キリストの実物教訓

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第26章 神と人に対する責任

本章は、ルカ6:1~9に基づく COL 1330.6

キリストが、この世にこられたのは、俗事の追求が頂点に達した時代であった。人々は、永遠のことをこの世のことの次におき、未来のことを現在のことの次にしていた。彼らは、幻影を実在と思い、実在を幻 影であるかのように思い違いしていた。彼らは、信仰によって見えない世界を見なかった。サタンは、この世の物を、何よりも魅惑的で、興味深いもののように見せかけていたので、人々は、サタンの誘惑に心を奪われていた。 COL 1330.7

キリストは、このような状態をくつがえすためにこられた。彼は、このように人々を惑わして捕らえていた魔力を解こうとなさった。キリストは、そのお教えの中で、天が人に要求するものと、地が人に要求するものとの関係を明らかにして、人の心を現世のことから転じて、将来のことに向けさせようとなさった。この世のものの追求ではなくて、永遠のための準備をするように、イエスは彼らをお招きになったのである。 COL 1331.1

「ある金持のところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった」と主は言われた。この金持ちは、自分の財産を全部、この僕に任せていた。ところが、彼は忠実ではなかった。そして、主人は、自分の財産がたえず横領されているのに気づいて、彼をやめさせることにして、帳簿の清算を命じたのである。そして、「あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから」と彼は言った。 COL 1331.2

解雇されることがわかった家令は、自分の前に3つの道が残されているのを知った。この家令は心の中で思った。「『どうしようか。主人がわたしの職を取り上げようとしている。土を掘るには力がないし、物ごいするのは恥ずかしい。そうだ、わかった。こうしておけば、職をやめさせられる場合、人々がわたしをその家に迎えてくれるだろう。』それから彼は、主人の負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に、『あなたはわたしの主人にどれだけ負債がありますか』と尋ねた。『油100樽です』と答えた。そこで家令が言った、『ここにあなたの証書がある。すぐそこにすわって、50樽と書き変えなさい。』次に、もうひとりに、『あなたの負債はどれだけですか』と尋ねると、『麦100石です』と答えた。これに対して、『ここに、あなたの証書があるが、80石と書き変えなさい』と言った。」 COL 1331.3

この不忠実な僕は、他の人々を彼の不正直な行為の仲間に引き入れた。彼は、主人に損害を与えて、その人々に利益を得させたのであるから、このような便益を受けることによって、彼らは、この僕を友人として、彼らの家に迎え入れなければならないはめになった。 COL 1331.4

「ところが主人は、この不正な家令の利日なやり方をほめた。」この世の主人は、自分に損害を与えた男の抜け目のないやり方をほめた。しかし、金持ちの賞賛は、神の賞賛ではなかった。 COL 1331.5

キリストは、不正な家令をおほめになったのではなくて、ご自分が教えようと望まれた教訓を、人々のよく知っているできごとを例にあげて説明なさったのである。「不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう」と言われたのである。 COL 1331.6

救い主は、取税人や罪人と交わったために、パリサイ人の非難をお受けになった。しかし、イエスのこの人々に対する関心は、減少せず彼らに対する彼の努力はやまなかった。イエスは、彼らの職業が彼らを誘惑におとしいれていたのをお認めになった。彼らは、悪へのいざないにかこまれていた。悪の道に1歩ふみ込むのは容易なことで、すぐにでも、大きな不正と極悪な犯罪へと落ちこんでいくのである。キリストは、なんとかして、彼らの心を高い目標と高尚な主義に引き付けようとなさった。不正な家令の話をなさった時に、主が心に思っておられたのは、このことであった。取税人たちの間ではちょうどたとえの中で言われているようなことが起こっていたので、キリストの描写を聞いていると、それが自分たちのことのように彼らには思えた。彼らは心を引かれた。そして、自分たちの間の不正な習慣によっても、霊的真理の教訓を学んだ者が多くあったのである。 COL 1331.7

