人類のあけぼの
第54章 サムソン
本章は、士師記13~16章に基づく PP 291.6
国中が背信状態に陥っている時に、神の忠実な礼拝者たちは、イスラエルが救済されることを神に祈り求めていた。その答えはすぐに与えられそうにもなく、年々、圧迫者の力は、国土に重くのしかかってくるのであったが、神は、摂理のうちに、彼らに援助を与える準備をしておられた。ペリシテ人の圧迫の初期に、この大敵の力をくじくために神が用いようとされた子がすでに生まれていた。 PP 291.7
ペリシテの平原を見おろす丘陵地帯の境に、ゾラという町があった。ここにダンの部族のマノアの一家が住んでいた。この家族は、一般の背反の中で、主に忠誠を尽くすわずかな家族の1つであった。不妊の女であったマノアの妻に、「主の使」が現れて、彼女が男の子を生むことと、その子によって、神がイスラエルをお救いになることを告げた。そのため、主の使いは、彼女の習慣について勧告を与えるとともに、子供の取り扱い方も指示した。「それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません」(士師記13:4)。そして、子供にも初めからこの同じ禁令が課せられ、それに頭の毛を切ってはならないことが追加された。というのは、その子は、生まれた時から、神に捧げられたナジル人になるからであった。 PP 291.8
女は、夫のところに来て天使のようすを語ったあとで、天使が告げたことを話した。彼らは、自分たちにゆだねられた重大な任務を果たすのにまちがいを犯してはいけないと思って、マノアは祈っていった。「あ あ、主よ、どうぞ、あなたがさきにつかわされた神の人をもう一度わたしたちに臨ませて、わたしたちがその生れる子になすべきことを教えさせてください」(同13:8)。 PP 291.9
主の使いがふたたび現れたとき、マノアは熱心にたずねた。「その子の育て方およびこれになすべき事はなんでしょうか」(同13:12)。すると、以前の教訓がまたくり返された。「わたしがさきに女に言ったことは皆、守らせなければなりません。すなわちぶどうの木から産するものはすべて食べてはなりません。またぶどう酒と濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。わたしが彼女に命じたことは皆、守らせなければなりません」(同13:13、14)。 PP 292.1
神は、マノアの約束の子に、重大な働きをさせようとしておられた。そして、母親と子供の両方の習慣を注意深く調整したのは、この働きに必要な資格をこの子に得させるためであった。「ぶどう酒と濃い酒を飲んではなりません」と、天使はマノアの妻に教えた。「またすべて汚れたものを食べてはなりません。わたしが彼女に命じたことは皆、守らせなければなりません」。子供は、母親の習慣によって、良い影響を受けることもできるし、悪い影響を受けることもできる。母親は、子供の幸福を願うならば、彼女自身が原則に支配され、節制と自制を実行しなければならない。賢明でない勧告者は、母親がすべての欲求や衝動を満足させる必要があると勧めるが、こうした教えは誤りで有害である。母親は、神ご自身の命令によって自制を働かせるという、最も厳粛な義務のもとにおかれている。 PP 292.2
母親と同様に、父親にもこの責任が負わせられている。両親が、彼ら自身の知的、身体的特徴、性質、欲求などを子供たちに伝える。親の不節制の結果として、子供たちの体力、知的、道徳的能力が欠けていることがある。酒を飲み、タバコを吸う人々は、そのような満足することを知らない欲求、刺激された血液、興奮しやすい神経を、彼らの子供たちに伝えるかもしれず、現に伝えている。不品行な者は、彼らの邪悪な欲望を子孫に伝え、いまわしい病気を遺産として残すことさえある。子供たちの激しい気性やゆがめられた欲望だけでなくて、幾千という牛まれながらの聴力や視力のない人、病気や虚弱体質などは、大部分が親の責任である。 PP 292.3
どの父親や母親も、「わたしたちがその生れる子になすべきことを教えてください」とたずねなければならない。多くの者は、生まれる前の影響ということを軽視している。しかし、天からヘブルの両親に与えられ、しかも最も明瞭で厳粛な方法で2度もくりかえされた教えによれば、創造主がこのことをどのようにごらんになるかがわかる。 PP 292.4
