった。 PP 315.5

イスラエルが最も繁栄した時代は、彼らが、主を彼らの王として認め、神が制定された律法と統治を、他のすべての国々の統治よりもすぐれたものとみなしたときであった。モーセは、主のいましめについて、イスラエルに宣言した。「これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう」(申命記4:6)。しかし、ヘブル人は、神の律法に従わなかったために、神が望まれたような国民になることができなかった。そして、彼らは自分たち自身の罪と愚かさの結果として生じたすべての災いを、神の統治のせいにした。彼らは罪のために、全く目がくらんでしまったのである。 PP 315.6

主は、イスラエルが王の統治を受けることを、預言者によって預言しておられた。しかし、この政治形態が最善であって、神のみこころにかなったものである というわけではなかったのである。 PP 315.7

神は、人々が、神の勧告に従うことを拒んだために、彼らの選んだ通りにすることを許された。主は、怒りをもって彼らに王を与えたと、ホセアは言った(ホセア13:11参照)。人々が神の勧告を求めず、または、神が啓示されたみこころに反して自分勝手な道を選び、それに付随した苦い経験にあうとき、彼らが自分たちの愚かさを自覚して、罪を悔い改めるに至るために、神はしばしば彼らの願いを許される。人間の誇りと知恵は、危険な道案内となる。神のみこころに反して心が欲求するものは、ついには祝福ではなくてのろいとなるのである。 PP 316.1

神は、神の民が、彼らの立法者および力の源泉として、ただ神だけを仰ぐことを望まれた。こうして彼らは、自分たちが神に依存していることを認めて、常に神に近づくのであった。彼らは、高められ高貴にされて、神の選民として召された大いなる運命にふさわしいものとされるのであった。ところが、人間が王座にすわるようになると、人心を神から引き離す傾向があった。彼らは神の力よりは、人間の力に頼るようになる。そして、王の犯す誤りは、彼らを罪に陥れ、国家を神から離反させるのであった。 PP 316.2

サムエルは、人々の願いを聞き入れはするが、主が承知されなかったことを彼らに警告し、こうした行動はどういう結果を招くかを知らせるように命じられた。「サムエルは王を立てることを求める民に主の言葉をことごとく告げ」た(サムエル上8:10)。彼は、彼らに負わせられる重荷を忠実に述べ、こうした圧迫下の状態と現在の比較的自由と繁栄の状態との比較を示した。彼らの王は、他の王たちの栄華を模倣し、それを維持するために、人員や財産をきびしく要求しなければならなくなる。王は、国民の優秀な青年たちに服役を要求するであろう。彼らは、戦車隊や騎兵に徴集されて、王の前に走らなければならないであろう。彼らは、王の軍隊の責任を負わせられるであろう。彼らは、王の土地を耕し、王の作物を刈り、王のために武器を製造しなければならないであろう。イスラエルの娘は、王家のために香を作る者、パンを焼く者とされるであろう。王は、王としての威厳を保つために、主ご自身が、人々に授けられた土地の最もよい物を取るであろう。また、彼らのしもべたち、牛、ろばなどの最もよいものを取って、「自分のために働かせ」るであろう(同8:16)。そのほか、王は、彼らの収入の10分の1、彼らの労働の利益、または、地の産物を要求するであろう。「あなたがたは、その奴隷となるであろう。そしてその日あなたがたは自分のために選んだ王のゆえに呼ばわるであろう。しかし主はその日にあなたがたに答えられないであろう」と預言者は結んだ(同8:17、18)。王制が一度確立すれば、それが、どんなに煩雑で苛酷な要求をするものであっても、かってに破棄することはできなかった。 PP 316.3

しかし、人々は答えた。「いいえ、われわれを治める王がなければならない。われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」(同8:19、20)。「他の国々のようにな」る。イスラエルの人々は、この点で他国と同じでないことが、特別な特権と祝福であることを自覚しなかった。神はイスラエルの人々を、他のすべての国民から分離して、神ご自身の特別の宝とされたのであった。しかし、彼らは、この大きな栄誉を無視して、異教徒の風習を模倣することを切望した。そして、世俗の風習に従おうとする切望は、今なお神の民と自称する人々の間にもあるのである。彼らが主から離れると、世の利益と栄誉を熱望するようになる。クリスチャンは、この世の神の礼拝者の風習を常に模倣しようと努めている。世の人々と一致し、彼らの風習に従うことによって、神を信じない人々に強力な感化を及ぼすことができると力説する人々が多くいる。しかし、そうする者はみな、そのために、彼らの力の根源である神から離れる。世の友となれば、神の敵である。彼らは、地上の栄誉のために、暗やみから驚くべきみ光に招き入れてくださった方のみわざを語り伝えるために神に召されたという、言葉では表現できない栄誉を犠牲にしてしまう(Ⅰペテロ2:9参照)。 PP 316.4

