人類のあけぼの

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第33章 シナイからカデシへ

本章は、民数記11、12章に基づく PP 191.3

幕屋の建設は、イスラエルがシナイに到着してから、しばらくの間始まらなかった。聖所は、エジプトを出て2年目の年の初めになって建て始められた。その後、祭司の聖別、過越の祭、民の人数の調査、民事、宗教制度の重要な取りきめの完成などがあって、人々は約1年近くをシナイの宿営で過ごした。彼らの礼拝は、ここで形を整え、律法が国家の政治のために与えられ、カナンの地に入る準備として、強力な組織づくりが行われた。 PP 191.4

イスラエルの政治の特徴は、組織が実に行き届いていることであって、その徹底的なことと共に、単純なことも驚くばかりであった。神が創造されたすべての物の完全と整然さに表示された著しい秩序が、ヘブルの制度にあらわれていた。神が権威と統治の中心であって、イスラエルの王であった。モーセは、神の任命によって、彼らの目に見える指導者として立ち、神の名によって律法を執行した。後に、部族の長老の中から70人の長老が選ばれて、国家の一般民事を扱ってモーセを助けた。次に祭司たちがいて、聖所で主のみこころをうかがった。かしら、またはつかさが部族を支配した。その下に、「1000人の長、100人の長、50人の長、10人の長」がいて、最後 にいろいろな役をするつかさびとがいた(申命記1:15)。 PP 191.5

ヘブル人の天幕は、秩序整然としていた。それは3大区分に分けられ、それぞれの区分の宿営する場所が定まっていた。中央には目に見えない王の住居である幕屋があった。祭司とレビ人はその周囲に配置された。その外側に、他のすべての部族が天幕を張った。 PP 192.1

幕屋とそれに付属する物は、宿営中も旅行中もすべてレビ人に委ねられた。幕屋が進むときは、レビ人が幕屋を取りくずさなければならなかった。停止する場所に到着すると、彼らが幕屋を組み立てた。他の部族の人は近寄ると殺されるので、だれも近づくことはできなかった。レビ人は、レビの3人のむすこの子孫に従って、3組に分けられて、それぞれに特別の場所と仕事が与えられた。幕屋の前の一番近いところに、モーセとアロンの天幕があった。南のほうに、契約の箱その他の器物の管理をするコハテ人が宿営した。北のほうには、幕屋の柱や横木や座の管理をするメラリ人、幕屋の後方には、天幕のおおいやあげばりをゆだねられたゲルション人の場所があった。 PP 192.2

各部族の位置もまた定められていた。各部族は、主が命ぜられたとおりに、おのおのその部族の旗のもとに前進し、宿営しなければならなかった。「イスラエルの人々は、おのおのその部隊の旗のもとに、その父祖の家の旗印にしたがって宿営しなければならない。また会見の幕屋のまわりに、それに向かって宿営しなければならない」「彼らは宿営するのと同じように、おのおのその位置で、その旗にしたがって進まなければならない」(民数記2:2、17)。エジプトからイスラエルについて来た入り混じった群衆は、部族と同じ場所を占めることは許されなかった。彼らは宿営の外に住むべきであった。そして彼らの子孫は、3代目になるまで会衆から除外されることになっていた(申命記23:7、8参照)。 PP 192.3

宿営の中、全体と宿営の周りは、厳格な秩序を保つとともに、細心の注意を払って清潔に保つことが命じられた。衛生の規則が徹底的に実施された。どんな理由であろうと、汚れた人は宿営の中に入ることを禁止された。このような大群衆の中で健康を保つために、こうした規定はどうしても欠くことができないものであった。イスラエルが清い神の臨在を仰ぐためには、完全な秩序と清潔を維持することが必要であった。神は、こう言われた。「あなたの神、主があなたを救い、敵をあなたにわたそうと、陣営の中を歩まれるからである。ゆえに陣営は聖なる所として保たなければならない」(申命記23:14)。 PP 192.4

