人類のあけぼの

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第28章 シナイでの偶像礼拝

本章は、出エジプト記32~34章に基づく PP 160.4

モーセがいなくなった間、イスラエルの人々は、不安な気持ちにおそわれて彼の帰りを待ちわびていた。人々は、モーセがヨシュアと共に山に登り、下方からも見えていた密雲の中に入っていったことを知っていた。密雲は山の頂上をおおい、ときおり神の臨在の光がいなずまのようにひらめいていた。彼らは、彼の帰りを今か今かと待った。彼らは、エジプトにいた時に、物質によって神を代表することに慣れていたので、目に見えないお方に頼ることはむずかしかった。そこで、彼らはモーセに頼って、かろうじて信仰を保っていた。 PP 160.5

ところが、彼が、彼らのあいだから取り去られてしまった。幾日も、幾週間も彼は帰ってこなかった。雲はまだ見えていたが、宿営の多くの人々には、モーセが彼らを捨てて行ってしまったか、それとも、燃える炎の中で焼き尽くされたかのように思われた。 PP 160.6

こうして彼らは待つ間に、すでに聞かされた律法をよく瞑想し、さらに神がこれからも与えようとしておられる啓示を受けるために、心の準備をする時間が与えられた。これは、そのための絶好の機会であった。 こうして彼らが、神の要求をさらに明らかに理解しようとつとめ、神の前にへりくだっていたならば、試練にあわないように守護されたことであろう。しかし、彼らは、そうしなかった。やがて彼らは注意しなくなって、無頓着になり、律法を犯すに至った。特に寄り集まり人はそうであった。彼らは、乳と蜜の流れる地、約束の国に行く途中で忍耐しきれなくなった。美しい国にはいる約束は、服従する者にだけ与えられるという条件であったが、彼らはこれを見失っていた。中にはエジプトへ引き返そうとする者もあった。しかし、カナンに向かって進むにしても、エジプトに引き返すにしても、大多数の人々は、もはやモーセを待たないことに決めてしまった。 PP 160.7

彼らは指導者を見失って途方にくれ、以前の迷信にもどっていった。「寄り集まり人」が、まず不平とつぶやきを言い始め、その後の背信の指導者になった。エジプト人が神としていた象徴の中には、牛、または子牛があった。そして、エジプトで、この種の偶像礼拝を行っていた者の発案によって、子牛が造られ、その礼拝が行われた。人々は神を代表する何かの像が、モーセの代わりに彼らの前に進むことを望んだ。 PP 161.1

神は、ご自分のどんな形をもお与えになったことはない。そして、こうした目的のために、物質で形を造ることを神は禁じておられた。エジプトと紅海での奇跡は、神が唯一の真の神で、イスラエルの目に見えない全能の救い主であられるという信仰を確立するために与えられた。目に見える神の臨在のしるしを見たい者のためには、雲と火の柱が与えられて群衆を守り、シナイ山の上には、神の栄光があらわれていた。しかし、神の臨在の雲が、なお彼らの前にあるのに、彼らの心はエジプトの偶像礼拝にもどり、目に見えない神の栄光を牛の像であらわした。 PP 161.2

モーセの不在中、司法権がアロンに委ねられていたので、大群衆は彼の天幕に集まって、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」と要求した(出エジプト32:1)。これまで、彼らを導いた雲は山の上に永久に止まってしまい、もはや旅の指示をしなくなったと彼らは言った。彼らには、それに代わって、偶像がなければならなかった。そして、もし彼らがある者らの意見に従ってエジプトへ帰るような時には、偶像をまず先頭にかついで行き、それを自分たちの神であると認めるならば、エジプト人から喜んで迎えられるであろうと考えた。 PP 161.3

こうした危機には、確固とした決断と、なにものにもくじけない勇気の人が必要であった。それは、自分の人気や身の安全、自分の生命そのものよりも、神の栄光を重んじる人である。しかし、そのときのイスラエルの指導者は、そうした品性の人ではなかった。アロンは一応人々をいさめた。しかし、危機に臨んでためらい恐れる彼の態度は、ますます人々をかたくなにするだけであった。騒ぎは大きくなった。人々は、盲目的になり、不合理な熱狂状態に陥った。神と結んだ契約を堅く保った者もいくらかあったが、大部分の人々は背信に加わった。偶像を造ることが、偶像礼拝であることを指摘した少数の勇敢な人々は、群衆の襲撃を受けて乱暴をされ、ついに混乱と興奮の中で生命を失った。 PP 161.4