人々の言葉を聞いて、サムエルは深く悲しんだ。しかし、主は、「彼らの声に聞き従い、彼らのために王を立てよ」と、サムエルに言われた(サムエル上8:22)。 PP 317.1

預言者は、彼の義務を果たした。彼は、忠実に警告したのであったが、拒否されてしまった。彼は、重苦しい気持ちで人々を解散させ、自分自身は、大きな政変の準備をするためにそこを去った。 PP 317.2

サムエルの清く無我の献身的生活は、利己的な祭司や長老たちと、高慢で官能的なイスラエルの会衆の両方を絶えず譴責するものであった。彼は、華麗に装い誇示することはなかったが、その働きは、天の印を帯びていた。彼は、ヘブル民族を統治するために指示を仰いでいた世の贖い主の栄誉にあずかった。しかし、人々は、彼の敬神と献身に飽きてきた。彼らは、彼のつつましい権威を侮って、彼を拒否し、王として彼らを支配する人間を求めたのである。 PP 317.3

われわれは、サムエルの品性の中に、キリストのかたちが反映していたのを見る。サタンを怒らせたのは、救い主の生涯の清さであった。その生涯は世の光であった。そして、人の心の中の隠れた堕落をあばいた。宗教のにせ教師たちの心を激怒させて、彼に立ち向かわせたのは、キリストの神聖さであった。キリストは、富と栄誉をもって地上に来られなかった。しかし、彼のなさった働きは、彼がどの地上の王よりも偉大な力の所有者であることを示した。ユダヤ人は、メシアが現れて、圧迫者のくびきを折ることを待望したが、その心には、彼らの首をくびきにつなぐ罪をいだいていた。もしも、キリストが彼らの罪をおおい隠して、彼らの敬神深さを賞賛されたならば、彼らは、キリストを王として受け入れたことであろう。しかし、彼らは、キリストの彼らの罪に対する大胆な譴責に耐えられなかった。慈愛と純潔と神聖さにみなぎり、罪以外の何ものをも憎まない品性の美しさを、彼らはさげすんだ。これは、世界のどの時代においても、その通りであった。天からの光は、その光の中を歩くことを拒むすべての者を罪に定めるのである。罪を憎む者の模範的生活に譴責されるとき、偽善者はサタンの手下になって忠実な者を悩まし、迫害するのである。「いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」(Ⅱテモテ3:12)。 PP 317.4

イスラエルの王朝政治は預言されていたとは言え、彼らの王を選択する権は、神ご自身が保留しておられた。ヘブル人は、神の権威を尊重して、正の選定を全く神にゆだねていた。ベニヤミンのキシのむすこサウルが選ばれることになった。 PP 317.5

将来の王の人間的特質は、王を求めた人々の誇りを満足させるものでなければならなかった。「イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はな」かった(サムエル記上9:2)。背が高く、りっぱで気高い威厳を備えた壮年期の彼は、生まれながらの指導者のように思われた。サウルは、これらの外面的魅力はあったが、真の知恵を構成するのに必要な気高い特質に欠けていた。彼は、青年時代に、その性急な激情を支配することを学ばなかった。彼は、神の恵みの改変の力を感じたことがなかった。 PP 317.6

サウルは、有力で裕福な首長のむすこであったが、当時の素朴な風習に従って、彼の父と共に農夫の卑しい仕事に従事していた。彼の父の家畜が、数頭山の中で道に迷った。そこでサウルは、しもべを連れてさがしに出かけた。彼らは3日さがしたが見つからなかった。彼らは、サムエルのいるラマから遠くなかったので、しもべがいなくなった家畜のことについて、預言者に聞いてみようと言った。「わたしの手に4分の1シケルの銀があります。わたしはこれを、神の人に与えて、われわれの道を示してもらいましょう」と彼は言った(同9:8)。こうすることは、そのころの習慣に従ったものであった。位や地位の高い人に近づく時には、尊敬のしるしにささやかな贈り物をした。 PP 317.7