イスラエルが旅をするときは、すべて、「主の契約の箱は、……彼らに先立って行き、彼らのために休む所を尋ねもとめた」(民数記10:33)。神の聖なる律法の入った契約の箱は、コハテの子らにかつがれて、先頭に立って行くのであった。その前にモーセとアロンが行った。そして、銀のラッパを持った祭司たちがその近くにいた。この祭司たちは、モーセから指示を受けて、それをラッパによって人々に知らせた。各組の指導者は、ラッパで知らされたとおりに、取るべき行動をすべて明らかに指示しなければならなかった。ラッパの指示に従うことを怠った者は、誰でも罰として殺されることになっていた。 PP 192.5

神は、秩序の神である。天と関係がある者は、すべて、完全な秩序を保っている。服従と完全な規律が、天使軍の行動の特徴である。秩序と行動の一致があってはじめて、成功をおさめることができる。神は、イスラエルの時代と同様に、今日も神の働きにおいて、秩序と組織を要求される。神のために働いている者は、だれでも軽率で中途はんぱなやり方でなくて、物事をよく考えてしなければならない。神は、神の働きが、信仰と正確さをもって行われることを望まれる。それは、神が、ご自分の是認の印をその働きに押すことができるためである。神ご自身が、イスラエル人のすべての旅行の指示をお与えになった。彼らの宿営の場所は、雲の柱がおりてくることによって指示された。そして、彼らがそこにとどまっていなければならない間、雲は聖所の上にとどまっていた。彼らが旅を続ける時には、雲が幕屋のはるか上にあがって 行った。止まるときも進むときもともに、厳粛な祈りが捧げられた。「契約の箱の進むときモーセは言った、『主よ、立ちあがってください。あなたの敵は打ち散らされ、あなたを憎む者どもは、あなたの前から逃げ去りますように』。またそのとどまるとき、彼は言った、『主よ、帰ってきてください、イスラエルのちよろずの人に』」(民数記10:35、36)。 PP 192.6

シナイからカナンの国境のカデシまでは、わずか11日の旅程であった。そして、ついに雲が前進の合図をしたときに、イスラエルの軍勢はすみやかに美しい地に入ることを期待して、行進を開始したのであった。主は、彼らをエジプトから救い出したときに奇跡を行われた。そして、今は、彼らは、神を彼らの王として受け入れる正式の契約を結び、至高者の選民として認められていたのであるから、どんな祝福でも受けることを期待できるのであった。 PP 193.1

それなのに、彼らは長く滞在していたところを不本意ながら出発したのである。彼らは、そこを自分たちの故郷のように思っていた。神は、あの花崗岩の防壁の中に、ご自分の民を他のあらゆる国々から区別して集めて、彼らに神の清い律法をくり返してお与えになった。彼らは、神の栄光が何度もあらわれた清い山の、灰色の峰や不毛の山頂をながめることを愛した。そこは、神と天使たちが現れた場所として、ゆかりの地となっていたので、そこを無造作に去ったり、あるいはうれしそうに去ったりするのでさえ、申しわけないことのように彼らは思うのであった。 PP 193.2

しかし、ラッパを吹く者の合図に従って、宿営全体は幕屋をまん中にかついで、各部族がそれぞれの旗のもとの定められた位置について出発した。すべての目は、雲がどの方向に導いていくかを熱心に見ようと努めていた。雲が、黒々と荒れ果てた巨大な山々が重なっている東方へ動いて行ったとき、多くの人の心に悲しみと疑惑の念が起こった。 PP 193.3

