キリストの実物教訓
宝の価値
救い主は、人々が利益のために熱心に働いて、永遠の世界を見失っているのをごらんになって、この誤った状態を正そうとなさった。主は、なんとかして人の心をまひさせるまどわしの力を破ろうとして、声を大にして、「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか、また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」 と言われた(マタイ16:26)。彼は、堕落した人類が忘れてしまった天上の世界を彼らに示して、その永遠の実在を彼らが認めるように望まれた。彼は、言葉では言い表せない栄光に輝く無限の神の戸口にまで、彼らを導いて、そこにある宝をお見せになった。 COL 1223.8
この宝の価値は、金銀にまさり、地のどんな富にも比べることはできない。 COL 1224.1
「淵は言う、『それはわたしのうちにない』と。 COL 1224.2
また海は言う、『わたしのもとにない』と。 COL 1224.3
精金もこれと換えることはできない。 COL 1224.4
銀も量ってその価とすることはできない。 COL 1224.5
オフルの金をもってしても、 COL 1224.6
その価を量ることはできない。 COL 1224.7
尊い縞めのうも、サファイヤも同様である。 COL 1224.8
こがねも、玻璃(はり)もこれに並ぶことができない。 COL 1224.9
また精金の器物もこれと換えることができない。 COL 1224.10
さんごも水晶も言うに足りない。 COL 1224.11
知恵を得るのは真珠を得るのにまさる。」 COL 1224.12
(ヨブ28:14~18) COL 1224.13
これが聖書の中に発見される宝である。聖書は、神がお与えになった大教科書であり、大教育者である。真の科学の基礎は、ことごとく聖書の中に含まれている。聖書の研究によって、あらゆる方面の知識を得ることができる。特に、科学中の科学である、救いの科学が、この中に含まれている。聖書は、はかり知れないキリストの富の隠された鉱山である。 COL 1224.14
真の高等教育は、神の言葉を学んで、それに従うことによって得られる。神の言葉を学ばず、神にも、天国にも、人の心を向けさせない書物によって行われる教育は、教育の名をはずかしめるものである。 COL 1224.15
自然には驚くべき真理がひそんでいる。天、地、海のどこにも真理が満ちあふれている。こうした自然がわたしたちの教師である。自然は、天からの知恵と永遠の真理の言葉をわたしたちに語りかける。 COL 1224.16
しかし、堕落した人間はそれを悟らない。罪が人の視覚をくもらせたので、自分の力だけでは、自然を神以上の力あるものと考えるほかない。神の言葉を受け入れない者は、どんな正しい教えに接しても深い感銘を受けることはできない。彼らは、自然の教訓をあまりにもゆがめて考えているために、自然は、かえって人の心を創造主から引き離すことにさえなるのである。 COL 1224.17
天来の教師の知恵よりも、人間の知恵のほうがすぐれたものであると思っている者が多い。また、神の教科書は、時代おくれで、古くさく、興味がないもののようにみなされている。しかし、聖霊によって命を与えられた者は、そうは思わない。彼らは、貴重な宝を見つけて、自分の持ち物を全部売り払って、宝の隠されている畑を買うのである。彼らは、世の著名な筆者の論説を記した書物の代わりに、世界最高の著者であり、最も偉大な教師であるイエスの言葉を選ぶのである。イエスは、わたしたちのために、その命をお与えになったのである。わたしたちは、イエスによって、永遠の命を受けることができるのである。 COL 1224.18