そして、約束の子が、両親からよい遺産を受けるだけでは十分ではなかった。これは、注意深い訓練と正しい習慣の形成によって継続していかねばならなかった。将来のイスラエルの士師であり救済者となる者は、幼い時から厳格な節制の訓練を受けなければならなかった。彼は、誕生の時からナジル人となり、永久にぶどう酒または濃い酒を飲んではならなかった。節制、克己、自制の教訓は、赤子の時から子供たちに教えなければならない。 PP 292.5
天使の禁令のなかには、「すべて汚れたもの」も含まれていた。食物を清いものと汚れたものとに分けたことは、単に礼典的、また、独断的に定められたのではなくて、衛生の原則に基づいていた。ユダヤ人が幾千年もの間、驚くべき生命力を保持したのは、主として、この区別を守ったからであった。節制の原則は、単に、アルコール性の飲料の使用に関することだけにとどまらず、もっと広く応用されなければならない。刺激的で消化の悪い食物は、同様に健康に有害で、酔酒の原因になることが多い。真の節制は、有害なものを全く使用せず、健康的なものを適度に使用することを教える。食習慣が、健康、品性、この世界での有用性、そして、永遠の運命にどれほど深い関係を持ったものであるかを自覚している者は少ない。食欲は、常に道徳力と知力の支配のもとにおいておかなければならない。体は、心のしもべであるべきで、心が体のしもべであってはならない。 PP 292.6
マノアに与えられた神の約束は、やがて実現して男の子が生まれ、その子にサムソンという名が与えられた。少年が成長するにつれて、驚くべき体力の持ち主であることが明らかになった。これは、サムソンと両親たちが良く知っていたように、彼のたくましい筋肉によるのでなくて、彼のそらない髪の毛が象徴していたように、彼がナジル人であるということによるのであった。サムソンが忠実に、彼の親と同じように神の命令に従ったならば、彼はもっと気高く、幸福な一生を送ったことであろう。しかし、偶像教徒との交わりが、彼を腐敗させた。ゾラの町は、ペリシテ人の国に近かったので、サムソンは、彼らと交わって仲よくなった。こうして、彼が若い時に結んだ親しい交わりが、彼の全生涯を暗くした。ペリシテ人の町テムナに住む若い婦人が、サムソンの心を捕らえたので、サムソンは彼女を自分の妻にしようと決心した。神を敬う両親は、なんとかして彼の心を変えさせようと努力したが、彼は、「彼女はわたしの心にかないますから」と答えるだけであった(同14:3)。両親は、ついに折れて、彼の希望をかなえ、結婚を許した。 PP 293.1
彼がちょうど成人し、神の任命を実行しなければならないとき、他のどんな時よりも神に忠誠を尽くすべき時に、サムソンは、イスラエルの敵と結合してしまった。彼は自分の選んだ者と結婚することによって、神に栄光を帰すことができるか、それとも、自分の生涯によって完成しようとしている目的を達成できない地位に自分をおいているのかどうかをよく問うてみなかった。神をまずあがめようと求めるすべての者に、神は知恵を約束なさった。しかし、自己を喜ばせようとする者には、なんの約束もない。 PP 293.2
サムソンが歩んだのと同じ道をたどる者が、なんと多いことであろう。自分の好みに支配されて、夫や妻を選ぶために、神を信じる者と信じない者との結婚が、なんと多く行われていることであろう。その人々は、神の勧告を求めもしなければ、神の栄光をあらわそうとも考えていない。キリスト教は、結婚関係に支配的影響を及ぼさなければならないのに、この結合の動機がキリスト教の原則に一致していないことがあまりにも多い。サタンは、神の民にサタンの部下と結合するようにしむけて、自分の勢力を強化しようと常につとめている。サタンはそれを実現するために、清められていない欲望を心に起こそうとつとめているのである。しかし、主は、主のみことばの中で、神の民は、神の愛の宿っていない人々と1つになってはならないと明らかに教えておられる。「キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。神の宮と偶像となんの一致があるか」(Ⅱコリント6:15、16)。 PP 293.3