前進するに従って、道はますます困難になってきた。彼らの進む道は、石の多い峡谷と不毛の荒れ地であった。彼らの周り一面は、広大な砂漠であった。——「荒野なる、穴の多い荒れた地、かわいた濃い暗黒の地、人の通らない、人の住まない地」であった(エレミヤ2:6)。岩にかこまれた谷間から谷間を、男や女や子供たちが、動物に車を引かせ、牛、羊などの長い行列を従えて通っていった。その進みぐあいは、どうしても遅々としてはかどらなかった。長い間宿営したあとの群衆は、道中の危険や苦難に耐える準備がなかった。 PP 193.4

3日の旅が過ぎると、つぶやきの声が公然とあがるようになった。つぶやきは、まず入り混じった群衆から起こった。彼らの多くは、完全にイスラエルに合同していないで、何か非難する材料はないものかと目を見張っていた。進行の方向が彼らは気に入らなかった。モーセも彼らも共に、雲の指導に従っているのは十分承知していながら、彼らは絶えずモーセの指導に何かと不平を言った。不満は伝染性を持っている。そして、それは間もなく宿営全体に広がっていった。 PP 193.5

彼らは、また肉を食べたいと言いだした。彼らは、マナが十分に与えられていながら満足しなかった。イスラエル人は、エジプトの奴隷生活の間、最も単純な食物を食べて生命をつながなければならなかった。しかし、困苦と激しい労働と空腹のために、それをおいしく食べることができた。ところが、彼らと一緒に来ていたエジプト人の多くは、ぜいたくな食事になれていた。まず、このような人々がつぶやき始めたのである。イスラエルがシナイに到着する直前にマナが与えられたとき、主は彼らの熱心な願いに応じて肉をお与えになったが、それはただ1日だけのことであった。 PP 193.6

神は、マナと同様に肉もたやすくお備えになることができたのであるが、それが与えられなかったことは、彼らのためを考えた上でのことであった。多くの者がエジプトで食べ慣れていた刺激性のある食物よりも更によい食物を与えることが、神のみこころであった。ゆがめられた食欲を、もっと健康な状態にもどさなければならなかった。それは、神がエデンの園で、アダムとエバにお与えになった地の果実など、人間に最初に与えられた食物を楽しむことができるよう になるためであった。イスラエルの人々に動物の肉がほとんど与えられなかったのは、こうした理由からであった。 PP 193.7

サタンは、こうした制限が不正で残酷なもののように人々に思わせた。サタンは、禁じられたものを人々がほしがるようにしむけた。なんの制限もなく食欲をほしいままにすれば、肉欲にふけりやすくなるのをサタンは知っていた。こうして、人々はたやすく彼の手中に陥った。病気と不幸の創始者は、最も成功をおさめる場所で人々を攻撃する。サタンは、エバに禁断の実を食べるように誘惑してからこのかた、主として食欲への誘惑によって、人々を罪に陥れた。サタンがイスラエルの人々を神に対してつぶやかせたのも、この同じ方法によってであった。飲食の不節制は、人々を低い欲望にふけらせるもととなり、ひいては、人々にすべての道徳的義務を無視させる原因になる。彼らが誘惑に襲われるならば、なんの抵抗力も持たないのである。 PP 194.1

神は、イスラエルの人々を、純潔で清く幸福な国民として、カナンに確立させるためにエジプトから連れ出されたのである。この目的を達成するために、神は彼らに訓練の過程をお与えになった。それは彼ら自身のためであるとともに、彼らの子孫のためであった。彼らが神の賢明な制限に従って、快く食欲を制したのであれば、彼らのうちには、衰弱と病気はなかったことであろう。彼らの子孫は、身体的にも、精神的にも活気にあふれていたことであろう。彼らは、真理と義務に関する明らかな知覚、鋭い識別力、健全な判断力を持っていたことであろう。しかし、神の制限と要求に快く従わなかったことが大きな理由となって、彼らは神が望まれた高い標準に到達できず、神が与えようとしておられた祝福を受けることができなかった。 PP 194.2

