人類のあけぼの

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第42章 律法の反復

本章は、申命記4~6章、28章に基づく PP 240.3

主は、カナンを占領するために定められていた時が迫ったことを、モーセにお告げになった。老預言者モーセは、ヨルダン川と約束の地を見おろす高台に立って、深い興味をもって、民の嗣業をながめた。彼がカデシで犯した罪に対する宣告は、取り消すことができるのであろうか。彼は熱心に嘆願した。「主なる神よ、あなたの大いなる事と、あなたの強い手とを、たった今、しもべに示し始められました。天にも地にも、あなたのようなわざをなし、あなたのような力あるわざのできる神が、ほかにありましょうか。どうぞ、わたしにヨルダンを渡って行かせ、その向こう側の良い地、あの良い山地、およびレバノンを見ることのできるようにしてください」(申命記3:23~25)。 PP 240.4

その答えはこうであった。「おまえはもはや足りている。この事については、重ねてわたしに言ってはならない。おまえはピスガの頂に登り、目をあげて西、北、南、東を望み見よ。おまえはこのヨルダンを渡ることができないからである」(同3:26、27)。 PP 240.5

つぶやくことなく、モーセは、神のみ旨に従った。そして今、彼の大きな心配はイスラエルのことであった。彼が思ったほどに彼らの幸福を願う人がいたであろうか。彼は、心を尽くして祈りを捧げた。「すべての肉なるものの命の神、主よ、どうぞ、この会衆の上にひとりの人を立て、彼らの前に出入りし、彼らを導き出し、彼らを導き入れる者とし、主の会衆を牧者のない羊のようにしないでください」(民数記27:16、17)。 PP 240.6

主はご自分のしもべの祈りを聞いて答えられた。 「神の霊のやどっているヌンの子ヨシュアを選び、あなたの手をその上におき、彼を祭司エレアザルと全会衆の前に立たせて、彼らの前で職に任じなさい。そして彼にあなたの権威を分け与え、イスラエルの人々の全会衆を彼に従わせなさい」(同27:18~20)。ヨシュアは長くモーセに仕えてきた。そして、彼は知恵と能力と信仰の人であったので、彼の後継者として選ばれた。 PP 240.7

モーセの手が置かれるとともに、最も印象的な訓示が与えられて、ヨシュアは厳粛にイスラエルの指導者として聖別された。彼は、また、そのときすぐに統治に参加することを許された。ヨシュアに関する主のことばが、モーセを通して全会衆に与えられた。「彼は祭司エレアザルの前に立ち、エレアザルは彼のためにウリムをもって、主の前に判断を求めなければならない。ヨシュアとイスラエルの人々の全会衆とはエレアザルの言葉に従っていで、エレアザルの言葉に従ってはいらなければならない」(同27:21)。 PP 241.1

イスラエルの目に見える指導者としての任務を退く前に、モーセは、エジプトからの解放と荒野の旅路との歴史をくり返し、シナイで告げられた律法を概括して教えるように命じられた。このときの会衆の中には、律法が与えられたとき、その光景の恐るべき厳粛さを理解できる年ごろになっていた者はほとんどいなかった。やがてヨルダンを渡って約束の地を占有しようとしているこの時に当たって、神は、彼らの前にご自分の律法の要求するところを示し、繁栄の条件として彼らに従順を求められるのであった。 PP 241.2

モーセは、最後の警告と勧告を与えようとして民の前に立った。その顔は聖なる光に輝いていた。髪は年を刻んで白かったが、姿勢は直立、顔色は壮健そのもの、目は澄んで曇りがなかった。それはおごそかなひとときであった。彼は深い感動をこめて、全能なる守護者の愛とあわれみを描き出した。 PP 241.3

「試みにあなたの前に過ぎ去った日について問え。神が地上に人を造られた日からこのかた、天のこの端から、かの端までに、かつてこのように大いなる事があったであろうか。このようなことを聞いたことがあったであろうか。火の中から語られる神の声をあなたが聞いたように、聞いてなお生きていた民がかつてあったであろうか。あるいはまた、あなたがたの神、主がエジプトにおいて、あなたがたの目の前に、あなたがたのためにもろもろの事をなされたように、試みと、しるしと、不思議と、戦いと、強い手と、伸ばした腕と、大いなる恐るべき事とをもって臨み、1つの国民を他の国民のうちから引き出して、自分の民とされた神が、かつてあったであろうか。あなたにこの事を示したのは、主こそ神であって、ほかに神のないことを知らせるためであった」(申命記4:32~35)。 PP 241.4

「主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである。それゆえあなたは知らなければならない。あなたの神、主は神にましまし、真実の神にましまして、彼を愛し、その命令を守る者には、契約を守り、恵みを施して千代に及」ぶことを(同7:7~9)。 PP 241.5