しかしながら、このたとえは、直接弟子たちに向かって語られた。まず真理のパン種が彼らに与えられて、それから、それが他の者に伝えられたのである。 キリストの教えの多くは、初めのうち弟子たちにも理解することができなかった。そして、時には、彼の教えが全く忘れ去られたかのように思われた。しかし、弟子たちは、これらの真理を聖霊の力によって、再び思い起こすことができ、日ごとに教会に加えられた新しい改心者たちに、明瞭にそれを伝えたのである。 COL 1331.8

また、救い主は、パリサイ人に向かっても語っておられた。彼らもキリストの言葉の力を必ず理解するようになるという希望をお捨てにならなかった。彼らの中にも強い感動を受けた者が多くいた。そして、やがて聖霊の命じるままに真理が語られるのを聞いた時に、多くの者がキリストを信じるようになるのであった。 COL 1332.1

パリサイ人たちは、キリストが取税人や罪人と交わっていると非難して、キリストの名声を傷つけようとした。ところが、今度は、キリストがこれらの非難者たちを譴責なさることになった。イエスは、取税人の間で起こったできごとを取り上げて、それによってパリサイ人たちの行動がどんなものであるかを示すとともに、彼らが自分たちの誤りを正す唯一の方法をもお示しになったのである。 COL 1332.2

この不正な家令に託された主人の財産は、慈善に用いるためのものであった。ところが、彼は、それを私用に使ってしまった。イスラエル人も、そうであった。神は、アブラハムの子孫をお選びになった。神は強いみ手をもって、彼らをエジプトからあがない出された。神は、世界を祝福するために彼らを神聖な真理の保管者となさった。神は、彼らが光を他に伝えることができるように、生きたみ言葉を彼らにお託しになった。しかし、神の家令は、これらの賜物を自分たちを富ませ、高めるために用いてしまった。パリサイ人たちは、自尊心が強く、自分を義とする心に満たされていたので、神の栄光のために用いるように、神から任せられた財産を乱用してしまった。 COL 1332.3

たとえの中の家令は、将来のためになんら用意をしていなかった。彼は他の利益を図るためにゆだねられていた財産を、自分のために費やしてしまった。彼は、ただ現在のことしか考えていなかったのである。もしも、家令の職が取り上げられてしまうならば、彼には、何1つ自分のものと言えるものはなかった。ところが、まだ主人の財産が、彼の手許にあった。そこで、彼は、将来の欠乏に備えて、自分の身の安全をはかるために、その財産を用いようとした。この目的を達成するためには、彼は、新しい計画のもとに働かなければならなかった。彼は自分のためにかき集める代わりに、他に分け与えなければならなかった。このようにしておけば、彼が解雇された時に、迎えてくれる友ができるかもしれないと思った。パリサイ人もそれと同じであった。家令の職が、まもなく、彼らから取り去られて、彼らは将来の備えをしなければならなくなるのであった。彼らも、他人に利益を与えることによってのみ、自分に利益をもたらすことができたのである。彼らも現世において、神の賜物を他の人々に分け与えて、初めて、永遠のために備えることができたのである。 COL 1332.4