サムソンは、彼の結婚式の時に、イスラエルの神を憎む者と親しく交わった。このような関係に自分から進んで入る者は、彼の仲間の習慣や風習に、いくぶんかは従わねばならぬと感じるのである。こうして費やされた時間は浪費以上にいけなかった。そこでは、原則のとりでを破壊し、魂の要塞を弱める思いをいだき、言葉が語られていた。 PP 293.4
サムソンが神の戒めを犯して得た妻は、結婚の祝宴が終わる前に、夫を裏切るのであった。サムソンは、彼女の不信を怒って、しばらく彼女を捨てて1人でゾラの家に帰った。後に、気を取りもどして花嫁のところへもどってみると、彼女は他人の妻になっていた。サムソンは、ペリシテ人の麦畑やオリブ畑を焼きはらって仕返しをした。女が彼らにおどされてだましたことから騒動は起こったのであったが、彼らは怒って女を殺してしまった。サムソンは、すでに、単独で若いししを殺したり、アシケロンで30人の男を殺したりして、その驚くべき力の証拠を示していた。ところが、サムソンは彼の妻が無残に殺されたのを怒って、ペリシテ人を撃ち、「大ぜい殺した」。こうして、サムソンは、敵をのがれて、ユダの部族の中にある「エタムの岩」に退いた(士師記15:8)。 PP 293.5
この場所まで、大軍が彼を追ってきた。驚いたユダの住民は、卑屈にも彼を敵の手に引き渡すことにした。そこで、3000人のユダの人々が、彼のところにやって来た。しかし、こんなに大勢で来ていながら、彼らは、サムソンが自国民に害を加えないということを確かめるまでは、彼のところへ近づこうとしなか った。サムソンは縛られてペリシテ人に渡されることに同意した。しかし、まず、ユダの人々に彼を攻撃しないという約束をさせた。そうでないと、サムソンが彼らを殺さなければならなくなるからであった。彼は、自分を2本の新しい綱で縛ることを許した。こうして、彼は、大声をあげて喜ぶ敵の陣地に引き立てられていった。しかし、彼らの叫び声が山々に反響していたとき、「主の霊が激しく彼に臨んだ」(同15:14)。彼は、強い新しい綱を火に焼いた亜麻のように切ってしまった。そして、サムソンは、ろばのあご骨に過ぎなかったが、剣ややりよりも効果的であった手近な武器をとり、ペリシテ人を打ったところ、彼らはあわてふためいて、1000人の死者を戦場に残して逃げ去った。 PP 293.6
もしイスラエルの人々がサムソンと1つになって勝利を完成していたら、彼らは、このとき圧迫者の力から自由になっていたことであろう。しかし、彼らは、おじけて臆病になった。彼らは、神が彼らにお命じになった働きを怠って、異教徒を追放しなかった。そして、異教徒の堕落した風習に合流し、彼らの残酷な行為を大目に見、直接自分たちに対してなされるのでないかぎり、彼らの不正をさえ黙認した。彼らは、圧迫者の支配下におかれたとき、もし神に従ってさえいたらのがれることができたはずの堕落に、やすやすと陥った。主が彼らのために救済者をお立てになったときでさえ、彼らは、しばしばその人を捨てて、彼らの敵に合流してしまったりしたのであった。 PP 294.1
サムソンが勝利を収めたあとで、人々は彼を士師にした。彼は、20年の間、イスラエルを治めた。しかし、1つの悪は、さらに次の悪へと導くのであった。サムソンは、すでにペリシテ人の妻をめとって、神の戒めを犯したが、彼は、また、彼を憎悪している敵、ペリシテ人の間に行って、道ならぬ欲望を満たした。彼は、ペリシテ人を恐怖に陥れた自分の大力をたのみとして、臆するところなく、ガザの遊女を訪れた。彼が町に来たことを知った町の人々は、なんとかして報復をしようとした。彼らの敵は、彼らのすべての町々の中の最も強固な町の城壁の中にしっかりと閉じこめられていた。彼らは、まちがいなく獲物を捕らえることができると思い、朝まで待って、勝利の喜びを味わおうとしていた。サムソンは、夜中に目がさめた。彼は、ナジル人の誓いを破ったことを思い出して、良心に責められ、心が苦しめられた。しかし、神は彼がこのような罪を犯したにもかかわらず、彼を憐れみ、お捨てにはならなかった。彼の大力は、また、ここで彼を救った。彼は町の門へ行って、門の柱と貫の木もろともに、門を引き抜いて、ヘブロンにいく途中の山の頂上まで持って行った。 PP 294.2
