キリストの実物教訓

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第8章 隠された宝物

本章は、マタイ13:44に基づく COL 1222.3

「天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、その畑を買うのである。」 COL 1222.4

むかしは、宝が、よく強盗に盗まれたりした。また、国の統治者が変わるごとに、財産に重税が課せられた。その上、国土は、いつも敵軍の侵入にさらされていた。そのようなわけで、金持ちは、どこかに財産を隠しておかなければならなかった。隠し場所としては、土の中が一番安全であると思われたので、宝を土の中に隠す風習があったが、その大切な場所がわからなくなってしまうことがよくあった。所有主が死んだり、投獄、追放などによっていなくなってしまうと、せっかく彼が苦心して蓄えた宝は、幸運な発見者の手に入るのであった。こうしてなんの役にも立たない土地から、古い貨幣や金銀の装飾品などが発見されることは、キリストの時代には、まれではなかったのである。 COL 1222.5

ある人が農地を借り受けて、牛に畑を耕させていると、ふと隠されていた宝を掘り当てた。彼は、宝を発見するなり、自分がすばらしい幸運をつかんだことを知った。彼は、黄金をそのまま、元の隠し場所へもどして、家に帰り、全財産を売り払って、宝の隠されている畑を買うのである。家族も、隣人も、彼の気が狂ったのではないかと思う。彼らは、その畑を見ても、荒地になんの価値も認めない。しかし、本人は何事もよく承知の上である。そして、土地の所有権を手に入れると、自分のものになった宝を発見するために、その土地全体を捜すのである。 COL 1222.6

このたとえは、天の宝の価値と、それを獲得するためには、どんな努力をしなければならないかを教えている。畑の中に宝を発見した人は、隠された宝を手に入れるためには、ただちに全財産を売り払い、どんな努力をもおしまない。そのように、天の宝を見いだした者は、真理の宝を手にするためには、どんな努力をもいとわず、どんな犠牲も高価すぎるとは思わないのである。 COL 1222.7

たとえの中の宝の隠された畑は、聖書のことで、福音は、宝である。神の言葉の中ほど、金鉱が縦横に走り、宝に満ちているものは、他のどこにもないのである。 COL 1222.8