キリストは、このたとえを語られたあとで、「この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である」といわれた。すなわち、世俗的に賢い人々は、いわゆる神の子供たちが、神に奉仕するよりは、もっと賢く真剣に自分のために働いているということである。キリストの時代には、その通りであった。それは、現代でも同じである。クリスチャンであると言っている多くの人々の生活を見てみるとよい。神は、彼らに技能と能力と感化力をお与えになった。また、神は彼らに金銭をお与えになったが、これは、彼らが神の協力者となって大いなる贖罪の働きをするためである。神から与えられた賜物は、全部、人類を祝福し、なやむ者、欠乏の中にある人々を助けるために用いるものである。わたしたちは、飢えた者に食べさせ、裸の者に着せ、やもめや孤児の世話をし、苦しむ者やおさえられている者のために奉仕しなければならない。神は、世界中に不幸がゆきわたることをお望みにならなかった。また、ある1人がありあまるぜいたくな生活をする一方、他の人々の子供たちがパンに飢えるようなことは、神のみこころではなかった。実際の生活に必要なもの以上の富は、善を行い人 類を祝福するために用いるために、人に託されているのである。「自分の持ち物を売って、施しなさい」(ルカ12:33)。「惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び」(Ⅰテモテ6:18)、「宴会を催す場合には、貧しい人、障害のある人、足の不自由な人、盲人などを招くがよい」(ルカ14:13)と主は言われたのである。「悪のなわをほどき」「くびきのひもを解き」「しえたげられる者を放ち去らせ」「すべてのくびきを折る」「飢えた者に、あなたのパンを分け与え」「さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ」「裸の者を見て、これに着せ」「苦しむ者の願いを満ち足らせ」(イザヤ58:6、7、10)、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)。以上の言葉が主の命令である。クリスチャンと称している者の大部分が、このような動きをしているであろうか。 COL 1332.5

ああ、神の賜物を私用に使っている者が、なんと多いことであろう。また、次から次に家や土地を増やしている者がなんと多いことであろう。快楽のため、食欲を満たすため、ぜいたくな住居や家具や衣服などのために、金銭を費やしている者がなんと多いことであろう。その反面彼らの同胞は、悲惨と犯罪、病気と死の中に取り残されている。無数の者が、憐れみの目も向けられず、同情に満ちた言葉や行為を1つとして受けることもなく、滅び去っているのである。 COL 1333.1

人々は、神の物を盗んでいるのである。彼らが財産を利己的に使用することは、人類の苦しみを和らげ、魂を救うことによって当然、神にかえっていくべき栄光を、主から奪うことになる。彼らは、神からゆだねられた財産を横領している。「わたしはあなたがたに近づいて、さばきをなし、……雇人の賃銀をかすめ、やもめと、みなしごとをしえたげ、寄留の他国人を押しのけ」る「者どもにむかって、すみやかにあかしを立てると、万軍の主は言われる」「人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたはわたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。10分の1と、ささげ物をもってである。あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである」(マラキ3:5、8、9)。「富んでいる人たちよ。よく聞きなさい。……あなたがたの富は朽ち果て、着物はむしばまれ、金銀はさびている。そして、そのさびの毒は、あなたがたの罪を責め、……あなたがたは、終りの時にいるのに、なお宝をたくわえている。」「あなたがたは、地上でおごり暮し、快楽にふけり、」「見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している」(ヤコブ5:1~3、5、4)。 COL 1333.2

やがて、すべての者は、そのゆだねられたたまものを引き渡すように要求される。最後の審判の日には、人間の蓄えた富は、彼らにとってなんの価値もなくなる。彼らには、何1つ自分の所有であるといえるものはない。 COL 1333.3

世の宝をたくわえるために、その一生を送る人々は、この世的な援助を得るために努力した不正な家令ほどにも、彼らの永遠の幸福のために賢く、思慮深く準備をしていない。この世の子らは、その時代に対しては、いわゆる光の子らよりもりこうなのである。 COL 1333.4

預言者が、大審判の日の幻の中で言ったのは、この人々のことである。「その日、人々は拝むためにみずから造ったしろがねの偶像と、こがねの偶像とを、もぐらもちと、こうもりに投げ与え、岩のほら穴や、がけの裂け目にはいり、主が立って地を脅かされるとき、主の恐るべきみ前と、その威光の輝きとを避ける」(イザヤ2:20、21)。 COL 1333.5

「不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう」とキリストは言われる。神も、キリストも、天使も、すべてが悩み、苦しみ、罪に沈んだ者のために奉仕している。この働きのためにあなた自身をささげ、神の賜物をこの目的のために用いなさい。そうすれば、あなたは、天に住む者の群れに加わることができる。あなたの心は、彼らの心と共鳴し、あなたの品性は、彼らと同じ ようになることであろう。あなたにとって、これらの永遠の住まいの住民たちは、他国人ではなくなる。地上の万物が過ぎ去る時、天の門衛は、あなたを喜んで迎えることであろう。 COL 1333.6