アロンは、自分の身の安全を気づかった。彼は、神の栄光のために勇敢に立つかわりに、群衆の要求を受け入れた。アロンがまず第一にしたことは、すべての人々から金の耳輪を集めて、彼のところに持って来させることであった。そうすれば、彼らは虚栄心から、そのような犠牲を拒否してくるものと内心希望していた。しかし、彼らは快く装飾品をはずした。アロンはそれを用いて、エジプトの神をまねた子牛を鋳造した。人々は言った。「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」(同32:4)。こうしてアロンは卑劣にも、主がはずかしめられるのを許した。そればかりではなかった。アロンは、金の像が人々に歓迎されたのを見て、その前に祭壇を築き、「あすは主の祭である」と布告した(同32:5)。その布告は、ラッパによって組から組へと宿営全体に伝えられた。「そこで人々はあくる朝 早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた」(同32:6)。「主の祭」をするという口実のもとに、彼らは飲食にふけり、みだらな騒ぎを演じた。 PP 161.5

今日でも快楽を愛する心が「信心深い様子」のかげに隠れていることがなんと多いことであろう。礼拝の儀式を守りながらなおかつ人々が利己心または肉欲の満足にふけることを許す宗教は、イスラエルの時代と同様に今日でも、多くの人々に喜び迎えられている。そして、教会の権威ある地位の人が、清められていない人々の欲するところを受け入れて、彼らが罪を犯すのを助長する柔弱なアロンのような人々が、まだいるのである。 PP 162.1

ヘブル人は、神の声に服従することを厳粛に神に誓ってから、まだほんの数日しかたっていなかった。彼らは恐れおののいて山の前に立ち、「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」という言葉に耳を傾けたのであった(同20:3)。神の栄光は、まだシナイ山の上にただよっていて、会衆に見えていた。それなのに、彼らはそむいて他の神々を求めた。「彼らはホレブで子牛を造り、鋳物の像を拝んだ。彼らは神の栄光を草を食う牛の像と取り替えた」(詩篇106:19、20)。慈愛深い父、全能の王としてご自分をあらわされた神に対して、これ以上の忘恩を示し、これ以上の大胆な侮辱を加えることができるであろうか。 PP 162.2

山にいたモーセは、宿営で背信が起こったことを知らされ、直ちにもどっていくように命じられた。主はモーセに言われた。「急いで下りなさい。あなたがエジプトの国から導きのぼったあなたの民は悪いことをした。彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝」んだ(出エジプト32:7、8)。神はこの出来事を、その始まったときに止めることもおできになった。しかし、反逆と背信に罰を与えてすべてのものの教訓とするために、このことがこうして頂点に達するのをお許しになった。 PP 162.3

神が、神の民と結ばれた契約は破棄された。そこで神はモーセに言われた。「それで、わたしをとめるな。わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう」(同32:10)。イスラエルの人々、特に寄り集まり人は、神に反逆する傾向があった。彼らは指導者にむかってつぶやき、その不信とかたくなさによって指導者を悩ますのであった。であるから、彼らを約束の国に導くことは、骨のおれるたいへんな仕事であった。彼らはすでに罪を犯して神の恵みを失い、当然滅ぼされる運命にあった。であるから、主は彼らを滅ぼし、モーセを大国民にしようと言われた。 PP 162.4

「わたしをとめるな。……わたし(は)……彼らを滅ぼしつくすであろう」と神は言われた。もし、神がイスラエルを滅ぼそうとなさるならば、いったいだれが彼らのために嘆願することができようか。たいていの人は、罪人が滅びるのを、そのまま放任しておくものである。人々の忘恩とつぶやきの声しか聞くことのできない苦労と重荷と犠牲の生活を捨てて、それに代わって安楽と栄誉ある地位とに喜んでつかない人間がいったいいるであろうか。神ご自身がモーセを解放すると言っておられたのである。 PP 162.5