「おのが欲のために食物を求めて、その心のうちに神を試みた。また彼らは神に逆らって言った、『神は荒野に宴を設けることができるだろうか。見よ、神が岩を打たれると、水はほとばしりいで、流れがあふれた。神はまたパンを与えることができるだろうか。民のために肉を備えることができるだろうか』と。それゆえ、主は聞いて憤られた」と詩篇記者は言った(詩篇78:18~21)。紅海からシナイへ行く旅の途中には、つぶやきと騒ぎがたびたび起こった。しかし、神は、彼らの無知と盲目をあわれまれて、彼らの罪をすぐに罰することをなさらなかった。しかしそのことがあった後で、神は、ホレブでご自分を彼らにあらわされた。彼らは大きな光を受けていた。彼らは、神の威光と力とあわれみの証人となったからであった。そのため、彼らの不信と不満は大きな罪となるのであった。そればかりでなく、彼らは、主を王として受け入れ、その権力に従うことを誓っていた。彼らのつぶやきは、今となっては反逆であった。イスラエルを無政府と滅亡とから守ろうとするなら、これは、反逆として直ちに厳罰が与えられなければならなかった。「主の火が彼らのうちに燃えあがって、宿営の端を焼いた」(民数記11:1)。つぶやいた者のなかの最も罪深い人々は、雲の中からのいなびかりによって死んだ。 PP 194.3

人々は恐れて、彼らのために主に懇願することをモーセに求めた。モーセが主に祈ったので、その火はしずまった。この刑罰を記念して、人々はその所の名をタベラ(燃えあがる)と呼んだ。 PP 194.4

ところが、間もなく、つぶやきは以前よりもひどくなった。この恐ろしい刑罰は、生き残った人々にへりくだりと悔い改めの心を起こさせるどころか、ますます彼らのつぶやきを増す一方に思われた。目をどこに向けても人々が天幕の戸口に集まって、泣きわめいていた。「彼らのうちにいた多くの寄り集まりびとは欲心を起し、イスラエルの人々もまた再び泣いてほった、『ああ、肉が食べたい。われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくも。しかし、いま、われわれの精根は尽きた。われわれの目の前には、このマナのほか何もない』」(同11:4~6)。こうして、彼らは創造主がお与えになった食物に不満の声をあげた。しかし彼らは、その食物が彼らに適したものである証拠を常に目の前に見ていた。彼 らは困難に耐えていたにもかかわらず、全部族の中でだれ1人として、からだの弱った者は出なかったのである。 PP 194.5

モーセは失望した。モーセ自身の子孫が大きな国民にされるということであったが、モーセは、イスラエルが滅ぼされることのないように嘆願した。モーセは、イスラエルを愛して、彼らが滅ぼされてしまうよりは、むしろ自分の名を命の書から消し去ってくださいと祈ったのであった。モーセは、自分のすべてを彼らのために捧げ尽くしたにもかかわらず、彼らの態度はこのようなありさまであった。彼らは、自分たちの困難、また取り越し苦労などのすべてを、モーセのせいにした。そして、人々の悪意に満ちたつぶやきは、モーセの背負っている苦労と責任の重荷をさらに重くした。モーセは困惑して、神に対する信頼を失いそうになった。彼の祈りは、ほとんど不平のように聞こえる。「あなたはなぜ、しもべに悪い仕打ちをされるのですか。どうしてわたしはあなたの前に恵みを得ないで、このすべての民の重荷を負わされるのですか。……わたしはどこから肉を獲て、このすべての民に与えることができましょうか。彼らは泣いて、『肉を食べさせよ』とわたしに言っているのです。わたしひとりでは、このすべての民を負うことができません。それはわたしには重過ぎます」(同11:11~14)。 PP 195.1