また、他人を祝福するために用いた財産は、報酬をもたらし、正しく用いられた富は、大きな善事をなしとげる。魂がキリストに導かれる。キリストの計画に従って人生を送る者は、この地上で自分が世話をし、犠牲をした人々と、神の宮で会うことであろう。あがなわれた人々は、自分たちの救いのために器となって働いた人々を覚えていて、心から感謝することであろう。忠実に救霊の働きをした者にとって、天はすばらしい所である。 COL 1334.1

このたとえの教訓は、すべての者に与えられたものである。すべての者は、キリストを通して与えられた恵みに対して、責任を負わなければならない。一時的な地上の事柄に没頭するには、この人生は、あまりにも厳粛である。永遠で、目に見えない方から、わたしたちが伝えられたことを、他に伝えることを、主は望んでおられる。 COL 1334.2

毎年、幾百万とも知れない多くの人々が、警告を受けず救いにもあずからずに、永遠にこの世を去っていく。わたしたちには、それぞれの人生において、時々刻々、魂に接触して彼らを救いに導く機会が与えられている。このような機会は、絶えず来ては去って行く。神は、わたしたちがこのような機会を最善に活用することを望んでおられる。1日、1週、1か月と月日は過ぎていく。それは、働く時が、1日、1週、1か月と減っていることである。遅くても、あと数年後には「あなたの会計報告を出しなさい」という拒むことのできない声を、聞かなければならないであろう。 COL 1334.3

キリストは、すべての者によく考えてみよと仰せになるのである。正直に計算をしなさい。はかりの一方には、永遠の宝、命、真理、天国、そして、救われた魂に対するイエスの喜びなどのすべてを代表しているイエスを置き、向こう側には、世が与え得るあらゆる魅惑物をおいてはかるのである。1つのはかりの一方には、自分の滅びと自分が救い得たはずの魂の滅びとをおき、他の側には、自分とその人々のために与えられる、神の命に等しい命をおいてみよう。この世とそして永遠のために、よく計ってみなさい。あなたがそうして計っているところへ、キリストは、「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」と言われるのである(マルコ8:36)。 COL 1334.4

神は、わたしたちが、地上のものよりは、天のものを選ぶことを望んでおられる。また、天に蓄えることができることをもお示しになった。神は、わたしたちの最高の目標に励ましの言葉をかけ、わたしたちの尊い宝を安全に守ってくださるのである。「わたしは人を精金よりも、オフルのこがねよりも少なくする」と主は言われる(イザヤ13:12)。虫がくい、さびがつく富が一掃される時、キリストの僕たちは、彼らが天に積んだ宝と朽ちない富とを楽しむことができるのである。 COL 1334.5

キリストにあがなわれた者の友情は、この世のあらゆる友情よりまさったものである。キリストが準備のために行かれた住まいに入る資格を与えられることは、地上のどんなりっぱな宮殿に住む資格よりもまさる。この地のどんな賞賛の言葉よりも、救い主が忠実な僕たちに言われるこの言葉の方がすぐれている。「わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい」(マタイ25:34)。 COL 1334.6

キリストの財産を使い果たしてしまった者にもなお、永遠の富を獲得する機会が与えられている。「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。」「自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい」(ルカ6:38、12:33)。「この世で富んでいる者たちに、命じなさい。……良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び、こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい」(Ⅰテモテ6:17~19)。 COL 1334.7

であるから、あなたの財産を、あなたに先だって天に送ることにしよう。あなたの宝を神のみ座のかた わらに蓄えよう。そして、キリストの無尽蔵の富を確保することにしよう。「不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富がなくなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。」 COL 1334.8