しかし、モーセは失望と怒りしか感じられないところに、希望を見いだした。モーセは、「わたしをとめるな」という神の言葉を、哀願を禁じるのではなくて、それを奨励するものと解した。そして、モーセの祈りだけがイスラエルを救い得るものであって、そのような祈りによって、神は、ご自分の民をお救いになるものと考えた。「モーセはその神、主をなだめて言った、『主よ、大いなる力と強き手をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか』」(同32:11)。 PP 162.6

神は、神の民をお捨てになったことを明らかにされた。神は、彼らのことを「あなたがエジプトの国から導きのぼったあなたの民」とモーセに言われた。しかし、モーセは、心を低くして、自分が指導者であったことを拒否した。彼らは、モーセのものではなくて、神の民であった。「大いなる力と強き手をもって、 ……導き出されたあなたの民」であった。「どうしてエジプトびとに『彼は悪意をもって彼らを導き出し、彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか」と彼は訴えた(同32:11、12)。 PP 162.7

イスラエル人がエジプトを出てから数か月の間に、彼らが驚くべき方法によって救われたことが、周囲のすべての国々に知れ渡った。異教徒は恐怖と不吉な予感に襲われた。すべてのものは、イスラエル人の神が、その民のためになさることを見守っていた。もしも、彼らが今滅ぼされたならば、敵は勝利をおさめ、神は恥辱をこうむるのであった。エジプト人は、神が自分たちの非難どおりに荒野で犠牲を捧げるためではなくて、滅ぼすために神の民を導き出したのだと言うことであろう。エジプト人は、イスラエル人の罪については考えない。神がこれほどまでに栄誉をお与えになった民を滅ぼすことは、神のみ名をはずかしめることであった。神から大きな栄誉を受けた者は、この地上で神のみ名に誉れを帰すために、なんと大きな責任が負わせられていることであろう。彼らは、罪を犯してその刑罰を招き、異邦人に神のみ名を汚させることのないように、十分注意しなければならない。 PP 163.1

モーセは、これまで神の導きのもとにイスラエル人のために多くのことを行ってきた。モーセは、彼らのために深い関心と愛をいだいて嘆願しているうちに、臆する気持ちがなくなった。主は、彼の願いに耳を傾け、彼の無我の祈りをお聞きになった。彼は、そのしもべを試みられたのである。神は彼の忠実さと彼があやまちに陥り、恩を忘れた人々を愛するかどうかを試みられた。そして、モーセは、その試練に耐えたのである。モーセのイスラエルに対する関心は、利己的動機から出たものではなかった。神の選民が栄えることは、彼の個人的栄誉や大国民の父となる特権よりも、彼にとって大切なことであった。神は、モーセの忠実さ、心の素朴さ、誠実さをお喜びになって、彼を忠実な牧羊者として召して、イスラエル人を約束の国に導き入れるという大任命を彼にお与えになった。 PP 163.2

モーセは、「契約の石板」を持って、ヨシュアと一緒に山から下って来た。すると彼らは、興奮した群集が、大声でわめいている声を聞いた。戦士であったヨシュアは、初め敵の攻撃かと思って、「宿営の中に戦いの声がします」と言った(同32:17)。しかし、モーセは、その騒ぎの性質をもっと正確に判断した。その物音は戦いの声ではなく、歌の声であった。「勝どきの声でなく、敗北の叫び声でもない。わたしの聞くのは歌の声である」(同32:18)。 PP 163.3

彼らが宿営に近づいてみると、人々は偶像のまわりで大声をあげて踊っていた。それは、異教の人々の騒ぐ光景そのもので、エジプトの偶像礼拝をまねたものであった。厳粛でうやうやしく行われる神の礼拝と、それはなんと異なっていたことであろう。モーセは全く打ちのめされた感を受けた。モーセは、今、神の栄光のみ前から来たばかりであった。このような事態が起きたことは、知らされていたとは言え、これほどまでに恐ろしく堕落したイスラエル人の状態を見るとは思っていなかった。彼は激怒した。モーセは、彼らの犯罪に対する大きな憎悪を表すために、石の板を地に投げ捨て、人々の面前でそれを破壊してしまった。こうして、彼らが神の契約を破ったのと同様に、神の側でも、彼らと結んだ契約を破棄なさったことを示した。 PP 163.4