主は、モーセの祈りをお聞きになり、イスラエルの長老70人を集めるようにお命じになった。この人々は、年をとったばかりでなく、気品と正しい判断と経験の豊かな人々であった。彼らを「会見の幕屋に連れてきて、そこにあなたと共に立たせなさい。わたしは下って、その所で、あなたと語り、またわたしはあなたの上にある霊を、彼らにも分け与えるであろう。彼らはあなたと共に、民の重荷を負い、あなたが、ただひとりで、それを負うことのないようにするであろう」と主は言われた。 PP 195.2

主は、モーセが自分と責任を分担するために、最も忠実で有能な人々を選ぶことをお許しになった。それは、彼らの影響によって、人々が乱暴を働くのを防ぎ、反乱をしずめることができるようにするためであった。しかし、この人々が役職についたために、後で、重大な弊害が起こることになった。もしも、モーセが神の力と恵みの証拠に対して、それにふさわしい信仰をあらわしていたならば、この人々は選ばれなかったことであろう。しかし、モーセは、自分自身の重荷と任務とをあまりに大きく考え過ぎ、自分は、ただ神に用いられる器に過ぎないという事実をほとんど見失ってしまった。イスラエルののろいとなっていたつぶやきの精神を、たとえどんなにわずかであっても、モーセが心にいだくことは、許されなかった。もしもモーセが、完全に神に信頼していたならば、主は、彼をたえず導き、どんな緊急事態が起こっても、力をお与えになったことであろう。 PP 195.3

モーセは、神が人々のためにしようとしておられることの準備をするように命じられた。「あなたがたは身を清めて、あすを待ちなさい。あなたがたは肉を食べることができるであろう。あなたがたが泣いて主の耳に、わたしたちは肉が食べたい。エジプトにいた時は良かったと言ったからである。それゆえ、主はあなたがたに肉を与えて食べさせられるであろう。あなたがたがそれを食べるのは、1日や2日や5日や10日や20日ではなく、1か月に及び、ついにあなたがたの鼻から出るようになり、あなたがたは、それに飽き果てるであろう。それはあなたがたのうちにおられる主を軽んじて、その前に泣き、なぜわたしたちはエジプトから出てきたのだろうと言ったからである」(同11:18~20)。 PP 195.4

「わたしと共におる民は徒歩の男子だけでも60万です。ところがあなたは、『わたしは彼らに肉を与えて1か月のあいだ食べさせよう』と言われます。羊と牛の群れを彼らのためにほふって、彼らを飽きさせるというのですか。海のすべての魚を彼らのために集めて、彼らを飽きさせるというのですか」とモーセは言った(同11:21、22)。 PP 195.5

モーセは、信頼の念の薄いことを主から責められた。「主の手は短かろうか。あなたは、いま、わたしの言葉の成るかどうかを見るであろう」(同11:23)。 PP 195.6

モーセは、主の言葉を会衆に伝えた。そして、70人の長老の任命を発表した。偉大な指導者が、これらの選ばれた人々に与えた任命の言葉は、現代の裁判官や立法官にとっても、正当な裁判の模範とするに十分価値のあるものである。「あなたがたは、兄弟たちの間の訴えを聞き、人とその兄弟、または寄留の他国人との間を、正しくさばかなければならない。あなたがたは、さばきをする時、人を片寄り見てはならない。小さい者にも大いなる者にも聞かなければならない。人の顔を恐れてはならない。さばきは神の事だからである」(申命記1:16、17)。 PP 196.1

さて、モーセは、70人を幕屋に召集した。「主は雲のうちにあって下り、モーセと語られ、モーセの上にある霊を、その70人の長老たちにも分け与えられた。その霊が彼らの上にとどまった時、彼らは預言した」(民数記11:25)。ペンテコステの日の弟子たちのように、彼らは、「上からの力」に満たされた。こうして、主は、彼らの任務のために準備を与え、会衆の前で彼らに栄誉をお与えになった。それは、この人々がモーセと一致して、イスラエルの統治をするために、神に選ばれた者であるという信頼を人々が持つためであった。 PP 196.2