彼らは、町に近づいた時に、水をくみに出て来た娘たちに会ったので、彼らに預言者のことを聞いた。娘たちは、問いに答えて、宗教的な行事がすぐに開かれようとしていて、預言者はもう到着していることと、「高き所」で犠牲が捧げられること、そして、それがすんでから祝宴があることなどを教えてくれた。サム エルの統治下において、大きな変化が起こった。彼が最初召されたころには、聖所の祭りは侮られていた。「この人々が主の供え物を軽んじた」(同2:17)。しかし、神の礼拝は、今、全土で行われるようになった。そして、人々は、宗教的な行事に興味を示した。幕屋の奉仕はなかったから、犠牲は臨時に他の場所で捧げられた。そして、そのために人々が教えを受けるために集まった祭司の町やレビ人の町が選ばれた。そうした町の一番高い所が、通常、犠牲の場所に選ばれたので、高き所と呼ばれた。 PP 317.8

サウルは、町の門で、預言者自身に出会った。神は、ちょうどその時に、イスラエル王として選ばれた者が彼の面前に現れることを、サムエルに示されたのであった。こうして、彼らが向かい合ったとき、主は、サムエルに言われた。「見よ、わたしの言ったのはこの人である。この人がわたしの民を治めるであろう」(同9:17)。 PP 318.1

サウルが、「先見者の家はどこですか。どうか教えてください」とたずねると、サムエルは、「わたしがその先見者です」と答えた(同9:18、19)。サムエルは、道に迷った家畜が、もう見つかったことをも話した上で、彼に、とどまって食事をするように勧めるとともに、彼の前に大きな運命が待っていることをほのめかしたのである。「イスラエルのすべての望ましきものはだれのものですか。それはあなたのもの、あなたの父の家のすべての人のものではありませんか」(同9:20)。預言者の言葉を聞いて、サウルの心は大きな感動を覚えた。彼は、その言葉の意味深さを感じないわけにいかなかった。王に対する要求が、全国の重大関心事となっていたからである。しかし、サウルは謙遜に自分を卑下して言った。「わたしはイスラエルのうちの最も小さい部族のベニヤミンびとであって、わたしの一族はまたベニヤミンのどの一族よりも卑しいものではありませんか。どうしてあなたは、そのようなことをわたしに言われるのですか」(同9:21)。 PP 318.2

サムエルは、サウルを町のおもだった人々の集まっているところへ連れて行った。サウルは、その人々の中でサムエルの指示に従って、上座にすわらせられて、最高のごちそうが彼の前に並べられた。サムエルは集会後、客を自分の家に連れていき、屋上で彼と話し合い、イスラエルの政治の基礎である大原則を示した。こうして、サムエルは、彼のつくべき高い地位に対する準備をいくぶんかでも与えようと努めたのである。 PP 318.3

預言者は、翌日の朝早くサウルが出発する時に、彼と一緒に出かけた。彼は、町はずれまで来ると、しもべに先に行くように命じた。そして彼は、サウルに立ち止まって、神が彼にお送りになった言葉を聞くように命じた。「その時サムエルは油のびんを取って、サウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った、『主はあなたに油を注いで、その民イスラエルの君とされたではありませんか』」(同10:1)。サムエルは、これが神の権威によって行われたものであるという証拠として、帰り道で彼が出会う出来事を預言した。そして、サウルを待ち受けている地位に対して、神の霊が彼に資格を与えるであろうと言った。「主の霊があなたの上にもはげしく下って、あなたは……変って新しい人となるでしょう。これらのしるしが、あなたの身に起ったならば、あなたは手当りしだいになんでもしなさい。神があなたと一緒におられるからです」(同10:6、7)。 PP 318.4

サウルが道を進んで行くと、預言者の言ったことがみな起こった。彼は、ベニヤミンの境の近くで、迷った家畜が見つかったことを聞いた。タボルの平原では、ベテルで神を礼拝しようとする3人の者に会った。1人は犠牲のための3頭の子やぎを連れ、次は3つのパンを携え、第三の人は犠牲の食事のために、ぶどう酒の皮袋を携えていた。彼らは、サウルにいつものあいさつをして、3つのうち2つのパンをくれた。彼自身の町、ギベアでは、「高き所」から降りてきた預言者の一団が、笛や琴、立琴や手鼓の音楽に合わせて、神を賛美して歌っていた。サウルが彼らに近づくと、主の霊が彼の上にも降り、彼も、彼らと一緒に賛美して預言した。彼は、非常な雄弁と知恵をもって語り、熱心に礼拝に参加したので、彼を知っ ていた人々は驚いて叫んだ。「キシの子に何事が起ったのか。サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」(同10:11)。 PP 318.5