モーセは宿営の中に入り、騒いでいる人々の間を通って偶像を取り払い、火にくべて焼いた。あとで、それをこなごなに砕いて山から流れてくる川の上にまき、人々に飲ませた。こうして彼らが拝んでいた神が、全く無価値なものであることを示したのである。 PP 163.5

偉大な指導者モーセは、罪を犯した兄弟アロンを呼んで、「この民があなたに何をしたので、あなたは彼らに大いなる罪を犯させたのですか」ときびしく尋ねた(同32:21)。アロンは、人々の要求が激しく、もし彼らの願いに応じなければ、自分は殺されてしまったであろうと言って弁解しようとした。「わが主よ、激しく怒らないでください。この民の悪いのは、あなたがごぞんじです。彼らはわたしに言いました、『わ たしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセは、どうなったのかわからないからです』。そこでわたしは『だれでも、金を持っている者は、それを取りはずしなさい』と彼らに言いました。彼らがそれをわたしに渡したので、わたしがこれを火に投げ入れると、この子牛が出てきたのです」(同32:22~24)。アロンは、火の中に投げ込まれた金が、超自然的力によって、奇跡的に子牛になったかのようにモーセに思わせようとした。しかし、彼の言いわけや弁解は、なんの益にもならなかった。アロンは、当然、罪人のかしらとして扱われた。 PP 163.6

アロンが一般の人々よりは、はるかに祝福と栄誉を与えられていたために、彼の罪はそれだけ憎むべきものであった。「主の聖者アロン」が偶像を造り、祭りを布告した(詩篇106:16)。モーセの代弁者として選ばれ、神ご自身が「わたしは彼が言葉にすぐれているのを知っている」と言われた者が、偶像礼拝という神に対する反逆を止めることができなかった(出エジプト4:14)。アロンは、エジプト人と彼らの神々を罰するために神に用いられた人であった。そのアロンが、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」という布告を鋳物の子牛の前で聞いても平然としていた(同32:4)。モーセと共に山に行き、そこで主の栄光を見て、その栄光のあらわれは、何一つとして形に現すことができないことを知ったアロンが、神の栄光を変えて、子牛の像を造ったのである。モーセの不在中、人々の支配を神からゆだねられた者が、人々の反逆を許したのであった。「主はまた、はなはだしくアロンを怒って、彼を滅ぼそうとされた」(申命記9:20)。しかし、モーセの熱烈な祈りによって、彼は救われた。彼は、自分の大きな罪を悔いて心を低くしたために、再び神の恵みに浴することが許された。 PP 164.1

もし、アロンが、どんなことになろうとも正しいことのために立つ勇気を持っていたならば、彼は背信を防ぐことができたことであろう。もし彼が神に対する忠誠を堅く保ち、シナイにおける危機について人々に語り、彼らが神の律法を守ることを厳粛に神に誓ったことを思い起こさせたならば、この罪悪は止められたことであろう。しかし、彼が人々の希望に同意して、平然と彼らの計画を進めていく姿を見て、彼らは勇気を増し、以前に計画していたことよりも、さらに大きな罪へと走っていった。 PP 164.2

宿営に帰ったモーセが、反逆をきびしく譴責し、激怒して、聖なる律法の板を砕いたことと、彼の兄弟の快い話しぶりと威厳ある態度とは全く対照的で、人々はアロンに同情を示した。アロンは、自分が人々の要求に屈した弱さを、人々のせいにして自己を弁護しようとした。それでも人々は、彼の柔和と忍耐に対して尊敬の念をいだいていた。 PP 164.3

ところが、神は、人とは別の見方をなさる。アロンの譲歩の精神と人の歓心を得ようとする気持ちは彼の目をくらまし、自分がどんなにいまわしい罪を許しているのかを見えなくした。彼がイスラエルに罪を犯させたために、幾千人の命が失われた。これとは対照的に、モーセはなんとりっぱな生涯を送ったことであろう。彼は、神のみこころを忠実に実行するとともに、イスラエルが幸福であることを自分の繁栄や栄誉や生命よりも大切にしたのである。 PP 164.4