しかし、こうした危機から救い出されても、彼の悪い行為はやまなかった。彼は、ペリシテ人のところへは出かけていかなかったが、彼は、彼の身を破滅に陥れる肉の快楽を求め続けた。サムソンは、その故郷からあまり遠くない「ソレクの谷にいる……女を愛した」(同16:4)。その女はデリラ(消費者)という名であった。ソレクの谷は、ぶどう畑が有名で、これは、また、心の落ちつかないナジル人にとっては誘惑であった。彼は、すでに酒を飲み、純潔と神とに彼を結びつけていた今一つのきずなを破っていた。ペリシテ人は、敵の行動を絶えず見張っていた。彼が新しい女を愛して堕落した時デリラを用いて、彼を破滅させようとした。 PP 294.3
ペリシテの各地方の代表者から成る一団が、ソレクの谷を訪れた。彼らは、サムソンが大力を持っているまま彼を捕らえようとはせず、できれば彼の力の秘密がどこにあるのかを聞き出そうとした。そこで、彼らは、それを見つけ出して知らせるようにデリラを買収した。 PP 294.4
裏切り者のデリラが、いろいろと手を尽くしてたずね出そうとしたところ、サムソンは、ある一定の方法で私を縛れば、私はほかの人のように弱くなると言って、彼女をだました。彼女が言われた通りにしてみると、うそがばれてしまった。それで、女は、サムソンがうそを言ったことを責めて言った。「あなたの心がわたしを離れているのに、どうして『おまえを愛する』と言うことができますか。あなたはすでに3度もわたしを欺き、あなたの大力がどこにあるかをわたしに告げま せんでした」(同16:15)。サムソンは、ペリシテ人がサムソンの愛人と組んで、3回も自分を殺そうとしている明らかな証拠を見た。それが失敗するたびに、彼女はそれをただのたわむれのように装ったので、サムソンは愚かにも恐れを感じなかった。 PP 294.5
デリラは、毎日彼に迫ったので、ついに「彼の魂は死ぬばかりに苦しんだ」(同16:16)。それでも彼は不思議な力にひかれて、彼女のそばにいた。サムソンは、とうとうたまらなくなって、秘密を明かした。「わたしの頭にはかみそりを当てたことがありません。わたしは生れた時から神にささげられたナジルびとだからです。もし髪をそり落されたなら、わたしの力は去って弱くなり、ほかの人のようになるでしょう」(同16:17)。ペリシテ人の君たちのところへ、すぐに彼女のところへ来るようにという知らせがとんだ。勇士サムソンが眠っている間に、ふさふさした髪の毛が彼の頭からそり落とされた。そうして、前にも3回したのと同じように、デリラは、「サムソンよ、ペリシテびとがあなたに迫っています」と言った。サムソンは、急に目をさまして前と同じように、力を出して敵を殺そうとした。しかし、彼の腕からは力が抜けて言うことをきかなかった。彼は、「主が自分を去られたこと」を知った(同16:20)。デリラは、サムソンの髪の毛をそった時に、彼を苦しめ痛みを与えて、その力をためした。ペリシテ人は、サムソンの力が完全になくなったことを十分確かめないうちは近づいてこなかったからである。こうして、彼らは、サムソンを捕らえて、両眼をえぐってガザへ連れて行った。そこで、彼は獄屋のかせにつながれて重労働を課せられた。 PP 295.1
イスラエルの士師であり、勇士であった彼が、今は、力なく、盲目になり、獄屋につながれて、最もいやしい仕事をさせられるとは、なんという変わりようであろう。彼は、自分の聖なる任務の条件を少しずつ破っていったのである。神は、彼を長く忍耐なさった。しかし、彼が自分の秘密を明かすほどに罪の力に身を委ねてしまった時に、主は、彼を去られたのである。彼の長い髪だけに力があったのではなくて、それは、彼が神に忠誠を尽くしているしるしであった。そして、その象徴が、肉欲をほしいままにして犠牲にされた時に、それが象徴していた祝福もまた取り去られた。 PP 295.2
サムソンは、ペリシテ人の見せ物となって、苦しみとはずかしめを受け、これまでになかったほどに、自己の弱さを知った。そして、彼は、苦難によって悔い改めるに至った。髪が伸びるにつれて、彼の力も徐々にもどってきた。しかし、敵は、彼をくさりにつながれた無力な囚人であると思って、恐怖を感じなかった。 PP 295.3