再び、大指導者の気高い無我の精神の証拠が示された。70人の中の2人は、自分たちはそのような責任ある地位には適さないと考えて、幕屋で兄弟たちに加わっていなかった。しかし、神の霊が彼らのいるところで与えられて、彼らも預言した。このことの知らせを受けたヨシュアは、そのような不統一なことは、分裂の恐れがあるからやめさせようと思った。ヨシュアは、彼の主人の名誉を傷つけまいとして、「わが主、モーセよ、彼らをさし止めてください」と言った。モーセは答えて、「あなたは、わたしのためを思って、ねたみを起しているのか。主の民がみな預言者となり、主がその霊を彼らに与えられることは、願わしいことだ」というのであった(同11:28、29)。 PP 196.3

強い風が海から吹いて来て、うずらの群れを運んできた。「その落ちた範囲は、宿営の周囲で、こちら側も、おおよそ1日の行程、あちら側も、おおよそ1日の行程、地面から高さおおよそ2キュビトであった」。人々は、その日一口中、そしてその晩も次の日も一日中、奇跡的に与えられた食物を集めた。それはおびただしい量であった。「集めることの最も少ない者も、10ホメルほど集めた」(同11:31、32)。すぐ使わない分は、かわかして保存することができたから、食料は、約束通りに丸1か月分は十分にあった。 PP 196.4

神は、人々があまりにもほしがるために、彼らのために、最善のものではなかったが、お与えになった。彼らは、自分たちの体のためになるものでは満足しなかったのである。彼らの反逆的欲求は満たされたけれども、彼らはそのために苦しまなければならなかった。彼らは、食べたいだけ食べた。彼らの不節制は直ちに罰せられた。「主は非常に激しい疫病をもって民を撃たれた」(同11:33)。多くの人々が熱病で倒れた。一方、彼らの中の最も罪深い人々は、彼らがほしがった食物を口にするやいなや、打たれた。 PP 196.5

タベラを出たあと、次に宿営したのは、ハゼロテであったが、ここでまた、苦い試練がモーセを待っていた。アロンとミリアムは、イスラエルの中で栄誉と指導の地位に立っていた。2人とも預言の賜物が与えられていた。 PP 196.6

また、2人とも、ヘブル人の救済のときには、モーセとともに働くように神の命令を受けたのであった。主は、預言者ミカによって、「モーセ、アロンおよびミリアムをつかわして、あなたに先だたせた」と言われた(ミカ6:4)。ミリアムはまだ子供であったが、赤子モーセを隠した小さなかごをナイル川のそばで見張ったりして、幼いときから品性の力強さをあらわしていた。ミリアムは、詩と音楽の才能が豊かに与えられていたので、イスラエルの女たちを指導して、紅海の岸辺で歌い踊った。ミリアムは、モーセとアロンに次いで、人々から愛され、天の誉れを受けていた。しかし、天で初めに不和をもたらした同じ罪悪がミリアムの心に起こり、その不満にすぐ同情した者があった。 PP 196.7

70人の長老を任命することに関して、ミリアムとアロンは、なんの相談も受けなかった。そのために、彼 らはモーセに対してねたみをいだいた。イスラエルがシナイに向かう途中で、エテロの訪問があったとき、モーセは、義理の父の勧告をすぐに受け入れたので、アロンとミリアムは、彼のモーセに与える影響が自分たちよりも強力になるのではないかと恐れた。70人の長老の組織が定められたときも、彼らは、自分たちの権威が無視されたと思った。ミリアムとアロンは、モーセがどんなに重い苦労と責任を背負っていたかを知らなかった。しかし、彼らは、自分たちがモーセを助けるように選ばれたために、自分たちも同じように指導の責任を分担したものと考え、それ以上の助け手を任命することはよけいなことであると考えたのである。 PP 196.8