神が罰をお与えになるすべての罪のうちで、他の人に悪を奨励することほど、神がきらわれるものはない。どんなにつらいことであっても、忠実に悪を責めて、神に忠誠を尽くすことを、神はそのしもべたちにお望みになる。神からの任命を受ける栄誉に浴した者は、弱い、人の言いなりになる日和見主義者であってはならない。彼らは、自己を高めたり、好ましくない義務を避けたりすることなく、ゆるぐことのない忠誠心をもって、神の働きをしなければならない。 PP 164.5

神はモーセの祈りによって、イスラエルを滅びから救われたとはいえ、彼らの反逆は、厳罰に処せられるべきであった。アロンが許した不法と反抗は、すみやかに鎮圧しなかったならば、いよいよ悪がはびこり、イスラエルの国を取りかえしのつかない滅亡に陥れたことであろう。その罪悪はきびしく罰して除去しなければならなかった。宿営の門に立って、モーセは 人々に呼びかけた。「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」(出エジプト32:26)。反逆に参加しなかった者は、モーセの右に立ち、反逆はしたが悔い改めた者は左に立つことになった。しかし、子牛を造ることを扇動した寄り集まり人が大部分を占めた大群衆は、頑強に反逆をやめなかった。そこでモーセは、イスラエルの神、主の名によって、偶像礼拝に加わらなかった右側にいる者らに、腰につるぎを帯びて、反逆をやめない者をすべて殺すことを命じた。「その日、民のうち、おおよそ3000人が倒れた」(同32:28)。悪の指導者は、どんな地位の人でも、親族、友人であろうがみな殺された。しかし、悔い改めて身を低くした者は救われた。 PP 164.6

この恐ろしい刑罰を行った者は、神の権威によって行動し、天の王の宣告を執行したのであった。人間は、盲目的に同胞を裁いて罰することがあるから注意しなければならない。しかし、神が悪者に対する神の宣告の執行をお命じになるならば、従わなければならない。このつらい行為を行った者は、それに従事したことにより、反逆と偶像礼拝に対する憎しみをあらわし、真の神の奉仕にさらに自分たちを献身することを示した。主はレビの部族が忠実であったことを賞賛し、特別の栄誉をお与えになった。 PP 165.1

イスラエルの人々は、反逆罪を犯した。しかもそれは、彼らに豊かな恵みを賜った天の王に対してであった。彼らは、自分から進んで、その王の権威に従うことを誓っていたのであった。天の統治を維持するためには、反逆者に罰を与えなければならない。ここにおいても、なお、神の憐れみがあらわされていたのである。神は、律法を維持されるとともに、選択の自由、すなわち、すべての者が悔い改める機会をお与えになった。反逆しつづける者だけが、殺されたのである。 PP 165.2

神が偶像礼拝をおきらいになることを周囲の国々に証明するために、この罪を罰する必要があった。モーセは神の器として、罪を犯した者に罰を与えることにより、彼らの罪に対して公の抗議を厳粛に行ったことを記録に残さなければならなかった。その後、イスラエルの人々が、近隣の部族間の偶像礼拝を非難するようになれば、彼らは、主を神とする人々がホレブで子牛を造って礼拝したではないかと反論してくることであろう。イスラエルは、そのとき、その恥ずかしい事実は認めないわけにはいかなくても、そのときの罪人たちの恐ろしい運命を示し、その罪が承認または黙認されたものでなかった証拠とすることができるのであった。 PP 165.3

正義だけでなく、愛もまた、この罪が罰せられることを要求した。神は、神の民の主権者であると同時に、保護者でもあられる。神は、他の者を滅ぼさないようにするために、反抗をやめない者たちを滅ぼされた。神は、カインの命を助けることによって、罪を罰しない結果が何であるかを宇宙にお示しになった。カインの生涯とその教えが彼の子孫に及ぼした影響は、ついに洪水によって全世界が滅ぼされなければならない状態へと導いた。洪水前の人々の歴史は、長命が罪人にとって祝福ではないことを証明している。神の大きな忍耐も彼らの悪を制することができなかった。長く生きれば生きるほど、彼らは腐敗していった。 PP 165.4