サウルが預言者たちの礼拝に加わったとき、聖霊による大変化が彼のうちに起こった。天来の清い神聖な光が、生まれながらの心の暗黒を照らした。彼は、神の前に立つ自分の姿を見たのである。彼は、神聖の美を見た。彼は、今、罪とサタンに対する戦いを始めるために召された。そして、この争闘において、彼の力は、全く神から来なければならないことを悟らされた。これまで、あいまいで不明瞭だった救いの計画が、彼の心に明らかにされた。主は、彼の高い地位のための勇気と知恵を、彼に賜わった。主は、彼に能力と恵みの根源を示し、神の要求と彼自身の義務について、十分な理解をお与えになった。 PP 319.1

サウルが王として油を注がれたことは、まだ、全国に知らされなかった。神の選択は、くじによって広く知らされることになった。サムエルは、その目的のために、人々をミヅパに集めた。神の指導を求める祈りが捧げられた。それに続いて、くじを引く厳粛な儀式が行われた。集まった群衆は、黙って結果を待った。部族、氏族、家族と次々に定められていって、キシの子サウルが選ばれた。しかし、サウルは会衆の中にいなかった。彼は、彼に負わせられようとする重大な責任を強く感じて、ひそかに身を隠していた。彼は、会衆のところに連れてこられた。会衆は、彼が、「肩から上は、民のどの人よりも高」く、王の威厳と気品を備えていたのを見て誇りと満足をおぼえた(同10:23)。サムエルも、人々に彼を紹介した時に叫んだ。「主が選ばれた人をごらんなさい。民のうちに彼のような人はないではありませんか」。そして、それに答えて、大群衆の中から「王万歳」という、長く大きな歓呼の声があがった(同10:24)。 PP 319.2

そのとき、サムエルは、「王国のならわし」を人々に語って、王政政治の基礎をなす原則を述べ、それに従って、支配されなければならないことを告げた。王は、絶対君主となるのではなくて、至高者なる神のみこころに従って権力を保持するのであった。君主の大権と国民の義務と特権を述べたこの演説は、書物に記録された。国民は、サムエルの警告を軽んじた。しかし、忠実な預言者は、民の要求に屈服させられてもなお、できるかぎりを尽くして、彼らの自由を擁護しようと努力した。 PP 319.3

人々は、一般に、サウルを王として認める用意はあったが、多数の反対派もあった。最大で最も強力なユダとエフライムの両部族を無視して、イスラエルの部族中最小のベニヤミンから王が選ばれることは、彼らのとうてい忍ぶことのできない侮辱であった。彼らは、サウルに忠誠を誓うことを拒否し、慣例の贈り物を持ってこなかった。王を最も熱烈に要求した当人たちが、神によって選ばれた人を、感謝して受けることを拒否したのである。各派の者たちは、それぞれ王位の候補者を持っていたし、指導者の中の数名は、自分自身が、その栄誉にあずかりたいと願っていた。多くの人の心に、ねたみとそねみの火が燃えた。誇りと野心から起こった運動は、失望と不満に終わった。 PP 319.4

サウルは、このような情勢下にあって王位につくことは、適当でないと思った。それで、従来通り国家の行政はサムエルにゆだねておいて、彼は、ギベアへ帰った。彼は、栄誉をたたえる一団の人々につき添われて帰った。この人々は、彼が神に選ばれたのを見て、彼を支持することにしたのであった。しかし、彼は、武力に訴えてまで、王権を確保しようとしなかった。彼は、ベニヤミンの山地の故郷で、静かに農業に従事して、彼の権威が確立されるのをすべて神にまかせていた。 PP 319.5

サウルが任命を受けて間もなく、アンモン人の王、ナハシが、ヨルダンの東の部族の領土に侵入し、ヤベシ・ギレアデの町を攻撃した。住民は、アンモン人にみつぎ物をおさめることを申し入れて、契約を結ぼうとした。しかし、残酷な王は、すべての住民の右の目をえぐり取って、彼らを彼の権力の永久の証拠とするのでなければ承知しなかった。 PP 319.6