モーセは、他のだれも感じたことがないほど、自分に委ねられた大きな任務の重要性を感じた。彼は自分の弱さを感じて、神の勧告を仰いだ。アロンは、自分を過大に評価して、神をさほど信頼しなかった。アロンは責任が負わせられていたときに、シナイでの偶像礼拝に関して、卑怯にも妥協的態度をとって、彼の品性の弱さを暴露した。しかし、ミリアムとアロンは、ねたみと野心に目がくらんで、このことを考えなかった。アロンはその家族が祭司職に任じられて、神から大きな栄誉を与えられていた。それにもかかわらず、このことでさえ、彼の自己賞揚の欲望を助長した。「彼らは言った、『主はただモーセによって語られるのか。われわれによっても語られるのではないのか』」(民数記12:2)。自分たちも同様に神の恵みを受けているとみなして、自分たちも同じ地位と権威が与えられているものと感じた。 PP 197.1

ミリアムは不満をいだいて、神が特にご支配になった事件について不平の種を見いだした。ミリアムは、モーセの結婚を喜んでいなかった。モーセがヘブル人のうちから妻をめとらないで、外国の女を選んだことは、ミリアムの家族と国民の誇りを傷つけるものであった。チッポラは、あからさまに軽蔑された取り扱いを受けた。 PP 197.2

モーセの妻は「クシの女」と呼ばれているが、ミアアン人であって、アブラハムの子孫であった。彼女は、容貌の点では、ヘブル人よりいくぶんか浅黒いところが異なっていた。チッポラはイスラエル人ではなかったが、真の神の礼拝者であった。チッホラは、小心で、遠慮がちで、やさしく、愛情がこまやかであった。そして人の苦痛を見ると非常に心を痛めた。モーセはエジプトへ行く途中で、チッポラがミデアンへ帰ることに同意したのはこのためであった。モーセは、エジプト人に降る刑罰を見る苦痛を、彼女に与えたくなかったのである。 PP 197.3

チッポラは、荒野で彼女の夫に再会した。そして、モーセが重い荷を背負って体力をすり減らしているのに気づき、自分の心配をエテロに語った。そこでエテロが、その場合どうすればよいかを提案することになったのである。チッポラに対して、ミリアムが反感をいだいた主な理由はこうしたことがあったからである。ミリアムは自分もアロンも無視されたと思って感情を害した。そして、その原因がモーセの妻にあると考えた。自分たちが前のように相談にあずからないのは、チッポラが妨げているためであるとミリアムは思い込んだ。もし、アロンが正しいことのために堅く立ったならば、このような悪をとどめることができたことであろう。しかし、アロンは、ミリアムにその行動が罪深いものであることを示さずに、かえってミリアムに同情し、彼女のつぶやきの言葉を聞き、そのねたみに同意するようになってしまった。 PP 197.4

モーセは彼らの非難をつぶやかず、黙って耐えた。モーセが人々の不信とつぶやきを忍耐し、彼のゆるがぬ助け手であるべき人々の誇りとねたみに耐えることができたのは、ミデアンで苦労しながら待っていた年月の間の経験、すなわち、彼がそこで得た謙遜と忍耐の精神のおかげであった。モーセは、「その人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」(同12:3)。そのため、モーセは、すべての人にまさって神の知恵と指導とが与えられていた。聖書に、「へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる」とある(詩篇25:9)。柔和な者は、すなおで、喜んで教えを受けるから、主に導かれるのである。彼らは神のみこころを知って行おうと、まじ めに願っている。救い主は、「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、……この教が……わかるであろう」と約束された(ヨハネ7:17)。そして、使徒ヤコブによって、「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」と宣言された(ヤコブ1:5)。しかし、主の約束は、快く主に全く従う者にだけ与えられる。神は、どの人の意志をも強制されない。であるから、高ぶって教えを受けない者や、自分かってなことをしようとしている者を導くことはできない。二心の人、自分自身の意志のままに行動しようとする人は、神のみこころを行うと口では言っているが、「そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない」と書かれているのである(同1:7)。 PP 197.5