シナイでの背信もその通りであった。すみやかに刑罰が彼らに与えられなかったならば、同じ結果がまた見られたことであろう。全地は、ノアの時と同様に堕落したことであろう。もしも、これらの罪人たちが助かっていたならば、カインの命が助けられたときの結果以上の害悪が起こったことであろう。幾百万の人々に刑罰が下るようにならないために、数千人が死ぬことは、神の憐れみであった。多数を救うために、神は少数に罰を与えなければならない。そればかりでなく、人々が神への忠誠を捨ててしまったために、神の保護を受けることができなくなり、防備が除去されて国全体が敵の勢力下にさらされた。もし彼らが罪悪をすみやかに捨て去らなかったならば、彼らは直ちに数多くの強敵の餌食になってしまったことであろう。イスラエルの幸福とその後の各世代の幸福のためにも、犯罪はすみやかに罰せられる必要があった。そして、悪を行った罪人の命が絶たれることも罪人に対する憐れみの情が欠けていたわけ ではない。もしも、彼らの命が助けられたならば、彼らを神に反逆させた同じ精神が、彼らの間に憎しみや争いを起こし、ついには相互に殺し合うようになったことであろう。犯罪がすみやかに、きびしく罰せられたのは、世界に対する愛とイスラエルに対する愛のためであり、罪人に対する愛のためでもあった。 PP 165.5

人々が自分たちの罪の恐ろしさに気づいたとき、宿営全体は恐れおののいた。罪を犯した者はみな殺されるものと彼らは恐れた。モーセは、彼らの苦悩をあわれんで彼らのためにもう1度、神に嘆願することを約束した。「あなたがたは大いなる罪を犯した。それで今、わたしは主のもとに上って行く。あなたがたの罪を償うことが、できるかも知れない」と彼は言った(同32:30)。彼は出かけて行って、神の前に告白して言った。「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば——。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」(同32:31、32)。主はモーセに言われた。「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。しかし、今あなたは行って、わたしがあなたに告げたところに民を導きなさい。見よ、わたしの使はあなたに先立って行くであろう。ただし刑罰の日に、わたしは彼らの罪を罰するであろう」(同32:33、34)。 PP 166.1

モーセの祈りの言葉は、われわれに天の記録のことを考えさせる。それにはすべての人の名がしるされ、善悪ともにその行為が正確に記録されている。命の書には、神に奉仕したすべての者の名がしるされている。もしそのうちの誰かが神から離れたり、または、頑強に罪から離れず、ついに聖霊の働きに心を堅く閉じてしまったりするならば、彼らの名は、審判のときに命の書から消され、滅ぼされてしまう。モーセは、罪人の運命がどんなに恐ろしいものであるかを知っていた。しかし、モーセは、もしイスラエルの人々が主に拒否されるならば、彼らと共に自分の名も消されることを願ったのである。彼は、それほどまでに恵みに満ちた救いにあずかった人々の上に、神の刑罰がくだるのを見るにしのびなかったのである。イスラエル人のためのモーセのとりなしは、罪人のためのキリストのとりなしを代表している。しかし主は、キリストが負われたような罪人の罪をモーセが負うことはお許しにならなかった。主は言われた。「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう」(同32:33)。 PP 166.2

人々は、深い悲しみのうちに死者を葬った。つるぎで殺された者は3000人であった。間もなく宿営の中に疫病が起こった。そして、こんどは、神が彼らと共に旅してくださらないという知らせがあった。主は言われた。「あなたがたは、かたくなな民であるから、わたしが道であなたがたを滅ぼすことのないように、あなたがたのうちにあって一緒にはのぼらないであろう」。そして、「今、あなたがたの飾りを身から取り去りなさい。そうすればわたしはあなたがたになすべきことを知るであろう」という命令が出された(同33:3、5)。こうして、宿営全体の人々は悲しみに沈んだ。悔い改めとへりくだった思いをもって、「イスラエルの人々はホレブ山以来その飾りを取り除いていた」(同33:6)。 PP 166.3