包囲された町の人々は、7日間の猶予を請うた。アンモン人は、彼らの期待した勝利をさらにはなばな しくするため、これに同意した。ヤベシからは、すぐにヨルダン川の西の部族の援助を求めるために、使者が送り出された。彼らは、ギベアに知らせて、多くの人々を恐れさせた。サウルが牛のあとを追って、夜、畑から帰ってくると、何か大きな悲劇が起こったことを知らせる大きなうめきを聞いた。「民が泣いているのは、どうしたのか」と彼は言った(同11:5)。この屈辱的知らせを聞かされたとき、彼のうちに眠っていた力がことごとく奮い立った。「神の霊が激しく彼の上に臨んだ……。彼は一くびきの牛をとり、それを切り裂き、使者の手によってイスラエルの全領土に送って言わせた、『だれであってもサウルとサムエルとに従って出ない者は、その牛がこのようにされるであろう』」(同11:6、7)。 PP 319.7

ベゼクの平原には、33万人がサウルの指揮下に集まった。包囲された町には、すぐに使者が送られて、その翌日必ず援軍が送られることが知らされた。その日は、彼らが、アンモン人に降伏することになっていた日であった。サウルと彼の軍勢は、夜の間にすばやく進軍して、ヨルダン川を渡り、「あかつきに」ヤベシに到着した(同11:11)。彼は、ギデオンのように彼の軍を3組に分け、そうした早朝の時間に、アンモンの陣営を襲った。それは彼らがなんの危険も感じないで、最も防備のないときであった。彼らは、あわてふためいて、多数の死者を出して敗走した。「生き残った者はちりぢりになって、ふたり一緒にいるものはなかった」(同11:11下句)。 PP 320.1

このような大軍をみごとに指揮したサウルの指導力とともに、彼の敏速さと勇気とは、イスラエルの人々が他国と競い合うために、王に求めた特質であった。今、彼らは、神の特別の祝福がなかったならば、彼らの努力はすべて無に帰すところであったことを忘れて、勝利の栄誉を人間の器に帰して、サウルを王として迎えた。熱狂のあまり、最初にサウルの権威を認めなかった者を殺そうと言う者もあった。しかし、王は、それをさえぎって言った。「主はきょう、イスラエルに救を施されたのですから、きょうは人を殺してはなりません」(同11:13)。サウルは、ここで、彼の品性が変化した証拠を示した。彼は、自分に栄誉を帰する代わりに、神に栄光を帰した。復讐心をあらわす代わりに、情けと赦しの精神をあらわした。これが、彼の心の中に、神の恵みが宿った明らかな証拠であった。 PP 320.2

そこで、サムエルは、ギルガルにおいて、国民の集会を開き、正式にサウルが王であることを認めることにしようと言い、それが実行に移された。民は、「酬恩祭を主の前にささげ、サウルとイスラエルの人々は皆、その所で大いに祝った」(同11:15)。 PP 320.3

ギルガルは、イスラエルが約束の地で最初に天幕を張ったところであった。ヨルダン川を奇跡的に渡ったことを記念するために、ヨシュアが神の命令によって12の石を立てたのはここであった。カデシでの罪と、荒野の放浪の後で、彼らはここで最初の過越の祭りを行った。ここで、マナがやんだ。ここで、主の軍勢の将が、イスラエルの軍勢の指揮官として、ご自分を現された。彼らは、この場所から、エリコとアイの攻略に出かけた。ここでアカンは、彼の罪の罰を受けた。また、イスラエル人は、ここでギベオン人と同盟を結び、神の勧告を仰がなかった罰を受けた。多くのこうした感動的思い出につながる平原の上に、サムエルとサウルは立ったのである。王を迎える歓呼の声が静まった時に、老預言者は国家の指導者として、告別の言葉を語った。 PP 320.4

彼は言った。「見よ、わたしは、あなたがたの言葉に聞き従って、あなたがたの上に王を立てた。見よ、王は今、あなたがたの前に歩む。わたしは年老いて髪は白くなった。……わたしは若い時から、きょうまで、あなたがたの前に歩んだ。わたしはここにいる。主の前と、その油そそがれた者の前に、わたしを訴えよ。わたしが、だれの牛を取ったか。だれのろばを取ったか。だれを欺いたか。だれをしえたげたか。だれの手から、まいないを取って、自分の目をくらましたか。もしそのようなことがあれば、わたしはそれを、あなたがたに償おう」(同12:1~3)。 PP 320.5