神はモーセを選んで、神の霊を彼の上にお与えになったのである。そして、ミリアムとアロンは、つぶやいたことによって、定められた指導者に対してばかりでなく、神ご自身に対して、不忠誠の罪を犯したのである。つぶやいた扇動者たちは、幕屋に呼ばれ、モーセと顔を合わせた。「主は雲の柱のうちにあって下り、幕屋の入口に立って、アロンとミリアムを呼ばれた」(民数記12:5)。彼らが預言の賜物を与えられていたことはなにも拒否されなかった。神は、彼らとも夢と幻のうちにお語りになったことがあったであろう。しかし、主ご自身が「わたしの全家に忠信なる者である」と宣言されたところのモーセには、それよりももっと親密な交わりが与えられていた。神は、モーセとは口ずから語られた。「『なぜ、あなたがたはわたしのしもベモーセを恐れず非難するのか』。主は彼らにむかい怒りを発して去られた」(同12:8、9)。神の怒りのしるしとして、雲が幕屋から離れた。そして、ミリアムは打たれた。彼女は「重い皮膚病となり、その身は雪のように白くなった」(同12:10)。アロンは助かったが、ミリアムの罰によって、彼もきびしく譴責された。こうして彼らの誇りは打ち砕かれて、アロンは自分たちの罪を告白し、ミリアムがこの恐ろしい罰を受けたまま滅びることがないように嘆願した。モーセの祈りにこたえて、ミリアムの重い皮膚病は癒された。しかし、ミリアムは7日の間、宿営の外に閉じ込められた。ミリアムが宿営から追放されてはじめて、神の恵みの象徴である雲が、再び幕屋にとどまるようになった。ミリアムの高い地位に対する尊敬と、ミリアムの受けた罰を悲しんで、全会衆はハゼロテにとどまって、彼女の帰りを待った。 PP 198.1

このように主の怒りがあらわされたのは、イスラエル全体に対する警告のためであって、不満と不服従の精神が強くなるのを防ぐためであった。もしも、ミリアムのねたみと不満とが著しく譴責されないままでいると、さらに大きな害毒を及ぼしたことであろう。ねたみは人の心の中の最も悪魔的性質の1つであって、最も恐ろしい結果を生じるものである。賢者は言っている。「憤りはむごく、怒りははげしい、しかしねたみの前には、だれが立ちえよう」(箴言27:4)。初めに天で不和を起こしたのは、ねたみであった。そして、ねたみのゆえに人々の間で数えきれない害がもたらされた。「ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある」(ヤコブ3:16)。 PP 198.2

人のことを悪く言ったり、他の人の動機や行為をさばくことは、小さいことであると思ってはならない。「兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである」(同4:11)。審判者は、ただ1人だけである。「主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう」(Ⅰコリント4:5)。そして、だれでも同胞をさばいて罪に定める者は、創造者の権威を侵害しているのである。 PP 198.3

聖書は、神がご自分の使者として行動するように召された人々を、軽々しく非難することがないように特に教えている。使徒ペテロは、極悪の罪人を描写して言っている。「大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。しか し、御使たちは、勢いにおいても力においても、彼らにまさっているにかかわらず、彼らを主のみまえに訴えそしることはしない」(Ⅱペテロ2:10、11)。また、パウロは教会の上に立てられた者について、勧告を与えて、「長老に対する訴訟は、ふたりか3人の証人がない場合には受理してはならない」と言っている(Ⅰテモテ5:19)。神の民の指導者と、教師としての重い責任を人々に負わせられた神は、人々がそのしもべたちをどのようにあつかうかの責任を問われる。われわれは、神が尊ばれた人々を尊ばなければならない。神が、神の働きの重荷を負わせられた人々をねたみ、つぶやくすべての者にとって、ミリアムに下った罰は、自分に対する譴責であると思わなければならない。 PP 198.4