礼拝の一時的場所として用いられていた天幕が、神の指示に従って「宿営を離れて」張られた。これは、神が人々の間からお離れになったもう1つの証拠であった。神はモーセにご自分をあらわされたのであるが、このような人々には、あらわされなかったのである。人々は、この譴責を深く感じ、罪感に苦しむ群衆は、それを何か大きなわざわいの前兆であるかと考えた。神は、彼らを全滅させるために、モーセを宿営から離されたのではなかろうか。しかし、彼らに全く希望がなかったわけではなかった。天幕は宿営の外に張られたけれども、モーセはそれを「会見の幕屋」と名づけた。真に悔い改め、主に帰ることを願う者は、すべてそこへ行って彼らの罪を告白し、神の憐れみを求めるようにという指示が与えられた。彼らが天幕に帰った時に、モーセは幕屋に入った。人々は、モーセが自分たちのために行うとりなし が受け入れられたしるしを、必死になって見守っていた。もし、神が降りて来られてモーセに会われるならば、彼らは全滅のうきめにあわずにすむという希望がもてたのである。雲の柱が下ってきて、幕屋の入口に立ったときに、人々は喜びの声をあげて泣き、「立っておのおの自分の天幕の入口で礼拝した」(同33:10)。 PP 166.4

モーセは、自分に委ねられた人々の強情なことと盲目なことをよく知っていた。彼は、自分の当面する困難も知っていた。しかし、人々を説き伏せるためには、神の助けがなければならないことを彼は知った。彼は、さらに明らかな神のみこころの啓示と神の臨在の確証を祈り求めた。「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。それで今、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうか、あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵みを得させてください。また、この国民があなたの民であることを覚えてください」(同33:12、13)。 PP 167.1

「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」という答えが与えられた(同33:14)。しかし、モーセはまだ満足しなかった。もし神がイスラエルの人々を、かたくなで罪を悔いないままの状態に放任されるなら、恐ろしい結果が生じることを彼は恐れた。彼は、自分が兄弟たちと別に切り離されてしまうことができなかった。そして彼は、神の恵みが神の民に回復されて、神の臨在のしるしが彼らの旅を導くようになることを祈った。「もしあなた自身が一緒に行かれないならば、わたしたちをここからのぼらせないでください。わたしとあなたの民とが、あなたの前に恵みを得ることは、何によって知られましょうか。それはあなたがわたしたちと一緒に行かれて、わたしとあなたの民とが、地の面にある諸民と異なるものになるからではありませんか」(同33:15、16)。 PP 167.2

すると主は言われた。「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」(同33:17)。それでも、モーセは嘆願をやめなかった。すべての祈りは聞かれていたが、彼は、さらに大きな神の恵みのしるしを渇望した。彼は、ここで、今までどんな人間もこれまでにしたことのないことを願った。「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」(同33:18)。 PP 167.3

神は、これを不遜きわまる願いとしてお退けにならず、恵み深い言葉を賜った。「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ」よう(同33:19)。おおい隠されていない神の栄光をながめて生きることのできる人間はこの地上にはいない。しかし、モーセは、彼の耐え得るだけの神の栄光を見ることが約束されたのである。モーセは、再び山の頂に召された。そこで、世界を創造し、「山を移される」(ヨブ9:5)み手が、土のちりから造られた人間であるこの信仰の勇者を、岩の裂けめにおいて、その前に、神の栄光とそのもろもろの善を通らせられた。 PP 167.4

神の臨在に関する他のすべての約束にまさって、この経験が前途に横たわる働きに対する成功の確証をモーセに与えた。そして、モーセはエジプトで学んだすべてのこと、また、為政者や軍の指揮官としての彼のすべての能力よりも、この経験をはるかに大きく評価した。この世のどんな能力や技術や学識であっても、神の臨在の代わりとはならない。 PP 167.5

罪人にとって、生きた神の手に陥ることは恐ろしいことである。しかし、モーセは、永遠の神のみ前に1人で立ち、なんの恐れも感じなかった。それは、彼の魂が彼の創造主のみこころと一致していたからである。詩篇記者は次のように言った。「もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう」(詩篇66:18)。「主の親しみは主をおそれる者のためにあり、主はその契約を彼らに知らせられる」(同25:14)。 PP 167.6