人々は、声をそろえて答えた。「あなたは、われわれを欺いたことも、しえたげたこともありません。また人 の手から何も取ったことはありません」(同12:4)。 PP 320.6

サムエルは、ただ自分自身の行動の正当なことを主張しようとしただけではなかった。彼は、以前に、王と国民がともに従わなければならない原則を説明してあるから、その言葉に彼自身の模範の重みを加えたいと思った。彼は、幼少のときから神の働きに連なり、神の栄光とイスラエルの最高の幸福を、その長い生涯の一大目標としてきた。 PP 321.1

もし、彼らがイスラエルの繁栄を望むならば、神の前に悔い改めなければならなかった。彼らは、罪の結果、神に対する信仰を失い、国家を支配する神の能力と知恵を認めなくなり、神がご自身の働きを擁護する能力を持っておられることを確信しなくなった。彼らは、真の平和が与えられる前に、その犯した罪を認めて、告白しなければならなかった。王を求める目的は、「王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」と彼らは言った(同8:20)。サムエルは、神が民をエジプトから導き出されたときからのイスラエルの歴史をくりかえした。王の王であられる主が、彼らを率いて、彼らの戦いをたたかわれたのである。彼らは、しばしば、罪のために、敵の手中に陥ったけれども、彼らが悪の道から離れるやいなや、神は、彼らをあわれんで、救済者を起こされた。主は、ギデオンとバラク、「エフタとサムエルをつかわして、あなたがたを周囲の敵の手から救い出されたので、あなたがたは安らかに住むことができた」(同12:11)。しかし、危機にさらされると、預言者が、「あなたがたの神、主があなたがたの王である」と言ったにもかかわらず、「われわれを治める王がなければならない」と彼らは言ったのである(同12:12)。 PP 321.2

サムエルは、続けて言った。「それゆえ、今、あなたがたは立って、主が、あなたがたの目の前で行われる、この大いなる事を見なさい。きょうは小麦刈の時ではないか。わたしは主に呼ばわるであろう。そのとき主は雷と雨を下して、あなたがたが王を求めて、主の前に犯した罪の大いなることを見させ、また知らせられるであろう」(同12:16、17)。「そしてサムエルが主に呼ばわったので、主はその日、雷と雨を下された」(同12:18)。小麦の収穫どきである5、6月ごろ、東方の国では、雨は降ったことがなかった。空は、晴れ渡って、空気は静かで穏やかであった。こういう季節に、激しい暴風雨が起こったので、人々はみな恐怖に満たされた。そこで人々は、心を低くして彼らの罪を告白した。彼らは、自分たちの犯した罪そのものを告白した。「しもべらのために、あなたの神、主に祈って、われわれの死なないようにしてください。われわれは、もろもろの罪を犯した上に、また王を求めて、悪を加えました」(同12:19)。 PP 321.3

サムエルは、人々を失望した状態のまま、放任しておかなかった。このままでは、さらに向上した生活に対する彼らの努力をすべて妨げてしまったことであろう。サタンは、人々に、神を厳格で赦すことをしないかたのように思わせようとした。こうして、彼らは、多くの誘惑にさらされるのであった。神は、あわれみ深く、赦すかたであって、神の民が、神の声に従うならば、常に恵みをほどこそうとされるのである。神は、そのしもべによって言われた。「恐れることはない。あなたがたは、このすべての悪をおこなった。しかし主に従うことをやめず、心をつくして主に仕えなさい。むなしい物に迷って行ってはならない。それは、あなたがたを助けることも救うこともできないむなしいものだからである。主は、……その民を捨てられないであろう」(同12:20~22)。 PP 321.4

サムエルは、自分が軽んじられたことについては、一言も言わなかった。彼の全生涯の献身に対するイスラエルの忘恩を責める言葉も言わなかった。彼は、彼らのために、なお深い関心を持ち続けることを約束した。「また、わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう。わたしはまた良い、正しい道を、あなたがたに教えるであろう。あなたがたは、ただ主を恐れ、心をつくして、誠実に主に仕えなければならない。そして主がどんなに大きいことをあなたがたのためにされたかを考えなければならない。しかし、あなたがたが、なおも悪を行うならば、あなたがたも、あなたがたの王も、 共に滅ぼされるであろう」(同12:23~25)。 PP 321.5