ペリシテ人は、彼らの勝利を彼らの神々に帰した。そして、勝ち誇ってイスラエルの神をあなどった。「海の守護神」魚の神、ダゴンをあがめる祭りの日が定められた。ペリシテの平原全体の町々村々から、人々や君たちが集まった。礼拝者の群れが大きな神殿に満ち、屋根のまわりの桟敷にあふれた。それは、祭りの楽しい光景であった。荘厳な犠牲を捧げる式に続いて、音楽と祝宴が開かれた。それから、ダゴンの力を示す最高の戦利品として、サムソンが引き出された。彼が現れたとき、人々は歓呼の声をあげた。一般の人々も、君たちも、サムソンのみじめな姿をあざ笑い、「われわれの国を荒し」た者を倒した神をたたえた(同16:24)。しばらくして、サムソンは、疲れたようなふりをして、神殿を支えているまん中の2本の柱にもたれて、休むことを許してほしいと願った。そうして、彼は、神に黙祷を捧げた。「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう1度、わたしを強くして、……ペリシテびとにあだを報いさせてください」(同16:28)。彼は、こう祈って、その強い腕で柱をかかえ、「わたしはペリシテびとと共に死のう」と叫び、身をかがめた。すると、屋根が落ちて、そこにいた大群衆を一度に殺してしまった。「こうしてサムソンが死ぬときに殺したものは、生きているときに殺したものよりも多かった」(同16:30)。 PP 295.4
偶像とその礼拝者たちは、祭司も農民も、勇士も、つかさたちも共にダゴンの神殿の瓦礫の下に葬られてしまった。その中に、神が、神の民の救済者としてお選びになった人の大きな遺体があった。恐るべき破壊の知らせがイスラエルの国に伝わったので、サム ソンの身内の人々が、彼らの住んでいた山から降りてきて、誰の妨害も受けずに、倒れた英雄の遺体を引き取った。そして、彼らは、「彼を……携え上って、ゾラとエシタオルの間にある父マノアの墓に葬った」(同16:31)。 PP 295.5
サムソンを用いて、神が「ペリシテびとの手からイスラエルを救い始める」という約束は実現した(同13:5)。しかし、神の賛美と国家の栄光となり得た生涯の記録は、なんと暗く恐ろしいものであったことであろう。もしサムソンが、神の任命に忠実であったなら、神の目的は、彼の栄誉と昇進によって、成しとげられたことであろう。しかし、彼は誘惑に負け、信頼にそむき、その働きは、敗北と捕囚と死によって成しとげられた。 PP 296.1
サムソンは、肉体的には世界で一番強い人であった。しかし、自制、誠実、堅実という点では、最も弱い人の1人であった。激しい感情の人を強い性格の人と考える者が多いが、実は激情に支配される人は弱い人である。人間の真の偉大さは、その人が支配する感情によるのであって、彼を支配する感情によるのではない。 PP 296.2
神は、サムソンが召された働きを達成する準備が与えられるように、常に摂理的に、彼をお守りになった。彼の生涯の一番初めから、肉体的力、知的活力、道徳的純潔を養うためによい環境に囲まれていた。しかし、悪い友だちの感化によって、彼は、人間の唯一の保護であった神を手放し、悪の潮流に流された。義務の道を歩んでいて試練にあうならば、必ず神が守ってくださることを確信してよい。しかし、人間が、故意に誘惑の力に身をさらすときに、おそかれ早かれ倒れるのである。 PP 296.3
神がご自分の器として、特別の働きのために用いようとなさるその人々を、サタンは全力を尽くして挫折させようとする。サタンは、われわれの弱点を攻撃し、品性の欠点を通じて、人間全体を支配しようとする。そしてサタンは、こういう欠点が人の心にいだかれているかぎり、自分の成功はまちがいないことを知っている。しかし、誰でも打ち負かされる必要はない。人間は、自分の弱い力で悪の力を征服するように、放任されていない。援助は手近にある。そして、誰でも真にそれを望む者には与えられる。ヤコブが幻に見たはしごを上り下りする神の使いたちは、最高の天にまででものぼろうと志すすべての魂に助けを与えるのである。 PP 296.4