神は、ご自身をこう言われた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの 豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさ」ぬ者(出エジプト34:6、7)。 PP 167.7

「モーセは急ぎ地に伏して拝し」た。モーセはもう1度、神が神の民を赦してくださり、彼らをご自分の嗣業となさるように嘆願した。彼の祈りは聞かれた。主は、深い憐れみをもってイスラエルに再び恵みをたまい、これまで「地のいずこにも、いかなる民のうちにも、いまだ行われたことのない不思議を」彼らのために行うことを約束された(同34:8、10)。 PP 168.1

モーセは、山に40日40夜いた。そして、最初のときと同様に、彼はこの間も奇跡的に支えられた。だれも、彼と一緒に行くことは許されなかった。また、彼の不在中、だれ1人山に近づくことも許されなかった。彼は、神の命令に従って、2つの石の板を用意して、それを山の頂に持って行った。主は再び、「契約の言葉、十戒を板の上に書いた」(同34:28)。 PP 168.2

こうして長い間、神と交わっている間に、モーセの顔は、神の臨在の栄光を反映していた。モーセは、自分では気づかなかったが、山から降りて来たとき、彼の顔はあかあかと輝いていた。それと同じ光が裁き人らの前に立ったステパノの顔にも輝いた。「議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた」(使徒行伝6:15)。アロンも人々も、モーセを避けてあとずさりした。「彼らは恐れてこれに近づかなかった」(出エジプト34:30)。何が原因だかわからなかったが、彼らがあわてふためいているのを見て、モーセは彼らに近づいて来るように言った。彼は、神の和解の契約を彼らに示し、神の恵みが回復されたことを知らせた。彼らは、モーセの声がただ愛と懇願以外のなにものでもないことを悟ってついに、1人の者が勇敢に彼に近づいていった。しかし、あまりの恐ろしさのために何も言うことができず、ただ、モーセの顔を指さし、そして、天を指さすだけであった。大指導者モーセには、その意味がわかった。彼らは罪を意識していたので、自分たちはまだ神の怒りのもとにあると考え、天の光に耐えることができなかった。ところが、もし彼らが神に服従していたならば、喜びに満たされたことであろう。罪には恐怖がある。罪から解放された魂は、天の光から隠れようとは望まないのである。 PP 168.3

モーセは、彼らに多くのことを伝えなければならなかった。そして、彼らの恐怖をあわれんで、顔おおいを当てた。そして、その後、神と交わって宿営に帰ってくるときには、いつでもそうすることにした。 PP 168.4

神はこの輝きによって、神の律法の清く高尚な性質とキリストによってあらわされる福音の栄光を、イスラエルの人々に強く印象づけようとされた。モーセが山にいる間に、神は律法の板だけでなく、救いの計画をもモーセにお与えになった。モーセは、ユダヤ時代のすべての典型や象徴に、キリストの犠牲が予表されているのを知った。そして、モーセの顔があのように光り輝いたのは、神の律法の栄光であったとともに、カルバリーから輝く天からの光でもあった。この神の光は、目に見えるモーセを仲保者とした時代の栄光の象徴であった。彼は、ただ1人の真の仲保者キリストを代表していたのである。 PP 168.5

モーセの顔に反映した栄光は、キリストの仲保によって、神の律法を守る人々に与えられる祝福を示していた。それは、われわれの神との交わりが密接であればあるほど、神のご要求に対するわれわれの知識も明らかになり、いよいよ神のかたちに近づき、神の性質にあずかることも、ますます容易になる。 PP 168.6

モーセは、キリストの型であった。人々が栄光を見ることができなかったので、イスラエルの仲保者モーセは顔おおいをつけた。 PP 168.7

そのように、天からの仲保者キリストは、この世界に来られたときに、神性を人性でおおわれたのである。もしもキリストが、天の輝きにつつまれておいでになったならば、罪深い人間に近づくことはおできにならなかったことであろう。人々は、彼の臨在の栄光に耐えられなかったことであろう。そこで、彼は、ご自分を低くして、「罪の肉の様」になり、堕落した人類のところに来て、彼らを引き上げようとされたのである(ローマ8:3)。 PP 168.8