イスラエルの民は、自分たちの悩みをいつもモーセのせいにしてきたが、今は、モーセが自負と野心と利己心に支配されているという疑いも晴れ、信頼に満ちて彼のことばを聞いた。モーセは、彼らのあやまちと、彼らの父祖の罪をありのままに述べた。彼らは長い荒野の流浪のために、たびたび忍耐しきれず反抗してきた。しかしカナンの占領が遅れたことの責めは主にはなかった。むしろ主は、すぐにも約束の地を彼らに占領させて、神の民を解放する彼の大きな力を万国民の前に現すことができないことを、彼らよりももっと深く悲しまれた。彼らは自負心と不信仰のゆえに、神を信頼せず、カナンに入る備えができていなかった。彼らは、神を主とする民を少しもあらわそうとしなかった。つまり、彼らは神のご性格である純潔と善良と慈愛とを身につけていなかったのである。彼らの父祖たちが信仰をもって神の命令に従い、 そのおきてに統治され、その定めに従って歩いていたならば、彼らはずっと以前にカナンに定着し、繁栄した、清い幸福な民族となっていたはずであった。良い地に入るのが遅れたために、周囲の諸民族の前で、神の名誉は傷つけられ、神の栄光は汚されたのである。 PP 241.6

神の律法の性格と価値を理解していたモーセは、ヘブル人に与えられたような知恵と正義とあわれみに満ちた律法を持っている国家はほかにないことを民に保証した。彼は言った。「わたしはわたしの神、主が命じられたとおりに、定めと、おきてとを、あなたがたに教える。あなたがたがはいって、自分のものとする地において、そのように行うためである。あなたがたは、これを守って行わなければならない。これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう」(同4:5、6)。 PP 242.1

モーセは彼らの注意を、「あなたがホレブにおいて、あなたの神、主の前に立った日」に向けた。そして、彼はヘブルの民に訴えた。「いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか。また、いずれの大いなる国民に、今日、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべての律法のような正しい定めと、おきてとがあるであろうか」(同4:10、7、8)。今日、イスラエルに対して言われたこの訴えがくり返されてよい。神が昔の民にお与えになった法律は、世界の文明諸国の法律よりは、はるかに知恵深く、優秀でより人道的であった。諸国の法律は、新しくされていない心のもつ弱点と、激しい感情を表示している。しかし、神のおきては天の刻印を帯びている。 PP 242.2

「主はあなたがたを取って、鉄の炉すなわちエジプトから導き出し、自分の所有の民とされた」とモーセは言った(同4:20)。彼らが間もなく入ろうとしている地、すなわち、神の律法に従うことを条件として、彼らのものになる土地が、次のように描写された。ところが、よい地の祝福を情熱をこめて描いたモーセが、神の民の罪のために、彼らの嗣業を受けることができなくなっているのを思い出して、イスラエルの人々は、こうした言葉を、どんなに感慨深く聞いたことであろう。 PP 242.3

「あなたの神、主があなたを良い地に導き入れられる」「あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている」「そこは谷にも山にもわき出る水の流れ、泉、および渕のある地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく及びざくろのある地、油のオリブの木、および蜜のある地、あなたが食べる食物に欠けることなく、なんの乏しいこともない地である。その地の石は鉄であって、その山からは銅を掘り取ることができる」「その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある」(申命記8:7~9、11:10~12)。 PP 242.4

「あなたの神、主は、あなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに向かって、あなたに与えると誓われた地に、あなたをはいらせられる時、あなたが建てたものでない大きな美しい町々を得させ、あなたが満たしたものでないもろもろの良い物を満たした家を得させ、あなたが掘ったものでない掘り井戸を得させ、あなたが植えたものでないぶどう畑とオリブの畑とを得させられるであろう。あなたは食べて飽きるであろう。その時、あなたはみずから慎み、……主を忘れてはならない」「あなたがたは慎み、あなたがたの神、主があなたがたと結ばれた契約を忘れて……はならない。あなたの神、主は焼きつくす火、ねたむ神である」。主の前に悪を行うのであれば、そのとき、「あなたがたはヨルダンを渡って行って獲る地から、たちまち全滅するであろう」とモーセは言った(同6:10~12、4:23、24、26)。 PP 242.5

律法を公に復唱したのち、モーセは神がお与えになったすべてのおきてと、定めと、さとしと、そして犠牲制度に関するすべての規定とを書き終えた。これをしるした書物は、係りの者にあずけられ、あかしの 箱の横に保管された。それでもなお、モーセは、民が神から離れはしないかと恐れた。彼はおごそかに、従順を条件として与えられる祝福と、みことばに従わない場合にくだるのろいとを彼らに示した。 PP 242.6

「もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば……あなたは町の内でも祝福され、畑でも祝福されるであろう。またあなたの身から生れるもの、地に産する物、家畜の産むもの……は祝福されるであろう。またあなたのかごと、こねばちは祝福されるであろう。あなたは、はいるにも祝福され、出るにも祝福されるであろう。敵が起ってあなたを攻める時は、主はあなたにそれを撃ち敗らせられるであろう。……主は命じて祝福をあなたの倉と、あなたの手のすべてのわざにくだ……されるであろう」(同28:1~8)。 PP 243.1

「しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨(む)……であろう」「あなたは主があなたを追いやられるもろもろの民のなかで驚きとなり、ことわざとなり、笑い草となるであろう」「主は地のこのはてから、かのはてまでのもろもろの民のうちにあなたがたを散らされるであろう。その所で、あなたもあなたの先祖たちも知らなかった木や石で造ったほかの神々にあなたは仕えるであろう。その国々の民のうちであなたは安きを得ず、また足の裏を休める所も得られないであろう。主はその所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を打ちしおれさせられるであろう。あなたの命は細い糸にかかっているようになり、夜昼恐れおののいて、その命もおぼつかなく思うであろう。あなたが心にいだく恐れと、目に見るものによって、朝には『ああ夕であればよいのに』と言い、夕には「ああ朝であればよいのに」と言うであろう」(同28:15、37、64~67)。 PP 243.2

霊感によって、モーセは各時代を見通し、国家としてのイスラエルの最後の破滅と、ローマ軍によるエルサレム滅亡の恐るべき光景を描いた。「主は遠い所から、地のはてから1つの民を、はげたかが飛びかけるように、あなたに攻めきたらせられるであろう。これはあなたがその言葉を知らない民、顔の恐ろしい民であって、彼らは老人の身を顧みず、幼い者をあわれま」ない(同28:49、50)。 PP 243.3

ずっとあとでエルサレムが、ローマ皇帝ティトゥスに包囲されたときの国土の荒廃と国民の苦悩がなまなましく描写された。「これは、……あなたの家畜が産むものや、地の産物を食って、……ついにあなたを全く滅ぼすであろう。その民は全国ですべての町を攻め囲み、ついにあなたが頼みとする、堅固な高い石がきをことごとく撃ちくず(す)……であろう。あなたは敵に囲まれ、激しく攻めなやまされて、ついにあなたの神、主が賜わったあなたの身から生れた者、むすこ、娘の肉を食べるに至るであろう」「またあなたがたのうちのやさしい、柔和な女、すなわち柔和で、やさしく、足の裏を土に付けようともしない者でも、自分のふところの夫や、むすこ、娘にもかくして、……自分の産む子をひそかに食べるであろう。敵があなたの町々を囲み、激しく攻めなやまして、すべての物が欠乏するからである」(同28:49~53、56、57)。 PP 243.4

モーセは次のような感銘深い言葉で訓示を閉じた。「わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。すなわちあなたの神、主を愛して、その声を聞き、主につき従わなければならない。そうすればあなたは命を得、かつ長く命を保つことができ、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地に住むことができるであろう」(同30:19、20)。 PP 243.5

これらの真理をすべての人の心にさらに深く刻むために、モーセはこれを韻文の形で表現した(同32章参照)。この歌は歴史的であるばかりでなく、預言的でもあった。それは、過去において、神がご自分の民にとられた驚くべき態度を回顧すると共に、未来の大いなる出来事、キリストが力と栄光のうちに2度目においでになるときの忠実な者の最終的な勝利を予 表していた。民はこの詩にうたわれた歴史を暗唱し、それを子や孫にまで教えるように命じられた。それは礼拝に集まった会衆によってうたわれ、人々が日常の仕事にとりかかる時にくり返されることになった。物覚えのよい子供の頭にこの言葉を刻み込んで、決して忘れないようにすることが親の務めであった。 PP 243.6

イスラエル人は特別な意味で神の律法の守護者、保管者となるのであるから、とりわけその戒めの意義と服従の重要さが彼らに教えられなければならなかった。また、彼らを通してその子や孫にまで教えられなければならなかった。主は、ご自分の定めについてこう命じられた。「努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。……またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない」(同6:7~9)。 PP 244.1

「われわれの神、主があなたがたに命じられたこのあかしと、定めと、おきてとは、なんのためですか」(同6:20)と子供たちが問う時が来たなら、親は、歴史にあらわされた神の恵みあるとりあつかい、すなわち彼らが、主の律法に従うことができるように、彼らをどのように解放してくださったかを述べ、彼らにこう告げなければならなかった。「主はこのすべての定めを行えと、われわれに命じられた。これはわれわれの神、主を恐れて、われわれが、つねにさいわいであり、また今日のように、主がわれわれを守って命を保たせるためである。もしわれわれが、命じられたとおりに、このすべての命令をわれわれの神、主の前に守って行うならば、それはわれわれの義となるであろう」(同6:24、25)。 PP 244.2